龍崎専務が誘惑する

白亜凛

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8.極道ということ

 恐怖で体がすくんだ。

 姿は見えなかったけれど、専務は誰かと争っている。ドスンという重い響きは、殴り合う音だった。

 廊下で一体なにが起きているの?

 震える指先を口元にあてて、そのまま茫然自失としていると、間もなくドアが勢いよく開いて龍崎専務が入ってきた。

「専務?!」

 専務はわき腹を抑えている。髪は乱れているし、スーツはあちこち切られたように破けている。

「だ、大丈夫ですかっ」

「大丈夫だ」

 脇腹を抑えている手の指の間から血が出てきていた。

「せ、専務……。血」

 そのまま廊下に座り込み、スマートホンを取り出した専務は、電話をかけようとしたようだったが、あきらめたように床にスマートホンを置いた。

 見れば指先が血でいっぱいでスマートホンを操作できないのである。

「小恋、東雲に電話してくれるか」

「は、はい」

 慌ててエプロンのポケットからスマートホンを取り出して東雲さんに電話をかけた。

「あ、東雲さん! 専務が。い、今、変わりますね」

 専務の耳もとに電話をあてる。

「マンションの廊下でやられた。ナイフだ。いや、傷は浅い。ただ血がな。ああ頼む」

 電話を切った専務はスマートホンを差し出して、フッと笑みを浮かべる。

「そんな顔するな、かすり傷だよ。今から東雲と主治医がくる。それまでこのままここにいるけど、心配ないからな」

「はい。専務、しゃべらないで……」

 泣いちゃいけない、こんなときは絶対に泣いちゃいけない。そう思うのに、涙が溢れてくる。

「大丈夫だから、泣くな」

「はい。泣いてません。専務、しゃべらないで、お願いだから」

 私にできることはあまりにも少なかった。タオルを持ってきて、専務に渡すだけ。なにをどうしていいのかわからない。
 

 東雲さんと八雲さんと主治医が来たのは、ほぼ同時刻だった。

 電話をしてからどれくらい経っていたのか。一時間くらい長く待った気もするし、ほんの一〇分くらいだった気もする。

 主治医が傷口を確認してから、東雲さんたちが専務を寝室に運んだ。

 私はその間、ハラハラしながら見ているだけだったけれど、東雲さんに呼ばれて寝室を出ると「帰りなさい」と言われた。

「でも」

「泣いている女がいても、邪魔なだけですから」

 東雲さんは冷たい目で、私を見下ろした。

 え? 私、泣いてる?

 気づいていなかっただけで、私はやっぱり泣いていた。指摘されるまで、本当にわからなかった。

「あ。す、すみません、もう泣きません。邪魔にならないようにキッチンにいますから、お願いです、いさせてください」

 東雲さんの冷たい視線に負けず、何度も何度も必死に頭をさげて、私は残ることを許された。
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