124 / 135
第11章 革命家たち(キャラクター紹介編)
第11章 革命家たち(キャラクター紹介編) 1~Crawler(這いずるもの)
しおりを挟む
第11章 革命家たち(キャラクター紹介編) 1~Crawler(這いずるもの)
●S-1:クローリーという存在
アレキサンダー男爵エドアード・アレキサンダーことクローリーは才気走った天才肌でもなければ、隠れた物凄い能力を所持しているわけでもなかった。
クローリーという通称も帝国語の『這いずるもの』という意味で、地面に這いつくばるというようなことだ。
冒険者をしたり、アリの巣を観察するような研究をしたいという彼の想いからつけた名前だ。
簡単にまとめるならば、『無能ではない』、『バカではない』、『悪党ではない』くらいでしかない。
魔術学院の劣等生とはいえ魔術師ではあるのだから、頭が悪いわけではない。
だが、優秀とは程遠く、異世界召喚の儀式に動員されることはなかった。
この世界で一般的にエルフと呼ばれる種族は有史以前からわずかながら存在していた。
金属光沢の髪の色をした種族であり、その容貌は様々だ。
切れ長の目だとか、耳が長いとか尖っているとか、美しいとか……その例え方は千差万別。
その文化や習性は良く判っていなかった。
ただ、異世界から召喚されたエルフには稀に強大な魔法や凄まじい身体能力を持つ者がいることだけは判っていた。
その大魔法は戦場を一変させるほどのモノであったりしたため、『戦略兵器』としての存在感の輝きを放っていた。
つまり、強力なエルフを手に入れることは他国や風変勢力に対する強力な軍事プレゼンスになるのだ。
当然ながら王侯貴族たちはこれを欲しがった。
いや、帝国教会ですらそうだった。
そのために莫大な資金や人材を投入しての異世界召喚の儀式が盛んに行われた。
しかし、そのような能力を持つ者は極稀だった。
理由は判らない。
それはランダムに召喚するためだったが、何よりも特定の世界から呼び出すのではなく、無作為の世界から召喚するのだからどういった人物が現れるのかすら判っていなかったからだった。
異世界召喚の魔法はあるが、その正しい用法も何もっさっぱり判明していなかった。
つまり、異世界召喚の儀式とは宝くじで一等を当てるくらいのあやふやなものだったのだ。
だからこそ、当たりを引き当てた時に得られる力は絶大である。
かつて巨大な戦艦が戦略兵器だったようなものだ。
その能力もだが存在自体が強力な手札足りえるのだった。
そして儀式は繰り返す。
クローリーはそんな風潮に全く興味がなかったわけではない。
だが、それよりも別の事の方に心を惹かれていた。
エルフの文化である。
あるいは生活様式など。
それには理由がある。
超能力を持ったエルフは稀有だが、全く異なる文化を聞き知ることは特別なエルフでなくても可能だからだ。
それは彼が魔法を学び始めた理由と同じものだった。
辺境の弱小領主……貴族というよりも大きな村の村長のようなものである……として考えた場合、何をすべきだろうか。
先祖代々続いてきた産業を発展させ……ようとしても大した産業はない。
農作地もあまり広くない。
食糧事情は良くない。
海沿いである利点から海産物をフル活用して何とか食いつないでる程度なのだ。
新しい産業を興す?
いやいや、それが簡単にできるくらいならどこかがやっているだろう。
ならば、異なる文化圏のものを参考に何かできないだろうか?
