龍崎専務が誘惑する

白亜凛

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5.パンドラの箱

 白々と夜が明けた頃、ふと目が覚めた。

 目の前には龍崎専務の厚い胸板があって、抱えられるようにして私はくっついていた。

 好きな人の腕の中で目が覚めた朝は、なんて幸せなんだろう。
 専務……、好き。

 だけど、なにしろクタクタに疲れていたから。まぶたはそのまま落ちて、
 専務の温もりに包まれながら、夢見心地で思った。

 このまま世界がふたりきりなって、明日なんてこなくていいのに。
 ずっと夜でもいいのにと。


 それなのに――。

 再び目を開けたとき、専務はいなかった。

 夢だったわけじゃない。間違いなく専務の部屋のベッドには違いないと、寝ぼけた頭を揺らし、もそもそと起き上がった。

 シャワーを浴びている音も、なんの物音もしない。

「あ……」

 目に留まったサイドテーブルに置かれたメモ。

【仕事で出かける。】

 えっ?

 メモのすぐ脇にあるデジタル時計は、九時を示している。

 今日は土曜で仕事は休み。
 いつもなら休日でも七時にはしっかりと目覚めるはずが、随分寝過ごしてしまったらしい。

 慌てて起きて大急ぎで着替えた。
 
 ちゃんと乾かさないで寝ちゃった髪はボサボサだけど、手櫛で適当に整える。

 細かいことは言っていられない。いつ帰るかわからない専務より先にここを出なければ。その一心でエレベーターに飛び乗った。

 ドレスなのに髪は乱れてスッピンな女が高層階から降りてきたら、いかにもお泊りしてイケない事をしてきましたと言っているようなもの。

 幸い誰にも会わずに済んだ。

 外は雨で、出掛ける人は少ないのかもしれない。


 
「はぁ」

 自分の部屋に帰りつき、ともかくもホッとしたところでソファーに倒れ込んだ。

「専務……」

 ついに。私、専務としちゃった。

『後悔してもしらないぞ?』

『後悔なんてしない』

 ちょっと怖かったけど、やっぱり優しかったなぁ。

 夜中にふたりでお風呂に入って。
 入れ墨、怖くないのかって聞かれたけど、少しも怖くはなかった。

 湯船の中で、後ろから抱きしめられて。
 そのまま――。

「はぁ」 

 仕事で出かける、か……。

 いつ帰ってくるとも書いてなければ、今夜食事をしようなどというお誘いもない。そっけないメモ一枚。

 専務の仕事のスケジュールを管理しているのは私だ。

 念のため手帳を見てみたけれど、手帳にもスケジュール管理アプリを見ても専務の予定はない。

 わかっている。

 一夜だけって言ったのは、私だから。

 好きな人に、初めての私を抱いてもらえた幸せ。それだけで十分。

 月曜日からは秘書と家政婦に戻るけど、悲しくなんてない。これ以上望んだら、欲張りが過ぎる。

 龍崎専務は、好きだとも、愛しているとも、最後まで言ってくれなかったけれど、それは望んじゃいけないんだ。

 しばらくジッとして、微かに聞こえる時計の音だけを聞き、ぼんやりとした。

 それから、ユメちゃんに写真を添付してメッセージを送った。

【どう? 素敵な人でしょ? 私ね、告白したよ。未来はないけど、いい想い出ができた。】

 大切な、一生忘れられない想い出ができたよ……。
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