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第二章『泥に塗れた少女』
13 秩序を築く巨大な害悪
しおりを挟む僕がこの世界に召喚されて、大体三ヶ月程度の時が流れた。
状況はまずまず順調だと思う。
「レプト先生、質問よ。使用魔力の再吸収って何なの? 一度使った魔力なんて消えてなくなると思うのだけれど」
イーシャから飛び出た質問に、彼女の隣へと行って答える。
簡単に言えば魔術に依る魔力消費には必ずロスがあり、実際に術に使われた以外の魔力は拡散するだけなので、其れを再吸収する事で体内魔力の消費を抑えるって事だった。
魔術は霊子や魔素でなく、其れ等の集まった魔力を用いる為、細かい部分でのロスは絶対に避けられない。
そして其の再吸収が熟達して行けば、やがて己の使用した体内魔力の残りだけでなく、世界に満ちる体外の魔力をも吸収が可能となり、やがては体外魔力だけで術の行使も出来る様になる。
……と言っても魔力の薄いこの世界では、其処まで辿り着くのは果てし無く困難だろう。
「先生、私も質問があります」
イーシャの質問に答え終わると同時に、逆側、イーシャの母であるトリーからも質問が上がる。
教えられた魔術を我が物にせんと、まるで競い合うかの様に講義に取り込む二人の姿は、親子というよりもまるで年の離れた姉妹の様……、って事は無いかな。
うん、無理がある。きついきつい。
トリーは姿形は整っているし、若く見える事は見えるけど、其れでも立派な大人だ。
十代前半のイーシャと並べるには無理があった。
「はい、トリー、どんな質問?」
僕は内心を過ぎった失礼な思考を表情には出さずに投げ捨てて、彼女の元へと向かう。
そう順調だった。
イーシャも、トリーも、この三ヶ月で魔力視と、ごく簡単な魔術の発動が出来る様になっている。
無論其の程度では自分の身を守るには程遠いが、それでも習得速度はかなり早い方だと思う。
何せ二人とも取り組み姿勢がとても熱心だ。
この調子なら、少しずつでも確実に彼女達は魔術師として成長して行けると思われた。
拠点に関しても、人の足では踏破不能であろう山と、奥深い森に囲まれた場所を切り開いて作った為、余程の事が無い限りは此処に教会勢力の手が伸びる事も無い。
つまりは安全の確保は出来ていた。
食料に関しても、大体はベラと一緒に森で狩りをすれば賄えるし、足りない物、香辛料や野菜や穀物は、僕が門の魔法で町に出た際に購入している。
この世界は文化の成熟度が低いので、貨幣以外でも買い物は可能だ。
具体的に言えば銀粒や金粒、グラモンさんの所で稼いだ銀貨や金貨を千切って丸めた物で、食材や消耗品を購入していた。
けれどもそう、防御、生活環境の維持に関しては順調だが、逆に攻め、情報収集に関しては難航している。
この世界は文化の成熟度が低い。其れは即ち情報の伝達速度が遅いって事だ。
だってまともな地図すら手に入らない。
人里に辿り着く度、僕は次の人里の場所を尋ね、そして歩いて己の地図を少しずつ広げて行く必要があった。
そして更に問題なのが、教会の勢力域の広さである。
僕等の敵になる教会は、一国の宗教じゃ無く、複数の国々に跨って絶大な権勢を誇る巨大な勢力だったのだ。
例えばとある町の酒場で、地方に派遣された司祭が異端狩りを始めたって噂を聞いたとしよう。
しかし情報伝達の速度の遅さ故に、その噂が僕の耳に入る頃には、其の地方での異端狩りは殆ど終了していて、既に手遅れとなっている。
僕が自分の地図を完成させて、門の魔法での移動網を築くまでは、対応が間に合う事は恐らく無い。
その事実は僕の気持ちを少し重たくさせていた。
地図が完成し、門の魔法での移動網が出来たなら、教会の権威を大幅に引き下げる方法は既に頭に浮かんでる。
でも、其れをすべきかどうかは未だ僕には判断が付かない。
僕の感性では、そして契約を果たす上でも、教会勢力は害悪でしかない存在だ。
この世界の文化成熟度が低いのも、教会が新しい発見や考え方を片っ端から異端認定するせいだった。
医療、流通、色んな分野で教会の存在が発展の妨げになっている。
その上教会の上層部は奴隷を働かせる荘園等で私腹を肥やし、他の者は上層部に上がる為に点数稼ぎ、異端者狩りに励む。
……間違いなく害悪だろう。
何よりイーシャやトリーを狙っただけでも、排除の理由としては充分なのだ。
でも、僕が教会の権威を失墜させれば、恐らく教会が持っていた利権を奪う為の戦争が起きる。
どの国も教会に頭を押さえられている現状には不満を持っているし、遠く離れた場所にはまた別の宗教を信じる勢力があるらしい。
歪な形でも一定の秩序を保っている現状を崩す事を、果たしてやってしまって良いのだろうか?
起きる戦争にイーシャやトリーが巻き込まれる可能性だって充分にあるのに……。
ずっと考えてはいるのだけれど、答えはまだ出ていない。
人間の社会を上から見下ろした、何様の心算だと言われるだろう傲慢な悩みである事は百も承知だった。
でも僕は神様では無いけれど、此れでも歴とした悪魔である。
上からの視点になってしまうのは仕方ないと思うのだ。
だって此処の世界の教会って、本当に愚かなんだもの。
だけど今の僕に出来るのは、少しでも早く地図を完成させる事だろう。
朝食を食べてから、イーシャとトリーに軽く講義をし、午後に彼女達がこなす訓練課題を言い渡したら、ベラと共に狩りに出る。
獲物を狩ってから昼食を食べたら、午後は人里に飛んで次の人里を目指して歩く。
地図を広げ終わったら、拠点に戻って夕食を食べ、イーシャとトリーの訓練の成果を確認し、また少し魔術講義だ。
そんな日々を過ごしてる。
忙しくはあるが、拠点の警備はベラが、料理等の家事はイーシャとトリーがこなしてくれるので、僕は自分の役割に専念出来てた。
正直家事や料理をしながら過ごした以前の生活を懐かしく思うが、此れは此れで悪くは無い。
焦る気持ちはあるけれど、僕等は少しずつ、でも確実に前に向かって歩いてる。
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