スタート地点はそこだった。
そこで魔術を学ぶことにした。
魔術学院は帝国世界の知識の集積地であり、海外の情報が最も集まる場所でもあった。
当初、クローリーは絹の国や砂の国地方から学ぶつもりだった。
その中で彼は初等魔法の段階で気付く。
小さな明かりを作る『光源』や火種を作る『着火』などの魔法だ。
通常の生活において手軽に使えればなんと便利なことだろう。
これを庶民生活で使えるようになれば生活水準は上がるかもしれない。
『浄水』などは安心できる飲料水を提供できるのだ。
問題はこれらの魔法は初等と言いつつも魔術の技術が必要であることとや、なにより『構成要素』と呼ばれる魔法発動に必要な材料が高価なものが多かったことだった。
庶民がとても許容できる負担ではない。
ならば、安価で手軽に、魔法の素養のない庶民でも使える魔法システムやアイテムを作ろうと考えた。
クローリーの魔法の研究はほぼそれに尽くされていた。
これはかなり特異なことだった。
ほとんどの魔術師は立身出世のため、あるいは名声のため、大きな魔法を使うことや作り出すことに血道を上げていたからだ。
彼が目指す方向はその真逆といって良かった。
だからこそ、ごく一部の魔術の教官である導師はクローリーの態度に興味を抱いたのかもしれない。
魔術学院院長のジュールもその一人だった。
そのジュールが迂闊に零したクローリーを評価する一言が、クローリーの人生に大きな影響を与えることになったが。
クローリーは魔術学院生活の中で異世界召喚の儀式のことを知った。
決して優秀とは言えなかった彼が呼ばれたり参加することはないだろうが、気になったことがあった。
ハズレと見做されたエルフのその後の行方だった。
無能力と判断されたエルフは処分される。
それは過酷な運命だった。
人身売買業者に引き渡される……ことはまずない。
売り物にならないからだ。
それが若い女性であってもだ。
見た目だけでも異種族と判る女性を好む者はそうはいない。
よほどの特殊な性癖でもない限りは同じヒト族を選ぶものだ。
つまり、手間をかけてもお金にはならない。
したがって、廃棄である。
排泄物やごみのように捨てるのだ。
それが最も手がかからない。
酷い場合は城の水堀に落とす。
元々が半分下水のようなものだからだ。
クローリーはそこに目を付けた。
捨てられたエルフなら拾っていっても誰も咎めないだろう。
そして異世界のエルフなら異世界の情報を持っているはずであり、もしかしたら便利な生活向上させる方法を知っているかもしれない。
それが具体的な何かでなくとも何かに繋がるかもしれない。
その世界で確立されたものなら何か使い道はあるはずだ。
手軽に採用できるものがあればなお良い。
例えば後々に沙那がもたらした『皮むき器』のようなものとかだ。
難しい技術は不要で、しかも使い方も簡単。
特別な技術は何も要らない。
それを見た時はクローリーも唸ったものだ。
彼が考えていたエルフの文化や技術の利用とは、その程度のことである。
異文化だからこその着眼点の違いに注目していたのだ。
そこでクローリ-にとっての最初のエルフである賢者との邂逅があるのだが……。
まさにその最中で男爵当主であるクローリーの父が亡くなった。
ただし、その連絡は半年以上も届かなかった。
実家からの手紙が帝都の彼の元まで着かなかったのだ。
それはお家騒動などではなく、帝国世界の郵便システムのせいだった。
帝国世界の通常の郵便は交易商人にお金を払って運んでもらう手法が主であった。
かなりの権力者や裕福な者なら自分の部下に手紙を運ばせる方法もある。
だが、アレキサンダー男爵家はたいした力も持たなければ裕福でもなかった。
なにより帝都までは遠い。
交易商人が大きな町ごとに伝え伝えと渡されていくうちに、どこかで紛失されていたのだ。
なかなか帰郷しない後継者に不信感さえ持たれる有様。
この時の反省からクローリーは男爵領から帝都までの長い区間を走る郵便駅馬車を設置することにした。
これが彼が『車輪屋』と揶揄される由縁なのだった。
この郵便駅馬車は、商業的には成功しなかった。
商会制度を用いた正式な会社ではあるし、正規採用の職員が運用する立派なシステムであったのだが大きな欠点を見落としていたのだ。
帝国世界の庶民のほとんどは文字の読み書きができない!のだ。
当然ながら手紙を書く習慣はない。
どれほど運用システムがしっかりしていても、運ぶ商品が極めて少ないのだ。
なにより農民はおろか、帳簿を付けるであろう商人でさえ読み書きが満足なものは少なく、数字の計算もあまりできなかったくらいである。
