虹色

nya_n

文字の大きさ
上 下
5 / 8

会社員「矢野舞美」

しおりを挟む
 矢野舞美はもうすぐ入社してから二年が過ぎる。仕事には慣れ、あと一年働いたら転職を考えようか悩んでいる、化粧品店の販売員である。
 仕事はそれなりに楽しくやってるし、人間関係も問題のある職場ではないので、不満はない。初めての社会人として働くにはいいところだと思っている。
 ただ一点、舞美が苦手としている部分がある。成績である。
 毎月末、その月の販売成績が発表され、その成績を基に評価が下される。昇格するにはこの成績をいかに残すかが重要なのは言うまでもない。
 そして舞美にとって、この成績について触れられることが何よりも嫌なことであった。別段仕事が嫌いという訳ではない。お客さんと話しているのは好きだし、化粧品にも興味があって、化粧品によって、色んな自分を演出することが出来るんだよって、それに気付いてない人達に教えてあげるのも好きなのだ。
 舞美が苦手としているのは、買わせることである。色んなものをお勧めすることは出来ても、勧められた本人が買う気でなければ強く押し切ろうとしない。お客さんの意思を尊重し過ぎてしまう。
 また、無理に買わせてしまっているという自己嫌悪に陥るのが嫌なのだ。もちろん勧めたものを買ってもらえたら嬉しいし、喜ぶ顔を見られたら幸せになる。金銭を出させてしまうという感覚だけが切り離せないのだ。
「舞美ちゃんはいつも接客はいいのに、成績が伸びないね」
 いつも言われることだ。なんなら自分よりあとに入ってきた子の方が成績のいい月も増えてきている。
「なんだか、成績に興味が持てなくって… 」
「まぁ舞美ちゃんは押しが弱そうだもんね、無理することはないよ」
 先輩はいつも気遣ってくれて、ありがたい存在だ。悩みごとがあった時も親身になって話を聞いてくれた。
 今の悩み…自分に販売員が向いているかどうかも含めてお話したいことはあるのだけれど、先輩に頼りっきりな感じで気が引けるので、またの機会にしよう。

「矢野さんはお客さん受けはいいけど、店にはそこまで貢献出来てないって自覚はあるかしら」
 店長から呼び出され、一言目から厳しいことを言われてしまった。
「売上が伸ばせてないこと…ですよね」
「ええ、わかってはいるのね。成績がまるで伸びていないのは貴女だけなのよ」
 ズバズバと言う店長で、回りくどくないからわかりやすいのはいいのだけれど、かなり切れ味が鋭く、話をされた後はいつも落ち込んでしまう。
「何が足りないかわかるかしら」
「押しが弱いところかと… 」
「確かに矢野さんはあと一歩の押しがないわね。でもそれだけじゃないのよ」
「え… 」
「貴女ね、本当にお客様のことを考えて接客してるか見つめ直したことはある? 」
「いつもお客様が求めているものを提供出来るように考えています」
「それはいい心がけだけどね。もしそれが一番良いものだと、本気で思っているのなら、なんで勧めきれないのかしら」
「無理にお金を使わせてしまう気持ちになってしまうので… 」
「それは結局貴女が自分可愛さに保身に走っていることにしかならないんじゃない?お客様はね、自信持ってこれがいいってわかってる人以外は不安を抱えながらお店に来てくれているの。私たちの仕事は、良いものを勧めたり、似合いそうなものを提案するだけじゃないの。不安を抱えているお客様の背中をそっと押してあげて、新しい自分を見つけさせてあげるのが、私たちの使命なのよ」
 なんとなく、言いたいことはわかる。確かに最後の一押しを出来るのは買う直前まで関わっている私たちだし、何よりも店員という立場が信用を得るのに一役買っている。
「はい…今後は精進します… 」
「そんなかしこまらないの!矢野さん、接客は良くって、お褒めの言葉も沢山もらってるんだから。あとは、もう一声があればだいぶ変わるわよ」

