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三章.
5話.科学者が機械になる話〈破滅編〉
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通気口を空気が流れる音しか聞こえない一室。無機質な色の机を挟んで、一人の男が一回り以上年齢の低そうな美少女に質問責めを受けている。勿論、その美少女は私━━王色 染毬ですわ。
「既に知ってはいると思うが、私には痛覚が無いんだ」
「だからって、自分自身が死なないという確証のない…………非人道的な研究に助力する必要なんて無いんじゃないですの?」
私は試験体━━涼川照望の身体の研究に対する意識と認識をどのように持っているのかに、科学者として興味があった。所長によって設けられた、二人きりの対話の機会を棒に振るわけにはいかない。私は知りたいと思っていたコトを照望に問う。
「染毬。君は天才なのだろう。ある程度の思考はしたのかい?」
「実験動物の分際で、研究者の問答を断るつもり」
「君は……些か、周囲から過大評価をされる環境で生活し過ぎているのではないだろうか」
照望は知ったような口で私にモノを言う。まるで、数少ない私よりも上の御身分かのように。きっと、照望はまだ私のことを世間知らずの少女として扱っているのだろう。向かう所に敵は少なしの、私の神経が逆立つ。思考なんぞ、頭を抱えるほどに繰り返し済みだ。
「質問に答えなさい!!」
「お嬢さんは、少々ご機嫌斜めの様だ」
私は照望のその英国紳士被れの話し口調に、更に自らの頭に血が上っていくのを感じた。しかし、怒号をあげる前に。彼の頬に一発食らわす前に。私は片方の顳顬を人差し指で軽く押して、理性を取り戻そうとした。完全に照望のペースである。主導権を奪還せねばと、天才的頭脳をフルに回転させる。
「私は……あなたの研究を世の中のために使えたらと思っています。きっと、貴方もそのことを望んでいるはず」
私が人類を支える科学の進歩の為だけに注いできた頭脳を、茶番にも似た駆け引きに利用する羽目になるとは屈辱を感じざるおえない。しかし、功はそうしたらしい。照望は私の言葉に、問答を始めて五十分弱。初めて僅かに考える仕草をした。
「私は死ぬことを望んでNBIの実験台に参加している。全世界人類の科学の進歩がどうなろうが、一切どうでもいい。興味も無ければ、知ったこっちゃない。既に私は生きながらに、死んでいた筈の存在だからね」
その照望の言葉に、私は少しだけ合点のいく部分を見つける。そりゃあ、痛覚が無いにしても自らの身体の細胞から骨から皮膚から……ソレらが意識のある中で破壊されるのは、そんじゃそこらの自傷行為とは格が違う。
照望本人が本当の意味で、生の世界からの離脱を願っていないと成立し得ない研究だったのだ。
「照望は…………不死身になった理由を分かっているのですの?」
私の問いに照望は、そんな事も聞いていないのかと呆れの表情を浮かべた。長い溜息の後に、真っ直ぐにコチラを見て冷静に言葉を発する。
「呪いだよ。私には、不死身の呪いがかかっている」
「はぁあ?」
私とあろう者が声を上げて立ち上がり、その勢いで座っていた椅子を倒してしまった。悠長にそのまま元座っていた椅子を戻して、再び座り直した。
「ごめんなさい。数年間、科学者としてのみ生きた癖で、非科学的な用語に耐性が無かったらしいわ」
平然とした態度にリカバー出来たのは、心のどこがで照望の回答に納得してしまった自分がいるからだろう。
ここ数日間で実験映像を磨り減るほどに見てきたが、科学で証明することが不可能であるという認識がゼロでは無く。その認識は科学者としての私にとっては、苦渋の観測でもあった。
