お針子の魔法使いと悪魔の弟子

蛾脳シンコ

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第43話『ゴーストバイト』

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 友人たちとお揃いのスカイノートを購入するべくバイトとやらをする約束をしたレンリエッタはその日の夕暮れ、どこか落ち着かない感情を胸に帰宅した。
 というのも、つい約束はしてしまったのだがエラフィンから許可は貰っていないのだ。もしこれで『ダメだよ』なんて言われてしまったら胃が痛くなるのだが、きっと許可は貰えるだろうと信じて十数秒間が握っていたドアノブを捻って広間へと入った。

「た、ただいま!」
「おかえりレンリエッタ、ちゃんと門限は守ったようだねぇ。」
「うん…破ったらどうなるか分からないし…」

 玄関から広間へ入ってみればいつものようにエラフィンが魔法書を片手にソファへ座り込んでおり、少ししてからグリスが廊下から出てきて『おかえりなさいませ』と言うと、そのまま忙しそうにキッチンへ戻ってしまった。
 レンリエッタは今にでも緊張が口から漏れそうな感情に襲われたが何とか飲み込み、エラフィンの傍まで歩いて行くと彼女は本から顔を離して言った。

「さてと…用件を聞こうじゃないか」
「えっ……それってどういう…」
「アンタがそういう顔をしてる時は大抵何かあるからね。言ってごらんよ」
「うっ、うん…その…」

 どうやら感情が顔に出ていたらしく、エラフィンが心の内を見透かすように指摘してから優しい声で言うようにと諭した。
 これには隠す気も沸いてこないのでレンリエッタは約束のことについて事細かに話して伝えた。冷汗がじんわりと全身を冷たくさせる嫌な感触が襲ってきたのだが、なんとかすべてを口にすることが出来た。
 そして一連の話を聞いたエラフィンはというと…

「良いじゃないか、バイトでもなんでもやれば。」
「え?ほんとに?良いの?」
「別に縛りはしないさ。それに何事でも経験を積むのは大事だからね。」
「よ、よかったぁ…はぁ~…」

 予想通りと言えば予想通りだが、エラフィンは快く許可を下ろしてくれた。あんまりにもスムーズに話が進んだのでレンリエッタは体中の空気が抜けるように緊張の糸が解れ、すぐそばのクッションソファにボフンッと倒れ埋まった。

「それにしても水臭いねぇ、言ってくれれば金の稼ぎなんていくらでも教えてやったのに。」
「法律に反してない稼ぎ方なら聞きたいけど」
「あぁ~…ちょっと厳しいね…昔は合法だった…ってのはダメ?」
「ダメだよ…」

 彼女曰く稼ぎ方ならごまんとあるらしいが、その大半が何らかの法に反しているのでレンリエッタは聞く気にはなれなかった。薬はまだ良いとして禁制植物の密売や魔法金貨を用いた横領は少しばかり悪事が過ぎるのだ。

 さてエラフィンに許可は貰ったものの、グリスにもちゃんと説明しないといけないのでレンリエッタはその日の夕食の席で一通り話した。
 すると案の定グリスは愕然とした表情を浮かべ、マッシュポテトをよそっていた手をピタリと止めてしまった。

「な、なんですって?お嬢様が…お仕事を?」
「う、うん…一応言っておこうかと思って…」
「まさか止めるんじゃないんだろうね?言っとくが私が許可を出したからには決めるのはレン自身だよ。」
「うーむ…お嬢様がなされたいのであれば私めは引き止めませんが……一体何をなさるのですか?」
「まだ決まってないよ。でもそんなに大したことじゃないみたい、クリッツが言うには1時間そこらで終わる仕事が大半みたいだし。」

 グリスは止める事こそしなかったが、あまりいい顔はしなかった。どうやらいつもと同じように心配しているらしい…思えば彼には心配ばかりさせているのだが、今回も同じことになりそうだ。
 しかし良い顔をしなかったのは彼だけでなく、エラフィンもどこか考えたような表情を浮かべながらグラスに注がれたワインをじっくりと眺めていた。また時間魔法で酸化させようとしているのかと思いきや、そうでもない様子…

「ねぇ先生、どうかしたの?」
「……え?あぁいや、何でもないよ……ところでレンリエッタ、あの子たちとは仲が良いのかい?昼間の…」
「パンセ達のこと?もちろん、まだ全然知り合ったばかりだけどすっごく気が合うの!」
「そうかい、そりゃ…良い事だ!友達は大事だからね…きっと学ぶことも多いだろうし…」
「(先生…どうかしたのかな…)」

 やはりエラフィンはどこか妙だった……何か嫌な事でもあったのだろうか?
 その日の夕食はいつもより幾分か静かに終わり、その後はモノリス魔法の練習(相変わらずビリビリだけだが)を少ししてからレンリエッタは眠りに就いた。
 約束は明後日だ……だが心はまるでその日が目前に迫るようにドキドキとしていたので目を瞑ってから寝入るまでに少しばかりの時間を要したが…その間、エラフィンが新しいワインを開けている音が聞こえた。



 それから早く時間が過ぎるもので、三行の空白かのような1日は過ぎて例の日となった。
 レンリエッタは朝早くに目が覚めるといつもよりシャキッとした気分で起き上がり、素早く身支度を整えると真っ先にキッチンへ向かい、グリスへ話しかけた。

「おはようグリス!」
「おはようございますお嬢様。やはり今日は一段と気合が入っておりますね。」
「もちろん!なんだか気分が上がって歯の根が合わないよ…ねぇミルクティーを淹れてくれる?」
「かしこまりました!すぐにご用意しますので少々お待ちくださいませ」

 既に気分が高揚し始めているレンリエッタは一旦体を落ち着かせるためにミルクティーを所望すると、すぐにグリスは用意してくれた。ミルクで茶を抽出した本物のミルクティーだ。
 それをひとくち、ふたくちと味わえばすぐに体が落ち着いたような気がした。

 落ち着いたところでレンリエッタが流しの方に目を向けてみると空のワインボトルが何本か並んでいるのに気が付いた。この家でワインを飲むのはエラフィン(もしくは温室のサケノミグサ)だけなのだが明らかにペースが上がっている……昨夜も随分と飲んでいるようだったとレンリエッタは思い出した。

「ねぇ、思ったんだけど…最近のエラフィン先生ってよく…飲むよね?」
「ふむ?ええ、確かに…ここ最近は随分とお酒のペースが上がっているようですね。」
「何かあったの?ほら、いつもはそんなに飲む方じゃないから…」
「………ふーむ、思い当たりませんね。」

 そう言うグリスであったが、レンリエッタはその言葉がどこか怪しいとすぐに感じ取った…だがそれ以上言及することは無かった。大抵グリスがはぐらかす時は何かしらディープな話題となるのだ。
 なのでその後もレンリエッタは他愛も無い談笑を楽しみ、朝食のホットケーキをじっくり味わってから約束の時間に間に合うように家を出た。
 その日は朝も早かったのでエラフィンに会うことはなく、どこか寂しい気分でレンリエッタは街へと飛び立った。


 夏と言えども朝早くとなれば涼しくて落ち着いており、待ち合わせ場所である水の出ない噴水広場さえもいつもに比べて人通りは少ないほうだった。
 そして、レンリエッタが飛行杖で降り立ってみれば既に二人は到着していた。

「おっはようレンリエッタ!」
「ふぁぁ~…おはよ…」
「こっちこそ!二人共おはよう!今日は朝から落ち着かないや!」
「私も!いつもはもっと落ち着いているんだけどね。」

