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はじまりの再会
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わたしはちょっとだけ古い香りのする病院の待合室にいた。
周りはお年寄りが多くて少しだけ場違いな感じ。窓の外をみれば車がびゅんびゅん走っている。国道沿いに立っている、この病院。
「おねえちゃん、付き添いできたの?」
唐突に、隣に座ったおばあさんに話しかけられてわたしはそちらに意識を向けた。
「は……はい、そうです。友達の、付き添いで」
「あらそうなの。てっきり誰かのお孫さんかと思ってねぇ。うふふ、あたしもこんな可愛い孫がいたらなって」
おばあさんはわたしが戸惑っていることにも気が付かずお喋りを続ける。適当ににこにこと話を聞いていた。段々とおばあさんは息子さんの話をし始めて、それと同時に言葉に訛りが出始める。時々、何を言っているのかわからない。
わたしはもう嫌になって、自身のスマホに目を向けて「友達が先に薬局へ行ってしまったので、すみません」と嘘をついて自動ドアから堂々と外へ出た。
あんなふうに一方的に話しかけられるのは苦手だ。
そりゃ、お年寄りからすればわたしは赤ちゃんみたいなものだろうし「隣に小さな子がいたから話しかけた」ぐらいのものだろうけど。
ともかくわたしはあれ以上あの場にいられなかったのでとーまお兄さんに「外のベンチに座ってる」とメッセージを送信した。
朝。わたしはいつも七時には目を覚ます。
体を起こしてぼんやりして、それから二人分の朝食を作るようにしている。
今日はそのぼんやり時間の間に何気なくスマホを開いた。普段は開かないのに、本当になんとなく。
そうしたらとーまお兄さんから「今日は病院に行くんだけど良かったら付き添って欲しい」とメッセージ。
今まで、わたしととーまお兄さんはこの桃果町で過ごしてきた。これはふたりの関係に欠かせないもので、桃果町にいるから意味がある。
だけどとーまお兄さんはそれをあっさりと破ろうとしていた。とーまお兄さんの通う病院がこの町にないことは知っていた。だからわたしがこれに了承すればわたしたちの関係にまた変化が訪れる。
変化のない関係。穏やかな日常。それはとても素晴らしいと思っていたけど、でもわたしはあと四日もすればこの桃果町から出て行くわけだし、穏やかな日常が途端に変化するよりも変化のきっかけとして今日ふたりで桃果町を出るという変化の一歩を踏み出すのは悪くないように思えた。
だからわたしは「わかった。いいよ」と返事を送った。
病院の外のベンチでぼぅっとしていた。
それがどのくらいだったかはわからないけど、しばらくして一つの影が差し込む。
「ごめんね、待たせちゃった」
「ううん。早かったね」
わたしたちは桃果町を出たにも関わらず平然とそこに存在していた。
「行こう」
手を差し伸べられたので掴まって立ち上がる。立ち上がってすぐに手を離した。
わたしたちはバス停に向かって歩き始めた。
「みゃうのことを先生に話した」
先生とはもちろんお医者さんのことだ。とーまお兄さんは桃果町に帰ってきて以来一か月に一度この病院に通っているのだという。
「先生はなんて?」
バスは未だたくさんの乗客を乗せていた。わたしが八月一日に乗ってきた時もそう、桃果町に近づくにつれてどんどん乗客は減っていく。
「友達と過ごす時間が出来て良かったね、だって」
「なんだか他人ごと」
「仕方ないよ。そういう、優しい先生だから」
聞けば、とーまお兄さんは今までに様々な病院にかかったことがあるらしい。
中には薬しか出さない人やとにかく説教のようなことを繰り返す人、同じ質問だけをして終了のようなお医者さんもいたらしい。
その中でも今通っている病院のお医者さんはとーまお兄さんも気が楽でできるならここへ通い続けたいのだとか。
「とーまお兄さんはずっと桃果町に?」
「うん、しばらくは」
「そっか……」
だってあと四日だ。
もし、もしもふたりが近くに住んでいたら。わたしたちが九月になっても会うには結構、大変だ。わたしは平日大学があるし土日に会うのもきっと難しい。
かといってとーまお兄さんも頻繁に遠出することは難しい。
あ、わたしが車の免許を取って会いにくればいいのかな? でも、パパは車を貸してくれないだろうし車を買うにはお金もすごいかかるし……。
わたしはどうにかふたりが会える方法を模索したかった。
「会いに行くよ」
わたしの考えていることを察したのかとーまお兄さんはそんなことを口にした。
「遠いよ」
「時間はあるから」
「でも、海はない」
病院の近くはまだ海がある。桃果町から出て今日ここへ来ても海はそこにあった。だからきっとわたし達は一歩踏み出してここへ来ることができた。潮の香りがまだ、続いているから。
だけどわたしが普段暮らす町に海はない。
「クジラは息をできないよ」
海がないんだから。そんなことはちょっと考えたらわかること。
「それは困る、な」
幸いにもわたしは海がなくとも呼吸ができる。
だからやっぱりわたしが車で会いに来るのがいちばん良いのかも……でも運転する自信がない。わたしはすぐ自分の世界にダイブしてしまう。
悪く言ったら、そのまま言えば「注意散漫」だ。
「うー、ん。もどかしい」
わたしが大学生じゃなければ。
自由に使える時間とお金があればすぐにでも海のある町に引っ越してとーまお兄さんの近くにいることができる。
大学はあと二年。
わたしが学校の先生になって海のある町で働く。それでとーまお兄さんには家にいてもらう。
それって、結構ナイスアイデアじゃないだろうか?
