ある解放奴隷の物語

二水

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第十話 いざ王都へ

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 活気を求めて歩こう
 香りを求めて歩こう
 目指すは王都ミール
   ――吟遊詩人ジーンの歌より


 しばらく続いた荒れ地を抜けるとようやくあたりの景色に緑が戻り始めた。
「異常気象や飢饉などの災いの一部には人の手によるものもあるのでしょうね」
 ピーグスの一件を振り返りノーラが言った。
 大地を枯らしてしまう魔法、それはあまりにも有害なものであった。
「魔法ってどうやったら使えるの?」
 ノーラの危惧とは対照的にヨナは魔法に興味津々であった。彼女の言う奇跡もヨナにとっては興味の対象であった。あれが使えるようになれば旅がさらに便利になることは間違いない。それに何よりもすごい。ヨナにとっては十分な理由だ。
「私は魔法の知識というのがないので……。もしかしたら王都なら広いので魔導士の方がいるかもしれません」
 王都のミールは王の膝元ということもあり、様々な人が行き交いしている。商人や魔導士、他国の冒険者など情報を得るにはもってこいの場所である。
「王都には魔法以外にも冒険者のためのギルドがあるそうです。役立つものは多いので行ってみる価値はありそうですね」
 自分たち以外にも冒険者がいることは知っていたがこうして改めて言われるとヨナは彼らの存在を再認識し、ぶるっと体を震わせた。
「王都に行こう」
「はい、ヨナ君」
 二人はさらに北を目指す。ミールを目指して。
 道中、時々馬車や人影もまばらに見かけるようになってきたのはおそらく周辺の町の警備がしっかりしており治安が良いためだろう。
「ああ!どなたか!」
 悲鳴が聞こえた気がして振り向くと、少女が転がっていた。
 二人は彼女に駆け寄り、「大丈夫ですか?」と体を起こす。すぐにノーラが治癒を施すと少女の傷は瞬く間に塞がり、痛みが引いたようだった。
「ありがとうございます。助かりました」
 ぺこりと頭を下げる少女は上品な服を着ていて、どこかの貴族の娘のようだった。
「ご無事で何よりです。一体何があったんですか?」
 少女は自分がミールの商人のもとへこれから嫁ぎに行く最中であったこと、その際に乗っていた馬が暴れ落馬し馬が逃げてしまったことを話した。
「あの馬には結婚の品や私個人の荷物も乗せていたのですが……」
 困り果てたような彼女の様子をノーラは放っておけなかった。
「ヨナ君、女の子一人で歩いて行くのは心配です。私たちもミールへ向かう途中ですし馬を探しながらご一緒するのはいかがですか?」
 ヨナは「わかった」というと、いつものように少女の手を握ろうと手を差し出したが、彼女はその意図が理解できなかったようだ。とっさにノーラが「これは南部の庶民の挨拶なんです」と機転を利かせ、少女は納得したように「なるほど」と呟いた。
「これは失礼いたしました。オードバン家のフェルリと申します。ご迷惑をおかけするかと思いますがよろしくお願いいたします」
 ヨナとフェルリはお互いに手を握り合い、ノーラとも握手を交わした。
「僕はヨナ」
「私はノーラ=メロディウス、修道女です」
 三人は歩きながらお互いの身の上を話し合った。彼女の言葉遣いはヨナにとっては若干難しいものであったがノーラがそれを彼にもわかりやすいように伝えた。
 ヨナはおもむろに振り返ってフェルリに近付き、匂いを嗅いだ。彼女から発せられる匂いはまるで見えない柑橘畑のようだ。
 身を引くフェルリにヨナは「いい匂い」と再び鼻を近づける。
「これも……南部の庶民の挨拶でしょうか……」
 引き攣った顔でノーラのほうを向くフェルリにノーラは顔を覆いながら「ええ……そんなようなものです。彼にとっては」と誤魔化した。
「もしかして、これの香りでしょうか」
 フェルリは小さな小瓶を取り出した。中の薄黄色の液体は太陽の光に当てられてきらきらと輝いた。蓋を開けると先ほどまでよりもいっそう強いフルーティな香りがヨナの鼻を刺激した。彼女はそれを少量自分の手に垂らすとヨナの首元と手首に馴染ませる。
「これも魔法?」
「これは香水ですよ。領地から取れる果実を私が精製して作ったのです」
 フェルリ曰く香りというものは人にとって自分が思う以上に大切であるという。初めて会う人には第一印象を決めさせ、あるときは人を魅了し、またある時は香りだけで人の疲れた心すら癒すことができるという。
「社交の場が多い私たちにとってそれは物事をうまく動かすための道具にもなり、見えない武器になると私は考えています。残念ながら多くの人たちはそのような考えを持ってはいないようですが」
 はあ、とため息を吐くフェルリだったが、香りに気が付いたヨナのことは気に入ったようで香水の入った瓶をヨナに手渡した。
「これに気が付いてくれたのは貴方が初めてですよ、ヨナさん」
 ヨナはそれを受け取ると、腰のポケットにそれをしまい込む。
「大切なご友人と会うときや畏まった場などでお使いください。気付く人は気づき、貴方の魅力を十二分に引き出すお手伝いをしてくれます」
 三人は北へ歩き続ける。王都ミールを目指して。
 
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