「呪い……ね。頭が痛くなってきたわ」
不死身とは嘗て、権力者が追い求めたり、世界各地に多くの逸話があるとされた非科学的文言。しかも、その呪いとは……。
オカルト的なものには一切無知な私ではあるが、逆に世俗に影響される事なく照望の話を解釈できるかも知れない。
しかし、照望の出生から今に至るまでを喋らせるには、些か抵抗を感じた。聞いたところで、現状況の私に全てが役に立つとは思えなかったからだ。出来うる限り効率的に進めたい。
「照望。改めて……幾つか質問しますわ」
照望は私の目を見てから、ゆっくり首肯する。先ほどとは変わり、照望の表情が真面目になった気がする。
「何故、あなたは所長に……出会ったの?」
私の質問は数時間に及んだが、照望は思いのほか素直に答えてくれた。その内の数回、私をクスリと笑わせるような発言まで折り混ぜて。笑ってしまった自分に、私は科学者として反省するだろう。
隣の部屋の無限坂 玲衣とは対象的な落ち着いた精神状態にも見え、余計に私を困惑させていることに、この不死身は気づいているのだろうか。見解の結果、照望の不死身性には『不老』の要素も強く含まれている事が分かった。
「これが最後の質問ですわ。あなたが……もしも死ぬ事に成功したとして、NBIには何が残るのでしょうね?」
「数回の新薬投与などの、実験結果は書類として残るであろう。だが……、それは私でなくても十分に可能な事柄だ。きっと君よりも狂った、あの科学者の欲が満たされて終わるだろうな」
あの科学者が誰なのか。私にはそれが誰なのかハッキリしていた。そして、会話の最後に照望は顔も知らない隣人に対して、申し訳なかったと謝辞を述べていた。
数時間後、私はその謝罪の意を玲衣に伝えた。玲衣は私の顔を視線も変えずに、真顔で見つめながら聞いていた。私はそれから十年以上、その憎たらしい顔を見ることは無かった。
「結局わかったことは、照望の特質が反知性的ということだけだったわね」
不死身のメカニズムが科学的には、実証する事が不可能だという事実。照望の身体的特徴の一つ一つの理由付けは、私の自己納得する範疇にすら到達しなかった。
物事の原理を探求する科学者としては、私は完膚無きまでに敗北したのだと思う。それでも、私が気張ることなく人と話す事が出来たのは久し振りだった。照望との対話は、心の中が何かに満たされるような心地よさがあった。
建物外にも出ずに数値化された情報や実験器具ばかりを、長く相手にしてきた所為だろうか。それとも。
***
私は副所長室のソファで、いつものように寝入っていた。そのまま、私のカラダは部屋の換気口から意図的に流入された、揮発性麻酔薬により昏睡状態に陥ったのだ。完全に私個人を狙ったものだろう。照望との問答から三日後の午後ごろだった。
それから私は意識が覚醒することを、是が非でも無意識に拒絶するべきだったのだ。
ミイラ取りがミイラになるのは必然的であり。
フランケンシュタイン博士の末路は、怪物にその命を奪われるべきだったのかも知れない。
強者を名乗る弱者の最期に流れる歌は、失望の賛歌なのだから。
自分を対価として母の命を救う前に、幼き私が純粋に読んでいた非現実的な物語に対する現在となっての考察が頭の中で流れていく。花畑の花が全て枯れ果てるように、音も無く静かに気づくのだ。私の対価は代替できない私自身だったと。その瞼を開いた瞬間に悟った。
それは絶望。
これが私の対価であり、科学者として非人道的な実験に加担したことに対する……断罪。
目に映った光景。実験器具の一つであろう巨大なビーカーに映った自分の姿は、あまりにも酷たらしかった。
