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3.飼うならかわいい猫がいい
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***
小恋が定時の十八時で帰ってから、ひと仕事が終わった。
となるとそろそろ十九時くらいかとあたりをつけて時計を見ればその通り。
このところ時間を忘れて仕事をしていたが、これからは小恋の退社の挨拶が目安になってちょうどいい。
「さて、そろそろ帰るか」
今日はノー残業デー。十九時でも早いわけじゃない。
顔を上げた八雲は、案の定うれしそうに書類を片づけ始めた。
「八雲、飯はどうするんだ?」
「今日はこれから彼女んとこに。あ、一緒に行きます?」
「行かねぇよ」
なにが悲しくて部下のデートの邪魔をしなきゃいけないんだ。
「秘書が決まったら今度は家政婦ですかー。なかなかうまくいきませんね」
あっちが立てばこっちが立たず。まあ秘書だけでも決まったし。とりあえず、それでよしとするしかない。
どっちにしろ、小恋が黒猫だとわかったからにはあのまま家政婦にはしておけないからな。
家政婦がいなくなってなにが困るかというと、飯だ。
食にこだわりはないし、食えればなんだって構わないが、料理だけはどうしても自分でする気が起きない。冷凍庫に市販の冷食はあるが、味付けが濃いせいか毎日となるとさすがに飽きる。
「じゃ、専務お先に失礼しまーす」
「お疲れ」
さて、今夜はどうするか。
たまにはラーメンでもすするかと考えはするものの、結局足が向いてしまうのは――。
クラブ『cherry b』
昇竜会の名残で俺が面倒をみている銀座の店だ。
ポケットに手を突っ込んだまま近づくと、客を見送っていたホステスが俺に気づいた。
「あらオーナーいらっしゃーい。ママー」
「いや」と言ったきり、呼ばなくていいと答える間もない。ったく。
店にはいると「櫻子ママ、オーナーがお見えになりました」とホステスの声が聞こえた。
待つまでもなく櫻子が、しなをつくって現れる。
「いらっしゃい」
「俺はいいから、客の相手しろよ」
「またそんなつれないこと言って」
「飯、なんかあるか」
「いやね。ここは食堂じゃないのよ?」
まだ二十代だというのに熟しきったような艶っぽさで笑いながら、櫻子は黒服に指示をする。
櫻子とは十年前に出会った。男に騙されて風俗に落とされそうになったところを助けたのが始まりだ。その後は男を騙す側になったものの、粘着されて刺されそうになり、その時も助けてやって、気づけば腐れ縁になる。
「家政婦さんはどうしたの?」
「ちょっとな」
「うちの子、交代で行かせましょうか? よりどりみどりよ?」
櫻子は含んだような微笑みを見せる。
まるでセイレーンの歌声のように「料理が上手な子もいるし」と、ささやきながら。
「いや、それには及ばない」
「遠慮しなくていいのに」
よく言うよ。身ぐるみはがされてベッドに引きずり込まれるのがオチだろ。
「それで、最近はどうだ」
「まぁ、ボチボチね。新しい子が入ったから、後でちょっと会ってみて」
銀座には様々な情報が集まってくる。したたかなこの女はオーナーの俺にすら余計なことは言わないが、ヒントだけは落とす。
「私ね、この前ゴルフに行ってきたの。トリさんに誘われちゃって」
トリさん。それは俺が会いたいと伝えている官僚のハットリさんだ。
「お嬢さんに縁談があるそうよ。あなたの嫌いな例の御曹司、かも」
「へぇ、それは潰させないとなぁ」
小一時間過ごして店を出ると、見送りについてきた櫻子は、俺と向き合い背伸びをして頬を寄せる。
キスをしているように見えるだろうが、櫻子の唇は俺の唇に触れていない。
「アカリのところばっかり行ってないで、たまには泊まりに来てよ。最近全然抱いてくれないじゃない」
フッ、よく言うよ。
俺がお前を抱いたことはねぇし。ついでにいえばアカリもな。
櫻子もアカリも、『あなたの女だって思わせておけば、変な男が寄ってこないから』と言う。
櫻子とは、遠い昔にそうなりかけたことがあった。
確かボタンを飛ばしながらブラウスを脱がせて、咥内を舐めまわし、獣のようなキスをして――。どちらからともなく、ブレーキをかけた。
戦友になる道を選んだ俺たちは、どこか似ているのかもしれない。
