黒羽織

四宮

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黒羽織其の六 妖刀さがし

02

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『しぇっ・・先生・・』
女の色香に当てられたのだろうか。心の臓がドクンと揺らいで、どうにも堪らなくなった以蔵は前を歩く武市に声をかけた。
どれほどの女が通り過ぎようとも、一向に変わらないその背を見る。
以蔵の切羽詰まった声に、武市が首を傾げながら立ち止まる。と、肩まで伸びた艶のある黒髪がふわりと揺れた。
『・・・なんじゃ?以蔵。如何した?』
『あっ・・あのっ・・先生!えっ・・江戸のおなごはべっぴんですきのう!わしは・・こげん、べっぴんがおなごを初めて見たがです!・・・江戸はすごかぁ!』

やや興奮気味に話す以蔵の表情は、ぱあっと華やいでいる。
その様子に武市は呆れ気味に『・・・おなごはおなごじゃろう?何を驚く事がある・・おかしなことを言う奴じゃのう・・』とため息交じりにそう呟いた。

『しぇっ・・先生は・・あのおなごが見ても、何も思わんがですか!?』
『・・・・・ワシには富がおる・・他の女は目に入らんき』
『・・・・しぇっ・・・先生・・』
『先を急ぐぞ』
そう話して、ふいっと前を向いて歩く武市の姿に、以蔵は開いた口が塞がらなかった。
こんなにも美しい女性たちが同じ砂の上を歩いているというのに、眼前を歩くこの男は全く気にならないという。
こんな話があるものか。
以蔵はやや肩を落としながらも何も言えず、ただすれ違う人々に、ちらりと目を向ける事しか出来なかったのである。

それから、道場での剣術修行の合間に、流行の芝居や小屋を見物がてら町を歩く武市に何度も同行しながら、すれ違う女に心躍る衝動を抱いた日が、今となってはいささか懐かしい。
最初は、そうだったのだ。 最初は心が躍っていたのだ。
しかし、今は違う。
何かがおかしいと、以蔵自身が気づくまで、そうそう時間はかからなかった。
島原界隈の遊郭で、数多くの女達と顔を合わせるまでは・・・・。

『何かが違う・・』
以蔵は最初、そう思わずにはいられなかった。
街を歩いて通り過ぎる沢山の女たちとは、何もかもが違っていた。
艶やかな着物に身を包んだ遊女が数人。銚子を手に取り、男の側に腰を降ろしている。
どの遊女も滑らかで透き通るような白い肌をしており、そんな娘がスススと近付いて、上目遣いに優しくニコリと微笑みながら男に視線を向けてくるのだ。

どの男も、そんな遊女を前にして上下に肩を揺らしながら僅かに距離を取ろうとするが、それを止めおくかの如く
「一献。どないですやろか?」
と、銚子を手に微笑みながら、こちらへと近づこうと手を伸ばしてくる。
そんな事をされては、たまったものではないと男が下がるのを、寸での所で止めおきながら
「あらぁ・・?」
と、首を傾げて覗き込もうと近づいて来るではないか。
「う・・ぐ・・」
「どないしましたんえ?・・まぁ・・指がこんなに揺れてはって・・」
「・・・っ・・」
耳元で囁くように伝う優しい声色は心の臓をズクンと貫き、細くしなやかな指は、そっと触れるだけで折れてしまいそうに儚い。
うなじからは甘い香りがぷんとする。

着物の襟から覗く首筋のその先が、否でも目に入ろうものなら、羞恥心と罪悪感にも似た感情が同時に襲い掛かって来るかのようだ。
喉を鳴らして目を見開く男の視線。それを知ってか、遊女は微笑む。
ぷくりと膨らんだ唇に薄く塗った紅も、白い肌には良く映えた。

どんな堅物も一瞬で恋に落ちる―。
そんな危うさが、そこにはあったのだ。

危うさにも似た儚さ。
一度出会えば、蜘蛛の放つ色香に絡めとられた羽虫のように、また足を運ばずにはいられなくなる。その危うさに以蔵の中での警鐘がごんごんと鳴り響いたのは言うまでも無く。
「・・・・・ここには、おったらいかん気がする・・」
そう何度も彼は思った。しかし、島原に同行を命じられれば行かぬわけにもいかず、はたと気が付いた時には妖艶な遊女と肌を何度も重ねた後だったのだ。

以蔵は下戸である。しかし、飲めないものの、女を前にしては酒の力に頼らずはいられない性分なのか。銚子に注いだ酒を一気にあおり酔わなければ女をまともに抱けないのは事実で。
あれは、先斗町にある見世の誰だったかもう忘れてしまったが、いつも自分の相手をする遊女に「それがなければええんやけどね。以蔵はんは」と苦笑いをされてしまったことも、一度や二度ではなかった。

前に一度、酒を飲まずに床入りをした際、共にした遊女に大笑いされてしまったことがあった。
あの時以来、腰間を見て「あれぇ・・いややわぁ・・」とでも言いたげな表情で目を丸くした女の顔がどうしても忘れられず、それ以来、酒をたらふく飲まなければ、平常ではいられない気がしていたのだ。
気のせいだと頭では分かっているつもりなのに、これがどうにも上手くいかなかった。
「こっちに来い」と、泥酔状態で女の身体を引き寄せるのだから、半分以上覚えていないのも無理はない。
それは島原でも同じで、やはり泥酔しなくては女と顔を合わす事さえも、以蔵には難しいものだった。
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