防波堤女子、百合っ子にロックオンされる

虎ノ門栄子

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●ゆいが好きでたまらない交際二日目の朝

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 一週間前。
 杏奈は先生にクラス全員分のノートを運ぶように頼まれ、持ち運んでいる積まれたノートのせいで前が見えないような状態で歩いていた。
 非力な方の杏奈には重く一歩歩く度にプルプルしており、明らかに人選ミスとしか言えなかった。
 だが、その状態で盛大に躓いてしまった。
 杏奈は目を瞑る。

「あっ……」
「危ない!」

 けど、後ろからぎゅっと腰を掴まれた。
 おかげで転ばずにすんだ。
 目を開けると、ノートも散らばっていない。
 杏奈の腰を右腕で掴み、少し左方に斜めって左腕をのばしノートの塔が倒れるのを防いだのだ。
 すぐ横を見ると、至近距離にゆいがいた。

(助けられた……ヒーローみたい……!)

 やはり、ゆいはかっこいい。
 彼女は杏奈のクラスメートで、杏奈の憧れの人だ。
 凛と背筋を伸ばし、よくヘイトを向けられているが堂々としている。
 杏奈はゆいと体育のときにペアになるが、運動神経抜群で「ブラボー」としか言えないほどの鮮やかさを放つ。
 対照的に、杏奈は運動神経はへっぽこだが、ゆいはそれも優しくフォローしてくれる。

(でも、なんでこんなにドキドキしているんだろう)

 杏奈は、躓いたことにより浮いていたローファーの爪先から後ろを地につける。
 ゆいは一旦、ノート達を床に置いた。

「大丈夫?」

「う……ん……」

「運ぶの手伝うよ」

 ゆいは微笑んだ。
 杏奈の胸はずきゅんと高鳴る。



 制服は、皺にならないようにハンガーにきちんとかける。
 帰宅後、ベッドで少女漫画を寝転んで読みながら杏奈は思う。

(これって……恋では?)

 杏奈は思考の海に沈んでいく。

 あの胸の高鳴り。
 生きてきて十五年、杏奈思い当たる節はそれしかなかった。
 恋。
 それをすると胸がずきゅんとし、時に苦しく、時に甘美だという。
 世間一般では良いものとして、エンターテイメントにもなっている。

(そっかぁ、私にも恋をする日が来たのか)

 少女漫画を閉じ、表紙を撫でる。
 そこには、ヒーローとヒロインが描かれている。

(……でも、ゆいちゃんは男の子じゃないよ?)

 すると、自室の扉がノックされる。

「はーい」

 杏奈は扉を開けると、そこには彼女の母が立っていた。

「杏奈ちゃん、ご飯よ。いくら呼んでも来ないんだから」

「ごめん、ちょっと考え事してて。……ねえ、私、女の子が好きかも」

「あらあら」

「これってやっぱりおかしい?」

「おかしくなんてないわ。杏奈ちゃんが好きになった人が女の子だったというだけ。最近は特別珍しいことでは無いわよ」

「そっか」
 と、杏奈は顔を上げる。
 そして、廊下に出て母と話しながらダイニングに行く。

「で、誰が好きになったのはどんな人なの?」

「ほら、天至ゆいちゃん。よく体育のペアになる、かっこいい子」

「あら~」



 次の日。
 廊下側の一番後ろの自席に座り、窓側に座る彼女を見る。
 杏奈は教室で遠くから、ゆいのことをよく見ていた。
 恋心を自覚する前も、自覚した後も。
 杏奈は、きゅんきゅんと恋する楽しみを味わっていた。

 しかし彼女に近づく二つの影を見ると、甘い想いはなりを潜める。
 彼女に話しかけるは、二人のイケメン。
 ゆいがヘイトを向けられる理由を杏奈はなんとなく知っている。


 あの二人とゆいは仲良さげだ。

(もし、ゆいちゃんがあの二人のどちらかと付き合うことになったら……)

 臓腑が重くなった。

 こんな日々が一週間続き、杏奈は辛かった。
 もう我慢できない。元々堪え性のある方ではない。
 杏奈は、ゆいに告白することにした。
 とりあえず、今の状況を変えたかった。
 これが、一昨日の記憶である。



 如月杏奈は、玄関でローファーを履く。
 焦げ茶色のおでこローファーだ。
 高校祝いにと、ショッピングモールで母と一緒にこだわって選んだ一品だ。

「いってきまーす」
「いってらっしゃい、杏奈ちゃん」

 杏奈の父は数刻前に家を出ている。
 背後にいる若々しい彼女の母に挨拶を交わすと、杏奈は扉を開けた。
 今日は格段にウキウキしてたまらない。
 だって今日は、憧れの彼女と付き合い始めた二日目なのだから。



