ある解放奴隷の物語

二水

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第十三話 成り上がりの商人

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 必要なものは生まれ?才能?努力?
 小さなヨナよ、君ならわかるはずだ
 人の心を掴むものは満たされない飢えであることを
   ――吟遊詩人ジーンの歌より

 壁の内側の賑わいはそれまでにないものだった。
 様々な髪型。様々な衣装。様々な装飾品。
 人のみならず目にする建築物や食べ物、匂い、空気の味すら違うように感じられた。
「すごい……」
 行き交う人々はそれぞれみんなが個性に身を包み、喧騒に明け暮れる。
「ウェインズ氏の家は……すぐのところだそうです」
 記憶を頼りにフェルリは婚約者の屋敷へ向かう。フェルリから「一段落したら是非とも礼がしたい、施しを受けるだけ受けて別れてしまうのは家名の名誉に関わる」とのことだったのでヨナとノーラはついていくことになった。
 はたしてそれは周囲と比べても一回りも二回りもあるような巨大な屋敷であった。大きな石の建物は鮮やかな色に塗られ、周囲と比べてもひときわ目立つ。
「ウェインズ様に御用でしょうか」
 中から現れた使用人が貧相な三人の衣類をわざとらしく上から下まで何度も見ながら訪ねた。
「私はオードバン伯爵チェックの長女フェルリ。この度は婚姻の儀を行うべくウェインズ様のもとに参りました。こちらは道中で私を助けて下さった恩人の方々です」
 それを聞くや否や使用人はきちっと姿勢を正し、深々とお辞儀をした。
「無礼をお許しください、レディ・オードバン。私は使用人のベラと申します。旦那様は中におられますのでこちらへどうぞ」
 ベラについて行き屋敷の内部へと案内される。そこには様々な調度品や、フェルリですら見たこともないような品の数々が至る所に飾られていた。
 その価値を知ってか知らずかヨナはぺたぺたと歩きながらそれらを触って回る。あるものは金属、あるものは陶器、またあるものは何かの骨だったりとその触感は様々だった。
 外部のみならず趣向の凝らされた廊下を歩いていくと、ベラは立ち止まり「レディ・オードバンがおいでになりました」と薄い布の仕切りの向こうに声をかけた。
 それからひと呼吸もせぬ間に壮年の小柄な男が待ってましたとばかりに飛び出した。
「ようやく、ようやく会えましたレディ・オードバン!」
 男は二人に目もくれずフェルリの方に向かうとその手の甲に口付けをした。
「ああ、あなたの手紙に書いてある文字のとおりに綺麗なお方だ。僕は今とても幸せです」
「そ、そうですか。私もあなたに会えて光栄ですウェインズ様」
 ウェインズの喜びようにたじろぎながらもフェルリは彼の手を取り軽く口付けを返した。
「こちらはヨナさんとノーラさんです」
 一通りの挨拶が済むとフェルリは二人を紹介し、ここへ来るまでの経緯を説明した。
 ウェインズはそれを聞くとすぐに「歓迎の準備を。こちらのお二方の分も追加でお願いします」と使用人達に伝え食事の準備を始めさせた。
「さあさあ、こんな場所でもなんですから客間へ行きましょう」
 案内されるまま客間へ通され、座るように促される。
 ヨナはまるで腰が包まれるようなやわらかい椅子に「おお……」と言いながら何度か立ったり座ったりを繰り返した。
「遠路はるばるお越しいただきありがとうございます。オードバン卿……お父上はお元気ですか?」
 ええ、とフェルリが答えしばらくの形式的な会話の後にウェインズはヨナの方を向いた。
「ヨナさん……でしたかな」
 見事な細工の施された壺の中を覗き込んでいたヨナは「うん」と返事をした。
「僕の見当違いだったらお詫びします。あなたは奴隷だったのではないでしょうか」
 三人の動きが止まった。貴族の持つ奴隷への感情を考慮してノーラはヨナがミールへ行くと言ってからあえてヨナが奴隷であったことをずっと会話の中で伏せていたのだ。それはフェルリに対してもである。
 フェルリも一瞬動揺し「ウェインズ様、それは一体どういう事でしょうか」と問う。
「日焼けの仕方、貴族たちに対しての接し方、色々ですよ」とウェインズはフェルリの方を向いて答えた。
 緊張した空気が室内に張りつめ、三人は黙り込む。ヨナも奴隷の身分がどのような扱いをされるのが『あるべき姿』なのかは嫌というほどわかっていた。
 冒険者になったとしても元奴隷であったという事実は変わらないのか。ヨナはノーラとフェリスが狼狽する様子を見て自分が思う以上に身分というものが重要であるかを悟った。
