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9.さよなら愛おしい人
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小恋が辞めて二カ月が経った。
夕食がてら向かった先は友人の店。バー『氷の月』。
ドアベルに振り返った男が弾けたように相好を崩す。彼はこの店のオーナー氷室仁。昔からの友人だ。
「あれ? 珍しいですね」
「たまにはな」
「飯は?」
「いやまだだ」
手際よく仁はバーテンに指示をする。
再びドアベルの音がして、若いカップルが顔を覗かせた。
だが、さりげなく立ちはだかったバーテンが入店を断ったのだろう、ふたりは中に入らずに消えた。
「相変わらず、狭き門か」
「俺が自分でのんびりするために作った店ですからね」
この店は会員制でドアにもメンバーズオンリーの但し書きがある。
メンバーを決めるのはオーナーの仁。俺のような昔からの友人は顔パスだが、入店を許すか許さないかは、仁が気分次第で決めているらしい。
「ったく、贅沢なやつだ」
趣味に走った店だけに、酒の種類も豊富だし食事は美味い。
お通しだかなんだかわからないが、最初に出された燻製の盛り合わせから喉を刺激するいい香りが漂ってくる。スモークサーモン、スモークチーズ、枝豆の燻製に、いぶりがっこまで少しずつ。酒が待ちきれない。
大きな丸い氷がひとつ入っただけのグラスに琥珀色のウイスキーが注がれて、仁のグラスと合わせると、カランと高い音が響いた。
「大変でしたね」
「ああ」
あの日すぐに『やることがあれば言ってください』と仁からメッセージ来た。
マンションのコンシェルジュや警備は仁の警備会社から来ている。そこから知らせがいったのだろう。仁はこの店だけじゃなく、様々な企業の役員でもある御曹司だ。
「無事だからよかったが、あそこまで清水がやるとはなぁ」
「大胆そうに見えるわりに、死角をついて一般人の目撃者ゼロですからね。アキさんだから抜かりないとは思いましたけど、肝を冷やしましたよ」
小恋に渡したGPSと、車を追った見張りが功を奏したが、それはあくまでも結果の話だ。
「小恋には、かわいそうなことをした」
「連絡はとっていないんですか?」
「ああ、あれきりだ。アキラさんがいるから心配ないし」
小恋が辞めると決まった時、アキラさんと再び喫茶シャドーで会った。
『今後は俺が注意してみておく、だから心配しなくていい』
そう言われて、俺は完全に小恋から手を引いた。
小恋がいたマンションの部屋はアキラさんが賃貸に出して、いまは別人が住んでいる。
早いもので、あれから二カ月、早くも夏が終わろうとしている。
田舎に帰った小恋の音沙汰はまったく聞こえてこない。
「食事、どうしているんですか?」
「適当だよ。ほとんど外食だな。店回るついでに食べるとか」
その他には、東雲が心配して勝手に通販で注文したパンだのパスタだのの冷食が、冷凍庫に入ってる。もとからそれほどこだわりもないから、そんな食事にも慣れた。
「家政婦必要なら言ってくださいよ」
「あ。そういや、お前んとこ家政婦紹介してるとか言ってたな。訳ありだっけ?」
「引きこもりとか、LGBTとか色々あって対人恐怖症ぎみの子が数人。まぁ色々とありますけど仕事は皆しっかりしていますよ。営業はいっさいしない紹介制なんで、細々とやってます」
「へぇ。そーゆーの好きだなぁお前も」
仁はなんだかんだと面倒見がいい、拾ってもらった訳あり従業員は、居場所を見つけてホッとしているだろう。
「警備員の独身寮に賄いの婆さんがいるんですよ。昔小料理屋をやっていたんだけどその飯が美味くてね。足ケガして店畳むっていうんでスカウトして、その婆さん仕込みの料理だから和食も強いですよ」
