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黒羽織その伍 顔なし女
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「来たか」
そう放つ声がする。
周囲は何の変哲も無い館の一室だった。
平安時代を思わせる館の奥、焚き詰められた香の匂いが広がるその部屋の四方には、蝋燭の光が揺れ、声の主はただ静かに座したままだ。
その背に向かって「ただいま」と言ったのは先ほど桜祢を奪った青年だった。
「意外と早かったじゃないか。華月」
華月と呼ばれた少年は嬉しそうに笑うと、側に寄せていた桜祢の背を押した。
「ほら、連れてきたぜ。桜祢だ」
ぽんっと背を押された桜祢は、勢いにふらついて転びそうになった。
それをとっさに受け止めたのは、目の前に座した男だった。
「あなたは・・・一体・・・」
そこまで言いかけてハッと彼女は口を噤む。
その目の前に寝かされていたのは、自分の想い人である喜兵衛その人だったからだ。
まるで眠っているように穏やかな表情。
「旦那様・・・!」
駆け寄ろうとした彼女の腕を男が引き止める。
その動作にハッとなる彼女に向かって「・・・無くしたままで、さぞかし辛かったろうな・・・」と呟くと彼女の首に自分の手を添え、何かを唱え始めた。
添えられた箇所が黄色い光を放ち、ふわりと浮かび上がってゆく。
優しく包み込むような温もり。
「・・・あたたかい」
そう呟く彼女の唇は小さく、髪は緩く結い上げられている。
人形のように美しく、閉じられた瞼。低い鼻。
それは、彼女が探していた自らの顔そのものだった。
ゆっくりと浮いていた足が床に付く。
両手を顔に添える桜祢に向かって、男は「お前を求める者と共に逝くが良い」と伝えた。
その声に彼女の大きな瞳から、零れるように大粒の涙がいくつもいくつも伝っては落ちていく。
最初から望んではいけないと思っていた。
想いだけを隠して、掛け軸のままで居ればそれで良かったはずなのに。
・・・許されても、良いのだろうか?
「旦那様・・・」
震える声をそのままに、桜祢がゆっくりと喜兵衛に近付いていく。
その気配に気付いたのか、目を閉じていた喜兵衛が彼女を見た。
「桜祢・・・」
「・・・旦那様・・・私をお許しください・・・旦那様」
その声に首を軽く振ると、横たわっていた上体を起こしながら彼女の目元を指で拭った。
後に続く会話は無くとも、それで充分だった。
「・・・卯月殿。感謝いたします」
目の前に座る男の名を卯月と呼んだ喜兵衛が軽く頭を下げる。
その仕草を遮るように軽く手を挙げた卯月は、首を横に振ると穏やかな表情で二人を見た。
「共に逝くがいい。互いを想い合う者同士ならば、冥府でも離れる事は無い」
「感謝いたします・・・卯月様」
深く頭を下げる桜祢を気遣いながらも喜兵衛が立ち上がる。
眩い光に包まれながら消えていく二人の表情は穏やかで、慈愛に満ちている。
何も話さずとも繋いだその指が互いの想いを表しているようで、卯月はふうと息を吸い吐くと、「どうか・・幸多からん事を・・・」と呟いた。
「行っちまったな・・・」
きらきらと輝く黄色い光の破片を見ながら華月が呟く。
「では・・・お前に、もうひと働きしてもらおうか」
振り返った卯月が彼を見る。
その声に仕方ねえなあと呟いて笑った華月は、影に沈むようにその姿を消してしまった。
しんと静まる室内に、卯月の影が伸びる。
「喜兵衛は掛け軸の君を想っていた。掛け軸の君もまた喜兵衛を想っていた。その二人が契りを結ぶのに冥府ほど最良の場は無い・・・。その代償が肉体一つと言うのは些か・・・少ない気もするが・・・それは華月が何とかしよう。餌は、四つほどあれば良い」
そうまで呟いて、彼は視線を外へと向けた。
