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第十章『女海賊』
123 潮満ちる夕暮れ
しおりを挟む船喰いと呼ばれた巨大亀、アークラが大暴れをしてから二年程が経った。
つまりは僕が召喚されてから四年だ。
僕は今、港に停泊中の何時ものガレオン船のマストの天辺に座って、空を見上げてる。
もう此の船も、海賊船とは呼べない。
そろそろ潮時だろうかと思う。
今日も、とても良い風が吹いていた。
此の二年間は、多分人間達にとっては怒涛の様な二年だったのだろう。
あの戦いの後、隠れ島に住んでいた海の国の残党は、即座にその勝利を最大限に利用する。
戦いの結果を知った帝国が手を打つ前に、海の国の再起を宣言し、奇跡の勝利と共にそれを大いに喧伝したのだ。
其れは大きな賭けだった。
帝国の海軍に大きなダメージを与えたものの、其れでも全体から見れば一部に過ぎない。
同じだけの量の軍船を用意する事は、帝国ならば決して不可能では無い筈だ。
海の国を名乗れば、帝国は間違いなく躍起になって潰しに来る。
アークラは此方の気候が合わないらしいから帰したし、僕も二度目は助けやしないだろう。
けれど其れでも、海の国の残党は賭けに出た。
此の機を逃せば、自分達の力で国を取り戻せる機会はもう訪れないから。
因みに発案者はゼフィルスだ。
そしてゼフィルスの思惑通り、帝国の大敗北が喧伝された結果、其れまで彼の国の支配で溜まっていた不満が爆発する。
直接自分の目で見ていたゼフィルスは、搾取される支配地の帝国への不満は、切っ掛けさえあれば反乱の火種になると考えた。
その切っ掛けと成る為に、海の国の残党は、自らの勝利と存在、帝国の敗北を広く知らしめようとしたのだろう。
結果、帝国は盛大に燃えた。
一ヵ所で起きた反乱は、瞬く間に周囲にも広がって、其れはもう大炎上って奴だ。
足元が燃え盛った状態では、流石の帝国も再起した海の国を相手に大軍の派遣なんてしていられない。
小さな部隊が相手なら、アルフィーダの率いるガレオン船三隻は、一方的に勝利を収め続ける。
更に其の勝利を知れば、今まで帝国を恐れていた周辺諸国も、ここぞとばかりに帝国領土を蚕食する為に軍を出す。
そうなれば難関だった帝国の陸軍も其の対応に手一杯となり、海の国の残党は自分達の故郷から、其処で起きた反乱と呼応して、帝国勢力を追い出した。
そう、つまりは、本当の意味で海の国が復活したのだ。
だが其れからも戦いは続く。
国を取り返しただけでは、帝国は状況が落ち着き次第、騒ぎの元凶である海の国を再び潰しに来るだろう。
だからこそ徹底的に、もう二度とそんな気が起きぬ様、そんな力が残らぬ様に叩かねばならない。
ゼフィルスや元文官衆は、荒らされた国土を復興する為に国内を走り回るが、アルフィーダは船を率いて海で戦い続ける。
海竜騎士団長、アルフィーダ・アクシウスとして。
そう、海賊達も今や、元の姿である海竜騎士団として戦っていた。
でも其れは、もう結末の見えた戦いだ。
アルフィーダの率いる船は、苦戦こそしても、負けそうになる事は一度もない。
サズリを始めとした料理人の活躍で、船内でも食事は美味く、船員達の士気は高かった。
勿論海の国だけの活躍ではないけれど、海戦で負け続けた帝国は制海権を失って、徐々に干上がり始めてる。
周辺諸国と個別に講和の交渉をしてる様だが、落ち目となった帝国はその足元を見られている為、戦争が完全に終わるにはまだまだ時間が掛かるだろう。
帝国が数年前の勢いを取り戻す事は、恐らくとても難しい。
「レプト、其処に居たのね」
物思いに耽っていた僕に、足元、と言うかマストの下から声が掛けられる。
アルフィーダだ。
エイヤとマストを登り始める彼女は、今日も僕が贈ったジュストコールを着ていた。
