ある解放奴隷の物語

二水

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第十一話 優雅たれ

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 ああ麗しのフェルリよ
 彼女だってお気楽貴族をやってるわけじゃあない
 貴族には貴族の悩みっていうものがあるもんさ
   ――吟遊詩人ジーンの歌より


 ヨナは女性同士の話で盛り上がっているのをにこやかな顔で親指と人差し指で作った窓から眺めていた。
 一人の旅よりも二人のほうが寂しくない。二人よりも三人のほうが賑やかだ。
 どのような話をしているかは半分ほどしか理解できないヨナだったが、彼女たちがときどき笑い声を織り交ぜながら話しているのを見ているのは悪くない気分だった。
 人通りは徐々に多くなっていき、徐々に王都が近くなっているのを感じた。
「今日はこのあたりで休みましょうか」
 フェルリを気遣い近くの町で一泊することを提案するノーラに彼女は逡巡した様子を見せた。
「私の馬はどうしましょう……」
 結局その日は馬の影はなかった。道行く人々に尋ねても漠然とした方向しかわからず、結局そちらへ向かっても徒労に終わってしまった。
「夜に出歩くのは危ないですから」
 まずは自分が第一ですとノーラが説得し、ようやくしぶしぶながら滞在を承諾したのであった。
 宿を借りる段になってからフェルリの様子が落ち着かなくなってきた。
「お部屋はどうしましょう」
「僕は一緒でいい」
「あの……私は……」
 もじもじするフェルリにノーラが「どうしたんですか?」と尋ねる。
「お財布を馬に乗せたままにしてしまって……」
 つまるところ文無しである。
 宿代すら出せないのでは貴族の沽券に関わる故笑いものにされるだろうとフェルリは言い出せずにいたのだが、ノーラとヨナは「じゃあ僕が払う」「私が出しますね」といった具合にまったく気にせず硬貨の革袋を取り出した。
 「じゃあフェルリさんは私と一緒のお部屋で」と会計まで済ませ、三人は階段を上っていった。
「お二人はいつもああなんですか?」
 ベッド以外はほぼ何もない殺風景な部屋に着いて荷物を下ろすノーラにフェルリが問う。
「ああとは?」
「まるでお金に無頓着なように見えます」
 んー、とノーラが自分の唇に指をあてて首をかしげる。
「私たちは一緒に旅をしていますから」
 一緒に、の部分を強調してノーラが答える。
「無頓着なわけではありませんよ。でも一緒に旅をしているならお互いがお互いを支えるのが最善だと私は思います」
「まるで恋人のよう」
「こ……」ノーラは言葉を詰まらせた。
 自分よりも年下の少年と恋人のように見えるものだろうか。
 いや、しかし貴族や王族に至っては齢十そこそこで結婚するという話もあると聞く。目がぐるぐるしてきた。
「私たちはそういうのではありませんから!利害の一致というかなんというか……」
 その後は聞き取れなかった。
 それについてフェルリは「ええそうね」と頷いた上で自分が王都まで嫁入りしに行くまでのいきさつを話し始めた。
「相手の方とは会ったこともありません。聞いた話では二回りも年上だとか。そんな方のもとに私が行くのも利害の一致です」
 憂鬱そうに窓辺に近付き外を見るフェルリ。隙間風がひゅうっと彼女の髪を撫でた。
「でも……それでも決まったからにはまだ見ぬ夫に付き従い、ひいては家の血を絶やさぬようにするのが貴族の家に生まれた淑女たるものの役目。そのために私は今まで大切に育てられてきたのですから」
 つかの間の自由だったと彼女は言った。それはノーラにとっては想像もつかない思惑と謀略の世界だった。ただ自分の善意の赴くままに行動せよと言っていた祖父の言葉は富や身分、何人にも縛られない心の自由であることを知った。
「卑しい人間だと思ってください。でも私は貴女たちが羨ましくてたまらないのです」
 それは旅の道中に二人が手を差し伸べてきたときから感じていた嫉妬に近い感情だった。
 『人に借りをつくるべからず、それは付け入る隙を与える。強くあれ、優雅たれ』
 フェルリの父親は口癖のようにそう言っていた。その教えは彼女にしっかりと根付き幼いながらに両親にすら甘えることのない強い女性に育った。自ら教養を求め、その才能は当時まだ先駆者の少なかった『香り』に及び、一人でそれを瓶に封じ込めることに成功した。
 そんな彼女の強さは優しさとは対称的なものであり、自分が持っていない別の意味での豊かさでもあった。
 ノーラは彼女の葛藤に対して言葉をかけることはできなかった。かわりに彼女の頬に両手を当てて額をそっとくっつけた。
 一瞬戸惑ったが、フェルリは人が触れるその感触がなぜかとても愛おしいようなものに思え、「少しそのままでいてほしい」と言った。
「ええ」
 ノーラとフェルリはしばらくそのまま無言で佇んだ。少し外の風が強くなってきたようだ。
 突然ドアをがちゃりと開け、ヨナが入ってきた。二人があわてて顔を離し、距離を取る。
「おなかすいた」
「そうですね、じゃあご飯食べに行きましょうか」
 もちろん行きますよね、とノーラはフェルリの手をとり、三人は夜の市へ向かう。
「綺麗……」
 明かりに照らされた夜市は昼間と変わらないほどの人通りだ。空の色が違うだけでこんなにも町の雰囲気が変わるものかとフェルリは感心した。
「昼間よりも皆さん生き生きしてますね」
「お仕事が終わった解放感もあるのでしょう」
「風呂もある」
 風呂?と二人がヨナのほうを向く。ヨナは自分が一人で旅をしていたときに入った風呂の話をした。
「あれは……クセになる」
 修道女のノーラと貴族であるフェルリにとって大衆浴場は縁のないものだ。興味深げにヨナが体験した風呂での出来事をふんふんと聞く。
「なんというか……ずいぶん活動的なものなんですねそれ……」
「ええ……そのようです……」
 熱い空間で他人に背中を擦られるというのはどうも受け入れられがたいものらしく、二人は乗り気ではなかったことに対してヨナは頬を膨らませた。
 あちこちの屋台を巡り三人は食べ歩きをした。見たことのない食材やこれまでに食べたことのない食感に舌鼓を打ちながらそれぞれのものを分け合って食べる。
「こんなに楽しいことがあるなんて、お父様はどうして教えてくれなかったのかしら」
 それにあれもおいしい、これもおいしいとどんどん自分が食べたものをヨナとノーラに勧めてくる。貴族の娘などという堅苦しい肩書に縛られない、みんなで楽しさを共有する子供の振る舞いであった。
 ヨナはぱくぱくとフェルリの差し出したものを味わい、彼もまたフェルリに「これもおいしい」と勧め皿を共有した。
 どれだけ強くあろうとしても、楽しいという思いにまで蓋はできないものだ。
 ノーラは食事を分け合う少年と少女に親指と人差し指で窓を作ってそれをいつまでも楽しそうに眺めた。
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