 元気そうなパンセと寝ぐせの目立つ眠そうなクリッツと挨拶を交わしたレンリエッタは今日の予定について話し始めた。

「あのノートは高くても8ケイルだから半日も仕事すればすぐに稼げるよ。」
「良い場所を見つけられたらの話だけどね…ふぁぁ~…場所によっては子供だからって募集の半額以下で渋る人もいるし。」
「そんなところがあるの?」
「まぁね、ラーム通りの方はそういう話しか聞かないから近づかない方が良いよ。」
「レンリエッタも気を付けてね、あそこってろくな人いないから!」
「う、うん…気を付けとくよ…(やっぱり評判は最悪なんだ…)」

 パンセの話では(まともなところで)半日ほど仕事をすれば稼げるらしく、簡単な依頼ならすぐに終わるので3つか4つこなせれば今日の夕暮れにはノートで楽しく会話できるのだ。
 クリッツが眠気覚ましに七変化をしたところで、三人は広場に立てられた掲示板から求人依頼を探し出すことにした。条件のいい仕事は早いうちに無くなってしまうので、あまり人のいない今がチャンスである。

「さーてと…試食のお仕事とか無いかな?」
「そんなのあるわけないでしょ…えーっと…今日は結構あるね。」
「うん、いろいろあるね…あ、知ってるお店のもあるよ!」

 大きな掲示板には求人依頼が所狭しと張られていた。雑に眺めるだけでも中々の数があり、三人はそれぞれでいい条件が無いかよーく目を凝らして見始めた。
 食虫植物の植え替え、ポーションの配達、ペット千匹のおトイレ掃除などなど…本当に多種多様だが、中にはジュニアヘルドお断りの仕事もあった。飛竜の餌やりや仕返し屋などがその類である…前者はともかく後者は物騒で仕方がない…

「わ!あれ見て!魔法薬の治験だって!10分10モナス、死んだら無料で埋葬してくれるってさ!」
「うげっ!物騒すぎるよ…もうちょっと安全なのが…」
「だったらこれはどう?」
「うん?杖磨き?」

 危険すぎるクリッツの提案とは裏腹にパンセが見せてきたのは杖磨きという心底おだやかそうなもの。中古杖ショップの『セカンドウィザーズ』が出している依頼だ。
 報酬は2ケイルと安めだが、初めてなら安全なものが妥当と言えよう。

「うん、良いね…これにしよう。腕とか足を無くす心配は無さそうだし。」
「杖磨きかぁ…まぁそれもいいかな…でも治験もあんまり悪くないんじゃ…」
「なら!早速行こっか!」
「誰かに取られる前に行かないと!」
「う、うん…(そんなに嫌なのかな…)」

 という事で早速見つけた依頼を受けるために三人は紙を持ってセカンドウィザーズへと向かった。店はサタニズム街の一角、ベルネック通りに建っている。
 てっきりレンリエッタはそれなりの店構えを期待していたのだが、いざ行ってみるとそこにあったのはなんとも寂し気な…というより寂れた雰囲気の漂う埃っぽい店だった。
 三人は何度か紙を見て住所を確かめたが此処で間違いはなく、トドメを刺すように埃をかぶった看板に『セ ンド・ウ ーズ』と刻まれていた。

「なにここ、埃の専門店?それともベッドの下に置いてあったの?」
「ちょっとクリッツ…駄目だよそんなこと言っちゃ…」
「いかにも杖磨きが必要っぽいお店だよね…というよりお店を磨いた方が良いんじゃないの?」
「もう、レンリエッタまで…」

 そんな感じの感想しか出ない場所である。曇ったガラスのショーウィンドウには先端の欠けた長柄杖が三本飾られており、それらも埃を厚く被っている始末。
 三人はしばらく入ろうかどうか迷っていたが、少しすると中から一人の男が出てきた。意外にも若い角付きヘルドで道具が詰め込まれたエプロンを垂らしていた。

「なんだい君たち、さっきから店を見てるようだけど用があるなら入ってくれて構わないよ。」
「いや、私たちは…その、依頼を見て来たんですけど…」
「うんうん、杖磨きの…」
「あぁなるほど!手伝いに来てくれたのか!なら是非とも入ってくれ、人手が欲しくてたまらないんだ!」

 男は三人が依頼を受けにやって来たと分かればすぐさま店の中へと招いてくれた。招かれた以上入らなければならないのだが、やはり…店の中も埃だらけでカビ臭かった。
 杖が並ぶケースには雪ような埃、天井にはクモの巣が張られ、割れたタイルが敷かれた床にはムカデの死骸がごろごろ転がっている…本当にここは店なのだろうか…
 もはやレンリエッタもパンセも帰りたい気持ちで溢れていたが、クリッツは以外にも平気そうで「きったないねー!」と軽々しく言い放ち、店主も「だろー?」と返した。

「汚くてごめんね、最近店を閉じてて久しぶりに帰ったらこの有様なんだ。一人でやるには数が多すぎるし…ホントに助かるよー。あ、こっちね。」
「…パンセ、どうしよう…私帰りたい…」
「わ、わたしも…こういうところ苦手なの…」
「うっひゃー!見てよ二人とも!あのペンデュラムってば化石みたいだよ!」
「なんでクリッツは平気でいられるのさぁ…」
「あはは!ウビィ先生の家に比べたらこのくらいなんとも無いよ!」

 汚い店の中を歩いて進み、案内されるがままに通された先は…店の裏手だった。四方が建物で囲まれていたが屋外だったのでレンリエッタとパンセは新鮮な空気を存分に味わったが、いざ目の前の光景を目にすればその気すら失せてしまった。
 なんとそこには山の様に積まれた長柄杖と短杖が鎮座しており、それらは当たり前の様に薄暗い埃を被っているのだ。あれらをすべて磨くとなれば…骨が折れるどころではない…
 レンリエッタは思わず心の声を漏らした。

「うげー!すごい量!」
「この量を3人でやるんですか?」
「俺を加えて4人だ。その間に誰か来ればもっと増えるよ。さぁさぁ始めよう、道具はそこにあるからね。」
「うっへぇ…もう気が遠くなりそうだよ…」
「ま、お店の中に比べたらマシだし。ちゃんとお金が貰えるなら僕はやるよ。」

 クリッツの言う通り、報酬をもらうからには仕事をしなくてはならないのがこの世の理なので三人は渋々道具を手に取って杖を磨き始めた。
 幸いなことに店主が教えてくれた手順は極めて簡単であった。まず最初に蟲毛ブラシで表面の汚れを軽く落とし、CWPの杖磨き用ワックスを染み込ませた布巾で全体をゴシゴシと磨けばあっという間に杖はキラキラの新品同様に。
 パンセは自社製品が使われているのを見て少しうれしそうな顔をしていた。

「ね、簡単でしょ?磨いた杖はそこのケースの中に仕舞っといてくれ。」
「はーい。えーっと……うわっ、このワンド…先端の石が無いよ」
「こっちのロッドはヘッドの水晶にヒビが入ってる…」
「そういうのはパーツを分解して再利用するから他でまとめておいてくれよ。」

 レンリエッタが汚い杖の山に手を伸ばそうとしてみれば、いくつか破損した物も見られた。先端の石がなくなった短杖やヘッドが欠けている長柄杖などだ。こういったものはもちろん使い物にならない(無理に使うと暴発する)のだが、分解して組み直すことでまた使えるようになるのだ。
 所謂ジャンク触媒というもので、機能性よりも使えるかどうかのみを追求したものである。

 それはさておき、ようやくレンリエッタは一本目を手に取って磨き始めたのだがブラシのおかげで汚れはすぐに落ち、ワックスも軽く塗るだけで終わるので大した苦労も無かった。
 確かに量こそ中々のものだが、それほど苦でもなさそうだと少し前向きな気分になった。パンセも同じようで、クリッツに至っては……慣れた手つきで次々と磨き散らかしていた。