「ふぅん。じゃ頼むか。飯だけでもいいし誰でもいい。お前に任せる」
夕食がてら向かった先は友人の店。バー『氷の月』。
ドアベルに振り返った男が弾けたように相好を崩す。彼はこの店のオーナー氷室仁。昔からの友人だ。
「あれ? 珍しいですね」
「たまにはな」
「飯は?」
「いやまだだ」
手際よく仁はバーテンに指示をする。
再びドアベルの音がして、若いカップルが顔を覗かせた。
だが、さりげなく立ちはだかったバーテンが入店を断ったのだろう、ふたりは中に入らずに消えた。
「相変わらず、狭き門か」
「俺が自分でのんびりするために作った店ですからね」
この店は会員制でドアにもメンバーズオンリーの但し書きがある。
メンバーを決めるのはオーナーの仁。俺のような昔からの友人は顔パスだが、入店を許すか許さないかは、仁が気分次第で決めているらしい。
「ったく、贅沢なやつだ」
趣味に走った店だけに、酒の種類も豊富だし食事は美味い。
お通しだかなんだかわからないが、最初に出された燻製の盛り合わせから喉を刺激するいい香りが漂ってくる。スモークサーモン、スモークチーズ、枝豆の燻製に、いぶりがっこまで少しずつ。酒が待ちきれない。
大きな丸い氷がひとつ入っただけのグラスに琥珀色のウイスキーが注がれて、仁のグラスと合わせると、カランと高い音が響いた。
「大変でしたね」
「ああ」
あの日すぐに『やることがあれば言ってください』と仁からメッセージ来た。
マンションのコンシェルジュや警備は仁の警備会社から来ている。そこから知らせがいったのだろう。仁はこの店だけじゃなく、様々な企業の役員でもある御曹司だ。
「無事だからよかったが、あそこまで清水がやるとはなぁ」
「大胆そうに見えるわりに、死角をついて一般人の目撃者ゼロですからね。アキさんだから抜かりないとは思いましたけど、肝を冷やしましたよ」
小恋に渡したGPSと、車を追った見張りが功を奏したが、それはあくまでも結果の話だ。
「小恋には、かわいそうなことをした」
「連絡はとっていないんですか?」
「ああ、あれきりだ。アキラさんがいるから心配ないし」
小恋が辞めると決まった時、アキラさんと再び喫茶シャドーで会った。
『今後は俺が注意してみておく、だから心配しなくていい』
そう言われて、俺は完全に小恋から手を引いた。
小恋がいたマンションの部屋はアキラさんが賃貸に出して、いまは別人が住んでいる。
早いもので、あれから二カ月、早くも夏が終わろうとしている。
田舎に帰った小恋の音沙汰はまったく聞こえてこない。
「食事、どうしているんですか?」
「適当だよ。ほとんど外食だな。店回るついでに食べるとか」
その他には、東雲が心配して勝手に通販で注文したパンだのパスタだのの冷食が、冷凍庫に入ってる。もとからそれほどこだわりもないから、そんな食事にも慣れた。
「家政婦必要なら言ってくださいよ」
「あ。そういや、お前んとこ家政婦紹介してるとか言ってたな。訳ありだっけ?」
「引きこもりとか、LGBTとか色々あって対人恐怖症ぎみの子が数人。まぁ色々とありますけど仕事は皆しっかりしていますよ。営業はいっさいしない紹介制なんで、細々とやってます」
「へぇ。そーゆーの好きだなぁお前も」
仁はなんだかんだと面倒見がいい、拾ってもらった訳あり従業員は、居場所を見つけてホッとしているだろう。
「警備員の独身寮に賄いの婆さんがいるんですよ。昔小料理屋をやっていたんだけどその飯が美味くてね。足ケガして店畳むっていうんでスカウトして、その婆さん仕込みの料理だから和食も強いですよ」
「ふぅん。じゃ頼むか。飯だけでもいいし誰でもいい。お前に任せる」
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