両肩の鎖骨に二本、太ももの大腿四頭筋に二本、前頭筋の外郭に沿って数枚の電極。その付け根からジャラジャラと伸びる、区別するために色彩豊かになっているチューブや配線は、巨大なメインフレームへと繋がっている。直線的に破かれた白衣からは、知性的な印象は微塵も感じることは出来ない。その裂け目には所々、ポビドンヨードの暗赤褐色と酸化した血液が滲んで染みていた。
「…………っ!!」
カラダ中の節々が拘束バンドで縛られたことによる自由の制限は、視界と声帯と意識のみしか許容してはくれなかった。身体を揺すっても、身動きすら出来ず激痛だけが走る。
「意識を取り戻したのかい……染毬くん」
恍惚とした笑みを浮かばせながら、メインフレームを操作する人影。所長━━ 檻咲恭蔵が私を横目に入れて嗤う。
「美しいとは思わないかい?」
その気色の悪い表情に対して、私は嫌悪感を隠しきれなかった。
「……何がですか」
「君のことに決まっているじゃないか」
「私に……何をしたの」
私を見て、所長は頬を弛緩させ手の届く距離まで歩みを進めた。所長……檻咲は私の前髪を掴み引っ張り上げ、無理やり私の視界を広げた。
「嗚呼。美しい。まるで……科学という禁忌症に溺れた天使のようだなぁ」
「所長は……いつから、そのように卑劣になってしまったんですか。私に私の母を助ける機会をくださったじゃないですか」
思ってもいないことを口に出す。過去の出来事を思い出させることで、最悪な状況の打破を目指して言及するが、檻咲の耳には届かない。きっと何か、この状況を挽回する手立てはある。
「人間のッ……可能性を広げるための人造実験ですか?私も尽力したいので……とりあえず拘束を……」
「……天才の君にしては、あまりに粗末な推測だ。君でなければいけないのだよ」
「は?」
失策だった。数分後に聴いた彼の話に、私は理性を喪失させた。
「君は現在、アインシュタインの脳がどのような状況にあるのか知っているかい。二十世紀最高の物理学者、天才の彼の脳は四十年間研究されてから百もの脳片に切断され多くの研究者の手元にある」
檻咲は私に何の話をしている。
「天才の脳が、決して元に戻らない状況に至ったんだ。大した得たものも無しに!しかし、大半の人間はいずれ心臓が止まり、脳への酸素の供給が終わる。即ち脳死だ。それは……あまりに悲惨なことだ」
そういうことか。私は檻咲の話を、当人の語りより先に理解してしまった。自分の科学者としての理解力が憎い。理解できぬまま、全てを忘却したい衝動に駆られた。
「だから……だから、だから君の意識を永劫の叡智として科学の導にするのさ。君は人間の進化のその先にッ」
檻咲は縦に身体を揺らしながら呼吸して、興奮しながら熱弁する。私はこれほど、この狂科学者が興奮している様を初めて目視したかもしれない。
そんなことはどうでもいい。私は檻咲に対しての恐怖心が無ではないにしても、段違いに私自身の置かれている状況に戦慄した。
私の思考に言葉が一切浮かばなくなって数十秒。虚ろな科学者としての抽象的思考に寄った感情が白波の様に消えていくと、自然ともう一つの心理が顕在してきた。
口の隙間から漏れていた空気が肺に激流し、吐出される。
「嫌ッ嫌ぁーーー!やめて!やだ……やだやだやだやだ!!」
喉が枯れるほどの悲鳴は、科学者としての達観した私のものではない。数年間、心の内に閉じ込めてきた、少女としての私の悲嘆であった。止めどなく溢れ続ける涙が床を濡らし、失禁したことによる排尿が太腿の内側を流れた。
「…………」
絶叫する私を視界に入れても、檻咲は感情の起伏ひとつ無く操作の最終段階へと移行するのだ。
同じ組織で科学者として、檻咲に何を言っても無意味であることは既知の事実だった。それでも、その事象が覆らないかと私は哀れに喚き続ける。
覚醒後で元から渇わいていた喉は、容易く枯れて私は大声をあげられなくなった。私の小刻みに左右に震える黒目が突如、右の壁に向いた。