「クリッツって杖磨くの上手だね。」
「まぁね!こういうバイトはよくやってたからさ。毒蛇の卵集めに比べれば全然簡単なもんだよ。」
「そ、そうなんだ…」

 確かにそのような物騒な仕事に比べてこの杖磨きというのは本当に簡単な部類に入るのだろう。
 レンリエッタはそう考えながら皆と一緒に杖を磨き続け、着々と仕事を片付けて行った。杖の量は果てしなかったのだが、少しすると新たに依頼を見てやって来た者達も加わり、2時間もする頃にはすべて磨き終えることに成功した。
 さすがに2時間も続ければ腕がギチギチと痛んだが、もちろん痛がっている暇など無かった。

「よーし!みんなお疲れさん!報酬を払うから一列に並んでくれ!」
「はーい!ふぅ…やっと終わったけど、いてて…腕がガクガクするよ…」
「もう痛むの?まだまだこれからなのに。」
「そう聞くと…はぁ…嫌になっちゃうよ…」
「ま、まぁ二人とも!まずはお給料をもらおうよ!」

 杖磨きで稼いだのはたったの2ケイル…目標金額まであと6ケイルもある。なのでむしろこれからが本番だと言っても過言ではないのだ。
 三人は給料の2ケイルを受け取ると店主から勧められた中古杖の購入を断ってから素早く店を出てまた広場へと戻った。今朝は落ち着いていた広場も今では多くのヘルドが行き交ういつも通りの日常と化していた。

「休んでる暇なんてないよ、早く次の仕事を探しに行こうよ。」
「ひぇ~、容赦ないなぁ……そうだ、裁縫の仕事とか無いかな?」
「そういうのは中々ないと思うけど…だって仕立屋さんのお仕事だし。」
「だよねぇ~」

 休んでる暇など無く、さっさと次の依頼を探しに三人は再び掲示板の前へとやって来た。先ほどより随分と減っているので思った以上にチンタラしている場合では無さそうだ。

「やっぱりさっきよりずっと少ないや…早く次のを探さないと!」
「こうなったら多少危なくても受けるしかないよね…」
「ならこれが良いんじゃない?ほら、ネズミの乳絞りだって。」
「え?ネズミの…ミルクを絞るの?」
「なんかおかしいの?普通でしょ、ネズミのミルクなんて。」
「えっと、そうだよね!うん、これにしよう!さぁ行こう!」

 パンセが選んだ仕事はネズミの搾乳作業であった。ヒルピロウ種とやらのネズミのミルクを30匹分集めるらしいのだが……ネズミのミルクとは…
 しかしこんなことで驚くほど此処での生活が短いわけでもないのでレンリエッタは承諾の意志を見せると、いわく付き骨董品の鑑定という依頼をじろじろ見るクリッツの手を引っ張ってパンセと共に新たな職場へと向かうのだった…

 さて一々活躍を書いていては果てしなく話が長くなってしまうので要約すると、レンリエッタ達はヒルピロウラットという巨大ネズミから死に物狂いで母乳を搾り取り、3ケイルの報酬を受け取って仕事を終えた。クリッツがチーズに化けて囮になってくれたおかげで幸いにも怪我は無かったのだが、同じ依頼を受けた他の者達は全身が歯型だらけになっていた。
 それからさらに三人は薬問屋にてチョウチンカワズという(ウチョロッグほどではないが)大型のカエルのイボ取りを行い、さらに1ケイルを儲けて合計6ケイルほどの収入を得た。
 ノートまであと2ケイルだ。


「はぁ~!疲れたぁ……もうお昼前かぁ…」
「でも6ケイルも儲けたよ!6ケイルもあったら…アイスパーラーで一番大きいサンデーが食べられるよねぇ…」
「今度のお小遣いと一緒にすれば…新しい調合釜が買えるかも…」
「ちょ、ちょっと!当初の目的は忘れてないよね?」
「ハッ!?も、もちろんだよ!ノートだよね、ノート…おっとよだれが…」
「あははは…そうだったそうだった…」

 6ケイルだなんて大金を持っていればうっかり誘惑に流されてしまいがちだが、クリッツとパンセはどうにか当初の目的を思い出して踏み止まった。そして残りの2ケイルをどうやって儲けてやるかという話になったのだが、結局掲示板へ向かうしかなかった。
 朝に比べて随分と依頼は減っていた。よほどこの街は人手に飢えているのだろう。

「残り2ケイル…なんだかもう適当な仕事でもいいやって感じ。僕は選ぶの苦手だから二人に任せるよ。」
「そう?じゃあ……うーん…ねぇ、なんだか物騒なのが多くない?」
「いや、安全なのが少なくなったんだよ…」

 レンリエッタはまじまじと掲示板を眺めていると、貼られている依頼の中に危険なものが多くなっていることに気が付いた。正確には安全なものが殆ど無くなったせいでそう言ったものが目立つようになっていたのだ。
 肉塊の溶解処理、対瘴気用ワクチンの治験、絶対に儲かる錬金指南書の訪問販売……どれもこれも報酬は高かったが、怪しさも満点である。オマケに年齢制限もまるで無かった。

 だがその中でレンリエッタはひとつ気になった仕事を見つけた。
 張り紙には『地下倉庫から荷物1点の運搬』と書かれているのだが簡単すぎる内容とは裏腹に報酬はまさか6ケイル…しかも『複数人でも可(ただし報酬は山分け)』との事なのでこれ以上にないくらい条件に合った仕事だった。

「ねぇ見てよこれ!荷物運ぶだけで6ケイルも貰えるよ!」
「うっ…これって明らかにヤバいやつでしょ!」
「わはははは!レンリエッタってば僕より仕事見る目無いね!」
「でも住所はサタニズム街の大通りに近いし、地下倉庫だって大きさは一般家屋程度って書いてあるよ。」
「うーん…どうかなぁ…ちょっと危ないどころじゃないと思うけど…」

 さすがに内容に対して報酬が高すぎるのでパンセは乗り気ではなかったのだが、とりあえず様子だけでも見てみようというクリッツの怖いもの見たさの提案で渋々二人に付いて行くことにした。
 張り紙によると所要時間は最低5分以下との事なので楽々終わりそうだ……しかし、三人は見落としていた…張り紙の下部…極めて小さい字で書かれた『お伝え事項あり』という言葉を…

 三人が少しだけあるいて到着したのは『多国籍料理店マンマドール』……の横に位置する、廃墟のようなボロ家であった。もはやこの時点で明らかにまともじゃないのは分かっていたのだが、クリッツは率先してドアをバシバシ叩いて呼び掛けた。

「すいませーん!依頼を見てやって来たんですけどー?」
「ちょ、クリッツ…!」

 パンセが慌てて止めようとしたものの、時すでに遅し…ギィーッと不気味な軋み音を響かせてドアがゆっくりと…まるで風に押されるように開いては中から一人の何者かが現れた…
 それはうっすらと嫌な雰囲気を放つ全身が真っ黒な細身の男だった。手も足も体も異様なまでに細く、さながらグリスのような異質さを放っている…

【これはこれは、よくぞ……って思ったよりも…随分とちっこいのが来たな…】
「うおっ!?びっくりしたぁ…」
「あはは…どうも…(こ、この人ってホントにヘルドなの…?)」
「……(この感じ…前にも……まさかエルヘルド…?)」

 そんな相手を見て若干引き気味のパンセとクリッツであったが、レンリエッタは彼の風貌からすぐにエルヘルド…つまり古代悪魔の気配を感じ取った。前に対峙したベータボリスというやつにもよく似ているが、エルヘルドというのは細いのが普通なのだろうか?
 ともかく、レンリエッタは怪しいと思いつつも彼の話を聞くことにした。

【まぁいいさ、入れよガキども。仕事をしに来たならさせてやるからよ。】
「だってさ、行こうよ二人とも。」
「えぇ!クリッツ…まさか行くの?」
「もちろん!ほら、レンリエッタも乗り気みたいだし。」
「私は行くけど…パンセは外で待ってる?私たち2人だけでもやってみるけど。」