 そしてここから一刻も早く逃げ出したいと思った。ノーラに気を遣わせ、フェルリの結婚という大事な話を自分が奴隷であるということで台無しにしてしまうのなら、自分はいないほうがきっといい。そう思った。
 しばしの沈黙を破ったのはウェインズだった。
「あれ……何かまずいこと言っちゃいましたかね……」
 頭をかく彼の様子はヨナを屋敷に上げたことに対する非難のそれではないようだった。
「元奴隷だったのなら、『元奴隷仲間』として咲かす話でもあるのかなあと思ったのですが……」
 呆気にとられるノーラとフェルリ。
「今でこそ商人としてようやくこの地位まで手に入れましたが、僕も元々奴隷です」
 嘘だ、とフェルリが言う。
「だってお手紙であんなに知的なお話ができる方ではありませんか」
「身分という枠を越えて自分自身を表現するために香水のお勉強をなされている貴女ならわかるのではないですか?」
 ウェインズはかつて奴隷としてある地方の農家の奴隷だった。薬草を栽培し、それを日が暮れるまで売った。売りに行った先で違う薬草を見つけると、それについて店主に聞いてこっそり苗をもらった。そうするうちに薬草についての知識に精通し、その評価は領主の耳に入った。
 領主は彼を農家の主から数枚の銀貨で買い取り、自身の領地で薬草を育てさせ、やがて領主の伝手で販売する薬草の量が増えると新しく奴隷を雇い、彼を奴隷から雇用者という身分へと引き上げた。
 やがて金の勘定をする頃になるとウェインズには次に売れる薬草の傾向が見えるようになっていったという。やがて薬草だけではなく、領主に頼み込み彼の知り得る限りの知識を吸収していった。
「そして今こうしてここに僕はいます。ひとりの商人として。レディ・オードバンにも話すべきか否か再三迷ったのですが結局決断する前にこの日が来てしまったのは私の落ち度です」
 フェルリはしばらく黙っていたが、「私のことはフェルリと呼んでください」と彼に言った。それはウェインズが奴隷であったことをフェルリに話しても尚、彼女が結婚する意思を放棄しないという意味であった。
 彼女は聡明であった。自分が身分の枠組みを越えたいと思ったからには、それを他人が成したところで否定できないことをわかっていた。
「だから私はヨナさんの冒険心というのはとてもわかっているつもりです。何かひとつを知りたいと思うと、そこからまるで木の枝のように次々と新たに知りたいものが枝分かれして出てくるものですから」
 ヨナはうんうんとウェインズの言葉に頷いた。
「今の世界は混乱の時期にあります。昨日まで栄華を極めている国が今日にはなくなっているかもしれない。今日まで友好的だった国が明日には敵になっているかもしれない。そんな危うい情勢の中で唯一中立を保っている職業が我々商人です」
 思想も人種も宗教も身分も関係なく分け隔てなく物を売る。それが商人。
「ヨナさんもわが商会で働きませんか?あなたにはフェルリ様を助けていただいた恩もあります」
 ただ手をとってくれればいい、とウェインズはヨナの方に右手を差し出した。
 ヨナは考えた。彼のもとで働けば今後の安泰は約束されるだろう。外で寝る必要もなければ夜道で魔物に怯える必要もない。食べたいものは食べたいだけ食べられるだろう。ノーラもわざわざ自分について危険な旅をする必要もなくなるだろう。
 珍しく彼は長い時間考えた。ノーラとフェルリは何度も様子を確認しようと彼の顔を覗き込んだ。
 そしてヨナはウェインズの差し出された右手をとることはなかった。
「僕は世界を見たい」と一言だけ言ったが、その言葉でウェインズは満足したように「そうですか」と手を下ろした。
「僕は自分の知識や経験を財産という形に変えることに価値を見出しましたが、ヨナさんはそれらを得ること自体が価値になるのでしょう。あなたはまだ若い。幼いといっていいほどに若い。きっとその感性は僕が商売という枠組みで殺してしまうよりも自由にただ旅をするほうが良いのかもしれませんね」
 ウェインズはヨナの選択を良いものとし、今後の旅の幸運を願った。
「あ、でももし国外に出るのであればそこで見つけた目新しいものを書き留めて手紙がのしいです。ちゃんと商品として取り扱う暁には取り分もありますから……」
 商人はどこまでいっても商人だ。
 ノーラとフェルリは、きょとんとするヨナとどうしても彼との関係をつなぎ留めたいウェインズを尻目に二人でふふっと笑った。
 
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