何をするにも基本となる社会的なインフラが整備されていなかったのだ。
それを改善しようにもアレキサンダー男爵家にはカネも力もなかった。
そんな中で賢者推奨の上下水道整備を行った時点では財政的な自殺行為に近かった。
賢者は賢者で、Fランク文系大卒らしいあやふやな知識で『硝石を作る』ことを目的としていたのだった。
中世ヨーロッパに似た帝国世界には火薬はまだなかった。
もちろん火器はない。
ここで銃を作れば世界を取れる!と鼻息荒く考えていたようだったのだが、そもそも都市伝説に近い糞尿を使って硝石を作る戦国時代の雑賀衆の硝石製造の秘法を用いるというトンデモなものだった。
1980年代から来た賢者はそう信じていたが、21世紀になると当時の火薬の分析結果から、硝石のほとんどは輸入品だたことが判明している。
硝石は生産地の成分がはっきり表れるものなので、どこの硝石だったかもはっきりしている。
海運も盛んだった雑賀衆だからこそ舶来品を手に入れられていたのだろう。
つまり、なかなか火薬は手に入らなかった訳である。
なら失敗なのかというとそんなことはなかった。
海が近いために井戸を掘っても塩を含んだ水しか出ない男爵領では、山から運ぶばれる上水はとてもありがたかった。
何より濁りの少ないきれいな水であることは驚きだった。
そして、賢者の主目的であった下水は男爵領の衛生環境を劇的に向上させていた。
そのあたりに排泄物を捨てるのが常識だった帝国世界は悪臭も凄まじかった。
沙那が「町中、トイレの臭いがする~」と眉を顰めたのもむべなるかな。
それが男爵領に辿り着いた瞬間に、「あんまり臭くない」と言わしめたほどには改善されていた。
クローリーは気づいていなかったが伝染病を防ぎ、ネズミの繁殖を抑える効果があったのだ。
怪我の功名といえばそうなのだが、男爵領が近代化していく出発点になり、なによりインフラ整備で最も手間と金のかかることになる工事を人口が少ない段階で行えたのは大きかった。
後々拡大していく中で基盤があることはどれほどののだったか。
天然硝石を輸入できるようになって更に目的が薄れていくように見えたのだが、肥料でも何でもなく、全く想像外の目的で汚水が再利用されることになるのことはこの時点ではまだ判っていない。
「……それ、なんスかね?」
クローリーは沙那の胸元を覗き込んだ。
なにやら何かの小袋を幾つか抱えているようだった。
不思議なことに小袋は透明なものであるらしかった。
中身が透けて見えるのが驚きだ。
「これー?麹ー!」
沙那が当然のように答える。
しかし、そう言われても彼には分らない。
「コウジ?……何に使うんスか?」
「ん。だからー。この前話した味噌とか醤油造るのー」
「味噌と醤油っスか。調味料て言ってたっスなー」
「そー!」
沙那がバサバサと小袋を広げる。
「これね、白カビなんだー」
「ぶっ!?」
クローリーは吹いた。
「カビってヤバくないんスか」
「だいじょーぶ。無毒なカビだしねー。戻ってくる前にスーパーと農協で買ってきたー」
「スー……まあ、なんかわかんねーっスが……」
沙那の言葉は時々謎である。
沙那の世界の固有名詞なのか、英語によく似た帝国語に翻訳するとそうなのか判断に迷う。
「お酒を造るのもあるんだけどー、ボクはまだお酒は要らないかなーって。あ、甘酒なら……あれも麹で作ると美味しいしねー」
にぱっと笑顔を見せる沙那には屈託がない。
何を考えて何をしようとしているのかは判らないが、今までも大体役に立ってきた。
ただ……沙那の言いだすことはほとんどが化粧品や食べ物関係ばかりなのは何故だろう。
不思議なのは沙那は指先も綺麗で荒れた様子もない。
帝国世界だと貴族や富豪の家の娘ならまだしも、庶民はみな荒れてボロボロなものだ。
だから当初はエルフの姫様か何かと思ったのだが、庶民だという。
厳しい労働が不要な世界なのだろうか。
クローリーが沙那に注目してる点はそこだ。
庶民があまり生活に苦労しなくて済む環境を再現しようとしてると考えれば、もっとやれ!と応援したくなるのだ。
でも、シャワーはともかく冷蔵庫とか言い出すのは流石に頭が痛かった。
ところがそれらは部分的に魔法で代用できていた。
沙那に懐いてついてきた精霊、通称イズミちゃんは精霊女王である。
火山地帯で大量のお湯を沸かせて温泉を発生させていたが、本来は水の精霊だ。
お湯でなくとも冷たい水も出すことができる。
しかも大量に。
同様に氷を作り出すこともできた。
もちろん大量に。