 クリッツとレンリエッタは彼に誘われるがままに暗い家の中へと入ったが、パンセはすぐに足が動かなかった。レンリエッタは外で待ってるようにも提案したが…結局、彼女も家の中へと足を踏み入れた。
 するとバタンッ!と勢いよくドアが閉まり、その瞬間部屋中のランプやらロウソクなどが一気に点火してほのかに辺りを照らし始めた…
 そして妙な気配がグングンと三人を包み込む…まるで何かに凝視されているかのような…
 パンセは震えた声を漏らした。

「ひぃい!こ、この家…変だよ…」
【安心しろ、ただの幽霊屋敷だ。お前らを客人として歓迎してるだけさ】
「ゆ、幽霊屋敷?」
「ゴーストが住んでる家のことだよ。ここは屋敷っていうより小屋だけどね。」

 どうやらこの家は幽霊屋敷というものらしく、幽霊…つまりゴーストが取り憑いた建物なのだ。この家に憑依している幽霊は三人を客人として迎えている様でご丁寧にも机の椅子を3つ並べてくれた。
 そしてレンリエッタ達がそこへ座るとどこからともなく綺麗なグラスに注がれた冷たい水がそっとそれぞれの前に置かれた。(心なしかクリッツの分は少なめだった…)

「あ、ありがとう…ございます?」
【礼は俺じゃなくて幽霊にしてくれ。それでだ、早速仕事の話をしたいのだが良いかね?】
「ええもちろん。たしか荷物の運搬で良いんだよね?」
【ああそうだ、一つの荷物…地下倉庫に置かれた木箱だ。大きさは…そうだな、そこの毛むくじゃらの男の子より一回り小さい感じだな。重さもそんなにないはずだ。】
「失礼な!僕は女の子だよ!」
【そうかい、悪かったなケモノちゃん。】
「むぅー…」

 クリッツのことはともかく、内容を詳しく聞いてもまるで簡単そうなものだった。木箱をたったひとつ、地下倉庫から持って来れば良いだけ……何なら幽霊に任せれば良いし、本人で取りに行けよとレンリエッタは思ったのだがそうともいかない様子。
 男は少し顔をしかめ、付け加えた。

【率直に言うが…地下倉庫に厄介な奴が住み着いててな…報酬が高いのはそのせいだ。】
「やっぱり…裏があったんだ…」
「その厄介な奴ってのは一体どんなの?」
【……悪霊さ、化け猫のな。】
「化け猫の悪霊…厄介そうだねこれは…」

 報酬が高い理由は倉庫に住み着いた厄介な存在のせいであった。
 その存在とは化け猫の悪霊らしいのだが、レンリエッタが想像するような可愛い猫ちゃんなどではないようで、クリッツはムッと顔を強張らせた。

「知ってるのクリッツ?」
「うん……その、ヘルドがゴースト化するように動物とか魔獣も時々幽霊になるんだよ…特に誰かのペットだった場合は地縛霊とかの悪霊になりやすくて…その中でも猫が一番危険なんだ。だって元々言う事を聞くような存在じゃないでしょ?」
「たしかに…猫ってすごく偉そうだよね…(そこが可愛いんだけど)」
「だから猫の悪霊は縄張りを守るために狂暴になりやすくて、周囲のゴーストたちを襲って吸収することでどんどん大きくなるんだよ。だから長年放置された幽霊猫なんかはプロの除霊術師でも手が付けられない事が多いって聞いた事がある…」

 幽霊猫は動物型ゴーストの中でも屈指の危険性を誇る存在なのだ。元々抑えられていたネコ科特有の狂暴性が強くなり、他のゴーストを襲って吸収することでさらに強く恐ろしくなっていく…ある意味幽霊と最も相性のいい動物である。

「それなら除霊術師に頼めばいいのに。」
【ばか言え、奴らに依頼したら一体いくら掛かると思ってるんだ。】
「失敗したときの処理の方が面倒だと思うけど。」
【確かに面倒だ。なんせ先に入った奴らはそのままだからな】

 パンセとレンリエッタはその言葉を聞いて青ざめ、彼はすぐに【冗談だ】と付け足した……が、全然冗談などに聞こえるはずも無く、もはや受ける気など微塵も無かった。
 恐れ知らずのレンリエッタも悪霊の巣の中へ入る無謀さは持ち合わせてないのだ。いつぞやのツヴァイガーでさえも危うく死にかけたのだから。
 なのでここはキッパリと断ろうとしたのだが…

「あの、やっぱりこの仕事…私たちには…」
【おっと!まさか断る、なんて言うんじゃないんだろうな?】
「当たり前だよ…だって危なすぎるし…」
「悪霊相手じゃ私の知ってる魔法でも太刀打ちできないからしょうがないよ…」
「僕は別に見るだけなら構わないけどね。」
【いや、そうはさせんぞ!もしお前らが断るってんなら俺だって奥の手を抜かざるを得ないんだからな!】
「な、なにをする気!?」

 男はそう易々と三人を返す気は無さそうだ。
 彼が立ち上がったと同時にレンリエッタはガタッと椅子を蹴るように立ち上がり、パンセも少し遅れながらも立ち上がると杖を引き抜いて構えた。
 両者はにらみ合い、ピリピリとした空気が流れる中でロウソクの燃える音だけが響き渡る…その様子を見てクリッツは暇そうにあくびを掻いた。

【ようやくだ…ようやく依頼をしに来てくれる者が現れたんだ……そう簡単に帰してやるものか!喰らえ!!】
「ッ!!(く、来る…!何が!?)」

 男がフラッと体勢を落とすのを見て、レンリエッタはピラリカを発動させようとしたものの…

【頼む!行って来てくれ!後生の頼みだ!!】
「……え?」「はぁ?」

 なんと男は二人に危害を加える事も無く、床に頭を擦りつけて頼み込んできた。これにはレンリエッタもパンセも飽きれたような声が出た。

【細かくは言えねぇがとても大事な物なんだ…死んだ家族が残してくれた唯一の遺品なんだ…頼む…!】
「そんなに大事ならもっとちゃんとした所に…」
【言っただろ!金が掛かるんだ!もう俺の手持ちにゃお前らに支払う報酬以外は無ぇ!幽霊の世話に金は掛かるし俺だって飯を食う!だから頼む…!】

 男は絞りだしたような声で必死に頼み込んだ。その様子を見てレンリエッタは大の男がここまでしてプライドを投げ捨て、少女に対して頭を下げるという状況に様々な感情が湧いてきた…
 それに加えて亡くなった家族の遺品と聞けばどうにも彼を放っておけないようにも思えた。
 パンセも何か思うところがあるらしいのだが、それでもやはり受ける気は無いようだ…

「…い、行こうよレンリエッタ…ほらクリッツも…」
「ま、パンセがそう言うなら…お水ごちそうさまでしたー。」
【ぐっ……くぅ…!】
「………」
「レンリエッタも、早く…」

 パンセとクリッツはドアの方へ向かい、今すぐにでも帰ろうとしたのだが…やはりレンリエッタは目の前の男を見捨てられるほど自分を大切には出来なかった

「私はいい、二人は外で待ってて。」
【や、やってくれるのか!?】
「ッ!?レンリエッタ!駄目だよ!危なすぎるって…!」
「死にに行くようなもんだよ、噂じゃ腕とか足とか平気で引き千切るって聞くし。」
「それでも私はやるよ」

 二人の説得に対してレンリエッタは一切の揺らぎも見せずに彼の依頼を受けるべくその場に踏み止まった。すると、フフッと笑ったクリッツも外に出ようとしていた足を動かしてレンリエッタの横へと立った。

「なら僕もやる。危ない橋を渡るなら一人よりも二人の方が良いでしょ」
「クリッツ…良いの?」
「もち!こう見えても結構強いんだよ?」

 どうやらクリッツも加わってくれるようだ。レンリエッタは言葉こそ強気でもどこか心許ない気分だったので彼女の加勢は大いに頼もしく思えた。
 すると一人残っていたパンセに視線が行くのだが…

