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決戦編:カトリナ

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隣の部屋から子どもの笑い声が聞こえる。いつもであればそれを聞いただけで微笑むカトリナも、今はそんな心の余裕なんてない。丸テーブルの前で座っている彼女は、肘をつき手で顔を隠していた。
同室のリアーナは、そこから少し離れたベッドに座りカトリナの様子を見ていたが、なんと声をかけていいか分からずうんうん唸っている。

(あたしが何言ったってなあ……。いつものテンションで絡んだってうざいだけだろうし……。おおおんどうしたらいいんだぁぁ……気まずすぎるだろこれぇ……)

その時、コンコンと遠慮がちなノックが聞こえた。カトリナが動く気配はなかったので、リアーナがドアを開ける。

「んお。ジルじゃねえか」
「カトリナいる?」
「おう」
「入っていい?」
「助かる」

招き入れられたジルが静かにカトリナの向かいに座ったのを見届けて、リアーナはすっと部屋から出て行った。

「カトリナ」
「……」
「なにに一番動揺してるの? 僕がみんなの前で君の過去を言いそうになったこと? それともダンジョンにあの魔術師がいること?」
「……どっちもよ」
「そっか。とりあえずサンプソンと話したら?」
「今さら何を話せって言うの……」
「今だから話さないといけないんじゃない?」
「……」

身を強張らせるだけで何も応えないカトリナに、ジルはため息を吐き天井を見上げる。

◇◇◇

ジルがカトリナと出会った時にはもう、カトリナとサンプソンの関係は冷え切っていた。
サンプソンがオーヴェルニュ家に会いに来ることはなく、カトリナが書いた手紙にも返事はない。オーヴェルニュ家はいつでも嫁がせる準備ができていたのに、バーンスタイン家は一向に挙式の準備を進めようとしなかった。

「ねえジル。私、なにかサンプソンに嫌われるようなことをしてしまったのかしらァ」

雨の日、窓を眺めながらカトリナが呟いた。
ジルは、彼女の頬に、窓に落ちた雨の水滴が反射していると思っていたが、すぐにそれが涙であることに気付く。

「もう会えないのかしら」

人を愛したことがなかったジルは、なぜカトリナがこんなに辛そうにしているのかが分からなかった。

その半年後、サンプソンから一通の手紙が届いた。内容は淡々と、婚約破棄をすると書かれていただけだった。

「やっぱりそうよね。でも、だったらもっと早く言ってほしかったわ」

激怒して暴れ狂う侯爵を宥め、カトリナはジルを連れて自室に戻った。

「ジル、こちらに来てくれるかしらァ?」
「うん」
「手を繋いでくれる?」
「……うん」

ジルが差し出した手を、カトリナの手が包み込む。そして彼の手を自分の頬に添えた。

「会えない日も、連絡がこない日も、ただただ彼への愛情が増すばかりだったわ」
「……」
「私の何がダメだったのかしら……。ジル、分かる?」
「分からない。君ほど綺麗で強くて性格の良い女性は見たことがないから」
「ふふ。強いのがいけなかったのかもしれないわねェ」
「どうして? 強いのがなにかいけないの」
「貴族の女性はね、弱いほうがいいのよ」
「ふうん」

泣き声ひとつあげずに涙を流すカトリナを、ジルは無表情で見ていた。

「恋人にフラれただけで泣くなんて、よっぽど弱い人だと思うけど」

その言葉にカトリナは目をぱちくりさせて、ふふっと笑う。

「あらァ。恥ずかしいわァ」
「でも確かに……」

ジルはしゃがみ、カトリナの目じりを指で拭う。

「今までの君より、今の君の方が、守りたいと思うね」
「そうでしょう? 私、彼の前できっと、かわいげがなかったんだわ」
「そうかもしれない。だから、そんなに静かに泣かなくていいんじゃない? そしたらもっと可愛げがあるよ」
「もう、ジルッたら」

そう言って笑っていたカトリナは、いつしかジルにしがみつき、声をあげて泣いていた。
いつも美しい微笑みを浮かべているカトリナが、顔をしわくちゃにして泣いた。涙で化粧が落ち、黒い涙が頬を伝う。支離滅裂なサンプソンへの罵りを、息が止まりそうなほど強くジルの胸に拳を打ち付けながら吐き出した(翌日ジルが鏡を見ると、胸に青い痣がいくつも残っていた)。

(この気持ちはいったいなんだろう。胸が気持ち悪い。気分が悪い)

泣き疲れて眠るカトリナの頭を撫でるジルは、えも言われぬ感情に不快感を持った。

◇◇◇

あの時の不快感が〝人を愛する感情〟だということを、今のジルは自覚している。
アーサーとモニカに抱いている愛情とはまた違うことも、分かっていた。
だが、ジルは決してこの気持ちをカトリナには伝えない。困らせるだけだと、分かっているからだ。

「カトリナ」

今のジルは、カトリナと同じくらい怪力だ。彼はカトリナが顔を覆っている腕を掴み、ぎりぎりと離させた。
カトリナは、またあの時と同じように黒い涙を流していた。

「また声に出さずに泣いてる」
「仕方ないじゃない。人がたくさんいるんだもの」
「アーサーとモニカの笑い声があるから、大丈夫だよ」

トン、とジルがカトリナの顔を胸に当てる。カトリナはふるふる震えて、「うぇぇぇ……」と子どものような泣き声を漏らした。
彼女の頭を撫でながら、ジルが話しかける。

「今までサンプソンと会っても、まるで赤の他人のように接してたね。サンプソンもそれに気付いてたから君に合わせてたみたいだけど、そろそろちゃんと話し合った方がいいんじゃないかな」
「だから今さら何を言えばいいの? もう私たちの関係は終わってるのよ。今の私たちはただのS級冒険者仲間なの」
「サンプソンがそう思ってるとは思えないけど」
「やめて……」
「君だって、今も彼のことが好きなんでしょ」
「やめて、ジル……」
「やめないよ。だって僕たち、死ぬかもしれないんだ。というか、死ぬ確率の方が高いんだよ」
「……」
「死ぬ前にくらい、自分の気持ちに整理させておいた方がいいと思う」
「それ、あなたが言うの……?」

最後のカトリナの言葉には、ジルは聞こえないふりをした。
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