龍崎専務が誘惑する

白亜凛

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10.龍崎専務は誘惑する

『ちょっと事件があったんです』

『君が清水に攫われた件?』

『ご存じだったんですね』

『あのマンションのコンシェルジュはうちの社員だからね。無事でよかったよ、本当に』

『はい。それで、その時思ったんです。私はこのままじゃいけないって』

 警察で事情を聞かれていた時。刑事さんたちの話し声を耳にした。

『さすがの龍崎も女が係わると、つらいなぁ』

『弱みができることになりますからね』

 それを聞いて私はハッとした。

 攫われた時も不思議なほど怖くはなかった。なにがあっても必ず彼が助けてくれると思ったし、どうなろうと彼は私を守ってくれると思ったから。

 でも、私のせいで彼が陥れられると思うと居たたまれなかった。

 私は龍崎専務の一面しか知らない。

 ビジネスマンである彼ならなんでも知っているけれど、それ以外の彼を知らないのだ。写真で見た過去は仕方ないとして、夜の街を歩く彼がどんなふうなのか、想像もできなかった。

 今のまま彼の近くにいても、きっとなにも変わらない。専務は私に優しい専務のままだとは思う。今後同じような事件があっても、きっと私を守ってくれるだろう。

 でもそれじゃ、いけない。

『守られるだけの私じゃダメなんです。嫌なんです。もっともっと強くなりたいんです。一度専務から離れて、私の知らない彼を知りたいんです』

『知ってどうするの? 君が離れている間に、彼の心も離れてしまうかもしれないよ?』

『それは――』

 そう言われるとチクッと心が痛んだ。

『大丈夫です。その時は一からスタートするだけです。知ったところでどうにもならないかもしれないけど、知らないよりは全然ましですから』

 家政婦になりたい理由もあった。いままでの自己流の家政婦ではなく、料理や掃除についてちゃんとしたものを身に着けたいと思ったし、仕事の合間にジムに通ったり合気道など習って体を鍛えたりしたいと一生懸命訴えた。

『どれくらいの期間って考えているの?』

『期間はよく考えてはいませんでした。納得できるまでと思って。半年とか一年とか』

『納得できなかったら?』

『その時は……』

 どうしよう。いつまで経っても彼が遠いままだったら、その時は。

 口ごもっていると氷室さんが言った。

『条件はふたつ。ひとつは君のこっちでの保護者である叔父さん夫婦の了解をとってほしい。後は期間を決めよう。半年なら協力する。女子寮があるからそこに住んだらいい』

『ありがとうございます』

 実彩子ちゃんとアキラ叔父さんにも正直に言った。

 彼を本気で好きだと告げた。

 一度離れて彼をちゃんと知りたいという気持ちと、氷室さんに言われた条件をそのまま。

 実彩子ちゃんは『小恋も大人になったのね』と笑った。

 アキラ叔父さんは実彩子ちゃんが説得してくれた。

『確かに今回は危険な目に合ったわ。でも、龍崎さんと付き合っていなくても酷い目に合うかもしれないじゃない。清水がいい例よ、あんな普通の顔した悪魔のせいでたくさんの女の子が酷い目に合ったんだもの』

 そして私は、氷室家政婦紹介所の寮にいる。
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