それなりに厚い壁から、音を立てて手が生えたのだ。否、肉の付いた比較的太めの人骨が壁を貫いたのだ。その人の骨は、細い血管を通じて私の知っている男の肩へと繋がっていた。その男は血を流しながら、声帯を震わせた。
「あまり……いい趣味とは……思えないな」
上半身を露わにし身体中が血液で真っ赤な男が、残りの壁を叩き崩して侵入して来た。照望だった。照望の両腕は腕の有り様では無かった。痛みを感じないにしても、見ている此方からしたら、余りに痛々しかった。
私の顔を見つめた照望の表情は、かなり険しかった。それでも私は何故だか、心が僅かに和らいだ気がした。この状況で照望が何も出来ないにしても、私は照望の顔を見て、泣いて引き攣った顔のまま口元のみを緩ませて作り笑顔を彼に見せたのだ。きっと私の為に尽力してくれた、照望に対して感謝の気持ちを込めて。
「やぁ、涼川 照望。僕はお前を死なせられなかった……申し訳ないと思うよ」
「その子は……穢れた我々とは違う。天才だろうと科学者だろうと、狂っていようと……ただの女の子じゃあないか」
「長い時を過ごしてきたお前になら分かるんじゃあないのか?人類の進化には生半可じゃない犠牲を伴ってきたことを。そして、天才には価値がある。僕には無い……美しさを持っている。天賦の輝きを……」
「知るかよ……んなもん。いや、訂正しよう。そちらのお嬢さんの狂気性は、君の馬鹿げた考え方よりはずっとマシだ」
照望が片手を床に落とし、血管で繋がれた片腕を引きずりながら私を機械から外すために歩み寄る。
「涼川照望、既に遅かったな。そして、君が僕の邪魔をする事は…………不可能だ」
「このNBIに明日は無い。知っているのだろう。既に警察が一階を無力化したんだぞ」
「ああ、知っている。だから、今なのだとも!」
「…………ぐっ!」
照望が所長に向かって、残った側の照望の肘から指先までを噛みちぎり投げつけた。同時に、照望の真上から数トンの鉄の四角い塊が垂直落下し、彼の身体を圧迫し潰した。
潰されて肉片となった照望を見ても、更なる絶望を覚えることは無かった。期待をしていなかった訳ではない。それよりも彼に最期に会えて、死の間際の気晴らしぐらいにはなったのだ。
NBIで研究者として所属させられ檻咲に若き天才として目をつけられていた時点で、こうなる事は確定していたのかもしれない。
数分もすれば、私の脳と意識を機械に移すという行為が始まるのだ。この行為が、成功しようと失敗しようと私に待つのは地獄だろう。
どちらにしろ、私が生き地獄をこれから経験するのは確かだ。作業が遂行される。私の脳が意識のある状態で、頭からくり抜かれる地獄。半分以上の確率で失敗すると推測できる。即ち死。少女としての、死に対する未知への恐怖が心臓を速めていく。
照望の肘から先が、檻咲の足元に転がっている。もしも、私がもう少し乙女だったら、照望に喉が枯れていても『助けて』と意思表示を出来ていたのかもしれない。それをしなかったのは……何故だろう。
恐怖と脳への酸素供給の不足により、視界が数十秒間ブレた。気づいた時には私の正面に、背丈よりも高く直方体に近い精密機械が移動し停止。小学生の頃に前後の学生が距離を測る時に促された『前習え』のように、私に伸ばされた機械上肢が私の首と頭を固定した。
機械上肢の隙間から狂った研究者が我欲を満たし、天を仰ぎ嗤う姿が見えた。
それなのに何故か心の片隅に、時の流れから孤立させられた数ヶ月前に会ったばかりの男の姿があった。もしも、人の意識を永久に残す、この禁忌の実験が何かの手違いで成功してしまったら。生意気な不死身野郎の思考を僅かながらに理解し、その横に立てたりして。