並みの精霊でなく妖精女王という立場故に他の同種の精霊を集めることが可能なので驚くほどの力がある。
沙那がイズミちゃんを連れて歩けるようになったのは明らかに後天的な要素だが、最初から持っていたら強力なエルフの魔法の使い手として崇められたろう。
まさか召喚した魔術師たちもハズレのエルフがこのようになることは想定外だったはずだ。
当然、クローリーもだが。
持って生まれた能力だけではない、成長や突飛な思付きなどが面白い。
クローリーは沙那を見てるのがなかなか飽きない。
次は何をしてくれるのだろうか。
そう考えたら、他のエルフ……異世界召喚者たちもまた別の何かをしてくれる気がしていた。
クローリーが後々に革命家と呼ばれるとしたら、そこかもしれない。
自分が天才的に何かをするということではなく、周囲に環境を整えていく度量の大きさだろう。
そしてその変化を楽しむという独特な性格故のものかもしれない。
ただ、彼の最大の誤算は……。
結果的に豊かになっていく男爵領が、その謎の豊かさ故に狙われ続けることにあったかもしれない。
特別に豊かというのではなく、ちょっとづつ他より豊かというのは周りの羨望と嫉妬を集めやすいのかもしれなかった。
そして領地を守るために軍備が必要だし、政治的な駆け引きも必要になる。
そのためには資金が大量に必要で、豊かになってもカネは減る。
結果的にまた少し豊かになって、更に狙われるようになり、より政治性と軍備が必要になってやはりカネは減る。
クローリーの小さな夢とそれを守るためのイタチごっこはまだ始まったばかりだった。
●S-1:クローリーという存在
アレキサンダー男爵エドアード・アレキサンダーことクローリーは才気走った天才肌でもなければ、隠れた物凄い能力を所持しているわけでもなかった。
クローリーという通称も帝国語の『這いずるもの』という意味で、地面に這いつくばるというようなことだ。
冒険者をしたり、アリの巣を観察するような研究をしたいという彼の想いからつけた名前だ。
簡単にまとめるならば、『無能ではない』、『バカではない』、『悪党ではない』くらいでしかない。
魔術学院の劣等生とはいえ魔術師ではあるのだから、頭が悪いわけではない。
だが、優秀とは程遠く、異世界召喚の儀式に動員されることはなかった。
この世界で一般的にエルフと呼ばれる種族は有史以前からわずかながら存在していた。
金属光沢の髪の色をした種族であり、その容貌は様々だ。
切れ長の目だとか、耳が長いとか尖っているとか、美しいとか……その例え方は千差万別。
その文化や習性は良く判っていなかった。
ただ、異世界から召喚されたエルフには稀に強大な魔法や凄まじい身体能力を持つ者がいることだけは判っていた。
その大魔法は戦場を一変させるほどのモノであったりしたため、『戦略兵器』としての存在感の輝きを放っていた。
つまり、強力なエルフを手に入れることは他国や風変勢力に対する強力な軍事プレゼンスになるのだ。
当然ながら王侯貴族たちはこれを欲しがった。
いや、帝国教会ですらそうだった。
そのために莫大な資金や人材を投入しての異世界召喚の儀式が盛んに行われた。
しかし、そのような能力を持つ者は極稀だった。
理由は判らない。
それはランダムに召喚するためだったが、何よりも特定の世界から呼び出すのではなく、無作為の世界から召喚するのだからどういった人物が現れるのかすら判っていなかったからだった。
異世界召喚の魔法はあるが、その正しい用法も何もっさっぱり判明していなかった。
つまり、異世界召喚の儀式とは宝くじで一等を当てるくらいのあやふやなものだったのだ。
だからこそ、当たりを引き当てた時に得られる力は絶大である。
かつて巨大な戦艦が戦略兵器だったようなものだ。
その能力もだが存在自体が強力な手札足りえるのだった。
そして儀式は繰り返す。
クローリーはそんな風潮に全く興味がなかったわけではない。
だが、それよりも別の事の方に心を惹かれていた。
エルフの文化である。
あるいは生活様式など。
それには理由がある。
超能力を持ったエルフは稀有だが、全く異なる文化を聞き知ることは特別なエルフでなくても可能だからだ。
それは彼が魔法を学び始めた理由と同じものだった。
辺境の弱小領主……貴族というよりも大きな村の村長のようなものである……として考えた場合、何をすべきだろうか。
先祖代々続いてきた産業を発展させ……ようとしても大した産業はない。
農作地もあまり広くない。
食糧事情は良くない。
海沿いである利点から海産物をフル活用して何とか食いつないでる程度なのだ。
新しい産業を興す?
