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黒羽織その伍 顔なし女
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気がつけば篤之進の部屋の畳も天井も障子さえも血で赤く染まっている。
血液独特の鉄錆びのような生臭い匂いが漂う中、才蔵は雫に洗濯用のたらいを持ってくるように言った。
雫がたらいを抱えて部屋へと駆け込み、そのたらいを受け取ると才蔵は桜祢に何やら小声で話すと彼女をたらいの中に座らせた。
これで少しは畳に血が流れることを防げるだろう。
「ああ。あまり泣かないで下さい。桜祢さん。血が滴り落ちてしまいます」
篤之進が今更言っても時、既に遅し。
すでに滴り落ちるどころの騒ぎではなくなっている。
「申し訳ございませぬ・・・申し訳ございませぬ・・・」
「・・・何があったのです・・・貴女のような別嬪さんにそう泣かれてしまっては・・・私どもも困ってしまいます。まずは何があったかお聞かせ願えませんでしょうか・・・」
鉄心が不意に桜祢に近付いていく。
彼女の着物の袖を軽く掴むと「大丈夫ですよ」と声をかけた。
「・・・話は数日前に遡りまする。私は小間物問屋、『大津賀屋』喜兵衛の蔵に眠っておりました」
「・・・喜兵衛さんというと・・・今日行った・・・」
「そうでございます。私はその店であなた様にお会いしたのでございます。喜兵衛様は大津賀屋の若旦那。私も幼少の頃より若旦那を見てまいりました」
「・・・惚れちまったのか・・・あんた・・・」
そう話す才蔵の声は冷たい。
その声に桜祢の首が動く。
「掛け軸が人に惚れるなんて可笑しいとお思いでしょう?」
その声にぶんぶんと鉄心は首を横に振った。
「若旦那は何かありますと、すぐに私を見ながら話しをしてくださったのでございます。私は掛け軸です。何もお返しする事など出来ませぬ。ただ、若旦那の側にさえいられれば、それで良かったのでございます」
「・・・・・・」
ぎゅうっと何かが鉄心の胸を締め付ける。きっと何かあったのだ。
募り募って形にならない思いが。彼女をそうさせてしまったほどの何かが・・・。
「それでよかったのに・・・」
「・・・情念があなたをそうさせたのですね。掛け軸から離してしまった・・・」
「喜兵衛さんは確か・・・縁談の話があるとか前に聞いたことがあります」
源太が篤之進を見る。
「その通りに・・・ございます」
「桜祢さん・・・」
「私は掛け軸でございます・・・人の姿になど・・・なれるはずもありません・・・若旦那に縁談の話が来てからと言うもの・・・若旦那は私を見てくれなくなりました・・・寂しくて寂しくて・・・私がどれほど思いを募らせようとも、腕を伸ばそうとも・・・届かないのです・・・動かないのです・・・声を出す事すらも叶わず・・・悔しくて悔しくて・・・」
「気がついたら・・離れてしまっていた・・・」
篤之進のその声に、彼女は項垂れるように頷いた。
「戻ろうにも・・・戻れず・・・。蔵を出たは良いものの・・・当てもなくさ迷っていたのです・・・そうしたら・・・」
そこまで話して彼女はわっと泣き出してしまった。
周囲はピンと張り詰めたような緊張感に包まれている。
才蔵の握り拳は、わなわなと震え、源太と丁はごくりと息を飲んだ。
「もういいです・・・もういいです」
篤之進が彼女に近付いていく。
びくっと大きく身体を強張らせた桜祢に構うことなく、彼は桜祢を抱きしめた。
桜祢の血が彼の肩を赤く染めていく。
「・・・あなたの顔を私どもが探します。必ず探してみせましょう」
篤之進の表情は硬く、声は震えてしまっていた。
丁が呪符を用いて桜祢をたらいの中に抑えている間、部屋にいた全員はまずはこの血を何とかしようと桶に水を汲んで、部屋の拭き掃除を始めることにした。
桜祢を隣の雫の部屋に運んだ後、天井と壁を拭き、源太と篤之進が畳を外していく。
才蔵は動く片手で壁を拭くと鉄心が絞った手ぬぐいと交換をした。
「この畳は、どうしようかな」
「張り替えないと駄目ですね・・・障子も・・・布団は中の綿が使えますから、洗って縫い直せば大丈夫だと思います。幸い、今日は良い洗濯日和になりそうですよ」
「畳屋へ行かないと・・・」
「行くならばまずは、その血を落としてからにしませんと・・・先生」
そう話す二人の背には昇ろうとしている太陽が見えた。
「・・・起こしてくれればよかったのに・・・」
朝から由利乃が口を尖らせる。
朝起きたお涼に言われて離れを出てみれば、何やら篤之進の部屋から畳が運び出されている。
