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3.残夜、その背後にて
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昂遠に気付いた他の僧に「お前もやってみろ」と言われた事も一度や二度ではなかったが、事情があって僧侶の形をしているだけの自分には、何をどうすればいいのか、さっぱり分からない。
ただ、肉体を持たぬ悪霊の存在は、戦で兵を前に槍を持つ感覚とは明らかに違っていた。
「悪鬼とも違う。妖怪でもない。だが、確かにあなたはそこに居る」
霊とはいえ、元々は肉体を持っていたのだ。
勿論、除霊を行う者にだって言い分はあるだろう。
悪鬼、悪霊の姿になった者が、相手に危害を加える前に霊を鎮めて浄化する。
それは理解できる。
けれど、昇天しなかった者にだって、きっとその道を選んだ理由があるはずだ。
それなのに、相手の言い分を余所に拳を振るうなんて理不尽だと思わないか。
納得がいかない。
そう感じた昂遠は、相手ととことん会話する道を選んだ。
自分でも無謀な事をしているという自覚はある。
対話で何とかなるなんて、思い違いも甚だしい。
けれど、相手を知る事によって何かが変わるのなら、きっとその方が良い。
それが正しいかどうかなんて、誰にも分からないけれど。
ふと浮かんだ懐かしい情景に昂遠の頬が自然と緩む。
彼は眼前に立つ梠(リョ)の弟が頷いた息遣いを肌で感じると、閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げた。
「・・・・・・」
仄かな光に映る透けた皮膚がより一層、彼の傷を鮮明に映し、その痛ましい姿に昂遠の喉が締め付けられたように痛くなった。
「え・・・と・・・」
昂遠の視線を受けて彼の熊の手が左右に揺れる。
迷いを含んだその指先に、昂遠はホッと頬を緩ませると、もう少し声をかけてみることにした。
「何でしょう?」
「あ・・・と」
「ああ。私は怪しい者に見えるでしょうが・・・まあ、怪しい人族ではありますが、こう見えて悪い者ではありません。まあ、何処から見ても怪しいですよねえ。でも、ここに居る皆さんや、お兄さんと出会って一緒にご飯を食べていたのです。嘘じゃありませんよ」
「あ・・・」
「お兄さんは、とても親切で素敵な方ですね」
「・・・はい」
小さくか細い声が昂遠の脳にはっきりと聞こえてくる。
それが何だか嬉しくて、昂遠の頬が僅かに緩んだ。
「あの」
「何でしょう?」
「兄に・・・伝えてほしいことがあります」
「はい」
「この箱に入っている私の髪を燃やして欲しいのです」
鈍器で頭部を殴られた時のような衝撃が、脳裏に響く。
見開いた目の先に立つ迷いの無いその声に、心の臓が、喉が、抉られたように苦しくなる。
「・・・ぁ」
自分が、震えていると気付いたのは、それから暫く経ってのことだった。
「眠れなかった・・・」
あれから、隣で寝ていた鳥の獣人族達に明朝一番、蹴飛ばされて寝台から落ちた昂遠は、蹴られた首を何度も摩りながら、寝相の悪い友を見た。
すやすやとよく眠る姿は相変わらずだな、と思う。
鋭利な爪にぞっとしながらも、屈託のない表情で眠る友の姿に安堵しつつ、彼は梠の弟と話した内容を思い返していた。
「きっと、これはあなたにしか頼めない」
青い炎を眼の奥に宿しながら話すその声には一点の曇りは無く、それがかえって昂遠の胸をきつく掴んで離そうとしない。
切実に訴えるのなら、数多くの言葉を選び、説得を試みようとするだろう。
けれども、眼前に立つ彼は、それのどれも望んではいないのだ。
「どう返せば良かったのだろう・・・」
思案をどれほど繰り返しても、上手い言葉が見つかるはずも無く。途方に暮れた昂遠は、ひとまずカラカラと渇いたままの喉を何とかせねばと、家主である梠の姿を探す事にしたのだった。
ただ、肉体を持たぬ悪霊の存在は、戦で兵を前に槍を持つ感覚とは明らかに違っていた。
「悪鬼とも違う。妖怪でもない。だが、確かにあなたはそこに居る」
霊とはいえ、元々は肉体を持っていたのだ。
勿論、除霊を行う者にだって言い分はあるだろう。
悪鬼、悪霊の姿になった者が、相手に危害を加える前に霊を鎮めて浄化する。
それは理解できる。
けれど、昇天しなかった者にだって、きっとその道を選んだ理由があるはずだ。
それなのに、相手の言い分を余所に拳を振るうなんて理不尽だと思わないか。
納得がいかない。
そう感じた昂遠は、相手ととことん会話する道を選んだ。
自分でも無謀な事をしているという自覚はある。
対話で何とかなるなんて、思い違いも甚だしい。
けれど、相手を知る事によって何かが変わるのなら、きっとその方が良い。
それが正しいかどうかなんて、誰にも分からないけれど。
ふと浮かんだ懐かしい情景に昂遠の頬が自然と緩む。
彼は眼前に立つ梠(リョ)の弟が頷いた息遣いを肌で感じると、閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げた。
「・・・・・・」
仄かな光に映る透けた皮膚がより一層、彼の傷を鮮明に映し、その痛ましい姿に昂遠の喉が締め付けられたように痛くなった。
「え・・・と・・・」
昂遠の視線を受けて彼の熊の手が左右に揺れる。
迷いを含んだその指先に、昂遠はホッと頬を緩ませると、もう少し声をかけてみることにした。
「何でしょう?」
「あ・・・と」
「ああ。私は怪しい者に見えるでしょうが・・・まあ、怪しい人族ではありますが、こう見えて悪い者ではありません。まあ、何処から見ても怪しいですよねえ。でも、ここに居る皆さんや、お兄さんと出会って一緒にご飯を食べていたのです。嘘じゃありませんよ」
「あ・・・」
「お兄さんは、とても親切で素敵な方ですね」
「・・・はい」
小さくか細い声が昂遠の脳にはっきりと聞こえてくる。
それが何だか嬉しくて、昂遠の頬が僅かに緩んだ。
「あの」
「何でしょう?」
「兄に・・・伝えてほしいことがあります」
「はい」
「この箱に入っている私の髪を燃やして欲しいのです」
鈍器で頭部を殴られた時のような衝撃が、脳裏に響く。
見開いた目の先に立つ迷いの無いその声に、心の臓が、喉が、抉られたように苦しくなる。
「・・・ぁ」
自分が、震えていると気付いたのは、それから暫く経ってのことだった。
「眠れなかった・・・」
あれから、隣で寝ていた鳥の獣人族達に明朝一番、蹴飛ばされて寝台から落ちた昂遠は、蹴られた首を何度も摩りながら、寝相の悪い友を見た。
すやすやとよく眠る姿は相変わらずだな、と思う。
鋭利な爪にぞっとしながらも、屈託のない表情で眠る友の姿に安堵しつつ、彼は梠の弟と話した内容を思い返していた。
「きっと、これはあなたにしか頼めない」
青い炎を眼の奥に宿しながら話すその声には一点の曇りは無く、それがかえって昂遠の胸をきつく掴んで離そうとしない。
切実に訴えるのなら、数多くの言葉を選び、説得を試みようとするだろう。
けれども、眼前に立つ彼は、それのどれも望んではいないのだ。
「どう返せば良かったのだろう・・・」
思案をどれほど繰り返しても、上手い言葉が見つかるはずも無く。途方に暮れた昂遠は、ひとまずカラカラと渇いたままの喉を何とかせねばと、家主である梠の姿を探す事にしたのだった。
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