私は叶うはずもない理想を、最期に考える。夢見る少女のように。そんな意味もない妄想に縋らなければ、目の上部に向かって無数の配線の繋がれた鋭利な刃が、私の脳を切り離そうとしている現実から意識を逸らすことは不可能だった。
そして、私はゆっくり瞼を閉じた。
「既に知ってはいると思うが、私には痛覚が無いんだ」
「だからって、自分自身が死なないという確証のない…………非人道的な研究に助力する必要なんて無いんじゃないですの?」
私は試験体━━涼川照望の身体の研究に対する意識と認識をどのように持っているのかに、科学者として興味があった。所長によって設けられた、二人きりの対話の機会を棒に振るわけにはいかない。私は知りたいと思っていたコトを照望に問う。
「染毬。君は天才なのだろう。ある程度の思考はしたのかい?」
「実験動物の分際で、研究者の問答を断るつもり」
「君は……些か、周囲から過大評価をされる環境で生活し過ぎているのではないだろうか」
照望は知ったような口で私にモノを言う。まるで、数少ない私よりも上の御身分かのように。きっと、照望はまだ私のことを世間知らずの少女として扱っているのだろう。向かう所に敵は少なしの、私の神経が逆立つ。思考なんぞ、頭を抱えるほどに繰り返し済みだ。
「質問に答えなさい!!」
「お嬢さんは、少々ご機嫌斜めの様だ」
私は照望のその英国紳士被れの話し口調に、更に自らの頭に血が上っていくのを感じた。しかし、怒号をあげる前に。彼の頬に一発食らわす前に。私は片方の顳顬を人差し指で軽く押して、理性を取り戻そうとした。完全に照望のペースである。主導権を奪還せねばと、天才的頭脳をフルに回転させる。
「私は……あなたの研究を世の中のために使えたらと思っています。きっと、貴方もそのことを望んでいるはず」
私が人類を支える科学の進歩の為だけに注いできた頭脳を、茶番にも似た駆け引きに利用する羽目になるとは屈辱を感じざるおえない。しかし、功はそうしたらしい。照望は私の言葉に、問答を始めて五十分弱。初めて僅かに考える仕草をした。
「私は死ぬことを望んでNBIの実験台に参加している。全世界人類の科学の進歩がどうなろうが、一切どうでもいい。興味も無ければ、知ったこっちゃない。既に私は生きながらに、死んでいた筈の存在だからね」
その照望の言葉に、私は少しだけ合点のいく部分を見つける。そりゃあ、痛覚が無いにしても自らの身体の細胞から骨から皮膚から……ソレらが意識のある中で破壊されるのは、そんじゃそこらの自傷行為とは格が違う。
照望本人が本当の意味で、生の世界からの離脱を願っていないと成立し得ない研究だったのだ。
「照望は…………不死身になった理由を分かっているのですの?」
私の問いに照望は、そんな事も聞いていないのかと呆れの表情を浮かべた。長い溜息の後に、真っ直ぐにコチラを見て冷静に言葉を発する。
「呪いだよ。私には、不死身の呪いがかかっている」
「はぁあ?」
私とあろう者が声を上げて立ち上がり、その勢いで座っていた椅子を倒してしまった。悠長にそのまま元座っていた椅子を戻して、再び座り直した。
「ごめんなさい。数年間、科学者としてのみ生きた癖で、非科学的な用語に耐性が無かったらしいわ」
平然とした態度にリカバー出来たのは、心のどこがで照望の回答に納得してしまった自分がいるからだろう。
ここ数日間で実験映像を磨り減るほどに見てきたが、科学で証明することが不可能であるという認識がゼロでは無く。その認識は科学者としての私にとっては、苦渋の観測でもあった。
「呪い……ね。頭が痛くなってきたわ」
不死身とは嘗て、権力者が追い求めたり、世界各地に多くの逸話があるとされた非科学的文言。しかも、その呪いとは……。
オカルト的なものには一切無知な私ではあるが、逆に世俗に影響される事なく照望の話を解釈できるかも知れない。
