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魂魄編:ピュトア泉
後遺症
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モニカの懐かしい匂いにホッとしていたアーサーに、クラッと眩暈がして突然眠気がやってくる。
「いっ……!」
モニカは痛みに顔を歪めた。
首元をアーサーに噛まれている。
アーサーは彼女の肉を噛みちぎり、傷口から血を啜り始めた。
「アーサー……」
「……」
アーサーの返事はない。顔を真っ青にして視線を送るモニカに、シチュリアがため息をつく。
「やっぱり……。こうなってしまったわね」
「え……」
「アーサーの体には三体もの魔物の魂魄が憑依していました。その内の二体は吸血鬼でしたでしょう? その上、アーサーの体に長らく憑依していたのも吸血鬼でしたし、核を支配していたのも吸血鬼でした。特に彼の核は、核を支配していた吸血鬼を受け入れて身を委ねていましたし」
シチュリアの話を聞いても、モニカにはよく分からなかった。
「つまり……どういうこと……?」
「擦り込まれてしまったんです。吸血鬼の魂魄の残滓が、彼の体や核の中に」
「えーっと……?」
飲み込みの悪いモニカに、シチュリアは苛立ちの表情を浮かべたが、代わりにフィックが分かりやすく説明した。
「アーサーに吸血鬼の特徴が残ってしまったということだよ。それの最たるものが……吸血行為」
「……」
モニカは言葉を失った。
「シチュリアの聖魔法や聖水でさえ消せなかったみたいだね。それほどまでに深く刻まれてしまった。もうアーサーは元には戻ることができないよ」
「それって、アーサーは魔物になっちゃったってことなんじゃ……」
モニカの呟きに、シチュリアは考えを整理しながら答えた。
「肯定も否定もできません。確かに彼には魔物の魂魄の残滓が沁み込み、ひとつとなっています。そして、彼は見ての通り吸血鬼の特徴を残してしまった。純粋な人とはもう言えないでしょうね」
「そ……そんな……」
絶句しているモニカをよそに、フィックは興味深げに吸血しているアーサーを観察していた。
「一概に魔物というより、どちらかというと魔女に近いよね。魂魄の残滓……つまり魔物の心が刷り込まれてしまったということだから」
「ええ。ですが、魔女と言うのはたいがい、多数の魔物の魂魄の残滓がまとまって人の体を乗っ取り生まれる魔物です。一方アーサーは二体の魔物の魂魄の残滓が刷り込まれただけです。いわば、魔女のできそこないですね」
「9割が人、1割が魔物くらいの感覚じゃないかな?」
「ええ、そうね。そんな感じ。1割か、2割か。……もしくは3割か」
「聖魔法を受けても別にダメージを食らったりはしない程度だよね?」
「そうね。少し居心地は悪いでしょうけど」
「……」
モニカが首元にかじりついている兄を思いつめた表情で見つめていると、シチュリアが励ますように彼女の手を撫でる。
「モニカ。兄が一部でも魔物となってしまったこと、なんと声をかけていいか分からないけれど。ひとつだけ言えるとすれば……」
「……」
「アーサーに憑依していた二体の吸血鬼は、人の心を持った魔物でした。モニカ、あなたは魔女に会ったことがありますか?」
「うん……。哀しみの魔女……楽しみの魔女……喜びの魔女……」
「あら、そんなに。でしたらご存じでしょう? 魔女には、喜び、怒り、哀しみ、楽しみの四種類が存在していて、魔女の性質は魂魄の残滓……魔物の心や感情に強く影響を受けます」
「うん……」
モニカは今までに出会ってきた魔女を思い浮かべた。
はじめて会った哀しみの魔女は、哀しいものが好きだった。
リアーナの祖母である楽しみの魔女は、楽しいことであればどんなことでも興味津々だった。
杖を蘇らせてくれた喜びの魔女は、どんなことにも狂人的に喜びを見出していた。
彼女たちの性質はすべて、魂魄の残滓の影響だろう。
「では、アーサーは吸血鬼にどのような感情を残されたか、気になりませんか?」
「……」
黙り込むモニカに、シチュリアは微笑んで見せた。
「愛情です」
「愛情……」
「ええ。本来魔物に愛情などという感情はありませんが、吸血鬼は元々人間です。彼らは特に、魔物になってからも愛情を大切にしていたようですね」
「ロイ……セルジュ先生……」
「体に憑依していた吸血鬼はあなたに対する愛情を、核を支配していた吸血鬼はアーサーに対する愛情を彼に残しました。それはつまり、彼は今まで以上に愛情深い人になったということです」
「っ……」
魔物に刻まれた腕の痣。それは、魔物が自分の獲物だと、他の魔物に奪われないよう刻んだものだった。
しかしセルジュとロイが残したものは違う。おそらく彼らは、アーサーに残滓を残すつもりなどなかっただろう。だが残ってしまった。なぜなら彼らが、アーサーとモニカをあまりにも大切に想っていたから。
「吸血行為は吸血鬼の恐ろしい習性です。もしかしたら他にも彼に、疎ましい魔物の習性が残っているかもしれない。だけど、彼はほとんど人のままであり、より愛情深い人になりました」
「モニカ。君はお兄さんのことがきらいになった?」
フィックの問いに、モニカはブンブンと首を横に振る。