「ねぇ、今思いついたことを話していい?」
前置きしてからわたしは今しがた思いついたナイスアイデアをとーまお兄さんに話した。
わたしたちのこと、誰も知らない遠くの、海のみえる町でふたりで暮らそうって。
「みゃうはそれでいいの?」
「それがいいの」
「そう。嬉しいな」
とーまお兄さんも賛成してくれた。
つまり今後のみゃうの指針としては大学で教員免許をとって遠くの海の町へ先生として就職する。
とーまお兄さんとのこれから。そう思えば俄然やる気が出てきた。今まではただ与えられた状況で怠惰に過ごしていた。でも、目標ができた。そのために頑張る。わたしにとって初めてのこと。
未来がみえた。わたしの未来。
「俺なんかの為にいいの」
「なんかじゃない。傍にいてよ、みゃうのところに」
その頃にはもうバスの乗客はわたしたち以外いなかった。運転手だってきっとぬいぐるみだ。窓の外は一面の青。ここはわたしたちだけの世界だった。
『八月二十六日
わたしには目標ができた。きょうの日記はそれを整理しようと思う。
・教員免許を取る
パパが中学校の先生だからなんとなく、わたしも中学校の先生になると思っていたから講義も真面目に受けている。このまま大丈夫。がんばる。
・海のみえる町でとーまお兄さんと一緒にいる
本来の目的はこっち。海のみえる、どこか遠くの町でとーまお兄さんと暮らす。どこがいいかは決まっていない。だけど海のある場所はぜったいだ』
周りはお年寄りが多くて少しだけ場違いな感じ。窓の外をみれば車がびゅんびゅん走っている。国道沿いに立っている、この病院。
「おねえちゃん、付き添いできたの?」
唐突に、隣に座ったおばあさんに話しかけられてわたしはそちらに意識を向けた。
「は……はい、そうです。友達の、付き添いで」
「あらそうなの。てっきり誰かのお孫さんかと思ってねぇ。うふふ、あたしもこんな可愛い孫がいたらなって」
おばあさんはわたしが戸惑っていることにも気が付かずお喋りを続ける。適当ににこにこと話を聞いていた。段々とおばあさんは息子さんの話をし始めて、それと同時に言葉に訛りが出始める。時々、何を言っているのかわからない。
わたしはもう嫌になって、自身のスマホに目を向けて「友達が先に薬局へ行ってしまったので、すみません」と嘘をついて自動ドアから堂々と外へ出た。
あんなふうに一方的に話しかけられるのは苦手だ。
そりゃ、お年寄りからすればわたしは赤ちゃんみたいなものだろうし「隣に小さな子がいたから話しかけた」ぐらいのものだろうけど。
ともかくわたしはあれ以上あの場にいられなかったのでとーまお兄さんに「外のベンチに座ってる」とメッセージを送信した。
朝。わたしはいつも七時には目を覚ます。
体を起こしてぼんやりして、それから二人分の朝食を作るようにしている。
今日はそのぼんやり時間の間に何気なくスマホを開いた。普段は開かないのに、本当になんとなく。
そうしたらとーまお兄さんから「今日は病院に行くんだけど良かったら付き添って欲しい」とメッセージ。
今まで、わたしととーまお兄さんはこの桃果町で過ごしてきた。これはふたりの関係に欠かせないもので、桃果町にいるから意味がある。
だけどとーまお兄さんはそれをあっさりと破ろうとしていた。とーまお兄さんの通う病院がこの町にないことは知っていた。だからわたしがこれに了承すればわたしたちの関係にまた変化が訪れる。
変化のない関係。穏やかな日常。それはとても素晴らしいと思っていたけど、でもわたしはあと四日もすればこの桃果町から出て行くわけだし、穏やかな日常が途端に変化するよりも変化のきっかけとして今日ふたりで桃果町を出るという変化の一歩を踏み出すのは悪くないように思えた。
だからわたしは「わかった。いいよ」と返事を送った。
病院の外のベンチでぼぅっとしていた。
それがどのくらいだったかはわからないけど、しばらくして一つの影が差し込む。
「ごめんね、待たせちゃった」
「ううん。早かったね」
わたしたちは桃果町を出たにも関わらず平然とそこに存在していた。
「行こう」