その畳を見てもしや切腹でもしたのかと青ざめた由利乃がふらふらと近づいてみれば、当の部屋の主が手ぬぐいを持って畳を拭いているではないか。
その姿に、彼は、へなへなと地面に座り込んでしまった。
血液独特の鉄錆びのような生臭い匂いが漂う中、才蔵は雫に洗濯用のたらいを持ってくるように言った。
雫がたらいを抱えて部屋へと駆け込み、そのたらいを受け取ると才蔵は桜祢に何やら小声で話すと彼女をたらいの中に座らせた。
これで少しは畳に血が流れることを防げるだろう。
「ああ。あまり泣かないで下さい。桜祢さん。血が滴り落ちてしまいます」
篤之進が今更言っても時、既に遅し。
すでに滴り落ちるどころの騒ぎではなくなっている。
「申し訳ございませぬ・・・申し訳ございませぬ・・・」
「・・・何があったのです・・・貴女のような別嬪さんにそう泣かれてしまっては・・・私どもも困ってしまいます。まずは何があったかお聞かせ願えませんでしょうか・・・」
鉄心が不意に桜祢に近付いていく。
彼女の着物の袖を軽く掴むと「大丈夫ですよ」と声をかけた。
「・・・話は数日前に遡りまする。私は小間物問屋、『大津賀屋』喜兵衛の蔵に眠っておりました」
「・・・喜兵衛さんというと・・・今日行った・・・」
「そうでございます。私はその店であなた様にお会いしたのでございます。喜兵衛様は大津賀屋の若旦那。私も幼少の頃より若旦那を見てまいりました」
「・・・惚れちまったのか・・・あんた・・・」
そう話す才蔵の声は冷たい。
その声に桜祢の首が動く。
「掛け軸が人に惚れるなんて可笑しいとお思いでしょう?」
その声にぶんぶんと鉄心は首を横に振った。
「若旦那は何かありますと、すぐに私を見ながら話しをしてくださったのでございます。私は掛け軸です。何もお返しする事など出来ませぬ。ただ、若旦那の側にさえいられれば、それで良かったのでございます」
「・・・・・・」
ぎゅうっと何かが鉄心の胸を締め付ける。きっと何かあったのだ。
募り募って形にならない思いが。彼女をそうさせてしまったほどの何かが・・・。
「それでよかったのに・・・」
「・・・情念があなたをそうさせたのですね。掛け軸から離してしまった・・・」
「喜兵衛さんは確か・・・縁談の話があるとか前に聞いたことがあります」
源太が篤之進を見る。
「その通りに・・・ございます」
「桜祢さん・・・」
「私は掛け軸でございます・・・人の姿になど・・・なれるはずもありません・・・若旦那に縁談の話が来てからと言うもの・・・若旦那は私を見てくれなくなりました・・・寂しくて寂しくて・・・私がどれほど思いを募らせようとも、腕を伸ばそうとも・・・届かないのです・・・動かないのです・・・声を出す事すらも叶わず・・・悔しくて悔しくて・・・」
「気がついたら・・離れてしまっていた・・・」
篤之進のその声に、彼女は項垂れるように頷いた。
「戻ろうにも・・・戻れず・・・。蔵を出たは良いものの・・・当てもなくさ迷っていたのです・・・そうしたら・・・」
そこまで話して彼女はわっと泣き出してしまった。
周囲はピンと張り詰めたような緊張感に包まれている。
才蔵の握り拳は、わなわなと震え、源太と丁はごくりと息を飲んだ。
「もういいです・・・もういいです」
篤之進が彼女に近付いていく。
びくっと大きく身体を強張らせた桜祢に構うことなく、彼は桜祢を抱きしめた。
桜祢の血が彼の肩を赤く染めていく。
「・・・あなたの顔を私どもが探します。必ず探してみせましょう」
篤之進の表情は硬く、声は震えてしまっていた。
丁が呪符を用いて桜祢をたらいの中に抑えている間、部屋にいた全員はまずはこの血を何とかしようと桶に水を汲んで、部屋の拭き掃除を始めることにした。
桜祢を隣の雫の部屋に運んだ後、天井と壁を拭き、源太と篤之進が畳を外していく。
才蔵は動く片手で壁を拭くと鉄心が絞った手ぬぐいと交換をした。
「この畳は、どうしようかな」
「張り替えないと駄目ですね・・・障子も・・・布団は中の綿が使えますから、洗って縫い直せば大丈夫だと思います。幸い、今日は良い洗濯日和になりそうですよ」
「畳屋へ行かないと・・・」
「行くならばまずは、その血を落としてからにしませんと・・・先生」
そう話す二人の背には昇ろうとしている太陽が見えた。
「・・・起こしてくれればよかったのに・・・」
朝から由利乃が口を尖らせる。
朝起きたお涼に言われて離れを出てみれば、何やら篤之進の部屋から畳が運び出されている。
その畳を見てもしや切腹でもしたのかと青ざめた由利乃がふらふらと近づいてみれば、当の部屋の主が手ぬぐいを持って畳を拭いているではないか。
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