ある解放奴隷の物語

二水

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第二十四話 二人の商人(下)

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 風が吹けば桶を売ろう
 石橋があれば槌を売ろう
 人の不幸には蜜を売ろう
   ――吟遊詩人ジーンの歌より


「なんだと……?」
「決闘を申し込む、と申し上げたのです」
 決闘。それはこの国では両者の言い分を決める正当な手段であった。こと名誉などに関する無形の損害については言った言わないの不毛な話し合いが続くため、手っ取り早く汚名を雪ぐために決闘が行われることは珍しくない。
 ベラはその手段を自らに浴びせられた罵声と、雇用主であるウェインズ、そしてフェルリの名誉のために使うことにした。
「下人が……私の『親切』をこんな形で返すなどと……許されん!」
「それで、受けられるのですか?受けられないのですか?」
 冷ややかな視線と共にベラは返答を急かす。対するレンボスは頭に血を昇らせていたが、だからといって即座に決闘を引き受けるというほど順調に事は進まない。
 決闘は往々にして死人が出る。降参をすれば相手の言い分が通るばかりか、命惜しさに主張を覆したとして後ろ指を指されることになるからだ。そこで決闘の敗者が受ける屈辱は影のようにくっついて回る。
「ぐ……」
「私が勝てばあなたからの最大限の謝罪とそれなりの『誠意』を要求します」
「ならば私が勝った時は好きにしていいと、そういうことだな」
「ご自由に」
「貴様の市民権を剥奪して館の奴隷共の慰み者にされても文句は言うまい」
「私が負けた暁には仕方のないことです」
 決闘を受けすらしないうちに股間を膨らまし鼻息を荒げるレンボスを乗らせるべく、ベラはさらなる挑発を行う。
「散々言いたいことを仰っておいて、まさか『平民』の『女』に『男』である『伯爵様』が怖気づいて決闘を受けず逃げるなんていうことはありえないでしょうし、回りくどい真似をせずとも私を好きにできるこの機会をみすみす逃すのでしょうか」
 フッ、と鼻で笑いながら「まあ、今見ておられる方々の前でそんな恥を恥じとも思わないような方が私を手に入れたところで程度が知れてそうですが」とわざとわかりやすく視線をレンボスの股間へ移す。
「人前でのこの侮辱……決闘するまでもない、この場で切り捨ててやる!」
 レンボスは腰の剣を抜いてその切っ先をまっすぐにベラの方へ向けた。その顔は真っ赤に震え、いまにも破裂せんばかりだ。
 ベラはちらりとあたりを見渡す。野次馬は相当数集まり、中には賭けをする者たちまでいた。彼らを見届け人にしてしまえば面目は立つだろう。
「では、いざ」
 ベラも短剣を構えて決闘が開始された。
 彼女の短剣に対しておよそ倍はあるであろうレンボスの細身の長剣は彼女を近づけまいと牽制してくる。
「どうした、来ないのなら私からいくぞ」
 腕を伸ばして突いてきた剣を躱す。服の端を剣が掠めた。
「このままさらし者にしてやるのも面白そうだなあ、うん?」
 初手を取ったことに調子づきさらに一突き、もう一突きとレンボスの剣が迫るのをベラは冷静に見切り、体を避けて躱していく。
「私に剣で挑んだのが運の尽きよ。ま、降参しても遅いがな。腕の一本くらい削いでやれば歯向かう気力も失せ泣いて許しを請うことになるがな」
 余裕の表情で突きを繰り返すレンボスに、小柄で短剣を振るうベラは手も足も出ないように見えた。
 オッズはレンボスに偏り、賭けられた金銀銅貨で一部は盛り上がりを見せていた。
「やっちまえ!女なんかに負けるな!」
「貴族に一泡吹かせてやれ!」
