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2章
第23話 鹿のふん
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◇◇◇
侭白中学一年生は、校外学習で奈良県の奈良公園と春日大社に行くことになった。神社仏閣に興味がない生徒たちは、つまらなさそうに電車に乗り、他の中学はあんな良いところに行ったのにと文句を言っている。
海茅にとっては行く場所なんてどこでも良かった。この日が楽しみで、緊張して、昨晩は朝方まで寝られなかったほどだ。
電車での移動中、海茅は隣に座っている優紀とイヤホンを片方ずつ耳に付け、コンクール曲を聴いた。
優紀の手がリズムに合わせて動いている。
「あー、ここ好き。ティンパニかっこよすぎる」
「私はここの激しいトライアングルが好き」
「チャイムも良いよね」
「ビブスラップも最高」
優紀と海茅は目を見合わせ、ケタケタ笑った。
「結局パーカス全部最高ってことじゃん!」
「どれも良いよね~」
課題曲の演奏が終わると、余韻に浸る優紀が吐息交じりに呟いた。
「パーカッションって、ほとんどがソロだと思わない? 他の楽器と同じ動きをするパートもあるけど」
「分かる。私たちが間違えば一瞬でバレちゃう」
「責任重大だよね~。ミスッたら演奏に大ダメージ。緊張するー」
「うん。でも……おいしいよね」
そんなことを言ってニヤッとする海茅に、優紀が肩をぶつけた。
「言うようになったねえ、海茅ちゃん」
奈良公園に到着した生徒たちは、グループごとに集まった。
海茅と優紀も匡史たちと合流する。
この一週間で、海茅は茜や創とも随分打ち解けた。今では笑顔で二人に手を振ることができるほどだ。意識しすぎてしまう匡史よりもずっと接しやすい。
「ユッキー! ミッチー! 今日は楽しもうねっ!」
飛びつく茜にももう慣れたので、海茅は苦笑いして彼女の背中を撫でた。
「楽しむかー。楽しめるかな俺ぇ~……」
創が鹿のフンを踏まないよう、奇妙なステップでこちらに来た。どうやら新品の靴を履いて来たようだ。
創のうしろには、あたりを見回して「おお~」と声を漏らす匡史がいた。創とは正反対で、景色に夢中の匡史は鹿のフンなどおかまいなしで歩いている。
優紀の手を握って走り回る茜と、フンを避けることに必死でのろのろと歩く創の間で、海茅と匡史は隣り合って歩いた。
しばらく黙って歩いていた海茅は、勇気を振り絞って話しかけた。
「き、綺麗な景色だね」
「うん! あ~……画材持って来たら良かった。描きてえ~」
海茅は奈良公園を見渡した。
確かに綺麗だ。それに鹿が可愛い。だが、海茅が感じられるのはその程度の薄っぺらい感情だけだった。
きっと匡史の目には、海茅では想像もできないほど色鮮やかな景色が広がっていているのだろう。
「描いてるところ見たかったな」
海茅はボソッと呟いた。
匡史が絵を描いてくれたなら、彼の見ている景色を覗き見ることができて、もしかしたら匡史の感動を分かち合えたかもしれないのに。
物思いに耽っていた海茅は、ふと我に返り、会話が弾んでいないことに気付いた。
海茅が見上げた先には、むずがゆそうに耳を赤くしている匡史がいた。
「ま……多田君、どうしたの? 顔赤いけど」
「あ、いや……。ちょっと、嬉しかっただけ」
「え? なにか嬉しいことあった?」
「うん。俺の絵に興味持ってくれるの、みっちゃんだけだし」
今度は海茅が顔を真っ赤にする番だ。絵のことも照れたが、匡史に面と向かって「みっちゃん」と呼ばれたのはこれが初めてだったのが、顔を赤らめた一番の原因だった。
海茅が狼狽えていることに気付き、匡史は目尻を下げる。
「やっぱり彼方さんよりみっちゃんの方が呼びやすいから。いい?」
「う、うん。じゃあ私も匡史君って呼んでいい?」
「うん。……やっぱりちょっと照れるな」
海茅は無性にクラッシュシンバルの練習がしたくなった。それが叶わないなら、大声で叫びながら奈良公園から春日大社まで全力で突っ走りたいと思った。
逃げ出したいけど、この場を離れるのはもったいない。相反する感情が海茅の体中を駆け巡る。
こうして匡史の隣で無言で歩いている間にも、跳ね上がる心臓が口から飛び出てしまいそうだ。
その時、匡史の背中に創が飛びついた。
「やっと追いついたー! お前ら歩くの速すぎ!!」
「うわぁぁぁっ!」
匡史が体をビクつかせ大声を出したので、創はのけぞった。
「な、なんだよ!? 急に大声出すなよ!!」
「お、お前こそ急に飛びつくなよ!! びっくりしただろぉ!?」
「いや、にしても驚きすぎだったろ、今の。彼方さんもそう思わねえ?」
創が話を振った海茅も、匡史と同じくらい驚いたようだった。それに、海茅も匡史も頬を染めている。
創はまじまじと二人を見て、ニマァと口角を上げた。
「ほーう? ほうほう、ほーう」