しかし、照望の出生から今に至るまでを喋らせるには、些か抵抗を感じた。聞いたところで、現状況の私に全てが役に立つとは思えなかったからだ。出来うる限り効率的に進めたい。
「照望。改めて……幾つか質問しますわ」
照望は私の目を見てから、ゆっくり首肯する。先ほどとは変わり、照望の表情が真面目になった気がする。
「何故、あなたは所長に……出会ったの?」
私の質問は数時間に及んだが、照望は思いのほか素直に答えてくれた。その内の数回、私をクスリと笑わせるような発言まで折り混ぜて。笑ってしまった自分に、私は科学者として反省するだろう。
隣の部屋の無限坂 玲衣とは対象的な落ち着いた精神状態にも見え、余計に私を困惑させていることに、この不死身は気づいているのだろうか。見解の結果、照望の不死身性には『不老』の要素も強く含まれている事が分かった。
「これが最後の質問ですわ。あなたが……もしも死ぬ事に成功したとして、NBIには何が残るのでしょうね?」
「数回の新薬投与などの、実験結果は書類として残るであろう。だが……、それは私でなくても十分に可能な事柄だ。きっと君よりも狂った、あの科学者の欲が満たされて終わるだろうな」
あの科学者が誰なのか。私にはそれが誰なのかハッキリしていた。そして、会話の最後に照望は顔も知らない隣人に対して、申し訳なかったと謝辞を述べていた。
数時間後、私はその謝罪の意を玲衣に伝えた。玲衣は私の顔を視線も変えずに、真顔で見つめながら聞いていた。私はそれから十年以上、その憎たらしい顔を見ることは無かった。
「結局わかったことは、照望の特質が反知性的ということだけだったわね」
不死身のメカニズムが科学的には、実証する事が不可能だという事実。照望の身体的特徴の一つ一つの理由付けは、私の自己納得する範疇にすら到達しなかった。
物事の原理を探求する科学者としては、私は完膚無きまでに敗北したのだと思う。それでも、私が気張ることなく人と話す事が出来たのは久し振りだった。照望との対話は、心の中が何かに満たされるような心地よさがあった。
建物外にも出ずに数値化された情報や実験器具ばかりを、長く相手にしてきた所為だろうか。それとも。
***
私は副所長室のソファで、いつものように寝入っていた。そのまま、私のカラダは部屋の換気口から意図的に流入された、揮発性麻酔薬により昏睡状態に陥ったのだ。完全に私個人を狙ったものだろう。照望との問答から三日後の午後ごろだった。
それから私は意識が覚醒することを、是が非でも無意識に拒絶するべきだったのだ。
ミイラ取りがミイラになるのは必然的であり。
フランケンシュタイン博士の末路は、怪物にその命を奪われるべきだったのかも知れない。
強者を名乗る弱者の最期に流れる歌は、失望の賛歌なのだから。
自分を対価として母の命を救う前に、幼き私が純粋に読んでいた非現実的な物語に対する現在となっての考察が頭の中で流れていく。花畑の花が全て枯れ果てるように、音も無く静かに気づくのだ。私の対価は代替できない私自身だったと。その瞼を開いた瞬間に悟った。
それは絶望。
これが私の対価であり、科学者として非人道的な実験に加担したことに対する……断罪。
目に映った光景。実験器具の一つであろう巨大なビーカーに映った自分の姿は、あまりにも酷たらしかった。
両肩の鎖骨に二本、太ももの大腿四頭筋に二本、前頭筋の外郭に沿って数枚の電極。その付け根からジャラジャラと伸びる、区別するために色彩豊かになっているチューブや配線は、巨大なメインフレームへと繋がっている。直線的に破かれた白衣からは、知性的な印象は微塵も感じることは出来ない。その裂け目には所々、ポビドンヨードの暗赤褐色と酸化した血液が滲んで染みていた。
「…………っ!!」