 それぞれ立場の違う者達がみな一同に会して二人の決闘を見て盛り上がる。この時ばかりは貧富や貴賤など関係なく、互いに同じ者を応援するもの同士で肩を組み酒を飲み、反りが合わないもの同士は酔った勢いに任せて喧嘩をおっ始め小さな人だかりが増えた。
 それは小さな祭りのようだった。緊張に満ちた雰囲気は薄れ、ひとときの喧騒に身を委ねる。そんな人々の刹那的な享楽は、いつまで生きることができるかわからない時代であったからこそ尊重される文化でもあった。
 そしてベラはこの小さな祭りの効果的な締め方を考えていた。彼らにとっての娯楽である以上、血みどろで怨恨を後引くやり方はよくない。それでいて完全にこの決闘を終わらせる方法を。
「やっ――」
 レンボスが突いてきた剣をベラは躱すと、ここでようやく短剣を振った。
 鋼が強く当たる音がし、一同はとたんに静かになり状況を把握しようと目を凝らす。
 肉厚の短剣に対し、細身の長剣は丈こそあれど作りはどうしても頑丈にできない部分がある。その構造的な欠陥を補うために長剣を扱う剣術はしっかり刃が肉に立つよう切り込むか、あるいは突くことを主としているのを武器も扱う商人であるベラは知っていた。
彼女は、突き出された長剣をその短剣で横から思い切り叩き折ったのだった。
 手に渡る衝撃と、突然の反撃にレンボスは動揺する。刃の折れた剣はもはや突くことも切ることもできないただのがらくただ。
「まだ続けますか?」
 静かにレンボスの方に歩き、喉に短剣を突きつける。
 武器がなくては戦いは続けられない。もっとも武器があったところでただの一撃で剣を折って勝敗を決しようとする者を相手にするだけの戦意も度胸も彼にはなかった。
ただ圧倒的優位な立場からそれを覆されることなく蹂躙するのが常だった彼にとって、それは紛れもなく完全な敗北だった。
「ぐ……」
「私としてはここであなたの首を落とそうが落とすまいがどうでもいいのです、レンボス卿。決闘の結果で明らかになるのは『どちらの言い分が正しいか』だけであって、その結果貴方が命を落としたところで私は残った貴方の家族に必要なものを求めるだけですから」
 短剣を下ろすことなく淡々と話を続けるベラ。彼女の『正当化された脅迫』は周りで見ている野次馬たちでさえも戦慄するような冷酷さである。
「悪魔が……!」
「貴方がもう少しだけ、誰かを思いやる行いをしていればあるいは自分にもそうされたかもしれません」
 そしてもう一度、「まだ続けますか?」とレンボスに問うと彼は剣を放り出し、降参だと両手を上げた。
「屈辱だが結果は結果だ……。お前たちへの非礼を詫びよう」
 決闘は裁判の一種であるゆえ、その結果に背くことをすれば拾った命をもう一度捨てることになりかねない。それだけは避けたいものであった。
「それでは宣誓を」
「私……レンボス伯爵は此度のウェインズ商会に対する無礼な言動を謝罪する……」
「足りません。フェルリ様への無礼は許されると?」
「ぐっ……」
 そしてレンボスは続けてフェルリへの謝罪の宣誓をすると、野次馬たちがその見届け人となり、ベラはその言葉の代言人としてフェルリに今回の事の顛末と謝罪を伝えることを約束した。
「それで、誠意ですが……」
 ベラが言いかけたところでレンボスは腰の袋から金貨を三十枚ほど取り出した。それは十分を過ぎるほど相場からかけ離れている価格だ。誠意というよりはきっとこれ以上触れ回られないための口止めの意味合いの方が大きいだろう。
「もう勘弁してくれないか……。これ以上大勢の目の前で恥をかかせないでくれ……」
 ざわざわと観客たちは二人の様子を伺いながら口々に何かを話している。決着はついたからとその場を離れる者たちもちらほら見えた。
 ここらが引き時か。
「ではこれで一件落着ということで。これからも『同業者同士』仲良くやっていきましょう、レンボス卿」