「きらいになんかなってないわ。わたしはどんなアーサーでもだいすきだもん」
シチュリアとフィックは目を見合わせて微かに口元を緩めた。
「いっ……!」
モニカは痛みに顔を歪めた。
首元をアーサーに噛まれている。
アーサーは彼女の肉を噛みちぎり、傷口から血を啜り始めた。
「アーサー……」
「……」
アーサーの返事はない。顔を真っ青にして視線を送るモニカに、シチュリアがため息をつく。
「やっぱり……。こうなってしまったわね」
「え……」
「アーサーの体には三体もの魔物の魂魄が憑依していました。その内の二体は吸血鬼でしたでしょう? その上、アーサーの体に長らく憑依していたのも吸血鬼でしたし、核を支配していたのも吸血鬼でした。特に彼の核は、核を支配していた吸血鬼を受け入れて身を委ねていましたし」
シチュリアの話を聞いても、モニカにはよく分からなかった。
「つまり……どういうこと……?」
「擦り込まれてしまったんです。吸血鬼の魂魄の残滓が、彼の体や核の中に」
「えーっと……?」
飲み込みの悪いモニカに、シチュリアは苛立ちの表情を浮かべたが、代わりにフィックが分かりやすく説明した。
「アーサーに吸血鬼の特徴が残ってしまったということだよ。それの最たるものが……吸血行為」
「……」
モニカは言葉を失った。
「シチュリアの聖魔法や聖水でさえ消せなかったみたいだね。それほどまでに深く刻まれてしまった。もうアーサーは元には戻ることができないよ」
「それって、アーサーは魔物になっちゃったってことなんじゃ……」
モニカの呟きに、シチュリアは考えを整理しながら答えた。
「肯定も否定もできません。確かに彼には魔物の魂魄の残滓が沁み込み、ひとつとなっています。そして、彼は見ての通り吸血鬼の特徴を残してしまった。純粋な人とはもう言えないでしょうね」
「そ……そんな……」
絶句しているモニカをよそに、フィックは興味深げに吸血しているアーサーを観察していた。
「一概に魔物というより、どちらかというと魔女に近いよね。魂魄の残滓……つまり魔物の心が刷り込まれてしまったということだから」
「ええ。ですが、魔女と言うのはたいがい、多数の魔物の魂魄の残滓がまとまって人の体を乗っ取り生まれる魔物です。一方アーサーは二体の魔物の魂魄の残滓が刷り込まれただけです。いわば、魔女のできそこないですね」
「9割が人、1割が魔物くらいの感覚じゃないかな?」
「ええ、そうね。そんな感じ。1割か、2割か。……もしくは3割か」
「聖魔法を受けても別にダメージを食らったりはしない程度だよね?」
「そうね。少し居心地は悪いでしょうけど」
「……」
モニカが首元にかじりついている兄を思いつめた表情で見つめていると、シチュリアが励ますように彼女の手を撫でる。
「モニカ。兄が一部でも魔物となってしまったこと、なんと声をかけていいか分からないけれど。ひとつだけ言えるとすれば……」
「……」
「アーサーに憑依していた二体の吸血鬼は、人の心を持った魔物でした。モニカ、あなたは魔女に会ったことがありますか?」
「うん……。哀しみの魔女……楽しみの魔女……喜びの魔女……」
「あら、そんなに。でしたらご存じでしょう? 魔女には、喜び、怒り、哀しみ、楽しみの四種類が存在していて、魔女の性質は魂魄の残滓……魔物の心や感情に強く影響を受けます」
「うん……」
モニカは今までに出会ってきた魔女を思い浮かべた。
はじめて会った哀しみの魔女は、哀しいものが好きだった。
リアーナの祖母である楽しみの魔女は、楽しいことであればどんなことでも興味津々だった。
杖を蘇らせてくれた喜びの魔女は、どんなことにも狂人的に喜びを見出していた。
彼女たちの性質はすべて、魂魄の残滓の影響だろう。
「では、アーサーは吸血鬼にどのような感情を残されたか、気になりませんか?」
「……」
黙り込むモニカに、シチュリアは微笑んで見せた。
「愛情です」
「愛情……」
「ええ。本来魔物に愛情などという感情はありませんが、吸血鬼は元々人間です。彼らは特に、魔物になってからも愛情を大切にしていたようですね」
「ロイ……セルジュ先生……」
「体に憑依していた吸血鬼はあなたに対する愛情を、核を支配していた吸血鬼はアーサーに対する愛情を彼に残しました。それはつまり、彼は今まで以上に愛情深い人になったということです」
「っ……」
魔物に刻まれた腕の痣。それは、魔物が自分の獲物だと、他の魔物に奪われないよう刻んだものだった。
しかしセルジュとロイが残したものは違う。おそらく彼らは、アーサーに残滓を残すつもりなどなかっただろう。だが残ってしまった。なぜなら彼らが、アーサーとモニカをあまりにも大切に想っていたから。
「吸血行為は吸血鬼の恐ろしい習性です。もしかしたら他にも彼に、疎ましい魔物の習性が残っているかもしれない。だけど、彼はほとんど人のままであり、より愛情深い人になりました」
「モニカ。君はお兄さんのことがきらいになった?」
フィックの問いに、モニカはブンブンと首を横に振る。
「きらいになんかなってないわ。わたしはどんなアーサーでもだいすきだもん」
シチュリアとフィックは目を見合わせて微かに口元を緩めた。
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