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第一節 鋼色の空9

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 黒く曇り始めた西の空に、紫色の雷が走った。
 湿った暴風に追い立てられるように、黒い雲が渦を巻き、それがみるみる晴れていたはずの空に広がると、広大な大地を、急速に淀んだ鋼色へと染め上げていく。

 南北に見えていたはずの蒼き山脈は、立ち込めた黒い雲に覆われて、既にもう、その姿すら望む事が出来なくなっていた。
 西の空から嵐が来る。

「これじゃ・・・サングダ―ルも船すら出せないだろうな」

 疾走する黒馬の馬上で、まるで独り言のようにそんな事を呟くと、西から吹き返してくる強い風に、漆黒の長い髪と純白のマントを激しく揺らめかせて、白銀の守り手シルバ・ガイは、鞍の前輪にいる青珠の美しき守り手レダ・アイリアスに、その深き地中に眠る紫水晶のような右目を向けたのである。

「もう少しでタールファの町だ、雨が降る前に辿り着かねばな・・・・飛ばすぞ、しっかり掴まってろ」

「二人も乗せているのにこれ以上走らせる気なの?ラウドが弱ってしまうわ」

 甘い色香を漂わせる秀麗な顔を、未だに不満そうな表情に満たして、レダは、怒ったようにそんな事を言った。
 ラウド(黒曜石)とは、彼の愛馬たるこの黒馬の名である。
 普通の軍馬より僅かに大きいこの馬は、本来は、遊牧の民の馬であった。
 サムザ王国との戦の折、戦闘に巻き込まれそうになった遊牧民が草原に取り残していった馬、それがこの黒曜石と名付けられた黒馬だ。

 まだ子馬で、その上後ろ足を負傷して動けなかったため、草原に置き去りにされてしまったのだろう。
 それを白銀の森に連れ帰り育てたのは、他でもない、シルバ自身である。
 彼は、凛々しい唇で小さく笑うと、レダに答えて言うのだった。

「遊牧の民が荷馬車代わりに使うはずだった馬だ、体力はある」

 ブーツの踵が、馬腹を蹴った。
 黒馬は、主人の声に答えるように高く嘶くと、けたたましい馬蹄を響かせて、立ち込める靄の中にぼんやりと浮かび始めた町の影へと、更なる疾走を開始したのである。

 今にも、大粒の雨を降らしそうな暗い空。
 吹き付ける風は、ますます強まるばかりだった。
 黒く淀む天空を二分して、生木を裂くような激しい雷鳴が大地を振動させる。
 街の入り口までは後もう少し・・・そう思った時だった。

 不意に、シルバの深き地中に眠る紫水晶のように澄んだ右目が、眼前の街道沿いにうごめく複数の男達の影を見たのだった。

 急速に近づいて来るその光景。
 鋼色の虚空に鋭利な刃が翻り、商人の物と思われる馬車が、無骨な男達によって取り囲まれると、その手綱を取っていた青年が、鮮血の帯を引いて石畳の上にもんどり打って転がった。

「盗賊!?助けてあげないと・・・・!」

 鮮やかな紅の瞳を閃光の如く煌かせ、レダは、気強い顔つきで、黒馬の手綱を握るシルバに振り返った。

 一度、その場を通り過ぎるように駆け抜けた黒馬の機影が、素早く馬頭を巡らせて、十人程の無骨な男達の元へ戻ってくる。

 けたたましい音を立てる馬蹄が地面を蹴る度に、レダの藍に輝く艶やかな黒髪が、激しく虚空に跳ね上がった。

 甘い色香の漂う秀麗な顔を凛とした鋭い表情に変えて、腰の弓鞘から青玉の弓『水の弓(アビ・ローラン)』を素早く抜き払うと、レダは、体制の悪い馬上で閃光の青き矢を透明な弓弦につがえ、一気にそれを引き絞ったのである。

「射てるか?レダ」

 そんな彼女のしなやかな背に、いつものように冷静で沈着なシルバの声が問う。

「馬鹿にしないで、私はこれでも青珠の森の守り手よ!」

 そう答えたレダの繊細な指先が、引き絞った弓弦を解き放った。

 商人の馬車を無理矢理こじ開けようとする盗賊達の合間に、鋼の空を薙ぎ払いながら、青く輝く鋭い閃光の矢が飛び込んでいく。

 その青き光の矢が虚空に描く、清らかな波紋に触れたとたん、屈強な男達の体が、凄まじい勢いで石畳の上に弾き飛ばされた。
 運悪く、まともにその矢を眉間に受けた男が、自分が死した事すら気付かぬまま、大の字になって石畳に倒れ込む。

「なんだ!?」

 何が起こったのか全く把握出来ずに、無骨な盗賊達が、左右に頭を振りながら石畳の上に次々と起き上がってくる。
 そんな無法者達の眼前に、一頭の黒馬が嘶きながら立ち止まった。
 その馬上には、秀麗な顔を鋭く歪めて青玉の弓を構える美しき女弓士と、純白のマントを激しい風に揺らめかせた隻眼の剣士がいる。

 共にフレドリック・ルードの民と思われる黒髪。
 その頭髪を、吹き付ける激しい風に乱舞させて、彼らは、鋭い視線でこちらを見やっていた。

「なんだ貴様ら!?フレドリック・ルード人だな!?良い度胸だ!!やっちまえ!!」

 首領らしき赤茶色の髪の男が、息巻いてそんな叫びを上げた。
 鋼色の虚空にぎらぎらと輝く刃が翻り、無骨な男達が一斉に地面を蹴って、シルバと、そしてレダの元に踊りかかってくる。

 引き締まった腰に下げられた、聖剣『ジェン・ドラグナ』素早く抜き払い、純白のマントを虚空に棚引かせたシルバの長身が洗練された鋭利な物腰で、臆す事無く石畳の上に降り立った。

 そんな彼の頭上に、重い唸りを上げた剛剣の斬撃が豪速で振り下ろされていく。
 
鋭く細められた隻眼に、まるで紫の焔のような輝きを湛え、シルバは、無言のまま、利き手に握られた美しい白銀の剣を迅速で翻す。

 純白のマントが踊るように乱舞して、湾曲した鋭い白銀の弧が、眼前に迫った鋼の刃を一瞬にして弾き返すと、飛び散る青い火花の中、瞬時に切り返された一閃が、不貞な輩の首を宙に跳ね飛ばしたのだった。

 両断された首から吹き上がる紅の鮮血が、石畳の上に赤い帯を描き、宙に跳ね上がった生首が、ぼたりと鈍い音を立てて地面に転がった。

 間髪入れずに横から来る鋭い一閃を弾き返し、素早く切り返された美しい白銀の刀身が、光の如き速さをもって、鋼色の虚空に鋭利な閃光の帯を引いた。
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