あの服は、すっかりアルフィーダのトレードマークとして認知されてる。
海の国の子供達に、あの格好は大人気らしい。
幼い頃から船上で生きてきたアルフィーダは、当然の様に危なげなくマストを僕の所まで登って来た。
「次の航海はね、以前も取引のあった海の向こうの国に、交易再開の交渉に行くわよ」
どことなく機嫌良さそうに、彼女は言う。
帝国から制海権を奪った今、海の国も戦いばかりに目を向けている時期は過ぎたのだ。
以前の様に海洋国家として名を馳せる為にも、色んな国との交易路をもう一度確立する必要がある。
或いは其れは、海賊としての活動よりも、帝国との戦いよりも、ずっと難しい事かも知れない。
けれどもまぁ、アルフィーダなら上手くやるだろうと思う。
彼女は勘が鋭いし、王族としての立場も、将としての名声も持っている。
それに何より、アルフィーダが浮かべる笑顔は他人を惹き付ける魅力に溢れてるから。
きっと彼女なら大丈夫だ。
「そっか、でもまあ、次の航海はもう僕は付いて行かないよ。もう魔界に帰るしね」
だからそろそろ終わりの時間だった。
驚いた顔をするアルフィーダに、僕は笑みを向ける。
「アルフィーダ、君はずっと願いを言わなかったから契約し損ねたけど、其れはもう叶ってるよね。おめでとう」
僕は彼女の腕から悪魔召喚の魔導具、ブレスレットを外して懐に仕舞う。
危険な玩具はもう要らない。
アルフィーダの願いは、自由に海で生きる事。
其れはもうおおよその範囲で叶ってた。
王族って立場や、騎士団長って立場はあるだろうけど、其れは海賊の船長とさして変わらない誤差の様な物だ。
その程度の鎖では、アルフィーダの心は縛れない。
後は彼女が努力をし続ければ、人としての力だけでも、今の願いは叶い続けるだろう。
多分アルフィーダがずっと願いを言わなかったのは、魂を奪われる事以上に、彼女が縛り縛られる事を嫌うから。
契約で僕を縛るのでなく、彼女もまた縛られるのでなく。
契約者としてではなく、アルフィーダとして僕個人と付き合おうとした。
まあ悪魔としては其の対応は非常に困るのだけれども、海賊なんて物をやってただけあって、彼女はとても自分勝手だ。
勿論僕以外の強い悪魔なら、契約に縛られずに魂を奪って逃げるだろう。
だからブレスレットは奪って置く。
そもそも縛る力を持ってるブレスレットが、アルフィーダの好みじゃない事だってもう知ってる。
「借りてばかりで、返せてないけれど?」
アルフィーダが、少し睨む様に、目に力を込めて此方を見詰めた。
だけど僕は首を横に振る。
「サービスで良いよ。大した事はしてないしね」
何だかんだで、割と楽しく過ごせたのだし。
多少の手助けはもうサービスで良いだろう。
……友人だからね、特別だ。
彼女は少し目を伏せて、一つ小さな溜息を吐く。
「前から一つ言いたかったのだけど、弟の事はゼフィって呼ぶのに、私をアルフィと呼ばないのはおかしいわね?」
そう言って目を上げたアルフィーダは、何時もの様に魅力的で、そして不敵な笑みを浮かべていた。
「そうだね、アルフィ。じゃあそろそろさよならだ。あぁ、多分もう要らないだろうから、タンスの一番下に仕舞ってた海賊旗は貰って行くよ」
僕はふわりと宙に浮いて、取り出した海賊旗を風になびかせる。
彼女のタンスのどの段に何が入ってるのかは、僕は全て把握していた。
ゼフィルスを騙して一緒に覗いたし。
「レプトっ!」
勘の良い彼女なら、僕の言葉が如何いう意味かは察しただろう。
何故タンスの中身を把握してるのか、そしてタンスを開け閉めするのがどんな時か。
怒りのあまり落っこちない様に、アルフィーダを魔法で甲板に下ろし、文句を言われる前に僕は魔界へと帰還する。
帰ったら、先ずはアークラの召喚だ。
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