神在(いず)る大陸の物語~月闇の戦記~【第三章】

坂田 零

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第一節 鋼色の空15

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         *
 窓辺から見える空は、夜と見紛う程の暗雲に包み込まれていた。
 鋼色の天空から降り落ちてくる激しい雨粒が、けたたましい音を立てて窓を叩いている。

 豪雨の音に混じり遠く聞こえる鐘の音は、このタールファの街に古くからある『創造神ジャハバル』の神殿の鐘であろうか・・・・

 それは、吹き荒ぶ暴風に揺られて、嵐の精霊の手で奏でられているのかもしれない。

 創造神ジャハバルとは、このシァル・ユリジアン大陸とそして、この世界を作り上げたとされる神の御名。

 このタールファは、リタ・メタリカの中でも創造神への信仰が厚い地だ。
 暗雲の最中に紫色の雷光が閃き、大地を揺らすような雷鳴が辺りに轟く。
 薄暗い部屋の中に、紫電の閃光が描く長い影が落ち、そして、一瞬にして消えていった。

 前で腕を組んだ姿勢で、雨粒が叩く窓辺にもたれかかりながら、白銀の守り手たる魔法剣士シルバ・ガイは、形の良い眉を心なしか眉間に寄せて、胸中を締め付ける苦悶に、その端正で精悍な顔を歪めていたのだった。

 サークレットを外した広い額に、艶やかな漆黒の髪束が緩やかに零れ落ちている。
 今、彼の長身が纏っている、リタ・メタリカの民族衣装を象る薄紫の衣は、一夜の宿を提供してくれた、あの呉服商人アイヴァン・クレラモンドが用意したものだった。

 此処は、そのアイヴァンが、命の恩人に提供してくれた屋敷の客室である。
 床に敷き詰められた上質の絨毯と、部屋に置かれた高価な家具や調度品が、この屋敷の主たるアイヴァンの莫大な財を指し示しているようであった。

 天空で雷鳴が轟くと、激しい豪雨の最中に、再び、紫色の雷光が走った。
 薄暗い部屋の中に、一瞬だけ閃くその輝きが、シルバの長身の影を床の上に描く。
 ルード街道で、あの無粋な盗賊の首領ディル・タイラズに出会ってから、このクレラモンドの屋敷に来るまでの間、シルバと共にアルカロスへ向かうはずの美しき青珠の守り手、レダ・アイリアスは、凍り付いたようにその秀麗な顔を強張らせ、一言も言葉を発することはなかった。

 そんな彼女は今、隣室で休んでいるはずだ・・・・
 豪雨が降りしきる窓の外に、深き地中に眠る紫水晶のような隻眼を向けたシルバの、その脳裏に蘇ってくるあのディルの言葉・・・・

『・・・・この女が、売られた先で何をさせられてたか知ってるのか?伯爵家の良い慰み物だった女よ!』

 その言葉が、今、血がにじむほどに彼の心を締め付けている。

 レダは、『アルカロスの悪魔』と呼ばれた大盗賊の実の娘だ。
 その『アルカロスの悪魔』は、七年前、彼がその手で首を落とした。
 彼の家族の仇であった男、それが『アルカロスの悪魔』ことコーネル・ガルフィである。

 だが・・・・

 そのことがきっかけで、コーネルの娘であるレダの人生が狂ってしまったという事だ・・・・
 彼女が、青珠の守り手になるまでの数年間、一体、どんな屈辱を味わってきたのか、凍り付いたように強張ったあの表情を見れば一目瞭然であった。

 澄んだ紫水晶の右目が、苦痛の影を宿して、ゆっくりと伏せられる。
 あのディルという男が言っていたことは、本当のことなのであろう・・・・
 だとしたら、きっかけを作ったのは、他でもない、彼女の父を殺した自分だ・・・・