「なら私も行くよ!一人だけ仲間外れなんてもうたくさん!」
「ありがとうパンセ!…でも……震えてるけど…」
「これは武者震い!ほっといて!」

 誰が何かを言うまでも無く、視線が向いた瞬間には彼女はもう心を決めていたようだった。パンセは少し震えながらも二人の元までやって来るとグッと杖を構えて戦いの意志を見せつけた。
 怖いと分かっていながらも立ち向かう勇気を見せる彼女にレンリエッタはまたしても元気付けられた。
 三人揃えばもはや怖いという感情も小さくなり、それどころかどんな風にいじめてやろうかという気持ちすら湧いてくる。
 やる気を見せる三人を見て男は涙を流しながら何度も感謝の言葉を伝えた。

【ぐぅおおお!あ、ありがとう!君たちは救世主だ!一生の恩人だ!!】
「ちょっと大袈裟すぎるよ…」
「好きに言わせておきなよ、後で報酬上乗せできるかも。」
「そうそう、ああいう人って案外お人好しだからね。」

 そう言う二人にレンリエッタは少しだけ恐怖を覚えたような気がした。

 さて、決まったからには早速その地下倉庫とやらを見に三人は男の指示に従って薄暗い家の中を歩いて行った。倉庫の入り口はキッチンの横の物置部屋にあり、床に備え付けられたハッチを塞ぐように大量の札が貼り付けられていた。
 ろうそくの微かな明かりも相まってかなり不気味な雰囲気を帯びている…

「すごい厳重だね…」
【こうでもしないと落ち着かなくてな…今封を開けるから待ってろ。】

 男は懐から錆びたナイフを取り出すと、ハッチの側面に切り込みを入れてサックリと札を切り裂いた。レンリエッタとパンセはそーっと後ろに下がりつつ、クリッツは食い入るように視線を向けた。
 そして四角い切れ込みを入れ終えた男は取っ手を掴むと、三人の顔を見た。

【開けるぞ…準備は良いな?】
「する準備もないよ…開けるなら早く開けて…!」
「あぁ神様…どうか無事に帰れますように!」
「死んだら天国に行けると良いね。」

 パンセの祈りに対してクリッツが不穏な言葉を漏らしつつも、いよいよ男は取っ手を引っ張りハッチを開いた。ギィッと金属のこすれる嫌な音と共に開いた扉の奥は…一切の光をも感じさせない暗闇そのものであった。
 石製の階段が下まで続いているが、暗すぎるせいで果てしない闇の中へと続いているように見え、レンリエッタは恐ろしさと共に固唾をのみ込んだ。

「し、下までは一体どのくらいあるの?」
【そんなに深くないさ、確か10段程度だったはずだ。倉庫自体もそんなに大きくはない。】
「やっぱり大きさ自体は無いんだ……じゃ、じゃあ私が最初に降りるから二人共付いて来てね?」
「う、うん……ひぃ…冷たい風が…!」
【ほら、中は暗いからこれを持っていけ。】

 冷たい風がひゅーっと体に吹き付ける中、レンリエッタは手提げランタンを受け取るといよいよ倉庫の中へと足を踏み入れた。
 石段を一歩、また一歩降りるたびに背筋が冷えるような気がしたが、むしろそのくらい恐ろしくなければ夏の暑さは乗り切れないのである。レンリエッタの後に続いてクリッツ、パンセの順番で残った二人も降り始めた。
 先頭のレンリエッタは床に降りると、ランタンで照らして周囲を確認した。
 見えるのは大量の木箱、錆びた配管、摘まれた樽、大量のクモの巣…それから奥へと続く道。

「ど、どうレンリエッタ…?何かい、居る?」
「ううん、今のところは見当たらないよ。って言うより殆ど奥が見えない…」
「中々涼しいところだね……うぐっ…変なにおいがする…!」
「え?そうかな……あんまり感じないけど…」

 レンリエッタに続いて二人も降りてきたのだが、クリッツはスンスンと鼻を鳴らしたかと思えば顔をしかめてしまった。曰く変な匂いがするらしいのだが、微かにカビの匂いがする程度である。
 ビーストヘルドは鼻が利くのでこういう匂いでも嫌に感じてしまうのかもしれない。

「お先真っ暗って感じだね…行かないの?」
「行くよ…二人共ちゃんと付いて来てね…」
「ねぇレンリエッタ…先に謝っておくけど…何かあったら私、あなたのこと盾にするかも…」
「そうしてくれて構わないよ、どうせ逃げれるとは思ってないし。」

 三人は前へと意識を集中させて暗い道をゆっくりと歩き始めた。今のところ悪霊のアの字も感じず、どこか嫌な胸騒ぎだけがレンリエッタの集中を乱した。
 少し歩くと、明らかに聞きなれない奇妙な音が三人の耳に入った。すぅっと隙間風が通り抜けるような音……その音が奥にて鎮座するこの地下倉庫の主の寝息だと理解した頃にはレンリエッタもパンセもクリッツでさえも引き返したい気分が一気に溢れ出した。
 こんなにも涼しい地下室だというのに汗が止まらない……パンセの杖を握り込むギュッという音がやけにうるさく聞こえた。

 そして…

「あ、あったよ……木箱…」
「でもその上に居るのって…」
「間違いないよ…悪霊猫だ…」

【スゥ…スゥッ……】

 ついに三人はお目当てのの木箱……とその上で眠り込む悪霊猫を見つけた。
 悪霊猫は体を丸めて気持ちよさそうに眠り込んでおり、ほんのりと光を帯びる透けた銀色の毛皮が息に合わせて揺れている…そして何よりもその大きさが普通の猫とは違った。(ところで幽霊って息するの?)
 なんと悪霊猫は虎と見間違うほどの巨体と化しており、ゴーストのくせによく肥えているではないか。
 レンリエッタの心の内がそのまま声に出た。

「………か、かわいい…」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ…よりにもよって木箱の上で寝てるなんて…」
「うーん、あの大きさなら全身でもふもふを感じられそう……でも、透けちゃうか」
「クリッツまで……真面目にやってよね…!」
「パンセ、声落として、起きちゃうよ。」

 レンリエッタは軽く腕を殴られた。
 それはさておき、レンリエッタは悪霊と聞いて狂暴な暴れ猫を想像していたのだがいざ目の前に現れたのが肥えた丸い猫だと分かれば恐怖が大いに和らいだ。
 このまましばらく眺め続けたいのだが、そんな暇はない。起きてしまう前にどうにか木箱を回収したいものだが、その木箱の上に居るのだからどうしたものか…
 倉庫は広いというのにわざわざ自身の体より小さい木箱を寝床に選ぶあたり、この猫は性格が悪そうだ。

「どうしよう…取ろうとしたら絶対起きるよね…」
「近付いただけでもバレると思うよ…そしてそのままバラバラに…」
「いぃやぁ…!どうにか策を見つけないとぉ…」

 三人は一旦階段前まで引き返してから、木箱強奪作戦を練った。
 パンセの地層魔法で押し潰すことも出来なくはないがその場合地下倉庫が崩落する危険があり、クリッツが子猫に化けて近づくと提案もすぐに却下され…レンリエッタはいっそのこと大騒ぎを起こして混乱しているうちに奪い取るという提案をしたが、もちろん二人はキッパリと断った。

「じゃあやるとしたら…一瞬の勝負…ってこと?」
「そうなるよ…一瞬で木箱を奪い取って脱出する…」
「そんなの無理………いや、待てよ…僕に案がある…!」
「え?」

 一瞬で木箱を奪い取ってすぐに脱出する…そんな事が出来るものかと半ば諦めているとクリッツが良い作戦を閃いたようだ。
 最初はどうせろくでもない作戦だろうと考えていたレンリエッタとパンセだったが、彼女提案を聞くとほんの少しの希望を感じた。