 こうして誰も血を見ることはなく決闘は終わった。ただの市民の女が貴族の男と剣を交えて勝ったなんて痛快ではないか。それだけでこの話はしばらくの間ミールで語られるだろう。それは別件の王室との取引で邪魔だったライバルの貴族商人のひとつを潰せたことを意味する。
 ベラは昼食をとり、しばらく街を回って時間を潰した後に噴水で日が暮れるのを待ったが、ウェインズもさほど遅くならないうちに現れた。
「結果発表、でいいのかな」
「はい」
 それでは、とウェインズは大ぶりの革袋の中身をその場に広げた。ベラも同様に袋の中を開ける。
「しかし随分と思い切ったことをしたね。レンボス卿に吹っ掛けるなんて」
「もうお聞きになっていたのですか」
 お互いの所持金の確認をしながら二人は話す。
「ふふ、聞いたというよりも見ていたさ」
 やけに多い彼の硬貨を数えながらベラが首を傾げる。
「ベラは金貨三十枚、と」
「ウェインズ様は……細かいのが多いですが見たところ私よりも多そうですね」
「すまないね、大口で賭ける人が少なくて」
 はっはっはと笑うウェインズ。ベラはようやく先ほどの決闘で賭けを仕切っていたのが彼であることを見抜いた。騒ぎを聞きつけた彼はすぐさま現場へ赴きその場でどちらが勝つかの賭けの胴元をしていたのだ。もちろん自分もベラの勝利に金貨を賭けながら、レンボス側を煽りオッズを傾けて手数料までしっかりと取っていた。
 結果決闘はベラの勝利に終わり、自分の賭けた金貨は十倍、そして彼が賭けの手数料で得た利益はすべて金貨に換算すれば二十枚近いものになっていた。
「あいこになってしまったな。ま、結果は誰も予想ができないものです。しかし今回の一件、今後の商会の敵が一人いなくなったことを考えればそれだけでゆうに白金貨十枚は下らない価値があります。君の勝ちです」
 ウェインズはベラに勝ちを譲り、約束通り彼女が望むものが何かを訊いた。
 ベラはしばらく考えた後、「今はまだ決められません」と答えた。
「商人は欲深いものですから。一つを選ぶには時間がかかるものです。そうでしょう、ウェインズ様?」
「一本取られたな。それは僕がいつも言う台詞ですよ」
 そしてウェインズは今回の『望むものを一つ与える権利』に期限はないと伝えた。
「ベラ、君はそろそろ独り立ちしてもいいと僕は思っています。君はもう十分に僕の商売のやり方も知恵の使い方も知っていて、そして独り立ちをしてもやっていけるほどの十分な強さもあります」
 荷馬車を引いて行商をしていた頃に出会い、ともに事業を発展させてきた。人の欲を嗅ぎ分ける嗅覚を持つウェインズが計画し仕入れ、ベラが彼の為の手足となり、ある時は商会の顔として行動する。『よろず屋のベンとベラ』は『ウェインズ商会』に名前を変えて大きく発展した。それにはベラの商才の寄与も大きく関わっていた。
 だからまだ伸びしろのある才能を自分の元で潰したくないとウェインズは思ったのだ。
 しかし、ベラはその独立の提案に対し首を横に振った。
「まだです。まだ我々の商会は世界を取ってはいません。南から北まで、最果てに至るまで手を伸ばし続ける。国も種族も貴賤も性別も関係なく対等に関係を築ける唯一の職業が商人であるならば、今私がすべきことはウェインズ様がやろうとする夢を共に追う事です。それこそが私の望み。そしてその先にある『違う事による争い』のない世界こそ私が唯一欲して止まない物です」
 なるほど、とウェインズは頷く。
「期限はないと言いましたがもう少しかかりそうですね。君が欲しがるものはずいぶんと大きい」
「自らの手で商品を届けることこそ信頼の証です。楽しみにしております、ウェインズ様」
 そうして二人の商人は市場で手ごろな果物を買って、それを食べながらもう一回り街を歩いた。
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