いやいや、それが簡単にできるくらいならどこかがやっているだろう。
ならば、異なる文化圏のものを参考に何かできないだろうか?
スタート地点はそこだった。
そこで魔術を学ぶことにした。
魔術学院は帝国世界の知識の集積地であり、海外の情報が最も集まる場所でもあった。
当初、クローリーは絹の国や砂の国地方から学ぶつもりだった。
その中で彼は初等魔法の段階で気付く。
小さな明かりを作る『光源』や火種を作る『着火』などの魔法だ。
通常の生活において手軽に使えればなんと便利なことだろう。
これを庶民生活で使えるようになれば生活水準は上がるかもしれない。
『浄水』などは安心できる飲料水を提供できるのだ。
問題はこれらの魔法は初等と言いつつも魔術の技術が必要であることとや、なにより『構成要素』と呼ばれる魔法発動に必要な材料が高価なものが多かったことだった。
庶民がとても許容できる負担ではない。
ならば、安価で手軽に、魔法の素養のない庶民でも使える魔法システムやアイテムを作ろうと考えた。
クローリーの魔法の研究はほぼそれに尽くされていた。
これはかなり特異なことだった。
ほとんどの魔術師は立身出世のため、あるいは名声のため、大きな魔法を使うことや作り出すことに血道を上げていたからだ。
彼が目指す方向はその真逆といって良かった。
だからこそ、ごく一部の魔術の教官である導師はクローリーの態度に興味を抱いたのかもしれない。
魔術学院院長のジュールもその一人だった。
そのジュールが迂闊に零したクローリーを評価する一言が、クローリーの人生に大きな影響を与えることになったが。
クローリーは魔術学院生活の中で異世界召喚の儀式のことを知った。
決して優秀とは言えなかった彼が呼ばれたり参加することはないだろうが、気になったことがあった。
ハズレと見做されたエルフのその後の行方だった。
無能力と判断されたエルフは処分される。
それは過酷な運命だった。
人身売買業者に引き渡される……ことはまずない。
売り物にならないからだ。
それが若い女性であってもだ。
見た目だけでも異種族と判る女性を好む者はそうはいない。
よほどの特殊な性癖でもない限りは同じヒト族を選ぶものだ。
つまり、手間をかけてもお金にはならない。
したがって、廃棄である。
排泄物やごみのように捨てるのだ。
それが最も手がかからない。
酷い場合は城の水堀に落とす。
元々が半分下水のようなものだからだ。
クローリーはそこに目を付けた。
捨てられたエルフなら拾っていっても誰も咎めないだろう。
そして異世界のエルフなら異世界の情報を持っているはずであり、もしかしたら便利な生活向上させる方法を知っているかもしれない。
それが具体的な何かでなくとも何かに繋がるかもしれない。
その世界で確立されたものなら何か使い道はあるはずだ。
手軽に採用できるものがあればなお良い。
例えば後々に沙那がもたらした『皮むき器』のようなものとかだ。
難しい技術は不要で、しかも使い方も簡単。
特別な技術は何も要らない。
それを見た時はクローリーも唸ったものだ。
彼が考えていたエルフの文化や技術の利用とは、その程度のことである。
異文化だからこその着眼点の違いに注目していたのだ。
そこでクローリ-にとっての最初のエルフである賢者との邂逅があるのだが……。
まさにその最中で男爵当主であるクローリーの父が亡くなった。
ただし、その連絡は半年以上も届かなかった。
実家からの手紙が帝都の彼の元まで着かなかったのだ。
それはお家騒動などではなく、帝国世界の郵便システムのせいだった。
帝国世界の通常の郵便は交易商人にお金を払って運んでもらう手法が主であった。
かなりの権力者や裕福な者なら自分の部下に手紙を運ばせる方法もある。
