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第8章 人族の中の竜

第8章 人族の中の竜 2~市井の人々

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第8章 人族の中の竜 2~市井の人々


●S-1:男爵領/農地

 飛行船の魔法マギ推進機スラスターの起動は簡単だった。
 初歩的な魔術の呪文で起動スイッチになるだけだったからである。
 確かに全く魔術の知識がなければ不可能だったが、高度過ぎることもない。
 いずれは魔術師でなくとも専門教育されれば可能かもしれなかった。

 とはいえ、現状では可能な人材があまりにも少なかった。
 クローリーやリシャルを除けば他に換えがいない。
 ヴァースの登場は彼らにとってはあまりにも都合が良かったのだ。
 そしてヴァースからすれば何の苦労もないことだ。
 彼は魔術の能力はクローリーを圧倒しているからだ。
 帝国最高の魔術師でも古竜エイシェントたるヴァースには遠く及ばない。
 彼ほどの存在は竜族でも片手の指ほどなのだ。

 期せずして宿舎と仕事を得たヴァースは領内を歩き回った。
 飛行船はまだ調整段階にあり、処女飛行するにはもうしばらくかかりそうだったからだ。
 その空いた時間を領内の視察にあてたのだった。
 目立ちすぎるということで与えられた服は粗末ではないが変わった意匠だった。
 
 体にフィットするような短めの丈のチュニックのような上着である。
 前側がダブルの袷になっており、2列に飾りボタンが並んでいた。
 実はシュラハトが調練中の兵士用の軍服なのだが色違いで染めてあり、薄い空色をしていた。
 後にアレキサンダー男爵飛行士のフライトジャケットになるのだが、今はまだただの間に合わせでしかない。
 ヴァースはこの着なれない服に惑いつつも1000年後のファッションとして受け入れることにした。
 
 彼がまず向かったのは農場だった。
 最初に口にした芋餅が気になったからである。
 不思議な食感の菓子は彼の知る人族の料理のどれとも違っていた。

「芋類はだいたい海の彼方の植物じゃ」
 農地を管理しているヒンカが説明してくれた。
「熱帯原産のものが多いのじゃが……寒冷な土地でも育ちやすい品種もあって便利なのじゃ」
 アレキサンダー男爵領の食糧事情を劇的に改善させたのが芋類だった。

 痩せた土地でも育ちやすい上に収穫量も多いので、不足しがちな主食を補完するにはうってつけなのだ。
 なんといっても量の多さは常に穀物不足に悩んでいた帝国領の一角だった男爵領にとっては福音である。
 沙那やヒンカの提案で始まった芋類の栽培だったがこれは大当たりだったのかもしれない。
 もちろん欠点もある。
 見慣れない不気味な物体に見えるために人々は当初、口にするのを恐れた。
 さらには生で食用にできないこともあった。

 また水分が多いため長期保存が穀物ほどではなく、満腹になってもすぐに空腹になるため『芋腹』と揶揄された。
 芋類の多くは灰汁が強い……毒性があるので火を通さなければいけない。
 それを湯掻いたり蒸かしたりと簡単な調理で済むことを学校で教える他、街頭で実演試食なども行って広めた。
 また摩り下ろしたものや、更に乾燥させて粉にしたものをパン状に加工すると見た目への忌諱も少なくなっていった。
 
 ヴァースが口にした芋餅ものその成果の一つであった。
 芋に澱粉を混ぜて……澱粉自体が芋由来である……丸く平らに形作って焼いたものに味付けしたものだ。
 砂糖は高価なものの一つだが多島海サウザンアイランズからの輸入が行われたことで一般庶民の口にできるものになっていた。
 熱帯地域で栽培する植物は多くを多島海サウザンアイランズの島々に頼っている。
 これが帝国ならば半奴隷によるプランテーション栽培になるのだが、クローリーはあくまで公正な貿易フェアトレードを行った。
 それを男爵邸で専売にしているのは利益を独占するためではなく、価格と供給を安定されるためだった。

 結果として海洋貿易は急拡大したために様々な品物の物流が盛んになった。
 貿易黒字……にはなっていなかったが。
 これは男爵領からの輸出品が石鹸や化粧品が中心になっていたからだった。
 未だ有力な特産品は多くない。
 それでも領民の生活向上は凄まじかった。
 帝国の帝都にも劣らないかもしれない。
 少なくとも庶民の生活の質は男爵領の方が上だった。
 子供が芋餅を買い食いできるほどには。