星すら見えない漆黒の闇。
それは彼の髪の色と良く似ていた。
そう放つ声がする。
周囲は何の変哲も無い館の一室だった。
平安時代を思わせる館の奥、焚き詰められた香の匂いが広がるその部屋の四方には、蝋燭の光が揺れ、声の主はただ静かに座したままだ。
その背に向かって「ただいま」と言ったのは先ほど桜祢を奪った青年だった。
「意外と早かったじゃないか。華月」
華月と呼ばれた少年は嬉しそうに笑うと、側に寄せていた桜祢の背を押した。
「ほら、連れてきたぜ。桜祢だ」
ぽんっと背を押された桜祢は、勢いにふらついて転びそうになった。
それをとっさに受け止めたのは、目の前に座した男だった。
「あなたは・・・一体・・・」
そこまで言いかけてハッと彼女は口を噤む。
その目の前に寝かされていたのは、自分の想い人である喜兵衛その人だったからだ。
まるで眠っているように穏やかな表情。
「旦那様・・・!」
駆け寄ろうとした彼女の腕を男が引き止める。
その動作にハッとなる彼女に向かって「・・・無くしたままで、さぞかし辛かったろうな・・・」と呟くと彼女の首に自分の手を添え、何かを唱え始めた。
添えられた箇所が黄色い光を放ち、ふわりと浮かび上がってゆく。
優しく包み込むような温もり。
「・・・あたたかい」
そう呟く彼女の唇は小さく、髪は緩く結い上げられている。
人形のように美しく、閉じられた瞼。低い鼻。
それは、彼女が探していた自らの顔そのものだった。
ゆっくりと浮いていた足が床に付く。
両手を顔に添える桜祢に向かって、男は「お前を求める者と共に逝くが良い」と伝えた。
その声に彼女の大きな瞳から、零れるように大粒の涙がいくつもいくつも伝っては落ちていく。
最初から望んではいけないと思っていた。
想いだけを隠して、掛け軸のままで居ればそれで良かったはずなのに。
・・・許されても、良いのだろうか?
「旦那様・・・」
震える声をそのままに、桜祢がゆっくりと喜兵衛に近付いていく。
その気配に気付いたのか、目を閉じていた喜兵衛が彼女を見た。
「桜祢・・・」
「・・・旦那様・・・私をお許しください・・・旦那様」
その声に首を軽く振ると、横たわっていた上体を起こしながら彼女の目元を指で拭った。
後に続く会話は無くとも、それで充分だった。
「・・・卯月殿。感謝いたします」
目の前に座る男の名を卯月と呼んだ喜兵衛が軽く頭を下げる。
その仕草を遮るように軽く手を挙げた卯月は、首を横に振ると穏やかな表情で二人を見た。
「共に逝くがいい。互いを想い合う者同士ならば、冥府でも離れる事は無い」
「感謝いたします・・・卯月様」
深く頭を下げる桜祢を気遣いながらも喜兵衛が立ち上がる。
眩い光に包まれながら消えていく二人の表情は穏やかで、慈愛に満ちている。
何も話さずとも繋いだその指が互いの想いを表しているようで、卯月はふうと息を吸い吐くと、「どうか・・幸多からん事を・・・」と呟いた。
「行っちまったな・・・」
きらきらと輝く黄色い光の破片を見ながら華月が呟く。
「では・・・お前に、もうひと働きしてもらおうか」
振り返った卯月が彼を見る。
その声に仕方ねえなあと呟いて笑った華月は、影に沈むようにその姿を消してしまった。
しんと静まる室内に、卯月の影が伸びる。
「喜兵衛は掛け軸の君を想っていた。掛け軸の君もまた喜兵衛を想っていた。その二人が契りを結ぶのに冥府ほど最良の場は無い・・・。その代償が肉体一つと言うのは些か・・・少ない気もするが・・・それは華月が何とかしよう。餌は、四つほどあれば良い」
そうまで呟いて、彼は視線を外へと向けた。
星すら見えない漆黒の闇。
それは彼の髪の色と良く似ていた。
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