ある解放奴隷の物語

二水

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第五話 魔物の牙

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 ああかわいそうな魔物よ
 安らかに眠れ
 そして旅の糧とならんことを
   ――吟遊詩人ジーンの歌より


 翌朝、ヨナは魔物の死体を引き摺って教会へと赴いた。その様子を見る町民たちの目は、先日の怖れに満ちたものとは違ったものであることをヨナは感じた。未だに怪訝な顔をするものも多かったが大方は好意的なものである。
 元奴隷の冒険者の噂はすぐに町中に広がり、いろいろな人が声をかけてきた。
 ここの町民の多くは農民や石工、植物から作られた日用品の職人などであり、彼らを支えるように宿屋や料理屋が発展したという。そのため肉食動物や魔物と戦える者はほとんどおらず、魔物を見つけたら町へ知らせ、おとなしくその気配が消えるのを待つのが慣習化していた。彼らが言うには魔物は日中は洞窟や木の陰に隠れてあまり出てこず、夜になると活発になるそうだ。
「おはようヨナ君。よく眠れたかね」
 教会の前で鍬を担いだ神父と挨拶を交わし、風呂屋での出来事をヨナは語った。彼がいかに町の人がよくしてくれるかを話すと、神父は満足そうに「そうかそうか」と言った。
「それでは魔物が出ぬうちに埋めるとしようかの」
 二人は町からすこし外れた場所にある小高い丘を目指して歩いた。道中、二人は無言だった。ただまっすぐに歩く神父にヨナはおとなしくついていき、神父も時々ヨナの方を振り返ったものの声をかけることなく目的地へ向かった。
小半時もしないうちに丘の上に到着し、二人は傍の瓦礫に腰掛けた。
「ここも少し前は村があったんじゃ」
 神父の視線の先はとても遠かった。
「魔物に襲われ村を追われた者たちがあちこちで集まってまたここで寄り合い、村を作っておった。ようやく村が形になり始めた頃、再び魔物の集団に襲われて全滅じゃ」
 深いため息とともに神父の横顔に皺が一つ増えたように感じられた。
「私たちは当時よそ者を受け入れられるほどの余裕はなかった。魔物が怖くての。我関せずで嵐が過ぎ去るのを待つのみじゃったのだよ」
 他の町や村、国でさえもそれは大きな問題となっていたが、具体的な対処はほぼできずにいた。まずは自分の居場所を守らなければならず、難民達の対応は二の次三の次にまわされ、次第に被害者たる彼らそのものを疎む風潮すらも出てきた。
「幸運……と言うのは憚られるが、私たちの町が襲われなかったのは魔物どもの気まぐかもしれんし、神の御力のおかげかもしれん。正直、私にもわからんのじゃ」
 そして魔物の方に目をやる。
「そんな中で君が魔物を倒したというのは君が思うよりも彼らを力強く励まし、勇気を与えた。私はそのことにお礼を言いたい」
 深々と頭を下げる神父の言葉の意味がよくわからず、ヨナは同じように頭を下げた。
 どうもヨナには彼の言う神というものの存在が理解できない。奴隷のヨナには主人も納品先の親父も等しくヨナに罵声を浴びせ、あるときは叩いた。もしも神父の言う通り神がこの世にいるのなら、神は少なくとも自分にはそんなに優しいものではないらしいことを感づいていた。
「このあたりに埋めようかの」
 ヨナは「僕がやる」と鍬を神父から受け取り、慣れた手つきで穴を掘り始めた。
 やわらかい土はどんどん掘られていき、すぐに魔物の死体が入るほどの穴が出来上がった。
 魔物の死体を放り込もうとしたとき、神父が「ちょっと待ちなさい」とヨナを留めた。そして短刀を取り出し、腐った魔物の歯茎にそれをねじ込むと、牙を一本引き抜いた。
「これは君が持っていなさい。君が殺した命の一部じゃ。今はわからずとも構わない。いつか君が大きな選択に迷った時にきっと役に立つと私は確信しておるよ」
腐った血に濡れたそれを神父は布で拭き、ヨナに手渡した。
 ヨナはそれを受け取って腰袋に入れると、魔物の死体を穴に放り込んで土をかぶせた。その動作はつい最近に埋めた主人の顔を思い出させ、一瞬ヨナの手を止めたがすぐに彼は作業を続け土をかぶせ終えた。
 その帰り道、ヨナの足取りはとても重かった。しっかり休んで体は健康そのもののはずなのになぜか歩くことを嫌がっているような気持ちを俯瞰して感じていた。
 死んだ主人とその妻、娘のことを思い出し続けて自分に襲い掛かってきた、そして今は土の中にいるあの魔物と対峙した夜を振り返り、今更ながら足が震えてきた。
「恐怖は足を鈍らせる。それは自分の命を脅かすものを感じ取ったときに内なる自分が発する警告じゃ」
 神父はヨナの頭の中を見透かすようにそう言って彼の肩に手を乗せた。
 これが恐怖。
 主人に蹴られるのは体を丸くして耐えれば済んだ。しかしあの魔物の目は主人の自分を見る目とはまったく違うものだ。そこでヨナは自分に向けられた殺意というものを理解した。
 しばらく神父はヨナの肩に手を置いたまま歩いた。そうするうちに人と触れることでそれは緩和されるを知りヨナは落ち着きを取り戻した。
「ところでな、君にひとつお願いがあるんじゃが」
「何?」
「シスター・メロディウス……私の孫じゃが……彼女を一緒に君の旅に連れて行ってくれんかの」
 シスター・メロディウス。神官であり癒し手。彼女の治癒の術は怪我が多いであろう冒険者の旅には貴重な人材になる。
「どうして?」しかしヨナはまだその必要性をひっ迫して感じてはいない。
「かわいい子には旅をさせろと昔から言うしの」
「孫だけど」
 ホッホッホ、と神父は笑った。
「あの子に外を見せたくての。君の役にも立つ。字が読めるからの」
 おお、とヨナの表情が明るくなった。字が読めるのは素晴らしいことだ。
 ヨナがそうであるようにこの国の識字率はあまり高くはない。奴隷は当然のこととして字が読めるのは中流階層以上が殆どだった。多くの者は自分の伝えたいことは口伝や絵を用いてそれを行う。つまり字が読めること自体が一種のステータスとして認められるものだ。
「君のサポートとしては申し分ないと思うのじゃが……どうかな?」
 ヨナは迷うことなく「わかった」と神父に答えた。
「それはよかった。町に戻ったらあの子に伝えておくとしよう」
 町に到着し二人は教会の前で別れた。翌朝に再びここで落ち合う約束をし、ヨナは腹が空いていることに気が付き朝食を食べに向かった。
 