だが、アレキサンダー男爵家はたいした力も持たなければ裕福でもなかった。
なにより帝都までは遠い。
交易商人が大きな町ごとに伝え伝えと渡されていくうちに、どこかで紛失されていたのだ。
なかなか帰郷しない後継者に不信感さえ持たれる有様。
この時の反省からクローリーは男爵領から帝都までの長い区間を走る郵便駅馬車を設置することにした。
これが彼が『車輪屋』と揶揄される由縁なのだった。
この郵便駅馬車は、商業的には成功しなかった。
商会制度を用いた正式な会社ではあるし、正規採用の職員が運用する立派なシステムであったのだが大きな欠点を見落としていたのだ。
帝国世界の庶民のほとんどは文字の読み書きができない!のだ。
当然ながら手紙を書く習慣はない。
どれほど運用システムがしっかりしていても、運ぶ商品が極めて少ないのだ。
なにより農民はおろか、帳簿を付けるであろう商人でさえ読み書きが満足なものは少なく、数字の計算もあまりできなかったくらいである。
何をするにも基本となる社会的なインフラが整備されていなかったのだ。
それを改善しようにもアレキサンダー男爵家にはカネも力もなかった。
そんな中で賢者推奨の上下水道整備を行った時点では財政的な自殺行為に近かった。
賢者は賢者で、Fランク文系大卒らしいあやふやな知識で『硝石を作る』ことを目的としていたのだった。
中世ヨーロッパに似た帝国世界には火薬はまだなかった。
もちろん火器はない。
ここで銃を作れば世界を取れる!と鼻息荒く考えていたようだったのだが、そもそも都市伝説に近い糞尿を使って硝石を作る戦国時代の雑賀衆の硝石製造の秘法を用いるというトンデモなものだった。
1980年代から来た賢者はそう信じていたが、21世紀になると当時の火薬の分析結果から、硝石のほとんどは輸入品だたことが判明している。
硝石は生産地の成分がはっきり表れるものなので、どこの硝石だったかもはっきりしている。
海運も盛んだった雑賀衆だからこそ舶来品を手に入れられていたのだろう。
つまり、なかなか火薬は手に入らなかった訳である。
なら失敗なのかというとそんなことはなかった。
海が近いために井戸を掘っても塩を含んだ水しか出ない男爵領では、山から運ぶばれる上水はとてもありがたかった。
何より濁りの少ないきれいな水であることは驚きだった。
そして、賢者の主目的であった下水は男爵領の衛生環境を劇的に向上させていた。
そのあたりに排泄物を捨てるのが常識だった帝国世界は悪臭も凄まじかった。
沙那が「町中、トイレの臭いがする~」と眉を顰めたのもむべなるかな。
それが男爵領に辿り着いた瞬間に、「あんまり臭くない」と言わしめたほどには改善されていた。
クローリーは気づいていなかったが伝染病を防ぎ、ネズミの繁殖を抑える効果があったのだ。
怪我の功名といえばそうなのだが、男爵領が近代化していく出発点になり、なによりインフラ整備で最も手間と金のかかることになる工事を人口が少ない段階で行えたのは大きかった。
後々拡大していく中で基盤があることはどれほどののだったか。
天然硝石を輸入できるようになって更に目的が薄れていくように見えたのだが、肥料でも何でもなく、全く想像外の目的で汚水が再利用されることになるのことはこの時点ではまだ判っていない。
「……それ、なんスかね?」
クローリーは沙那の胸元を覗き込んだ。
なにやら何かの小袋を幾つか抱えているようだった。
不思議なことに小袋は透明なものであるらしかった。
中身が透けて見えるのが驚きだ。
「これー?麹ー!」
沙那が当然のように答える。
しかし、そう言われても彼には分らない。
「コウジ?……何に使うんスか?」
「ん。だからー。この前話した味噌とか醤油造るのー」
「味噌と醤油っスか。調味料て言ってたっスなー」