「あの雑多な木は何だ?あまり見覚えがない物が多いが」
 ヴァースは農場の周囲に植えられた木々を指差した。
 なるほど大きさも形も様々なものがグループ分けされて植えられていた。
「あれは、まあ、色々じゃ」
 ヒンカは雑に答えた。
「この地にはない果物じゃな。まあ、薬もあるが」
「薬?」
「うむ。楠などがそうじゃ」

 植林された中でも他よりも幾分育った木を示す。
「使うのはまだなのだが。防虫剤や防腐剤なのじゃ」
 そう言うとヒンカはポケットの中から小さな小袋を出して見せた。
 中を開くと白い塩の塊のようなものがあった。
「どうじゃ?良い匂いじゃろう?」
 ヴァースの手に載せた。

「……なんだこれは……」
 軽く匂いを嗅いだヴァースが顔を顰める。
 清涼感のあると言えば聞こえが良いが、独特の強い香りだ。
「なかなか強烈じゃろう?」
 ヒンカがくすくす笑う。
「沙那に言わせればおばあちゃんちの匂いだそうだが」
 塩のようなモノ……樟脳は衣服の防虫剤にも使われるものなのだ。
 お年寄りの古い箪笥などなら見かけることもあるだろう。
「今の段階では湿布薬として利用するつもりじゃ。打ち身や虫刺されにはちょうど良いのでな……こら!舐めようとするな!死ぬぞ」
「うぉ!?毒なのか!?」
「腹を下すのじゃ」

 実際、消化器へダメージを与える。
 鎮痛剤や昇圧剤としても使用できるが人体への影響を知っているヒンカには乱用する気はない。
 むしろマーチスからの依頼で無煙火薬の原料を作るための可塑剤としての利用の方が主かもしれない。
 もっともドラゴンであるヴァースにはどうということはない程度の毒性なのだが。

「今はなるべく食べられる実ができるものを優先しておるのじゃ。あっちは柿……こっちは桃……そっちは林檎」
「林檎は見たことがあるな」
 ヴァースが言った。
 竜の住処にも種類は違うが林檎の木があるのだ。
「ほう。意外と寒いところに住んでいたのじゃな」
「……そうでもない」

 ヴァースは木を一つ一つ眺めてみる。
「しかし、ここのは実が生ってないな」
「そりゃそうじゃ」  
 ヒンカが事も無げに言う。
「まともに実が生るまでには、まあ10年はかかるじゃろう」
 腰に手をやって背を伸ばす。

「気が長いな?……人の寿命の長さを考えるとだいぶ時間がかかるようだが」
 ヴァースのような古竜エイシェントドラゴンからすれば瞬くような時間でしかないが、人間の寿命は短い。
 帝国庶民の平均寿命は50年に満たないほどなのだ。
「まあ。そうじゃなあ」
 ヒンカが振り返る。
「今の子供たちが大人になるころには形になっていれば良いのう」

「お前も子供みたいなものだろうが」
 ヴァースが鼻を鳴らす。
「ふーむ」
 ヒンカが小首を傾げる。
「……クロが前に言っておった」
「?」
「昨日より今日、今日より明日、明日より明後日ってのう」
「どういうことだ?」
「判らぬか?」

 ヒンカがじっとヴァースを見詰める。
「今よりも明るい未来を作りたいってことじゃ」
「未来……?」
「前の世代が苦労して作り上げたものをさらに発展させて次の世代へ繋ぐってことじゃ」
 ヒンカが微笑む。
「少しでもより良い世界を時代へ繋いでいくことで何世代か先にはきっと素晴らしい未来ができるんじゃないかとな」


「ヴァル。僕は世界を確実に前に進めて行きたいんだ」
 ヴァースの遠い昔の記憶にいる金髪の少年もそう言っていた。
 顔は似ても似つかないが、どこか同じ匂いを感じた。


「クロはそういう研究をしてきた男じゃ。だから妾たちの変な提案にも乗るし……せっかく儲けた財産もどんどんこういうことにつぎ込むんのじゃよ」
「……」
「こういう世界では無謀というか愚かな行為かも知れぬがな」
 かかっと笑う。
「何を好き好んで豊かな国造りなんぞ考えたのか……馬鹿は馬鹿じゃな。面白い馬鹿じゃが」

