パパには言わない

田中潮太

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翠の真実

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 改めて、親子は実に八年ぶりに向かいあった。実のところ、紅からしてみれば目の前の人物が父親である事に変わりはないが、ほとんど記憶もない上に翠を通してみていた世界でも父親はあまり翠に干渉していない。水面下では翠を厳しいルールで縛り付けていたが実質、親子の愛情を感じられるような部分は薄かった。それは翠が偽物であるからだと紅は思っていたのだが。

「あの子はどうした?」

 あの子、とは言うまでもなくこの八年を生きていた翠の事だろう。

「消えては無いわ」
「そうか……」

 安堵したとも、心配しているともいえない表情が不気味だった。顔色を伺っている場合ではない、聞かなければいけない事がある。

「聞きたいのだけど。どうしてわたしは今までずっと閉じ込められていたの?」

 単刀直入に紅はそう切り出した。

「話す義務があるか?」
「もちろん。自分の事だから知りたいのは当然よ」

 どんな事情があるにしろ紅は父親を許す気はなかった。しかし理由や背景ははっきりさせなければならない。紅も悪魔の子ではないのだから、情状酌量の余地がある可能性も考えているのだ。それに父親への思いを捨てきれていないのも事実だった。

「なら、話しても良いが」

 どうにも父親は高圧的だった。翠に対してもその片鱗はあったが今ほど露骨ではなかった。
 ――――嫌われている。
 紅は直感的にそう感じ取る。

「まず、お前は月子を追い詰めて殺した。覚えていないのか?」

 月子。文脈から読み取るにそれが母親の事であると紅は察する。しかし三歳の子どもが親を直接的に殺すのは無理がある。追い詰めた、と言われても紅にその記憶はない。

「逆に聞くけどパパは三歳の頃の記憶がある?」

 当然覚えている訳がない。生まれてから三歳頃の記憶を鮮明に覚えている訳が無かった。

「つまり覚えてない、と。それじゃあ自分の性格については?」
「性格? どういうこと?」

 自分の性格。明るい、暗い、面白い、真面目……性格を表す言葉は幾つでもあるだろう。しかしこの場でどういった答え方を求められているのか、紅はその意図がわからない。

「お前は攻撃的な子どもだった。ただ乱暴なだけではない、狡猾でずる賢い、影で悪い事をする。月子が手を尽くしても直らない、お前の生まれ持った素質なんだろう」

 狡猾、の意味は紅にわからなかった。しかし父親が自分をあまり良く思っていないのははっきりと伝わる。
 紅はあまり気が長い方ではない。どちらかといえば短気で自分の思っている事を相手にぶちまけたいタイプだ。

「だから? それで、私を閉じ込めたの?」

 挑発的にならないようにする、と考えていた少し前の自分はもうここには存在していなかった。

「最初は手を尽くそうとしたさ。曲がりなりにも私は精神科医だ。児童精神医学の心得はないが、私の力を尽くせば矯正までは行かなくとも飽和できると思ったよ」
「できなかったの?」
「――――そうだ。恩師の力を借りても尚お前は変わらなかった。保育園で他の子どもと喧嘩をする事は日常茶飯事で、家でもおもちゃを壊したり――特に動物や人間の形をしているぬいぐるみなんかを。挙句には他の子の顔を刺した。そして月子は精神を病んでしまった」

 自分が喧嘩をしたり他人の顔を刺したと聞いても紅は驚かなかった。そして自分が悪いと言う意識もない。恐らく自分がそうした原因は相手方にある筈だと考える。喧嘩も、刺したことも、必要な事であったに違いない。

「パパは精神科医なのに? ママが精神を悪くしたとしても、気づけなかったの?」
「あぁ。仕事が忙しかった上にお前の性格をどう矯正させるか、その事しか見えていなかった」
「それならわたしだけがママを追い詰めたといえる? 気づかなかったパパにも責任があるんじゃない?」

 会話から相手の弱みを拾い、つつく。それは紅にとって一種のゲームだった。

「そうだな。それは認める。だが月子が入院し母親と離れることになったお前の中にもう一つの人格が生まれたのは単なる偶然だ」

 話が見えてきた、と思った。
 もう一人の人格はこの父親の望む、控えめで周囲の言う事を良く聞く良い子だった。紅のように攻撃性のない、少し大人しい普通の子であったと。

「だからって、本来のわたしを閉じ込めるなんて、どういうつもり?」
「仕方がなかった。私は月子を亡くし、残された娘の教育もまともに出来ないと落ち込んだ。お前ではない、もう一人の人格が当時の私にとって救いだった。お前とは正反対の、物静かで大人の言う事をきちんと聞くあの子が――」
「そ、んなの! そんなの、そんなのって」

 紅は言葉に詰まる。たった今、実の父親から『お前は必要なかった』と突きつけられたも当然だった。恨むべき相手も父親なのだ。恨んでいるといっても親の愛情は恋しかった。全てを知りたいといっても、残酷な現実でも、どこかで自分の事を愛してくれていると思っていた。
 だが、父親が望んでいたのはやはり自分ではない別の翠だった。

「お前は月子を死に追いやった。私があの子を求めるうちに、お前はひとりでに眠りについた。正直、もう人格が統合していると思っていたよ」

 それは本音だった。目の前にいる少女を娘だとは思っていない、心の声。紅は首を絞められたような呼吸の苦しさを感じた。強がっていても、どんなに大人っぽくても紅は、翠はまだ十一歳だ。十一歳の子どもが知ってしまう現実にしては棘が多すぎる。そして紅が失った八年間はどう足掻いても返って来ない。その八年の間に紅はもうこの家の子どもではなくなっていたのだ。

「パパ、どうして、なんで」

 相手を攻撃する気も起きなかった。相手を言い負かしてやろうかと、真実を知ったうえでどう復讐してやろうかと、そう計画していた自らの気持ちが嘘のように。知りたかった真実は酷なものでしかなかったのだ。

「私は、あの子をずっと私の子だと思って来たよ」
「わたしは? わたしが、パパの娘なのに」

 涙は零れなかった。
 縋りつきたい程だった。
 それでも棘が多くて縋りつく事さえできない。

「お前は知りたいといっただろう。私は話した。だから、それがどういった形であれ受け入れるべきだ」

 父親は紅を娘と認めない。やはり嫌われているのだ。妻を奪い、娘まで奪おうとしている目の前の少女が憎いのだと端々から伝わって来る。

「あの子が、このまま消えたら、どうするの」

 下を向いたまま、小さく呟いた。
 自分こそが本当の娘だと認めてほしい。
 わたしのこと、否定しないで。
 違う、ママを殺したつもりなんてなかった。
 人を傷つけたら、どうなるのかなって。
 ぬいぐるみを、ぐちゃぐちゃにしたらどうなるのかなって。
 ただ、好奇心に逆らえなかった。
 自分が優位に立つのが、快感なだけ。

「ねぇ、パパ」

 このままのわたしだって、愛してよ。

「お前は何もわかっていない」

 非情な声。頭の中で反芻する。求めたものはここにはなかった。
 そのまま、紅は気を失った。
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