神在(いず)る大陸の物語~月闇の戦記~【第三章】

坂田 零

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第一節 鋼色の空16

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 いつになく戸惑ったような声色で紡がれた言葉が、思わず、その凛々しい唇をついて出る。

『・・・・・・何故?』

 そんなシルバの問いかけに、リュ―インダイルは、ゆっくりと前で腕を組むと、なにやら、どこか底意地が悪そうな、しかし実に落ち着いた口調で言うのだった。

『今更、何故と聞くか?気付かぬふりをするのはよすがいい・・・・
そなたの人なりを知り始めた時点で、レダは、そなたに少なからず好意を持った、それを認めなかっただけの話だ・・・・
だが、今は、全てを知り、あの頑固さは崩れ去った・・・・』

『・・・・・・・』

『憎しみ身をやつしていたレダから、全てを消せるのは・・・憎しみの種を植えたそなたしかおらぬ・・・・以前にもそう言ったはずだ』

『・・・・だが、俺は・・・・・・』

『そなたが今まで、その心に誰をも残すことが無かったのは、戦いに身を投じるをにしてきたからであろう?
そして今は、あの闇の者と対峙している最中だ・・・・
だが、レダは、そなたが戦人である事も、闇の者と戦わねばならぬ事も、よく知っている・・・・・・今更、何を恐れる事がある?』

『・・・・・・・』

 形の良い眉を僅かに眉間に寄せたまま、シルバは、苦悩のうちに押し黙って、ただ、静かな言葉を紡ぐリュ―インダイルの、彫りの深い端正な顔を見つめるばかりであった。
 リュ―インダイルは、冷静な表情のまま、三度言葉を続ける。

『・・・・その心に、誰かを残す事は、罪ではない・・・
例え、その誰かを悲しませることになろうとな・・・・恐れるな・・・・
私は、ずっとレダの憎しみと苦悩を間近で見てきた、あの者が、これ以上、それに身を窶すことがないよう
杭を打てるのは、そなたしかおらぬ・・・・
余計な口出しとは思ったが・・・・あの者は、我が娘と同じような者・・・・どうしても、気がかりで仕方なくてな』

 やけに穏やかな表情でそう言ったリュ―インダイルの姿が、薄暗い部屋に飛び交う青い光の粒子の中で、急速にその形を失っていく。
 緩やかに波打つ青い髪が、青き輝きの中で音もなくたゆたっていた。

『リュ―インダイル・・・・!待て!!』

 前で組んでいた腕を解き、そんな彼を呼び止めようとしたシルバの視界の中で、リュ―インダイルは、金色の瞳を細めると、何ゆえか静かに微笑(わら)った。

『時が来たようだ・・・・闇の者と戦うだけの力を、貯めておかねばならぬ・・・
後僅かで、この力も戻るだろう・・・その時に、また会おう、シルバ』

 そんな言葉を残し、意味深に微笑んだ彼の姿が、伸び上がる青き光の中に、まるで溶けるかのように消えていく。
窓の外は、相変わらず暴風が吹き荒れ、激しい豪雨が地面に降り注いでいた。
 暗雲に煙る天空に、雷光の鋭い煌きが迸る。

 その紫色の閃光が消えると同時に、リュ―インダイルを包み込んでいた青い光もまた、薄暗い部屋から完全に消失していったのである。
 後には、窓を叩く雨粒の音と、遠く鳴る神殿の鐘の音と、そして、その澄んだ紫水晶の隻眼に戸惑いの光を宿すシルバだけが、その場に取り残されたのだった。

 形の良い眉を眉間に寄せたまま、薄紫の衣を纏う広い肩で大きく息を吐き出すと、シルバは、艶やかな漆黒の髪束が精悍な頬にかかることも気にせず、サークレットをしていない広い額に、片手をあてがったのである。
 その背中を、雨粒が叩く窓辺に再び凭れかけると、彼は、思わず呟いた。

「・・・・勝手なことを・・・・・・・」

 屈辱と悲しみに満たされた過去の残影に苦しむ彼女に、この自分が、一体、何を言えるというのか・・・?
 そのきっかけを作ってしまった自分に、一体、何が出来るというのか?
 ふと、床の上に落とした、戸惑う紫水晶の眼差しの先に、閃く雷光が映し出す己の影が長く伸び上がっては、一瞬にして消えていく。

『何を恐れる事がある?』

 先程、リュ―インダイルが残した言葉の断片が、ふと、戸惑いと苦悩に苛まれる彼の脳裏を横切っていった。

 恐れる・・・・?
 そんなことがあるはずない・・・・
 ・・・・・・・・いや。
 もしかすると、そうなのかもしれない・・・・

 リュ―インダイルの言葉の通り、これまで、ずっと、誰をも心に残してこなかったのは、戦人であるが故。
 そして、その寿命が、術によって削がれていくことを、知っていたが故。
 相手を悲しませるから・・・・などという大層な理由をつけてはみるが、その実、本当は逆なのかもしれない・・・・
 恐れるとしたら・・・むしろ、その逆説の方・・・・

「・・・・馬鹿にも程がある・・・・」

 深いため息と共に吐き出した言葉が、大地を揺るがす雷鳴の最中に消えていく。
 長き齢を生きるリュ―インダイルは、きっと知っているのだ。
 その心の奥で、彼が、何を恐れ、何を隠しているのかも・・・・

 戸惑いと困惑を呈して、額を押さえたままでいるシルバの鋭敏な聴覚に、ふと、部屋の扉が遠慮がちに開く音が飛び込んできて、彼は、ハッとその広い肩を揺らしたのである。
 床を見つめていた紫水晶の瞳を上げ、額から手を下ろしたその視界に映し出される、藍に輝く艶やかな黒髪。
 いつもは高く結っているその長い巻き毛はほどかれて、薄紅色をしたリタ・メタリカ風のローブの肩に広がっている。

 うつむいたまま後ろ手に扉を閉めた、甘い色香の漂う秀麗なその人は、他でもない、青珠の森の美しき守り手レダ・アイリアスだった・・・

 いつもなら、紅玉を填めこんだような鮮やかな紅の瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめるはずなのに、その視線は、暗い床の上に落とされたまま、彼の顔を見ることはない・・・・

 ただ、その綺麗な桜色の裸唇が「ごめんなさい・・・」と、微かに呟いたようだった。

 シルバは、一度、小さく肩で息を吐くと、窓辺に凭れた背中をゆっくりと離し、漆黒の長い髪の下で、戸惑いに揺れる紫水晶の右目を僅かに細めたのである。

 そして、いつも通りの冷静で沈着な顔つきをしながら、その足先を静かに彼女の元へと進めて行く。
 背後の窓から一瞬差し込む、紫色の雷光。
 窓辺を叩く激しい雨音が、遠く聞こえる神殿の鐘の音を掻き消していく。

 何も言わずに、シルバが目の前に立った時、レダは、床に落としていた紅の瞳で、どこか頼りなく、端正で精悍な彼の顔を静かに仰いだのだった。
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