「……クロは何者なんだ?」
 今まで見てきた様子ではこの地での実力者のように見える。
 一介の魔術師とは思えない。

「ん?ここの領主じゃよ。なんとかかんとかアレキサンダー……面倒くさいからクロで十分じゃ」
「……おい」
 封建制世界では領主に対する無礼は手討ちにされてもおかしくない
 身分制度は厳しいのだ。
「なあに。あのタレ目はどう呼ばれても気にはせぬ」
「大丈夫か?この領」

「さあて。妾も農薬の研究に行くかの。電気がも少し使えるようになれば色んな合成が可能になるのじゃが」

 ヴァースは少女の背中を見送る。
 農地で働く農民たちも暗い表情は見えない。
 希望を背に懸命に働いていた。
 手当が良いのか食事の保証があるからなのか。
 それとも両方か。
 彼が遥かな昔にみた農民の姿にも重なっていた。



●S-2:男爵領/大工房

「どうじゃ。新型だぞい」
 ドワーフ職人の棟梁ガイウスが皺くちゃの顔を更にくしゃくしゃにして笑っていた。
 手にしているのは真新しい金属の筒だ。
「クローリーの要望でな。沙那用に作った新型の銃だ」 

 差し出された沙那は微妙な顔をしていた。
 何と表現すればよいのだろう。
 渋いお茶でも飲んだように眉を寄せていた。
 何か言いたそうにも見えるが言葉はない。

「なんと!マーチス考案レバーアクションで弾丸を装填する連射可能な銃じゃぞ!」
 そこにあったのは縦二銃身にも見える大型の銃だった。
 しかしライフルというにはだいぶ小さい。
 銃身切り詰めソードオフショットガンのようにも見えるカービン銃だ。
 沙那の体格に合わせてあるのかストック付きの大型拳銃のようだった。

「マーチスの話ではこう……」
 ガイウスは腕の中でくるくるっと銃を回転させた。
「スピンコックするものらしい」
 まるで西部劇映画のジョン・ウェインのようだった。

「……そーいうのじゃなくてー!」
 沙那がキレた。
「ボクは武器よりも先にトラクター作ってってお願いしたはずだよー?」
 沙那が言っているのは農業用トラクターのことだった。
 蒸気機関が現実化しつつあるので、鉄道よりも何よりも農業設備の拡充をしたかったのだ。
 日々、領内を巡回してる沙那の目には農民の苦労が気になっていた。
 高度に機械化された日本でも農業は重労働であるのに、人力で行うのはいかにも非効率的だった。
 クローリーと一緒にいるうちにすっかりクローリーの考えに染まってきていた沙那にとっては領民の生活向上が最優先だった。

「……喜ばんのか」
 ガイウスはしょんぼりした。
「剣も魔法も使えないお主には身を守る武器が必要じゃぞ」
「ん-。……ぺんぎんたちがいるよー!」
「そうは言ってものう……」 
 ガイウスは溜息を吐いた。

 実はクローリーの依頼で作っていたものだったのだ。
 沙那の世界ではいざ知らず。
 比較的治安がましな男爵領ですら若い女性が一人で歩き回ることは昼間ですら危険を伴う。
 マリエッラやクローリーが可能な限り一緒にいるようにしていたが限界はある。
 貧しさは治安を悪化させる。
 ましてや外部からの移民が増えており、中には犯罪者などが混じっていても判らないのだ。
 シュラハトが率いる軍隊も数が少なすぎて警察行動には向かない。
 治安維持用の衛視も市街地にいる程度で開拓地までは手が回らない。

「いいから持っておけ。お守りとでも思ってのう」
 ガイウスが沙那に銃を押し付けた。
 ずしりとした重さ。
 それでも沙那の筋力で振り回せるように注意深くカスタムされている。
 牝馬の足メアーズレッグなどと呼ばれるものだが、銃弾はライフル用ではなく今まで沙那が使っていたものと同じにして反動を抑えてある。

「……まー。もらっておくけど」
 そして一緒に専用のホルスターまで受け取る。
 脚に縛り付けるタイプのものでおそらくはマーチスの趣味なのだろう。
 銃を抜くときにぱんつがチラりしてあらセクシー!くらいの感覚かも知れない。
「ありがとね」
「きゅー!」


「ところでさ。コレはいつ浮くの?」
 沙那は目の前に横たわる巨大な飛行船を愛で促した。
「もうじきじゃぞ」
「けっこー時間かかるんだね」
「まあの。前後左右のバランスのとり方で手間取っての。ルシエがだいぶうまく纏めつつあるが」

