性奴隷を拒否したらバーの社畜になった話

タタミ

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バー編

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 両手足の爪が思い出したようにジクジクと脈打つ。呼吸が浅くなって心臓が速まって、半ば過呼吸のようだった。いまだ鮮明にノウリにやられた拷問が思い出され、俺は気づけば震えていた。
 ノウリを見たまま動けずにいると、三ツ木さんが屈んで俺の顔を覗き込む。

「こんばんは、須原くん。取り立てです。有り金全部持ってきてください」

 にっこり笑う三ツ木さんにやっと視線を合わせたが、俺はまだ動けなかった。なんでノウリがエルムンドに来るんだ。イズキはルアンに掃除を再開させたんだから開店前だ。ということはつまり、ノウリは客としてではなく仕事をしに来たのではないかと、良くも悪くもここでの生活に慣れてきた俺を躾直すために呼ばれたのではないかと、悪い憶測が頭を駆け巡っていく。

「須原くん?何を固まっているんですか。また殴られますよ、店長に」

 三ツ木さんがそう続けた時、カウンターから戻ってきたイズキがノウリを呼んだ。俺を痛めつける相談でもするのかとイズキを凝視すると、目が合って小さく舌打ちされる。

「須原、さっさと金持ってこい。三ツ木を何のために入店させたと思ってる」
「走って取って来てください。金を持ってこないとノウリくんにまた仕事を頼むはめになりますが」

 その言葉でノウリが店に来た理由は俺への拷問ではないとわかり、どうにか俺は立ち上がった。即座に「走ってください」と三ツ木さんに手を叩かれ、地下への扉へと脚をもつれさせながら向かった。
 階段を数段駆け下りたところで立ち止まり、深呼吸をする。2、3度繰り返すとようやく落ち着いてくる。ノウリのことを考えてしまうとまた動悸がしそうで、三ツ木さんへの返済だけを意識しながら、俺はシャツの中に手を入れた。

「……いくら渡すか……」

 キョウコに貰った100万円を取り出して呟く。プライベートなどない生活で、大金の置き場に困った俺は結局常に肌身離さず持ち歩くことにしてしまっていた。とにかく三ツ木さんに今全額渡すのは避けたい。これだけ稼げると思われたら、要求が跳ね上がるのは目に見えている。
 大したことを考えられない頭を回転させて、俺は汗でシワになった札を数え始めた。





 地下に金を取りに戻ったと思わせるだけの時間を稼いでから、店内に戻る。気が乗らない足取りで首を伸ばして確認すると、カウンターに座った三ツ木さんとノウリの相手をイズキがしている。ルアンは絨毯のほこり取りを這いつくばってやっているようだ。

「あれが例の月見様から贈られた従業員ですか。なかなか知恵遅れに見受けられますね。先日お渡ししたリストに目ぼしいのはありませんでしたか?マシな人材をご用意できますよ」
「いらない。現状手は足りている」
「今日死んでもおかしくない雑魚を2人雇って満足、というのはいささか危険では」
「お前は取り立てで来たんだろ。営業される気はない。須原、さっさと金を渡せ。俺は少し席を外す」

 イズキに睨まれて、会話を盗み聞いていた俺はダッシュで三ツ木さんの隣に行った。イズキはノウリに赤ワインを注いでキッチンから出て行く。地下に戻るのか、と目で追うと三ツ木さんのヒールが俺の足に突き刺さった。

「歩いて帰ってくるなんて大物ですね。ナメられたもんです」
「ッ、すみません。これを……全部で10万あります」

 シワになった札を10枚むき出しで渡す。10万円は三ツ木さんがある程度満足し、かつ稼ぎすぎとも思われない額のはずだ。少なすぎれば速攻暴力が来るだろうと身構えたが、三ツ木さんは特にキレる様子もなく札を受け取る。

「ピアノ演奏のチップでしたっけ。本当にそれだけで金を稼いでいるんですか?」
「はい。……まだまだごく僅かなお客様相手ですけど」
「へえ。好きなことで生きられていいですね」

 適当な感想を言いながら目に止まらない速さで札を数えた三ツ木さんは、満足そうに頷いた。

「10万円、確かに頂戴しました」
「また次来る時までに稼いだ分は、すべてお渡しします。それじゃ俺はこれで。仕事に戻りま──」
「次は30万円出してください」

 さっさといなくなろうとした俺に笑顔が向けられた。その笑顔の後ろでノウリがワインを飲み干して手酌を始める。

「この1カ月、ピアノをごくまれに弾くだけで10万も稼げたんですよ。本気になれば30万くらい余裕でしょう。足りなければオプションで売りをすればいい。稼ぎ方に文句はつけません」

 思った通りの展開に、100万なんて素直に出さなくてよかったとは思ったが、今後チップで稼げる保証はない。残りの90万など三ツ木さんの前では小銭も同然だ。

「愛dollのバイトは時給1400円で募集していました。須原くんに休日はありませんので1カ月の勤務日数は30日間。1日あたり8時間労働だとして計算すると33.6万円分の労働です。変わらぬ返済額を求められただけですよ」

 実際は1日8時間どころではなく仕事があれば何時間でも残業があったし、少しでも暇なら他店のヘルプやグレーなバイトもやらされていたため、時給換算では500円程度な気がしたが口を挟まず黙っておく。この人に言い返したせいで、俺は拷問を受けた上にいつ死んでもおかしくないエルムンドで無賃労働をするはめになっているのだ。さすがの俺も学習している。

「……わかりました。次は30万用意できるようにします」
「おや。私に逆らう勇気を持つ須原くんにしては、随分素直ですね」

 嫌な笑顔が俺を見た。

「本当にこれで全額ですか?」

 バレているのか。すぐそこにはノウリがいる。認めなければまた拷問されるのではと一気に汗が出た。沈黙が長引けば認めているようなものだと焦り、何を言うか決まっていないのに口を開いた時、ノウリの暗い目がこちらを見た。

「……こいつが長生きでうんざりか」

 ノウリの言葉に三ツ木さんは笑顔のまま振り返った。

「死ねば生保で大金。だからもっと危険な稼ぎをさせて死ぬ確率を上げたいわけだ」

 ノウリはカトラリーの入れ物を引き寄せて、フォークとスプーンを確認し始める。

「回りくどいのはやめて俺を雇えばいい。すぐ終わる」

 小ぶりなスプーンを選んだノウリが、首を回して骨を鳴らした。
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