「つまり、この作戦には僕たち三人の魔法に加えて上で待ってる二人の力も必要なの…僕ってバカだからこんなのしか思い浮かばなかったけどこの作戦が一番いいと思うよ…」
「うん、今までで一番現実味があるよ…」
「でも…私出来るかな…光魔法は最近使ってないし…」
「パンセなら出来るよ、私は信じてる。」
「僕もね。」
「……うん、わかった…やってみる!」

 というわけで一通り手順を確認してから三人はその作戦に移った。
 まず最初にクリッツが長い紐(少しもさもさしている)に化け、その端を持ったパンセが上へと向かい、待機していた男の元へと向かった。

「あ、あの!」
【うおぉお!?な、なんだ…一人か!?もう二人はどうした!?】
「大丈夫です…まだ何も起きてません…今から木箱を回収するので手伝ってほしいんです!」
【木箱があったのか…!なら喜んで手伝おう!何をすればいい?】
「あなたと幽霊さんでこの紐を引っ張って欲しいんです。合図をしたら目いっぱい引いてください!」
【よし分かった!椅子に結べば幽霊のやつも引っ張りやすいだろう…!】

 作戦を伝えると男はロープの片方を椅子に固く結び、しっかりと固定した。その様子を見てからパンセはもう一度倉庫の方へと向かい、降りて行く…

「こっちは大丈夫…準備完了…!」
「なら今度は私の番……クリッツ大丈夫?」
「うん…ちょっと痛いけどね…さぁ僕を運んでくれ!」

 次に準備が完了したことを聞いたレンリエッタは紐のもう片方を手に持って奥へと進んでいった。猫を起こさぬようにそーっと歩いて行く…
 すると先ほどと全く変わらぬ体勢で猫は寝息を立てていた。

「ここで大丈夫……あとは僕一人で行けるからレンリエッタは階段で準備してて…」
「分かった…気を付けてねクリッツ」

 そう言ってレンリエッタが手を離すと紐(クリッツ)は芋虫のようにグイグイと這い進み始め、木箱を目指してゆっくりと近づいて行った。音をたてぬようにスルスルと進む…クリッツは緊張で体中が縮むような気分に陥ったが、今縮んでは全てが台無しなので恐怖を飲み込んで木箱の元まで向かった。
 そしてそれからクリッツは木箱の周りをぐるりと回りながら自身を箱へと結んだ。節くれだった表面がチクチクと痛かったが、みんなのためを思えばこんな痛み、なんともない。

「(よし…!ここまで結べば大丈夫なはず…!あとはみんなに任せるしかない!)」

 少々の時間を掛けて木箱に自分を固く結びつけたクリッツは後の作戦をみんなに任せるべく、体を震わせて合図を出した。
 紐の振動は2人の待機する階段下まで伝わり、それを感じ取ったレンリエッタはパンセに視線を送って準備するように促した。失敗は許されない。

「やるよ…いい?」
「うん!準備万端!」
「じゃあ上に合図を出すよ…!」

 パンセが杖を握るのを見たレンリエッタは満を持して紐を引っ張り、上で待つ男と幽霊に合図を出した!

【…!よし来たぞ!引っ張り上げろ!】

 すると合図を受け取った男と幽霊はめいいっぱい紐を引っ張り上げ始め、レンリエッタとパンセも加わった四人掛かりで一斉に木箱を引きずり始めた。
 ずるずると音を立てて引きずられる木箱にさすがの悪霊猫も目を覚まし、箱から飛び降りた。

【シュゥウッ!!フーッ!!】
「猫が起きた…!パンセ、構えて!」
「言われなくても…!」

 シューッというスプレー音のような威嚇声を聞いたレンリエッタとパンセは同時に構えて迎え撃つ体制に入った。
 すると引きずられてくる木箱が見えてきたころにその後を追う猫が二人の前へ現れた。ギラリと光る凶悪な瞳孔で侵入者を睨みつけ、手から伸びる爪が恐ろしい惨劇を予感させる…
 しかし、パンセは怯まず杖を向けて唱えた!

「グラッシュっ!!」
【シュアァッ!?】
「ナイスパンセ!そして…ディフェクトス!!」

 パンセが【グラッシュ】の呪文を唱えると杖先から凄まじい閃光が放たれ、たちまち猫の両眼を潰した。
 そしてレンリエッタも透かさずディフェクトスを唱えて階段にスロープ状のバリアを張り、それを見たクリッツがもう一度合図をした。

「よし!二人共木箱に捕まって!」
【シュアァアアッ!!シャァーッ!!】

 猫が悶えているうちにレンリエッタとパンセは引っ張られてくる木箱に捕まってそのまま一気に階段を登り、上へと出た。あまりにも勢いが強かったのでレンリエッタは壁に打ち付けられたが、何とか立ち上がり、急いでハッチの元へ駆け寄った!

【フーッ!!】
「間に合えー!!」

 猫はレンリエッタめがけて飛び掛かろうとしていたが間一髪でハッチは閉じられ、封印されてしまった。
 中々にハチャメチャな作戦だったがこちらの大勝利だ。レンリエッタは壁に打ち付けられたものの怪我はなく、全員ほぼ無傷で生還することが出来た…!

「はぁ…!はぁ…!!終わった…!」
「レンリエッタ、大丈夫…?さっき壁に思いっきりぶつかってたけど…」
「だいじょーぶ…ちょっと痛むけどそれだけ…こう見えても頑丈な方だから。」
「ならよかった!はやくクリッツ達の様子を見に行こうよ!」
「うん…!」

 一休みしたいレンリエッタだったが、痛む体に鞭打って立ち上がると、引っ張られた木箱の元へとパンセと共に向かった。
 すると、そこにはボンッと音を立てて紐から元の体に戻るクリッツと木箱を前に感激の涙を流す依頼人…そして椅子をガタガタ揺らして喜ぶ幽霊の姿があった。

「ふぅ…!二度と紐なんかにはならないもんね!」
「クリッツ大丈夫?怪我とかはない?」
「ぜーんぜん平気!変身中はいつもより頑丈なの!」
「そっかぁ、それは良かった…」
【うぉおおおおお!ついに!ついに手に入れたぞ!!この時をどれほど待ったか!!】

 クリッツの無事が分かったところで、三人の視線はもちろん歓喜の限りであろう依頼人の方へ向いた。中身はまったくもって不明だが、この喜び方からするに大層な物なのだろう。
 レンリエッタは心の底から良かったと思う反面、どうしても木箱の中身が気になった。むしろここまでして取って来たのだから気にするなという方が無理だ。
 それはパンセもクリッツも同じらしい。

「ねぇ、気になってたんだけど…その中身って何なの?」
「そーんなに大事そうにしてるあたり……金銀財宝だったりして…」
「せっかくだし一目だけでも…」
【なんだと!?だ、駄目だ!これはいかん!金銀財宝ではないが決して公にできるようなものでは無いんだ!】

 しかし聞いたところで彼は答えてくれる気は無いようだ。
 だが金銀財宝ではないと聞けばますます気になってくるので三人とも引かずにグイグイと彼へ迫って中身を聞き出した。依頼人の男は断固として口を開かないつもりらしいが、幽霊は問答無用でバールをガッと木箱に突き立て、その中身を露わにしようとしていた。

【こ、こら!止めろ!!傷が付いたらどうするつもりだ!】
「いい加減に話してよ!それは何なの!」
「まさか……死体だったりして…」
「ちょっと怖い事言わないでよ…クリッツってば…」
【死体だと!?そんなものではない!…おいバールを下ろせ!…これはだな…これは……ぐぐっ…しょうがない…教えてやろう……だからバールを下ろせ!このポンコツゴーストめ!】