今も、櫻子の柔らかい唇から感じたのは信頼の情。
「そのうちな」と額にキスを返すと、櫻子は満足そうに目を細めた。
小恋が定時の十八時で帰ってから、ひと仕事が終わった。
となるとそろそろ十九時くらいかとあたりをつけて時計を見ればその通り。
このところ時間を忘れて仕事をしていたが、これからは小恋の退社の挨拶が目安になってちょうどいい。
「さて、そろそろ帰るか」
今日はノー残業デー。十九時でも早いわけじゃない。
顔を上げた八雲は、案の定うれしそうに書類を片づけ始めた。
「八雲、飯はどうするんだ?」
「今日はこれから彼女んとこに。あ、一緒に行きます?」
「行かねぇよ」
なにが悲しくて部下のデートの邪魔をしなきゃいけないんだ。
「秘書が決まったら今度は家政婦ですかー。なかなかうまくいきませんね」
あっちが立てばこっちが立たず。まあ秘書だけでも決まったし。とりあえず、それでよしとするしかない。
どっちにしろ、小恋が黒猫だとわかったからにはあのまま家政婦にはしておけないからな。
家政婦がいなくなってなにが困るかというと、飯だ。
食にこだわりはないし、食えればなんだって構わないが、料理だけはどうしても自分でする気が起きない。冷凍庫に市販の冷食はあるが、味付けが濃いせいか毎日となるとさすがに飽きる。
「じゃ、専務お先に失礼しまーす」
「お疲れ」
さて、今夜はどうするか。
たまにはラーメンでもすするかと考えはするものの、結局足が向いてしまうのは――。
クラブ『cherry b』
昇竜会の名残で俺が面倒をみている銀座の店だ。
ポケットに手を突っ込んだまま近づくと、客を見送っていたホステスが俺に気づいた。
「あらオーナーいらっしゃーい。ママー」
「いや」と言ったきり、呼ばなくていいと答える間もない。ったく。
店にはいると「櫻子ママ、オーナーがお見えになりました」とホステスの声が聞こえた。
待つまでもなく櫻子が、しなをつくって現れる。
「いらっしゃい」
「俺はいいから、客の相手しろよ」
「またそんなつれないこと言って」
「飯、なんかあるか」
「いやね。ここは食堂じゃないのよ?」
まだ二十代だというのに熟しきったような艶っぽさで笑いながら、櫻子は黒服に指示をする。
櫻子とは十年前に出会った。男に騙されて風俗に落とされそうになったところを助けたのが始まりだ。その後は男を騙す側になったものの、粘着されて刺されそうになり、その時も助けてやって、気づけば腐れ縁になる。
「家政婦さんはどうしたの?」
「ちょっとな」
「うちの子、交代で行かせましょうか? よりどりみどりよ?」
櫻子は含んだような微笑みを見せる。
まるでセイレーンの歌声のように「料理が上手な子もいるし」と、ささやきながら。
「いや、それには及ばない」
「遠慮しなくていいのに」
よく言うよ。身ぐるみはがされてベッドに引きずり込まれるのがオチだろ。
「それで、最近はどうだ」
「まぁ、ボチボチね。新しい子が入ったから、後でちょっと会ってみて」
銀座には様々な情報が集まってくる。したたかなこの女はオーナーの俺にすら余計なことは言わないが、ヒントだけは落とす。
「私ね、この前ゴルフに行ってきたの。トリさんに誘われちゃって」
トリさん。それは俺が会いたいと伝えている官僚のハットリさんだ。
「お嬢さんに縁談があるそうよ。あなたの嫌いな例の御曹司、かも」
「へぇ、それは潰させないとなぁ」
小一時間過ごして店を出ると、見送りについてきた櫻子は、俺と向き合い背伸びをして頬を寄せる。
キスをしているように見えるだろうが、櫻子の唇は俺の唇に触れていない。
「アカリのところばっかり行ってないで、たまには泊まりに来てよ。最近全然抱いてくれないじゃない」
フッ、よく言うよ。
俺がお前を抱いたことはねぇし。ついでにいえばアカリもな。
櫻子もアカリも、『あなたの女だって思わせておけば、変な男が寄ってこないから』と言う。
櫻子とは、遠い昔にそうなりかけたことがあった。
確かボタンを飛ばしながらブラウスを脱がせて、咥内を舐めまわし、獣のようなキスをして――。どちらからともなく、ブレーキをかけた。
戦友になる道を選んだ俺たちは、どこか似ているのかもしれない。
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