 店長から話をされてから、少し自分のことを考えてみた。
 お客さんと話をするのは好きだし、一緒になってこれがいいあれがいいと提案するのは楽しい。
 ただ、買わせるまでに至らない。やはり買わせているという感覚が拭えないからだろうか。
 いくら考えてみても、答えが出ない。堂々巡りになってしまうし、何が問題かが結論付けられない。
  一人で考え続けても埒があかなかったので、迷惑を承知の上で先輩に連絡をし、話をしてみた。
「改まってどうしたの、何か悩み事かな? 」
「ええ、実は… 」
 店長との話の内容を伝えた。先輩はしっかりと話を聞いてくれていた。
「うんうん…なるほどね、それで舞美ちゃんは最近元気がなかったのか」
「まぁ少し落ち込んでましたね」
「お客さんも心配してたんだよ、あの子いつも元気なのにどうしたのーって」
「そうだったんですか? 」
「うん、みんな良く見てるよ。それでね、あの子はいつも親身に接してくれるからありがたいのよねって」
「そう思ってもらえてるのは嬉しいですね」
「うん、いい気持ちだよね。
 でさ、店長との話で、舞美ちゃんはどう感じたのかな」
「そうですね…。物を売りつける感覚ではなくて、提案しきることが大事なんだなーって漠然と…。
 でもどうしても、押し付けてる気になっちゃうんですよね」
「提案ねー。でもね、お客さんは舞美ちゃんくらいの接客を望んでる場合が多いんだよ」
「そうなんですか?でもそれじゃ売上伸ばせてないって店長から指摘されてるし… 」
「それは店長って立場がそういう発言をさせちゃうんじゃないかな。やっぱり店を任されているからには売上が大事になってくるのは避けられないことだし。
 でもって、売上に直接絡めてない舞美ちゃんはなんでクビになるような話ではなくて、売上を取るにはこうしたらって話をされたか考えてみたことある? 」
 急に別視点な話をされて困惑した。
「え…クビ…ですか? 」
「極端な話にしちゃったから混乱させちゃったね、ごめんごめん。本来ね、お店の為にならない人なんてすぐに見切りをつけちゃうのよ。クビは言い過ぎだけど、例えば店舗異動とかね。
 とにかくうちの店にはこの人はなんの役にも立たないって思っちゃえば、店長は上に掛け合って人事異動させることも出来るのよ。実際異動させられた人も何人か見てるよね? 」
 思い返してみれば、この店舗に来てから何人かは異動になっていた。それについて深く考えたこともなかった。
「舞美ちゃんはね、店長から期待されてるのよ。売上を作るのは物を売る以外にも、お客さんに何度も来てもらわなきゃいけないじゃない。
 舞美ちゃんに話を聞いてもらいたいからってお店に来る人が結構いるのよ。そうやってリピーターを作り出してる舞美ちゃんは、間接的に店に貢献してるんだよ」
「そうなんですか…? 」
「気づいてなかったのね。それはそれだけお客さんに対して、親切に向き合ってることの裏返しね。私なんかはやっぱり買ってもらうにはどうしたらいいかって考えになっちゃうもん」
「先輩の接客だってお客さんからしたら丁寧で喜ばれてると思います」
「ありがと、接客人気ナンバーワンの舞美ちゃんからそんなお褒めの言葉頂けて光栄だわ。
 いくらいい接客に見えても、私含めて殆どの人が打算的になっちゃうのよね。
 それが舞美ちゃんからは感じられない。本心からお客さんの為に言葉をかけているんだなってわかるの」
「なんかそんな風に言われると照れますね… 」
「誇っていいことよ。この業界で、そういう子って本当に貴重だから。
 舞美ちゃんがいなくなったらお客さんも減るわ、断言できる。
 だからね、店長から言われたことももちろん正しいんだけど、私は舞美ちゃんの良さをなくさないでほしい。迷った時は自分のやりたいようにしたらいいのよ。
 みんな舞美ちゃんの良さはわかっているんだから。自信持っていいよ」
 先輩と話をして良かった。成績のことも悩まなくていいと言ってもらえて、今までやってきたことも間違ってなかったんだと、たくさんの支えを与えてくれた。
 これからもこの仕事を続けるかはまだ悩んでいるが、やることは変えずにいていいんだと言ってもらえたことで迷いは消えた。
 きっとこれから先、成績のことを言われても、もう気にすることもなく、自分なりにやっていこうと前を向いて頑張れる。
 
 人との違いを悩むのではなく、自分の強みだと認識することで、人生はより一層輝いていく。
しおりを挟む

処理中です...