「おじいちゃん、どうして突然ヨナ君と旅をしろなどと?」
 ノーラは驚いた様子で祖父であるメロディウス神父に問うた。
「あの子はすべての命を平等に扱う。そいで善悪の何たるかを知らん」
「清らかな心で素晴らしいではありませんか」
 そこなのじゃよ、と神父はノーラの額に人差し指を当てた。
「よいか。無知は罪とは言わぬが時としてそれは大いなる災いの元にもなり得る。混ざり気がないということは何色にも染められるという事じゃ。魔物を殺して食らったその殺意と食欲が私たちにに向けられない保証はどこにあるかね」
 ノーラが唾を飲む音が神父にもはっきりと聞こえた。
 神父がヨナに話したノーラの同行の理由はもっともらしいものであったが、本意は危機感であった。
もしも慈悲もなく魔物を殺し、痛む心も持たない彼がそのまま成長すればきっとそれはガルダのように魔の手に堕ちるかもしれない。
興味という名の新しいものを求める欲望が暴走した結果どんな悲劇が起こるかもわからない。それは神父が感じたまだ見ぬ未来への恐怖だった。
「ゆえにノーラよ。聡明なわが孫よ。この出会いが主の思し召しならば彼を善の光に導かなければならん」
「……確かに長いおつかいになりそうですね」
 ふぅ、と軽く息を吐いて「わかりました」とノーラは答えた。
「癒し手はこの町には私しかおりません。どうかおじいちゃんも、町の人たちもご無理をなさらないよう」
 うむ、と神父はノーラの同意に頷き、彼女を抱きしめた。
「おまえが元気な姿で帰ってくるまでここで待っておるぞ」
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