黒羽織

四宮

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黒羽織其の六 妖刀さがし

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八月十八の日。
夜五つの時を迎え、由利乃を除く四人は黒い羽織袴姿で家の前に立っていた。
後ろには頬を膨らませた由利乃と、にこやかに微笑む篤之進がいる。
実は由利乃も行くと言ったのだが、事前に「由利乃は私とお留守番です」と言われてしまったので、しぶしぶ承諾したのだった。
本当は加わりたい。しかし自分の体調は思わしくなく、微熱が続いているのは確かで。
前よりも動ける範囲が広くなったと言うだけで、病状は良くなってはいなかったからだ。

犬飼も「けして無理はしないように」と言っていたし、お涼にも釘を刺されてしまった。
あれは昨夜の話になる。
由利乃の着物を畳みながら、お涼はずっと同じ言葉をこれでもかというほどに繰り返し言っていたのだ。
「いけませんよ。由利乃様。私は反対です」
「・・・・もう、耳に花が咲くくらい・・先ほどから繰り返し言っているね。もう聞き飽きてしまったよ」
「何をおっしゃっているのですか!私は・・私は・・心配で・・申し上げているのですよ・・それなのに・・!」
「・・・分かってる。分かっているよ。お涼・・でもね」
「いいえ。お分かりにはなっておりません」
「・・・お涼」
「・・・・・お願いでございます」
「・・・でも・・でもね・・」
そうまで言いかけた由利乃の目が大きくなる。

「・・・・・な・・」
今まで、側で着物を綺麗に畳んでいたはずのお涼が、急に由利乃の前に向き直ると、そのまま頭を垂れるように深く畳に頭を擦りつけたのだ。
これには由利乃の方が狼狽した。
「・・・・・お願いでございます。由利乃様。行くのはおやめください・・・。このお涼、もしも由利乃様の身に何かありましたならば・・亡き清乃様に顔向けが出来ません・・!・・もしも不服ならば、この場で私の首をお斬り捨て下さっても構いません。・・いつ、お捨てになられても文句は言えない身です。ですが、今回ばかりは・・どうか・・・どうか・・お願いでございます!」
「・・・お涼」
これでもかというほどに顔を畳にこすりつけたまま、「お願いでございます」と幾度も懇願するその声に、段々と嗚咽が混ざっていく。
その姿に由利乃は何も言えなくなってしまい「もう・・およしよ。お涼・・分かったから」と何度も言ったのだが、お涼が全く動こうとしないのでますます困ってしまい、彼の腕を優しくさすりながら、分かったという台詞を幾度も繰り返し言っていたのである。

「・・・・・」
・・・どうやら、篤之進とお涼にだけは勝てないらしい。そんな事を不意に思う。
しかし、彼の体調を気遣う篤之進と他の面々も同じような気持ちだと言う事を、言葉に出さずとも分かっていた彼は、あえて我がままを言う事はせずに皆の意思に従う事を決めたのだった。
「・・・・でも・・」
喉元まで出そうになる声を、ぐいと飲み込む。そうして目の前に立つ皆を見た。
夜五つともなると夏場とはいえ、辺りはもう暗くなっていて少し肌寒い。
明かりを灯さなければ足元が良く見えない。篤之進は全員に提灯を持たせると「くれぐれも深追いはせぬように」と何度も念を押すように口に出していた。

やがて、彼の目線が鉄心に止まると、大きな身体を屈めながら
「いいですか。鉄君。君なら妖刀の場所が分かるかもしれません。妖刀は共鳴しあって別の妖刀を呼ぶ事があります。力が大きすぎると、余計に妖刀を近づける餌になってしまうこともあるのです。落ち着いて。何があっても心を取り乱さぬように」
と、真面目な顔で鉄心の顔を見た。

その言葉に素直に鉄心が頷くと彼の表情はいつものように穏やかになり、鉄心の手を取りながら
「いいですか。けして無理はしてはいけません。危ないと思ったら途中で逃げなさい。いいですね」
と、再度声に出して言ったのだ。瞬きの奥に秘めるその表情は笑っていない。
もう何度目だろうと思いながらも遠慮がちに頷くのを確認した篤之進が、やっと手を離してくれたことで、鉄心の両手も自由になった。
「・・・・・」
温かい感触を確かめるように、その手を何度も開いては閉じる。
もう片方の提灯を持つ手だけが微かに揺れた。

「さて、何処に行くかだが―・・・」
才蔵が源太を見る。
源太はううむと考えていたが、やがて「俺は二条の方へ向かってみる」と才蔵を見た。
「じゃあ。僕は三条の方へ行く」と丁が言う。
「五条の方へ向かってみるか・・・」そんなことを才蔵が呟く。
「じゃあ僕は・・・」と鉄心が言いかけた言葉を遮って才蔵が「お前はこの四条界隈をくまなく探してくれ」と彼を見た。
その言葉に黙って頷くと、才蔵は鉄心の頭にポンと自分の手を置きながら「気をつけろよ」と呟いて先に向かってしまったのである。
次に
「では、行って参ります」
と、源太と丁が一礼して歩き出した。
その背中を黙って見送ると、鉄心は篤之進と由利乃に行って参りますと言い、一礼して当ても無く歩き始めた。

由利乃が「大丈夫でしょうか・・」と篤之進に視線を向けるも、彼は由利乃のその声に反応することなく、ただジッと黙って小さな背中を目で追っている。
二人の前には小さく闇に灯る赤が、ゆらゆらと不気味に揺れて行く光景だけが広がっていた。
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