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第一節 開戦の調べ1

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 神在る大陸、シァル・ユリジアン。
 その大陸の中心に位置する大国、大リタ・メタリカ王国。
 かの地は、にわかにどよめき立っていた。

 大国を形作る地方都市は、そのほぼ半数が闇の魔物達によって激しい襲撃を受け、立ち向かう兵の力すら及ばず、既に壊滅状態に陥っている。
 そして今、混沌とした大国の北西の都、内海アスハ―ナを望む貿易都市サーディナには、魔物に在らざる驚異が訪れていた。

 本来は、貿易港である港に曳航された無数の戦艦。
 アスハ―ナの沖合にも、まだ、数多くの武装船の影がゆらゆらと揺れている。
 紺碧色に澄み渡る天空に、内海アスハ―ナからの強い海風が悲鳴を上げながら舞い踊った。

 リタ・メタリカの北部最大の港町が、轟々と紅蓮の炎を上げて燃えている。
 逃げ惑う街の人々の合間に翻る、異国の軍神ガーランドの黒き水牛の旗。
 それは、海賊国家と称される国、サングダ―ル王国の戦旗であった。
 
無骨な甲冑を纏った兵士達が、サーディナの街を縦横無尽に走り回り、サーディナ提督府の兵士達と、今、正に刃を交えている最中、街の中心部から離れた岩壁の上に、無敵とも言うべき強者たちの姿があった・・・・・

「派手にやりやがって・・・・・・・」

 リタ・メタリカの民族衣装を象る鮮やかな朱の衣が、強い海風に煽られて、激しく虚空に乱舞している。
野を駈ける獣のように引き締まる、すらりとした長身。

 混迷と混沌の地を照らし出す太陽の切っ先が、その若獅子の鬣の如き見事な栗色の髪を輝かせていた。
 その広い額では、決して人の手では施すことの出来ない、繊細な彫刻が彫り込まれた金色の二重サークレットが鋭利な刃の如く煌いている。

揺れる前髪の隙間から覗く、燃え盛る炎の如き鮮やか緑玉の瞳。
 広い背中に負われた禍々しくも神々しい金色の大剣は、その名を『告死の剣(アクトレイドス)』とも『勇者の剣(ファルーカイス)』とも呼ばれる、強力な魔力を持つ魔剣であった。

 朱き獅子(アーシェ)の一族最後の魔法剣士、自らを『名を棄てた者(ジェスター・ディグ)』と名乗る青年は、その凛々しく端正な顔を実に不敵な表情で満たし、鮮やかな緑玉の眼差しで、右の傍ら立つ、よく見知った青年の横顔を顧みたのだった。

 その視界の中で、たゆたうように揺れる漆黒の長い黒髪。
 広い肩に羽織られた純白のマントが、吹き付ける海風に千切れんばかりに棚引いている。
 その長身の腰に履かれた優美な白銀の剣は、『銀竜の角(ジェン・ドラグナ)』と言う名を持つ、かつて、西の竜王と呼ばれた銀竜の角から切り出されという、魔剣と言うよりむしろ聖剣と言うに相応しい剣であった。
 僅かにこちらを振り返った黒髪の青年の瞳は、深き地中に眠る紫水晶のような隻眼。
 彼の左の目は、縦に付けられた鋭利な刃傷によって、永久に閉じられたままである。
 白銀の森の守り手、世には白銀の守護騎士と呼ばれる魔法剣士、シルバ・ガイは、その精悍な唇で小さく微笑した。

「相変わらず、物騒なヤツだな?おまえは?」

「馬鹿言え、一番物騒なのは俺じゃなくて・・・・蒼き狼(ロータス)の大魔法使い殿の方だろ?」

 どこか底意地悪く微笑するジェスターの視線が、ふと、左隣に立っている雅で秀麗な青年の方を向いた・・・・
 透明な風の手に浚われて虚空に跳ね上がる、輝くような蒼銀の髪。
 いつもは、宮廷付き魔法使いを示す蒼きローブを纏っている彼が、今日は、何故か、明らかに異国の物であろう古代紫の軍服を纏っている。

 紺色のマントが虚空に翻り、静かにこちらを振り返ったその秀麗な顔が、どこか困ったように微笑した。

「そう言うな・・・・レスフォースの時のようにはならぬ故」

「それはどうかな?兵を連れていない大魔法使い程、恐ろしいものはないからな・・・・」

 そう言って、意味深に微笑む旧知の友に、ロータスの大魔法使いスターレット・ノア・イクス・ロータスは、その綺麗な眉をますます困ったように眉間に寄せて、再び小さく微笑するのだった。

 この雅で秀麗な若き大魔法使いが、異国の美麗な女剣士をその腕に抱いたまま、この岩壁に姿を現したのはつい今しがたの事である。
 彼が纏うその軍服は、かの異国の女剣士ラレンシェイ・ラージェの母国、エストラルダ帝国の高級士官の軍服であるという。

 その姿を見たリタ・メタリカの勇敢な姫君が、訝しそうな、どこか怒ったような、実に複雑な表情をしながら『スターレット・・・・話は後で聞きます』と、不機嫌に言ったことはもはや言うまでもない・・・・
 タールファの街を出てからのリタ・メタリカの姫君は、エトワーム・オリアを出た時以上に何故か機嫌が悪かった・・・・

 彼女の不機嫌の原因を作ったのは、何も、ロータスの大魔法使いだけではないのだが・・・・
 天空でけたたましく海風が鳴いた、正にその時だった。

 戦乱に燃え盛るサーディナの街が、きらきらと煌く銀色の結界に閉ざされていき、それは、まるで天空にかかる銀色の虹の如く、アスハーナ内海の沖合に停泊する無数の艦隊すら覆い尽くしてしまったのである。

「どうやら・・・・こちらに気付いたようだ・・・ジェスター、おまえの知り合いは、随分と良い術者のようだな?」

 そう言って、なにやら意味深な視線でジェスターの横顔を見たシルバが、どこか愉快そうに笑った。
 そんな彼の端正な顔を、緑玉の瞳でちらりと見やり、ジェスターは、ゆっくりと前で腕を組むと、その見事な栗色の髪を揺らしながら開き直ったように言うのだった。

「ああ、色んな意味で佳い女だったからな、あの女」

 そんな彼を可笑しそうに見やりながら、ロータスの若き大魔法使いは言う。

「ならば、先にその術者を封じねばなるまいな・・・・
クスティリン族の結界は強固故、この結界を破るには、私とて時間がかかる・・・
『告死の剣』なら、あの荒業ですぐに破れるかもしれぬ・・・おぬしが、先に行くしかあるまい?
結界破りは私よりおぬしの方が得意故」

「言われなくても行ってやるよ」

ジェスターは、そう言って不敵に微笑すると、海風に棚引く鮮やかな朱の衣を翻し、ゆっくりと旧知の友たちに背中を向けた。
天空に煌く金色の太陽に照らし出された貿易都市サーディナで、今、正に、運命を分かつ戦いが始まろうとしていた・・・・・
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