 飛行船も船と変わらない。
 重量のバランスが悪ければ横転したり転覆したりは予想できた。
 見栄えや輸送力優先で転覆沈没する船は枚挙に暇がない。
 空を飛ぶ船ならなおさらだ。
 未知数なので色々と手探りなのだ。

 
 その様子を離れたところから眺めていたヴァースはあまり面白くない顔をしていた。
 男爵領には彼が知らない想像もできない不思議なものがあった。
 特に武器が気に入らない。
 武器はあれば使いたくなるものだ。
 ましてや他より優れた強力な武器があれば尚更だ。

「あいつら何処と戦争するつもりだ……」
 1000年前もそうだった。
 ちっぽけな野心のために戦争を繰り返す愚かな人間は少なくなかった。
 もちろん。そうでない者もいたことはいたのだが……。

「その逆だ」
 ヴァースの背後に男が立っていた。
 シュラハトだ。
 人間の姿のヴァースも長身だがシュラハトはもう少し大きい。
「戦争にならないために準備するのさ」

「力を手にすれば人は気が変わるかもしれん」
「全部否定はしねえが……クロに限ってはないと思うぜ」
 シュラハトは自分の肩を叩いた。
 大きな剣の重さで肩が凝りそうだが、盛り上がった筋肉はその程度は物ともしないはずだ。

「あんた。領内を見て回ったろ?」
「ああ」
「帝国の町にしてはなかなか豊かになってたろ?」
「ああ」
「だからだよ」
 シュラハトはごきごきと肩を鳴らした。
 
「帝国では豊かな領地は狙われるのさ。どこも食料にすら困ってるからな」
「……国は何もしないのか?」
 ヴァースが訝った。
「えらいさんたちはみんな自分の懐しか考えてないのさ」
「腐敗してるのか?」
「悪臭で鼻を抑えても耐えられない程にな」
 シュラハトが右手の掌を上に開く。 

「自分より弱いものから奪う。それで何とか成り立っているのがこの国だ」
 シュラハトはヴァースの顔をじっと見る。
「あんたも異世界召喚者ワタリみたいだから判らないだろうが……弱肉強食というよりは弱者にはギリギリ生存していける程度のものだけ与えておいて、持ってるもは奪えるだけ奪う」
 ヴァースの髪は金属光沢の赤胴色だ。
 シュラハトからすれば沙那たちと同種の人間に見える。
「小さなパイを奪い合うようなものさ。だからここのように少しでも豊かなものを見たら……問答無用で襲ってくる馬鹿が出るのさ」
「……愚かな」
「ああ。愚かだ。だからこそ武力が必要なんだ」

 シュラハトは飛行船を見上げる。
「剣で生きてきた俺からすれば飛行船も銃も正直気に入らねえ。でもな……」
 視界の隅で専用ホルスターを四苦八苦して取り付けている沙那も見える。
「相手が警戒して侵略したくなくなるようなら存在価値があると思ってる」
「……平和を得るためには戦争に備えよ。というやつか?」
「そうだ」
 シュラハトが頷く。

「クロにはそのあたり気が回ってねえ。だから俺や眼鏡野郎マーチスが苦労してるのさ」
「ふん……」
 ヴァースは眉を顰めた。
「あんたにはもしかしたらピンとこねえかも知れねえが。あんなデカい飛行船が空に浮かんでいたら大抵のやつは恐怖だと思うぜ」
 準備されつつある飛行船は確かに巨大だ。
 気嚢は直径約50mで全長300mを超える。
 吊り下げられたゴンドラ部分はそれに比べればだいぶ小さいとはいえ大型軍船ほどもある。

「空の上から矢を射られたり石を落とされるだけでも脅威さ。近隣の諸侯程度の軍事力で攻撃してこようとする馬鹿はまあいねえだろ」
 当然だろう。
 帝国世界に空を飛ぶ物体への攻撃可能な武器は弓か弩くらいのものだ。
 攻城用の大型投石器もなくはないが、それを所持しているのは皇帝直轄の軍くらいである。
 辺境の一諸侯が装備するようなものではない。

「ハリボテでも何でも良いのさ。それで戦いが起きないで済むならな」
 戦いの中に生きて来たシュラハトだからこそ、戦いの無益さを良く知っているのだ。

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