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二週目

25話 寵愛

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「おかえり花雫!今日も遅かったね!」

「おかえりなさい。花…しず…」

「?」

私がリビングに入ると、薄雪が怪訝な顔で私を見上げた。

「どうしたの、薄雪」

「…なんでもありません」

「え?なに?」

ふい、と顔を背けた薄雪の表情は不機嫌そうだった。綾目にはなぜか分かったようで「あー…」と小さく呟いている。私は首を傾げながらコートとスーツを脱いだ。寝間着に着替えようとした私を綾目が浴室へ引きずっていく。いやいやシャワーを浴びたあと、テーブルの前に座り髪を乾かした。

「花雫、飲みますか?」

「あ、ううん!今日は飲んできたからいいですー。薄雪、飲みたかったら飲んでいいですよ。おつまみもありますし」

「…そうですか」

結局彼はお酒を飲まなかった。ボーっとしている私から少し離れた場所で、なにも話さずカスミソウと戯れている。いつもは痛いほど感じる視線も、今日はあまり感じなかった。

私が布団に潜ると小さな薄雪と綾目も入ってきたけど、薄雪はずっと私に背を向けたままだった。

◇◇◇

「……」

翌朝目が覚めたときには布団の中に私ひとりだった。耳を澄ますとリビングから生活音が聞こえてくる。いつも朝起きるの早いんだよなあこのふたり。
私がもぞもぞしていると、それに気付いた綾目が来て布団の隣に座った。

「おはよう花雫。よく眠れた?」

「うん…でもまだ眠い…」

「昨日いびきすごかったよ」

「え"っ!私いびきなんてかくの!?」

「疲れた日にはかいてるよ。あと歯ぎしりも」

「…最低じゃん」

「ついでにいえば寝言も多いよ」

「深夜の方がうるさいんじゃないの私…」

「ううん。お酒飲んでるときが一番うるさいよ」

「なんだとぉ~?」

「わっ!」

からかう綾目を布団の中に引きずり込み、わきをくすぐった。綾目は楽しそうにケタケタ笑いながら足をばたつかせている。あ~もうかわいすぎるよ綾目~!!

「…そういえば今週ミルちゃんタイムなかったな」

「猫の姿になってほしかったら、薄雪さまの願いを叶えてね」

「…今回のお願いはなんだろう」

前回のお願いは花を部屋に飾ることだった。今回も花か、もしくはお酒をたんまり買えとかかな?
しばらく綾目とじゃれてから、起き上がりリビングへ行った。テーブルの上には薄雪がチョボをクルっとした食パンが人数分並んでいる。マーガリンとジャム、それと水もちゃんと用意されていた。

「おはようございます薄雪。いつも朝ごはんありがとうございます」

キッチンとリビングを行ったり来たりしている薄雪に挨拶をすると、彼は微笑みを返した。

「おはよう花雫。昨晩は夢も見ずに眠ってましたね」

「げっ。いつも夢まで覗かれてるんですか」

「ええ。夢の中でもシゴトをしていますね。見なくてよかったですね」

「夢を見ないようにお酒飲んでるまでありますからね…」

「ところで花雫。さきほどの会話、聞こえていましたよ。みるちゃんをご所望でしょうか?」

「あっ、はい!お願いします!今回のお願いはなんでしょうか」

「ふむ…」

薄雪は自分の唇を指で撫でながらしばらく考えこんだ。なかなかに長い沈黙の間に、私は大あくびをして煙草に火をつけた。ログボをもらおうとソシャゲを開いたとき、やっと彼が口を開いた。

「決まりました」

「おっ。なんでしょう」

「たまにシゴトに同行させてください」

「…はい?」

なに言ってんの?
私があんぐり口を開けていると、薄雪はにっこり笑って言葉を続けた。

「せっかくコチラ側に来たのです。コチラ側のヒトをたくさん見てみたい」

「ええ…」

「心配しないでください。他の人たちの目に私は映りません」

「他の人たちにみえなくても、私には見えますけどお…」

「いけませんか?」

「気が散る…仕事集中できない…」

「ふむ。ではみるちゃんはナシですね」

「うぎゃあああああ!!やだああああああ!!ミルちゃんに会いたい~~!!」

「しかし」

「他のお願いは!?」

私がそう尋ねると、薄雪はきっぱり言った。

「ありません」

「ふぐぬぬぬぬ…」

「どうしますか?シゴトをとるか、みるちゃんをとるか」

こんにゃろぉ…。
私はちらりと綾目を見た。綾目は呆れた様子で薄雪を見ている。そして小さな声で私に話しかけた。

「花雫がわるい」

「えっ!なんで私がわるいの!」

「あやかしの執着心をなめちゃだめだよ花雫…。君はいま、アチラ側でいっちばんすごいあやかしの寵愛を受けてるんだから…」

よく分からないけど私がわるいらしい。ジトッとした目で薄雪を見ると、彼はただひたすら微笑んでいた。譲歩するつもりはまったくないようだ。ミルちゃんを諦められなかった私は仕方なく頷いた。

「…分かりました」

「はい。では綾目。みるちゃんになっておあげなさい」

「…はい」

綾目は、はぁーっとため息をつき猫の姿になった。そして私はいつものように、ミルちゃんのおなかに顔をうずめてガジガジ噛みながら匂いを嗅いだ。
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