 激しい雨音が、窓を叩く。
 轟く雷鳴が大地を揺らす。

 重い罪の意識に満ちる彼の精悍な横顔を、苦悩と閃く雷光が彩った。

 その時、静かに瞼を開いたシルバの眼前に、閃く雷光に混じるかのように、綺麗な円を虚空に描く青い光が、突如として、音もなくそこに灯ったのである。

 雨音だけが響き渡る薄暗い部屋の最中、ゆらゆらと揺れながら、次第に大きくなっていく青き光の円。
 そこから醸し出される何者かの気配は、明らかに、彼が知っている者の気配であった。

 さして驚いた様子もなく、シルバは、深き地中に眠る紫水晶のような澄んだ右目で、真っ直ぐに、虚空にたゆたう青き光を見つめすえたのである。
 実直なその眼差しの中で、青き光の円が緩やかに虚空に伸び上がり、やがてそれは、静かに人の形をとっていく。

 粒子のような無数の小さな光の粒が、薄暗い部屋の最中に跳ね上がると、そこに半透明な姿を現したのは、緩やかな波を描く青い髪を揺らした、一人の見知らぬ青年だったのだ。

 いや、人の姿としては見知らぬ・・・と言った方が、正しいのかもしれない。

 苦悩に歪むシルバの端正で精悍な顔を、真っ直ぐに見つめる、強く鋭い金色の両眼。
 彫りが深く整った顔立ちと、僅かに上がったその目じりが、この青年の持つ威厳を更に強調しているかのようだった。

 静かにたゆたう光の中で、半透明な広い肩に羽織られた青いマントが、流れるように揺れている。
 牙を剥く豹の姿が描かれた金色の鎧を纏った、長身であるシルバより更に背の高い、無骨で屈強な青年。
 この見た目からは、その齢(よわい)は30前後に見えるだろうか・・・・
 青い髪に金色の瞳を持つ、見知らぬその青年は、精悍な唇で、小さく笑った。

『すまぬな、シルバ・・・・まだ、この姿にしか成れぬのだ・・・・その上、この姿を保つことすら、そう長くは続かぬ・・・・』

 古の言語を紡ぐ聞き覚えのあるその声は、明らかに、青珠の森のもう一人の守り手、青き魔豹リュ―インダイルのものであった。

 そう、この青年は、リンデルの草原で暗黒の竜に深手を負わされ、ずっと、レダの持つ青珠の秘宝【息吹(アビ・リクォト)】の中で眠り続けていたリュ―インダイルが、人にした姿であるのだ。

『いや・・・・・・久しいな、リュ―インダイル?』

 それに気付いていたシルバは、相変わらず沈着な口調でそう答えて言うと、苦悩の中にありながらも、その凛々しい口元で、小さく穏やかに微笑んだのだった。

『少し、無理が祟ったようだな・・・シルバ?
二の舞を踏むなと、言ったはずだが・・・・そなたも、大分、術に命を削られていたようだ・・・・尤も、そなたもまた、常に戦いに身を置く者・・・・才能在る者の悲しき宿命だ・・・・』

 そんなシルバの顔を真っ直ぐに見つめたまま、リュ―インダイルは、どこか切な気な表情をして、威厳ある金色の両眼を僅かばかり伏せがちにしたのである。

『こうなることが解っていて選んだ道だ・・・・後悔はしてないさ』

 沈着で冷静なシルバの声が、静かにそう答えると、リュ―インダイルは、伏せがちであった眼差しを開いて、眼前に立つ彼の実直な紫水晶の隻眼を直視したのである。

『・・・・そなたもまた、私の古き友と一緒なのだな・・・・・・・』

 威厳ある低い声でそう言うと、緩やかに波打つ青い髪を揺らし、リュ―インダイルは、僅かに小首を傾げ、小さく微笑しながら言葉を続けたのである。

『後少しで・・・レダが、そなたの元へ来る』

 突然、彼の口をついて出たその言葉に、シルバは、何ゆえか、ひどく狼狽して、真っ直ぐにこちらを直視するリュ―インダイルの金色の両眼を、まじまじと見つめてしまうのだった。
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