カラダ中の節々が拘束バンドで縛られたことによる自由の制限は、視界と声帯と意識のみしか許容してはくれなかった。身体を揺すっても、身動きすら出来ず激痛だけが走る。
「意識を取り戻したのかい……染毬くん」
恍惚とした笑みを浮かばせながら、メインフレームを操作する人影。所長━━ 檻咲恭蔵が私を横目に入れて嗤う。
「美しいとは思わないかい?」
その気色の悪い表情に対して、私は嫌悪感を隠しきれなかった。
「……何がですか」
「君のことに決まっているじゃないか」
「私に……何をしたの」
私を見て、所長は頬を弛緩させ手の届く距離まで歩みを進めた。所長……檻咲は私の前髪を掴み引っ張り上げ、無理やり私の視界を広げた。
「嗚呼。美しい。まるで……科学という禁忌症に溺れた天使のようだなぁ」
「所長は……いつから、そのように卑劣になってしまったんですか。私に私の母を助ける機会をくださったじゃないですか」
思ってもいないことを口に出す。過去の出来事を思い出させることで、最悪な状況の打破を目指して言及するが、檻咲の耳には届かない。きっと何か、この状況を挽回する手立てはある。
「人間のッ……可能性を広げるための人造実験ですか?私も尽力したいので……とりあえず拘束を……」
「……天才の君にしては、あまりに粗末な推測だ。君でなければいけないのだよ」
「は?」
失策だった。数分後に聴いた彼の話に、私は理性を喪失させた。
「君は現在、アインシュタインの脳がどのような状況にあるのか知っているかい。二十世紀最高の物理学者、天才の彼の脳は四十年間研究されてから百もの脳片に切断され多くの研究者の手元にある」
檻咲は私に何の話をしている。
「天才の脳が、決して元に戻らない状況に至ったんだ。大した得たものも無しに!しかし、大半の人間はいずれ心臓が止まり、脳への酸素の供給が終わる。即ち脳死だ。それは……あまりに悲惨なことだ」
そういうことか。私は檻咲の話を、当人の語りより先に理解してしまった。自分の科学者としての理解力が憎い。理解できぬまま、全てを忘却したい衝動に駆られた。
「だから……だから、だから君の意識を永劫の叡智として科学の導にするのさ。君は人間の進化のその先にッ」
檻咲は縦に身体を揺らしながら呼吸して、興奮しながら熱弁する。私はこれほど、この狂科学者が興奮している様を初めて目視したかもしれない。
そんなことはどうでもいい。私は檻咲に対しての恐怖心が無ではないにしても、段違いに私自身の置かれている状況に戦慄した。
私の思考に言葉が一切浮かばなくなって数十秒。虚ろな科学者としての抽象的思考に寄った感情が白波の様に消えていくと、自然ともう一つの心理が顕在してきた。
口の隙間から漏れていた空気が肺に激流し、吐出される。
「嫌ッ嫌ぁーーー!やめて!やだ……やだやだやだやだ!!」
喉が枯れるほどの悲鳴は、科学者としての達観した私のものではない。数年間、心の内に閉じ込めてきた、少女としての私の悲嘆であった。止めどなく溢れ続ける涙が床を濡らし、失禁したことによる排尿が太腿の内側を流れた。
「…………」
絶叫する私を視界に入れても、檻咲は感情の起伏ひとつ無く操作の最終段階へと移行するのだ。
同じ組織で科学者として、檻咲に何を言っても無意味であることは既知の事実だった。それでも、その事象が覆らないかと私は哀れに喚き続ける。
覚醒後で元から渇わいていた喉は、容易く枯れて私は大声をあげられなくなった。私の小刻みに左右に震える黒目が突如、右の壁に向いた。
それなりに厚い壁から、音を立てて手が生えたのだ。否、肉の付いた比較的太めの人骨が壁を貫いたのだ。その人の骨は、細い血管を通じて私の知っている男の肩へと繋がっていた。その男は血を流しながら、声帯を震わせた。
「あまり……いい趣味とは……思えないな」
上半身を露わにし身体中が血液で真っ赤な男が、残りの壁を叩き崩して侵入して来た。照望だった。照望の両腕は腕の有り様では無かった。痛みを感じないにしても、見ている此方からしたら、余りに痛々しかった。
私の顔を見つめた照望の表情は、かなり険しかった。それでも私は何故だか、心が僅かに和らいだ気がした。この状況で照望が何も出来ないにしても、私は照望の顔を見て、泣いて引き攣った顔のまま口元のみを緩ませて作り笑顔を彼に見せたのだ。きっと私の為に尽力してくれた、照望に対して感謝の気持ちを込めて。
「やぁ、涼川 照望。僕はお前を死なせられなかった……申し訳ないと思うよ」
「その子は……穢れた我々とは違う。天才だろうと科学者だろうと、狂っていようと……ただの女の子じゃあないか」
「長い時を過ごしてきたお前になら分かるんじゃあないのか?人類の進化には生半可じゃない犠牲を伴ってきたことを。そして、天才には価値がある。僕には無い……美しさを持っている。天賦の輝きを……」
「知るかよ……んなもん。いや、訂正しよう。そちらのお嬢さんの狂気性は、君の馬鹿げた考え方よりはずっとマシだ」
照望が片手を床に落とし、血管で繋がれた片腕を引きずりながら私を機械から外すために歩み寄る。
「涼川照望、既に遅かったな。そして、君が僕の邪魔をする事は…………不可能だ」
「このNBIに明日は無い。知っているのだろう。既に警察が一階を無力化したんだぞ」
「ああ、知っている。だから、今なのだとも!」
「…………ぐっ!」
照望が所長に向かって、残った側の照望の肘から指先までを噛みちぎり投げつけた。同時に、照望の真上から数トンの鉄の四角い塊が垂直落下し、彼の身体を圧迫し潰した。
潰されて肉片となった照望を見ても、更なる絶望を覚えることは無かった。期待をしていなかった訳ではない。それよりも彼に最期に会えて、死の間際の気晴らしぐらいにはなったのだ。
NBIで研究者として所属させられ檻咲に若き天才として目をつけられていた時点で、こうなる事は確定していたのかもしれない。
数分もすれば、私の脳と意識を機械に移すという行為が始まるのだ。この行為が、成功しようと失敗しようと私に待つのは地獄だろう。
どちらにしろ、私が生き地獄をこれから経験するのは確かだ。作業が遂行される。私の脳が意識のある状態で、頭からくり抜かれる地獄。半分以上の確率で失敗すると推測できる。即ち死。少女としての、死に対する未知への恐怖が心臓を速めていく。
照望の肘から先が、檻咲の足元に転がっている。もしも、私がもう少し乙女だったら、照望に喉が枯れていても『助けて』と意思表示を出来ていたのかもしれない。それをしなかったのは……何故だろう。
恐怖と脳への酸素供給の不足により、視界が数十秒間ブレた。気づいた時には私の正面に、背丈よりも高く直方体に近い精密機械が移動し停止。小学生の頃に前後の学生が距離を測る時に促された『前習え』のように、私に伸ばされた機械上肢が私の首と頭を固定した。
機械上肢の隙間から狂った研究者が我欲を満たし、天を仰ぎ嗤う姿が見えた。
それなのに何故か心の片隅に、時の流れから孤立させられた数ヶ月前に会ったばかりの男の姿があった。もしも、人の意識を永久に残す、この禁忌の実験が何かの手違いで成功してしまったら。生意気な不死身野郎の思考を僅かながらに理解し、その横に立てたりして。
私は叶うはずもない理想を、最期に考える。夢見る少女のように。そんな意味もない妄想に縋らなければ、目の上部に向かって無数の配線の繋がれた鋭利な刃が、私の脳を切り離そうとしている現実から意識を逸らすことは不可能だった。
そして、私はゆっくり瞼を閉じた。
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