手を差し伸べられたので掴まって立ち上がる。立ち上がってすぐに手を離した。
わたしたちはバス停に向かって歩き始めた。
「みゃうのことを先生に話した」
先生とはもちろんお医者さんのことだ。とーまお兄さんは桃果町に帰ってきて以来一か月に一度この病院に通っているのだという。
「先生はなんて?」
バスは未だたくさんの乗客を乗せていた。わたしが八月一日に乗ってきた時もそう、桃果町に近づくにつれてどんどん乗客は減っていく。
「友達と過ごす時間が出来て良かったね、だって」
「なんだか他人ごと」
「仕方ないよ。そういう、優しい先生だから」
聞けば、とーまお兄さんは今までに様々な病院にかかったことがあるらしい。
中には薬しか出さない人やとにかく説教のようなことを繰り返す人、同じ質問だけをして終了のようなお医者さんもいたらしい。
その中でも今通っている病院のお医者さんはとーまお兄さんも気が楽でできるならここへ通い続けたいのだとか。
「とーまお兄さんはずっと桃果町に?」
「うん、しばらくは」
「そっか……」
だってあと四日だ。
もし、もしもふたりが近くに住んでいたら。わたしたちが九月になっても会うには結構、大変だ。わたしは平日大学があるし土日に会うのもきっと難しい。
かといってとーまお兄さんも頻繁に遠出することは難しい。
あ、わたしが車の免許を取って会いにくればいいのかな? でも、パパは車を貸してくれないだろうし車を買うにはお金もすごいかかるし……。
わたしはどうにかふたりが会える方法を模索したかった。
「会いに行くよ」
わたしの考えていることを察したのかとーまお兄さんはそんなことを口にした。
「遠いよ」
「時間はあるから」
「でも、海はない」
病院の近くはまだ海がある。桃果町から出て今日ここへ来ても海はそこにあった。だからきっとわたし達は一歩踏み出してここへ来ることができた。潮の香りがまだ、続いているから。
だけどわたしが普段暮らす町に海はない。
「クジラは息をできないよ」
海がないんだから。そんなことはちょっと考えたらわかること。
「それは困る、な」
幸いにもわたしは海がなくとも呼吸ができる。
だからやっぱりわたしが車で会いに来るのがいちばん良いのかも……でも運転する自信がない。わたしはすぐ自分の世界にダイブしてしまう。
悪く言ったら、そのまま言えば「注意散漫」だ。
「うー、ん。もどかしい」
わたしが大学生じゃなければ。
自由に使える時間とお金があればすぐにでも海のある町に引っ越してとーまお兄さんの近くにいることができる。
大学はあと二年。
わたしが学校の先生になって海のある町で働く。それでとーまお兄さんには家にいてもらう。
それって、結構ナイスアイデアじゃないだろうか?
「ねぇ、今思いついたことを話していい?」
前置きしてからわたしは今しがた思いついたナイスアイデアをとーまお兄さんに話した。
わたしたちのこと、誰も知らない遠くの、海のみえる町でふたりで暮らそうって。
「みゃうはそれでいいの?」
「それがいいの」
「そう。嬉しいな」
とーまお兄さんも賛成してくれた。
つまり今後のみゃうの指針としては大学で教員免許をとって遠くの海の町へ先生として就職する。
とーまお兄さんとのこれから。そう思えば俄然やる気が出てきた。今まではただ与えられた状況で怠惰に過ごしていた。でも、目標ができた。そのために頑張る。わたしにとって初めてのこと。
未来がみえた。わたしの未来。
「俺なんかの為にいいの」
「なんかじゃない。傍にいてよ、みゃうのところに」
その頃にはもうバスの乗客はわたしたち以外いなかった。運転手だってきっとぬいぐるみだ。窓の外は一面の青。ここはわたしたちだけの世界だった。
『八月二十六日
わたしには目標ができた。きょうの日記はそれを整理しようと思う。
・教員免許を取る
パパが中学校の先生だからなんとなく、わたしも中学校の先生になると思っていたから講義も真面目に受けている。このまま大丈夫。がんばる。
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