 一方、彼女の彼女__天至ゆいはちゃぶ台の上に小さな鏡台を立て、長い黒髪を新たな髪紐でポニーテールに結い直していた。
 さっき、髪紐が急に切れたからである。

「よし」

 廊下側の障子の陰からボブヘアの少女、中学二年生の妹・天至ゆうが「お姉ちゃん、はやく出発しよ」と、急かしてくる。

「はーい」

 傍らの鞄を掴んで立ち上がる。
 天至姉妹は、今日も今日とて一緒に登校する。



 彼女たちの住む、岩代里(いわしろさと)市は北はのどかな自然が広がっており、南は地方中小都市としての発展を見せる内陸の地区だ。
 岩代里高校は北の高台の上にあり、生徒は基本バス通学である。
 杏奈は自分と同じ高校の生徒がまばらな朝のバス停で、彼女を探す。
 ピンと張った背筋に、同じく真っ直ぐな一房の黒髪。
 キョロキョロと周りを見渡すが、いない。
 しかし、杏奈は一つ失念していたことに気づいた。
 一つ目は、交際初日に一緒に下校したのだが違うバス停で杏奈が先に降りたこと。
 つまり、同じバス停に並んでいる筈がないのである。
 バスの中にならいるかもしれない。
 そう思い、バスに乗り込むが、天至ゆいはそこにはいなかった。

(まあ、学校に着けば会えるし!)

 杏奈は窓側の席に座り、愛しい恋人に思いを馳せた。
 景色は流れていく。
 段々と緑が多くなっていった。
 学校前のバス停に着く。
 坂道を登ると運動部の朝練習の掛け声が学校のグラウンドの方角から聞こえてきていた。人気のない下駄箱で、靴を上履きに履き替えて、一年一組のある北校舎の三階に行くため階段を登った。

(ゆいちゃん……いいえ、ゆいはいるかな)

 昨日から親密な仲になったので、下の名前を呼び捨てで呼び合うようになったのだ。
『これからよろしく、杏奈』
 彼女の発言を思い出して、胸が高鳴る。

(恋人)

 顔が沸騰しそうだ。
 一年一組のドアを開ける。

「……一番乗りだあ」

 教室には誰もいなかった。



 ゆいはというと、バス停の近くにある岩代里東中学校前で妹のゆうと別れていた。
 そして、混雑したバス停の列に並ぶ。

「おっす」

「おはよう、ゆい」

 振り向くと、幼なじみの藤堂裕吾と榊原隼人がいた。

「おはよ」

 そして、三人で談笑する。
 話す内容は昨日のテレビや今日の課題など、とりとめのない話題だ。
 他生徒からの視線は感じるが、いつものことなのでもはや気にしない。
 バスが到着し、バス通いの東中の学生が降りる代わりに、ゆいと同じ高校の生徒がバスの中に入っていく。
 ゆいは吊革に掴まり、二人と談笑する。
 バスの中は岩代里高生で混雑していた。
 昨日の夕方のバスは空いていたのに不思議なものである。



 赤い夕日が差し込むバスの中、ゆいと杏奈と運転手以外は誰もいなかった。
 ゆいは窓際に座り、手を繋いだ隣の杏奈を見る。
 夕日のせいか、顔が赤く染まっていた。
 ゆいはちらりと窓を見る。

『綺麗だね』

『え?』

『夕日』

『あ……うん。車窓から見える景色が、全部オレンジジュース上からぶっかけたみたいで面白いよね』

『ははは、何それ。表現が面白い』

『……ありがと』

 杏奈は頬がにやつくのを止められなかった。
 ゆいと、こうして帰ることが出来るだなんて。
 なんて甘美なのだろう。
 彼女は家の近くのバス停に着くと、逃げるようにバスのスロープへと向かった。
 嬉し恥ずかしかったからだ。
 そして距離が出来ると振り返って手を振る。

『また……明日ね、ゆい』

『うん、また明日』



 生徒が登校し、賑やかになってきた一年一組の教室にて。
 杏奈は廊下に近い自席にボーッと座る。
 やることが無いときは一人でボーッとするのも、杏奈が不思議ちゃんと言われる所以だった。
 そんな彼女の耳朶は、一人の少女の声を拾った。
 二人の男と、談笑しながら近づいてくる。
 杏奈は振り向く。

 ゆいだ。ゆいが来た。
 歓喜が胸に渦巻いた。
 この喜びを彼女にも伝えたい。
 教室に入ってきた少女を見て、杏奈は立ち上がった。

(腕……組んでいいかな? いいよね恋人だし)

「おはよ♪ ゆい」

 杏奈はゆいの傍らに立ち、腕を自分の胸に引き寄せ、腕を絡めた。
 後ろから裕吾がそれを見て目を丸くする。

「おま、女子の友達いたのか」
「失礼だな。てか、小中学校時代の友達なら今も繋がってるし」

 後ろには、裕吾と隼人がいた。

(また、こいつらだ。女子に人気だからって、私のゆいを奪えると思うな)

 普段ぽわぽわとしている杏奈にも、闘争心というものがある。

「ちょっとぉ、私のぴっぴに馴れ馴れしすぎませんか~?」

 杏奈はゆいの腕にさらにぐいっと近づき、唇を尖らせて男子二人を見る。
 「ぴっぴ」とは「かれぴっぴ」……「彼氏」の略である。
 ゆいは女の子だが「彼女ぴっぴ」はなんか語呂が悪いので、「ぴっぴ」と言うことにしたのである。
 男子二人に意味は通じたようだ。

「そうか、ゆい。君もか」 
 と、隼人が微笑ましそうにこちらを見た。
 祐吾も「マジか。これが類友ってやつ」と呟く。 
 だが、こんな妙な反応を男子二人はするので、杏奈は首を傾げた。

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