 あんまりにも聞き出してくるので男は幽霊からバールをひったくると自らの手で木箱を開きつつ渋々話し始めた。
 レンリエッタ、パンセ、クリッツの三人はそれはもう宝箱を前にした海賊の様に開かれる木箱へ目を向けながら耳を立てる…

【こいつは俺の爺ちゃんが大昔に作り出した貴重な物なんだ…今じゃ合法的に作れないヤバい代物だぜ…】
「いったい何が………うぐっ!?くさッ!?くっ…!うげぇえ!!」

 いよいよ木箱が開かれたそのとき、真っ先にレンリエッタの鼻孔を突いたのは耐え難い腐臭であった。どぶ川に3年間漬け込んだ史上最悪の靴下で顔を踏まれるようなひどい悪臭がぶわりとやって来る…
 この匂いにはパンセもたまらず腰を抜かしてしまい、クリッツはゴロゴロと床に転げまわりながら苦しみ悶え始めた。

「おげぇえええ!!うげげ!ち、地下倉庫の異臭はこれかぁ…!」
「うぐぶぶっ…!は、はきそ…うぐっぷ!」
【おいおい!そんなに…まぁ確かにひどい匂いだが…そこまでか?】
「いったい何なのそれ!?化学兵器!?」
【違ぇよ!こいつはチーズだ!絶滅種のラットミルクとドラゴンミルクを混ぜ合わせた至高の逸品だ!】

 なんと木箱の中身はチーズであった。
 ただし、そんじょそこらで売っているようなただのチーズとは違う…絶滅種の齧歯類の母乳ラットミルク肉食飛竜の素嚢乳ドラゴンミルク(食道から分泌される体液)を混ぜ合わせて作られたもので、大昔から伝わる伝説の食材なのだ。
 当たり前だが最悪に臭いもの同士を組み合わせ、さらに発酵して作っている以上、耐え難い悪臭が出るのは当然のこと……それがぎっしりと木箱いっぱいに詰まっているのだから地獄なんてものではない…
 虫食いなどは見当たらないが、臭すぎて虫すらも寄り付かないのだろう…悪霊猫は寝床にするくらい気に入っていたようだが…

「じゃあ私たちはチーズのために命をかけたってこと!?」
「まぁ…そうなるよね…うぐっ…」
「そんなぁー……」
【嘆く場合か!?このチーズがあれば全国のグルメ共から大金を巻き上げられるんだぞ!…つまり俺は大金持ちって事か!?】

 一人でテンションを上げる男を横に、レンリエッタは死に物狂いで窓を開けて新鮮な空気を取り入れようとした。だが逆にそれが仇となり、通りを歩いていた人たちにも悪臭の被害が出てしまったのだ。
 家の前を歩いていた獣人が泡を吹きながら気絶するのを見て、レンリエッタは早くこの場から去ろうと決心した…

「あの……報酬貰って…帰って良いですか?」
【うぉぉぉおおお!…っと、そうだったな…払えるもんならもっと払いたいところだが、生憎手持ちは6ケイルだけなんだ…それを3人で2ケイルずつだな。それとおまけにほら、チーズも持ってけよ!】
「うぅっ!あ、ありがとうございます……さぁ早く、二人共!行こうよ!」
「う、うん!……あ、レンリエッタ!クリッツを運ぶの手伝って!」

 というわけで三人はそれぞれ2ケイルと…めっちゃ臭いチーズを報酬として受け取り、その場を逃げるように去って行った。広場に向かう道中で道行く者の大半が顔をしかめ、救急班と思わしき赤白装束の魔術師が悪臭の現場へ向かうのを見てレンリエッタは何とも言えない気持ちになった…

 それから少しして、水の出ない噴水広場に戻った三人はノートを買うのに必要な8ケイルが溜まったことを実感し、疲れも吹っ飛んだように喜び始めた。

「ついに……ああついに!溜まったよ!」
「後はバーミンを待つだけだね…もうノートはすぐ目の前だよ…!」
「早く来ないかなぁ…僕8ケイルも持ってたんじゃ誘惑に勝てそうにないよ…」

 バーミンを待つ間、クリッツはキョロキョロと周囲を何度も見まわして誘惑を振り切ろうとしていた。大金を持った彼女からすればサタニズム街は酷く魅力的なのだ。
 なんたって8ケイルもあれば安物だが新品の飛行杖が買えるし、小型の精霊育成キットやいたずら薬調合セットなんかにも手が届く…そして何と言っても『シュガーベイクパティスリー』でロイヤルフルーツケーキを丸ごと買って一気食いも可能なのだ。……しかし、クリッツはなんとか耐え忍んだ。

 三人が少しの時間をまるで永遠の様に待ち焦がれていると、やがてフラフラと頼りなく走ってくる少女が一人…萌黄色の肌と黒い髪の毛が特徴的なバーミンで間違いなかった。

「あ、バーミン!」
「おまたせぇ~…遅くなってごめんねぇ~、みんなが中々放してくれなくてぇ…」
「…みんな?友達と遊んでたの?」
「そんなところぉ~…はひぃ…疲れちゃったぁ~…」

 バーミンは到着して早々に噴水の縁に座り込むと、気怠そうに呼吸をした。本人なりに頑張って走って来たのだろう…クリッツは片手を扇子に化かして仰いであげた。

「ねぇバーミン、大丈夫?走ってるところなんて久しぶりに見たから…」
「へーきへーきぃ~…あぁすずじ~…」
「汗一つ掻いてないけど…水分とか大丈夫なの?」
「だいじょ~ぶ…わたしぃ、半分植物だからぁ~汗かかないのぉ~」
「僕より不思議な体してるよね…ホント…」

 バーミンのようなマンドヘルド族(彼女はハーフだが)は体内の半分以上が植物で構成されているため、汗は搔かないし水と太陽光と酸素があれば生きていけるのだ。便利だと思う反面、レンリエッタどこか不気味だと感じた。
 それはそうと、一息ついたところで四人はいよいよ『デッドウォッチ書店』へと向かうことに。

「みんな8ケイル貯めたんだぁ…すごいなぁ~…ねぇ、何したのぉ?」
「そりゃあもう色々!杖磨きとネズミの乳絞り…」
「カエルのイボ取りと幽霊屋敷のチーズ運びとかね…」
「まぁ!幽霊なんて僕からすればちょろいもんだったよ!」

 道中でバーミンに様々なこと(大半は幽霊屋敷の話だが)を話しながらも、四人はデッドウォッチ書店へと到着した。やはり客足は『ダンブストーン書店』には敵わないようだが、今日も元気に営業している模様。
 書店の入り口にてダンプリングの新作小説の宣伝ポスターを貼っていた店主のデッドウォッチ氏は四人に気が付くと歓迎の笑みを浮かべたが、薄く漂う悪臭に一瞬を顔を歪めていた。

「うっぷ…やぁどうもいらっしゃい。今日も四人で立ち読みに来たのかい?」
「まさか立ち読みなんて…今日はアレを買いに来たんですよ…」
「そうそう!僕たちついにアレを買っちゃうもんねー!」
「アレ…?……もしかして、日曜工作全集のことかい?結構渋い趣味をしてるんだねぇ…」
「ち、違います!スカイノートですよ!」

 レンリエッタとクリッツの言うアレで尋常じゃないくらいつまらなそうな本を予想したデッドウォッチ氏にパンセは慌ててスカイノートだと訂正した。

「スカイノートだって!あれはかなり値が張るけれど…」
「ご心配せず!私たち、ちゃんとお金持ってますから!」
「そうそう!命を懸けて稼いだお金なんだよ…特に僕がね。」
「もちろん私も!」
「私は違うけどねぇ~…」
「ふーむ…事情はよく分からないが…まぁお客様なら大歓迎さ!さぁおいで!」