「そー!」
沙那がバサバサと小袋を広げる。
「これね、白カビなんだー」
「ぶっ!?」
クローリーは吹いた。
「カビってヤバくないんスか」
「だいじょーぶ。無毒なカビだしねー。戻ってくる前にスーパーと農協で買ってきたー」
「スー……まあ、なんかわかんねーっスが……」
沙那の言葉は時々謎である。
沙那の世界の固有名詞なのか、英語によく似た帝国語に翻訳するとそうなのか判断に迷う。
「お酒を造るのもあるんだけどー、ボクはまだお酒は要らないかなーって。あ、甘酒なら……あれも麹で作ると美味しいしねー」
にぱっと笑顔を見せる沙那には屈託がない。
何を考えて何をしようとしているのかは判らないが、今までも大体役に立ってきた。
ただ……沙那の言いだすことはほとんどが化粧品や食べ物関係ばかりなのは何故だろう。
不思議なのは沙那は指先も綺麗で荒れた様子もない。
帝国世界だと貴族や富豪の家の娘ならまだしも、庶民はみな荒れてボロボロなものだ。
だから当初はエルフの姫様か何かと思ったのだが、庶民だという。
厳しい労働が不要な世界なのだろうか。
クローリーが沙那に注目してる点はそこだ。
庶民があまり生活に苦労しなくて済む環境を再現しようとしてると考えれば、もっとやれ!と応援したくなるのだ。
でも、シャワーはともかく冷蔵庫とか言い出すのは流石に頭が痛かった。
ところがそれらは部分的に魔法で代用できていた。
沙那に懐いてついてきた精霊、通称イズミちゃんは精霊女王である。
火山地帯で大量のお湯を沸かせて温泉を発生させていたが、本来は水の精霊だ。
お湯でなくとも冷たい水も出すことができる。
しかも大量に。
同様に氷を作り出すこともできた。
もちろん大量に。
並みの精霊でなく妖精女王という立場故に他の同種の精霊を集めることが可能なので驚くほどの力がある。
沙那がイズミちゃんを連れて歩けるようになったのは明らかに後天的な要素だが、最初から持っていたら強力なエルフの魔法の使い手として崇められたろう。
まさか召喚した魔術師たちもハズレのエルフがこのようになることは想定外だったはずだ。
当然、クローリーもだが。
持って生まれた能力だけではない、成長や突飛な思付きなどが面白い。
クローリーは沙那を見てるのがなかなか飽きない。
次は何をしてくれるのだろうか。
そう考えたら、他のエルフ……異世界召喚者たちもまた別の何かをしてくれる気がしていた。
クローリーが後々に革命家と呼ばれるとしたら、そこかもしれない。
自分が天才的に何かをするということではなく、周囲に環境を整えていく度量の大きさだろう。
そしてその変化を楽しむという独特な性格故のものかもしれない。
ただ、彼の最大の誤算は……。
結果的に豊かになっていく男爵領が、その謎の豊かさ故に狙われ続けることにあったかもしれない。
特別に豊かというのではなく、ちょっとづつ他より豊かというのは周りの羨望と嫉妬を集めやすいのかもしれなかった。
そして領地を守るために軍備が必要だし、政治的な駆け引きも必要になる。
そのためには資金が大量に必要で、豊かになってもカネは減る。
結果的にまた少し豊かになって、更に狙われるようになり、より政治性と軍備が必要になってやはりカネは減る。
クローリーの小さな夢とそれを守るためのイタチごっこはまだ始まったばかりだった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
大和型戦艦、異世界に転移する。
焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。
※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる