不死身の遺言書

未旅kay

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三章.

4話.科学者が機械になる話〈邂逅編〉

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 わたくし、王色染毬がNBIの副所長という台座に就き、唯一満足できたことは副所長室の存在であった。

 寝泊まりも可能で中からロックを掛けられる私のプライベート空間。そこで私は一日中、十数時間のあいだ大画面にてグロテスクで非人道的な人体実験を観ていた。

 わたくしの試験体━━涼川照望の過去の実験データを何十回と視聴していく中で、私の目に留まった実験映像の内容は複数あった。

 「……ホントに。みにくい実験ですわ」

 私は数時間の映像視聴により固まってしまった肩や腕を、天井に向かって伸ばしてほぐす。

 「慣れというのは、恐ろしいものね」

 初めて、これらの実験映像を目にした時は、どうしようもない吐き気に襲われていた。

 しかし、半日以上の連続視聴を経て、そういった身体現象は殆ど感じなくなっていた。人と同じ哺乳類と実験用マウスの違いを自分の中で比較するつもりはないが、マウスを実験の為に切り刻んだりはしない。

 赤く黒々しく光る臓物に気をとられるよりも、注視すべき点が数時間後の私には見え始めていた。

 「薬物投与に、身体切断……それらの応用」

 一人の空間でモニターに向かって呟く。

 「痛覚麻痺ってのが…………一層に試験体の身体の不可思議性を強めるのよね」

 私が外国などで見てきた実験とは比にならないほどの、非科学的な不可思議性。

 新薬の人体実験や新しい医学の解明に繋がる実験は、私も世のためになることとして理解できる。

 だが、この試験体の身体的謎を解明することを目的とした実験の回数が、全映像の半数を占めている。
 天才科学者として確かに気になる点ではあるが、身体を微塵に切り刻む行為に関しては単なる所長の悪趣味でしかないと私は推測できた。

 その推測は、一旦ゴミ箱の横にでも置いておくとして、試験体の身体の実験中の反応について考えることにした。

 薬物投与による反応に対しては、薬による副作用が確認されても、発症から数時間で心拍も体温も正常値に戻る。その効果は、人体的には治る。その異常さは人知で説明できる範囲をを超えている。

 次に気になったのが、あらゆる工程を経て試験体が切り刻まれる実験での試験体の再生能力の高さだ。

 「タコ……いえ、プラナリアに似て非なる性質を持っているのかしら」

 私は外敵に襲われた時に、その触腕を切り離す。軟体動物門、頭足綱、鞘形亜綱、八腕形上目のタコ目である海洋生物と、扁形動物門、ウズムシ綱、ウズムシ目、ウズムシ亜目、ウズムシ目の科学者にとってはメジャーであるモデル生物を思い出した。

 しかし、どちらにも試験体のとは似つかない再生方法。タコは触腕を切断しても凄まじい再生能力を用いて断面から再生を行うが、あくまで部分的な話である。
 一方、プラナリアに関して言ってしまえば、細長く伸びたその身体の、どこを切っても切断部位はそれぞれ一つの個体となり再生するのだ。

 微塵に切りきざまれた『照望』であった肉片は隔離室に飛び散った後、それぞれが集合し接合していき元の姿に戻る。

 「再生というよりも蘇生ですわ」

 数日間、昼夜の時間感覚を忘れて部屋から出ずに思惟にふけった。

 ある日の夜、廊下からの呼び出し用のチャイムが鳴った。

 「ん?あっ、はぁーーい」

 扉の前を移すカメラには所長である檻咲おりざき恭蔵きょうぞうの姿があった。

 「やあ。染毬くん、照望かれの研究の進捗しんちょくはどうだい?」

 「いえ、きっと私が分かったことは所長ならば既にご存知でしょう」

 「と言うことは、順調とは言えない感じだね。まぁ、彼の身体はとても理解しがたい」

 いつもよりも銀髪の部分が乱れた所長は、表情を見てもイマイチ腹の底が読めない。
 人を木っ端微塵の肉片にする狂科学者マッドサイエンティストは私に歓談を柔らかい態度で提案してきた。

 「立ち話もなんだから、カフェスペースででも話そうじゃないか」

 私にとって檻咲所長は決して隙を見せてはいけない相手であり、研究所内でも数少ない私の科学者になった所以ゆえんを知る人物だった。

 私たちがカフェスペースに出向くと、既に穴あきで席にいた研究員達が、波の引くように離席して行くさまが見られた。

 「別に気を使わなくとも良いのだが、研究の話をするのだから好都合だな」

 誰もいなくなったカフェスペースで私と所長が向かい合うような形で座る。私は数日間で行き着いた考察を話した。暫くの間、興味深そうに聴く所長は時々、楽しそうに私の瞳の奥を見つめ頷いたりした。

 「悪趣味だと……思ったかい?」

 普段と一切変化のない声色のままに発したその言葉は、そのものに一瞬背中がゾワりと寒気を感じる。

 「い……いえ。研究の段取りや数値の表し方などの正確さに感服しました」

 「君の口から、そんな言葉が聴けるなんて此方こちらこそ嬉しいよ」

 私は思ってもいない建前たてまえで、逃げ道の活路を見出したが。きっと、この狂科学者には全て見透かされている。

 『嬉しいよ』という言葉の選択と声色に科学者として、その認識を強めさせられた。これ以上、話していると私は何かしらボロを出しかねないと危機感を感じ始めた。

 「あっ、五○六の研究室の子に相談を受けていたんでした。すいません、所長。もうそろそろ失礼します」

 きっと、最善には程遠い回避だと思う。だからといって、このまま話し続けていたら所長の掌で簡単に転がされる気がした。

 「ああ、染毬くん。彼と直接話せるように手を回しておいたから。今度、話してみてくれ」

 私の背に向かって所長は、早口で伝えた。きっと、所長が私に伝えたかった内容はこの事柄だったのだろう。

 勿論、五○六の研究室まで歩き、到着するだけ到着はする。案の定、誰からも相談など受けていないのだから數十分時間を潰したら帰るつもりであった。

 大きな窓から中が見られるような造りになっている無菌室の中で、灰色の髪を肩まで伸ばした少年が一点を見つめて小声で何かを呟き続けていた。

 「これが、全知全能。……まだ子供じゃないの」

 私が言うのも、少し違うのかもしれないけれど。

 『君も子供じゃあないか。……副所長━━王色 染毬』

 ガラス越しで床を見つめていた少年が顔つきを急に変え、見透かしたような表情でこちらに視線を向けてきた。

 「……‼︎」

 これが、私の試験体と並ぶ不可思議性を帯びた存在である全知全能の少年━━無限坂 玲衣。照望の隣の実験室であったにも関わらず、じかでその容姿を目にするのは初めてだった。

 「ダメだよ!玲衣くん!初対面の人を睨みつけたりしちゃっ」

 「少しからかっただけだ」

 無菌室の端にいて私の視野の外で在室に気づかなかった少女が、玲衣に注意する。

 確か彼女は、鶴ヶ峰 蘭子という。彼女はNBIの研究者の一員では無い。所謂いわゆる、一般人であり常人。

 「彼女がお世話係?」

 私が近くで脳波の数値の記録作業を行う研究員に問うと、「はい」とだけ無愛想な返答を受けた。あの彼女のことも、私は書類でしか目にしていなかった。

 玲衣は、世間一般から見てバケモノと言っても支障は無い。その実験動物エクスペリメンタルアニマルに対し偽らない接し方を出来る人間はそういないだろう。

 態々わざわざ、ご丁寧に無菌室から出てきて自己紹介をしてきた。

 「あっ、どうも。玲衣くんのお世話係の鶴ヶ峰 蘭子です」

 研究員らしくない年齢の近い同性は、アメリカでの私の専属の片言通訳者ぐらいだった。

 「ご苦労様ですわ。副所長の王色 染毬です」

 すると、実験室の内線電話が鳴った。周囲にいる研究員は嫌悪そうな顔をして、数値の演算作業を行なっている。

 『電話相手は、所長だよ。今受話器を取るのに適任者は蘭子だ』

 軽く動揺し始める蘭子に、玲衣はほぼ命令口調で促す。

 『じゃあ無いと、そこの冷酷天才研究者の少女が立場的に危うくなり兼ねない』

 それを聞いて、蘭子が両拳を握りしめ気合いを入れて両足両手を同時に進めながら固定電話に向かった。

 「はっ、はい。もしもし」

 『ははは。鶴ヶ峰さんが出たか』

 スピーカーモードでも無いのに、全知全能がリアルタイムで所長の電話口の言葉を一言一句同じで音読し始めた。

 「うわー、悪趣味」

 私には玲衣が何をするのか分かった。

 『別に内線なのだから、もしもしとは言わなくても良いのだよ』

 「あっ、すいません!なんのご用ですか」

 『ここ数十分。五〇六の担当研究員と染毬くんが、おりいった話をしていたかい』

 「えっ……と」

 返答に困りつつ、考えているように振る舞う蘭子に玲衣は輪唱をするように蘭子に手振りで持ちかけた。蘭子は軽く首肯した。

 「「あっ、研究員さん方と話していたわけじゃあないんですけど、私が王色さんにお願いしたんです」」

 『確かに……子と言っていたな。そうか些細なことを訊いてしまって申し訳なかったね。これからも、よろしく』

 「はい!分かりました!」

 全知全能によって、私の嘘を所長に認知される事を防ぐような真似を無限坂 玲衣が行なってくるとは、私にとって意外だった。

「別に君のためではない」

 全てを見透かしたように玲衣は、再び床を見つめた。

 ガチャリと受話器を戻すと、蘭子は私に向かって笑顔でピースサインをして見せた。そんな明るい態度を、私なんかに向けないで欲しいと思った。


 あなたが、今仲良くしている友人をモルモットのように扱っている組織のツートップのうちの一人なのだから。

 その日の夜は、寝不足なはずなのに深い睡眠で夜の闇に沈むことが出来た。
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