 四人はデッドウォッチ氏の後を歩き、狭い店内を一列に並んで進んで行った。書店自体はそれほど大きくないのですぐにスカイノートは目の前に。
 台に乗ったその重厚なノートは一段とキラキラして見える……のだが…レンリエッタ、パンセ、クリッツの三人は陳列されたノートの値札を見て思わずギョッとしてしまった…

「……あの…このスカイノートの値段って…」
「もちろん、書いてある通り6ケイルだよ。」
「…で、でもこの前は8ケイルで…」
「あんまり高すぎるとみんな買わないからねぇ。値下げしたんだよね、今日。」

 なんとスカイノートは8ケイルから6ケイルに値下げされており、幽霊屋敷の一件が無くとも余裕で手に入れることが出来るようになっていたのだ。
 これには三人ともガクッと崩れ落ちそうになり、命を懸けた意味とは?とまたしても自身を問い詰めたくなるような気分に駆られた…

「…すぅ…はぁ……レンリエッタ…私、キレていいかしら?」
「ダメだよパンセ…どうにか抑えて…!」
「僕はあんまり感情を出さない方なんだけどね…今日は特別に…」
「あははははは~…」

「えっと……買うのかい?」
「買います…四人分、ください…」

 レンリエッタはブチ切れそうなパンセとクリッツをどうにか落ち着かせてから、四人分買うと伝えてレジへと向かった。とんだ無駄骨を折ってしまったが、それでも買えることに変わりはないのだから喜ぶべきだろう。
 会計時、レンリエッタはバーミンの財布の中身を覗いて目玉が飛び出そうになったが、堪えて皆と共に6ケイルを出してやっとこさスカイノートを手に入れることが出来た。
 同期魔法に関してはデッドウォッチ氏がすぐに掛けてくれた。

「まいどあり!4人で仲良く使ってね!それと書いた文字は消せないからスペルミスには気を付けるように!」
「はーい!…やっと…ついに手に入ったよ…!」
「これがあれば僕たち、どこに居ても一心同体だね!」
「それはちょっと…でも、ずっと欲しかったから嬉しい!」
「私はぁ~…そんなに達成感無いけどね~。」

 レンリエッタはようやく手に入ったスカイノートを掲げて目を輝かせた。クランクス中の少年少女が羨む究極のアイテムが今、自身の手の内にあるのだ。
 便利なことにスカイノートには書き込みを知らせるしおりと下手くそ矯正ペンが付属しており、これらを使えばスマートに会話が可能である。
 電話が普及していないこの世界ならばこの上ない…というより、ほとんど必須かもしれないアイテムだ。

「ねぇ…思ったんだけど…みんなの家に電話ってないの?」
「デンワ?なにそれ?」
「たしか、あれでしょ…人間の世界の。」
「そうだったそうだった…って!あるわけないでしょ、なんでそんなことわざわざ聞くのさ?」
「い、いいや!あったら便利かなって思ってさ…あははは!」
「まさか!機械って壊れるって聞いた事あるし、魔法の方がずっといいよ。」

 うっかり人間の事情を漏らしてしまったレンリエッタはクリッツの言葉に考え方の違いを実感させられてしまった。しかし…壊れる機械に比べて魔法の方が良いという意見は確かに説得力があった…
 そしてクリッツとパンセは笑っていたのだが、バーミンだけはどこか突き刺すような視線を送って来るのでレンリエッタはえらく肝を冷やしてしまった……いつか、友人たちに自身の出自を明かすことはあるのだろうかと考えれば…少し複雑だ…

 とにかく、その後は三人ともクタクタに疲れていたので解散となり、ノートと臭いチーズを持ってそれぞれの帰路に就いた。ちなみにクリッツはチーズが臭すぎるという理由でバーミンに押し付けていた…



「はぁ…!ただいま!」
「やぁおかえ…うぐぷ!…アンタ…うぐ!いったい何をしてきたんだい!?」
「ごめん…臭いよね…元凶はこれなんだけど…」
「はぁ…?これ…チーズじゃないか…」

 帰宅して早々、エラフィンは弟子から発せられる悪臭に顔を歪め、いったい何をしてきたのかと問いただした。それにレンリエッタは匂いの元凶を取り出しながら恥ずかしそうに説明した。
 すると最初は戸惑うばかりのエラフィンも話を聞くうちに顔が解れ、最後の方には笑い始めていた。

「あははははは!それで…その報酬がチーズと2ケイルってわけかい!あはははこりゃ愉快!」
「確かに愉快だけど…大変だったんだよ?」
「そうだろうね。猫の悪霊は大人の魔術師でも対処が難しいんだ、アンタとその友達はよくやったよ。」
「えへへへへ…」
「先ほどからやけに濃厚な香りが…おやお嬢様!おかえりなさいませ!」

 続いてグリスも奥から出てきたが、レンリエッタはもう一度説明する気にもなれなかったので「これあげる」とだけ言い残すとチーズを渡してから部屋へと向かって行った。グリスは唖然としたが…チーズの銘柄を見るなり声を上げた。

「お嬢様が私めにお土産を……おお!なんとこれは!メンタール印のチーズではございませんか!?伝説のチーズ職人が作られた逸品…!それも……なんと!幻のドラゴンラットチーズ…!」
「なんだい、そのくっさいチーズが良い物なのかい?」
「当然です!これは美食家の間では幻と呼ばれていたものなんです…!まさか実在していたなんて…それを私めに…!あぁ…なんと嬉しきことでしょうか……」

 チーズを抱いて嬉し涙を流すグリスにエラフィンは呆れつつも、レンリエッタの楽しそうな様子を思い出してはため息を吐きながら雑誌を閉じて机に置いた。
 レンリエッタは友人たちと上手くやっている様で、嬉しいのだが……だからこそエラフィンの中にある決断が重い噛んでいたのだ。

「はぁ……レンリエッタは…友達と上手くいってるらしいね…」
「ええ、初めは心配でしたが…私めは嬉しい限りですよ。エラフィン様はお違いで?」
「いいや、私だって嬉しいさ!だからこそ……その…レンリエッタを…」
「お嬢様をどうなさるおつもりで?」
「……学校に通わせようかと考えててね…あの子は学ぶことが多すぎる…こっちの世界のことは殆ど知らないじゃないか」

 エラフィンの決断とはレンリエッタをマクスロッド魔法学校へ通わせようというものだった。エラフィンからすれば学校は生ぬるくつまらないものなのだが、それでも学ぶべきことはたくさんあるだろう。
 それこそエラフィンでも教えきれないような常識も。

「……よろしいのですか?」
「まぁね。もちろん私もズバズバ教え込むよ!あの子の師匠なんだから…」
「…エラフィン様、あなたは孤独になることを恐れているのではありませんか?」
「な…馬鹿な事言うんじゃないよ…そんなこと…」
「近頃はどうにも活気が見られませんよ。お嬢様も心配しておりました…ワインの口も早いようで…」
「……別に、ただの……気まぐれさ…そういう日もあるのよ…」
「ならば私めは何も言いませんよ。ですがくれぐれもお嬢様を心配させないくださいね、先生なのですから。」

 そう言い、グリスはチーズを帽子に仕舞い込んでから部屋を出ようとしたが直前で一言。

「ところで、学校の件はお嬢様にお伝えにならないのですか?」
「聞かずとも返事は分かってるでしょ?」
「ふむ、愚問でしたね。」

 エラフィンはソファに体重を掛け、天井をぼんやりと眺めながら深いため息をついた。
 グリスの言った「孤独を恐れている」という言葉が心の底に突き刺さって離れないのだ。今でも過去の事を思い返せばズキズキと痛んで来た…
 今でも昨日のようにある男の姿が思い浮かんでくる…

「……何やってんだろうね…今頃…」

 エラフィンの孤独な呟きは誰の耳に入ることも無く、静かに部屋の空気に溶けて行く…

つづく…
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