「な、なんだよっ」
「べっつにー?」
匡史に睨みつけられても、創はニヤニヤしたままはぐらかすだけだった。
侭白中学一年生は、校外学習で奈良県の奈良公園と春日大社に行くことになった。神社仏閣に興味がない生徒たちは、つまらなさそうに電車に乗り、他の中学はあんな良いところに行ったのにと文句を言っている。
海茅にとっては行く場所なんてどこでも良かった。この日が楽しみで、緊張して、昨晩は朝方まで寝られなかったほどだ。
電車での移動中、海茅は隣に座っている優紀とイヤホンを片方ずつ耳に付け、コンクール曲を聴いた。
優紀の手がリズムに合わせて動いている。
「あー、ここ好き。ティンパニかっこよすぎる」
「私はここの激しいトライアングルが好き」
「チャイムも良いよね」
「ビブスラップも最高」
優紀と海茅は目を見合わせ、ケタケタ笑った。
「結局パーカス全部最高ってことじゃん!」
「どれも良いよね~」
課題曲の演奏が終わると、余韻に浸る優紀が吐息交じりに呟いた。
「パーカッションって、ほとんどがソロだと思わない? 他の楽器と同じ動きをするパートもあるけど」
「分かる。私たちが間違えば一瞬でバレちゃう」
「責任重大だよね~。ミスッたら演奏に大ダメージ。緊張するー」
「うん。でも……おいしいよね」
そんなことを言ってニヤッとする海茅に、優紀が肩をぶつけた。
「言うようになったねえ、海茅ちゃん」
奈良公園に到着した生徒たちは、グループごとに集まった。
海茅と優紀も匡史たちと合流する。
この一週間で、海茅は茜や創とも随分打ち解けた。今では笑顔で二人に手を振ることができるほどだ。意識しすぎてしまう匡史よりもずっと接しやすい。
「ユッキー! ミッチー! 今日は楽しもうねっ!」
飛びつく茜にももう慣れたので、海茅は苦笑いして彼女の背中を撫でた。
「楽しむかー。楽しめるかな俺ぇ~……」
創が鹿のフンを踏まないよう、奇妙なステップでこちらに来た。どうやら新品の靴を履いて来たようだ。
創のうしろには、あたりを見回して「おお~」と声を漏らす匡史がいた。創とは正反対で、景色に夢中の匡史は鹿のフンなどおかまいなしで歩いている。
優紀の手を握って走り回る茜と、フンを避けることに必死でのろのろと歩く創の間で、海茅と匡史は隣り合って歩いた。
しばらく黙って歩いていた海茅は、勇気を振り絞って話しかけた。
「き、綺麗な景色だね」
「うん! あ~……画材持って来たら良かった。描きてえ~」
海茅は奈良公園を見渡した。
確かに綺麗だ。それに鹿が可愛い。だが、海茅が感じられるのはその程度の薄っぺらい感情だけだった。
きっと匡史の目には、海茅では想像もできないほど色鮮やかな景色が広がっていているのだろう。
「描いてるところ見たかったな」
海茅はボソッと呟いた。
匡史が絵を描いてくれたなら、彼の見ている景色を覗き見ることができて、もしかしたら匡史の感動を分かち合えたかもしれないのに。
物思いに耽っていた海茅は、ふと我に返り、会話が弾んでいないことに気付いた。
海茅が見上げた先には、むずがゆそうに耳を赤くしている匡史がいた。
「ま……多田君、どうしたの? 顔赤いけど」
「あ、いや……。ちょっと、嬉しかっただけ」
「え? なにか嬉しいことあった?」
「うん。俺の絵に興味持ってくれるの、みっちゃんだけだし」
今度は海茅が顔を真っ赤にする番だ。絵のことも照れたが、匡史に面と向かって「みっちゃん」と呼ばれたのはこれが初めてだったのが、顔を赤らめた一番の原因だった。
海茅が狼狽えていることに気付き、匡史は目尻を下げる。
「やっぱり彼方さんよりみっちゃんの方が呼びやすいから。いい?」
「う、うん。じゃあ私も匡史君って呼んでいい?」
「うん。……やっぱりちょっと照れるな」
海茅は無性にクラッシュシンバルの練習がしたくなった。それが叶わないなら、大声で叫びながら奈良公園から春日大社まで全力で突っ走りたいと思った。
逃げ出したいけど、この場を離れるのはもったいない。相反する感情が海茅の体中を駆け巡る。
こうして匡史の隣で無言で歩いている間にも、跳ね上がる心臓が口から飛び出てしまいそうだ。
その時、匡史の背中に創が飛びついた。
「やっと追いついたー! お前ら歩くの速すぎ!!」
「うわぁぁぁっ!」
匡史が体をビクつかせ大声を出したので、創はのけぞった。
「な、なんだよ!? 急に大声出すなよ!!」
「お、お前こそ急に飛びつくなよ!! びっくりしただろぉ!?」
「いや、にしても驚きすぎだったろ、今の。彼方さんもそう思わねえ?」
創が話を振った海茅も、匡史と同じくらい驚いたようだった。それに、海茅も匡史も頬を染めている。
創はまじまじと二人を見て、ニマァと口角を上げた。
「ほーう? ほうほう、ほーう」
「な、なんだよっ」
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