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第十章『女海賊』
116 船喰いと船乗り殺し
しおりを挟むさて、船喰いを何とかするとは言った物の、此処まで成長した超巨大亀を単に殺してしまうのは如何にも惜しい。
なので僕は、船尾からふわりと宙に浮き、その場で船喰いが接近して来るのを待つ。
巨大な船喰いには僕は目にも入っていない様で、離れて行く船を追いかけて、真っ直ぐに此方へ突っ込んで来た。
けれども僕は、突っ込んで来た船喰いの鼻面に手を添えて、その進行を受け止める。
船喰いは受け止められて初めて僕の存在に気付いた様で、驚きに目を開きながらも慌てて首を振って僕を払おうとするが、押さえた其の首はもう動かない。
「もしもし、亀さん。何で船を追いかけるのかな?」
押さえたままに問い掛けてみれば、船喰いの驚きはますます深まった。
落ち着くまで暫し、其のままの状態で時は過ぎて行く。
やがて船喰いは、遠ざかって行く海賊船を見て、
『おで、珍しい木、喰いたかった』
切なそうにグォォと鳴く。
……成る程、此の亀、船喰いはどうやら草食と言うか、木を喰って生きているらしい。
遠方から航海して来る船に使われている木材は、此の辺りには生えていない木が使われているのだろう。
故に此の亀は船を積極的に襲い、船喰いと呼ばれる様になったのだ。
そう考えれば此の亀も可愛らしい生き物に思えて来る。
でも其れでも、
「あの船はね、僕を召喚した人が乗ってるから、君に食べられると困るんだ」
あの海賊船を船喰いの餌とする訳には行かなかった。
グォォと何度も、切なげに船喰いは鳴く。
小さき生き物の理屈を、行き成り理解しろと言っても、今まで本能のままに生きて来た此の亀には当然無理だ。
「でもね、あの船を食べる事を我慢してくれたら、今すぐにって訳じゃないけど、君を僕の魔界に招待するよ。食べた事無い木、一杯あるよ」
しかしだからこそ、僕は此の亀を調教し、魔界へと持ち帰りたい。
流石に無差別に木を食わせてやる訳には行かないが、良く聞けば船は珍しい御馳走だから興奮して食べ過ぎるだけで、普段は其処まで大量に喰う訳では無いと言う。
魔界に行くにあたっての条件を事細かに決めて行くが、食べた事の無い木と言うフレーズに心惹かれた船喰いは、殆ど僕の言葉に首を縦に振るだけである。
と言っても、決められた餌場で食事をする事、珍しい木は僕が直接持って行く事、先住のマーメイド達と揉めない事等、彼方での生活に必要となる条件ばかりだが。
条件が纏まれば、僕は船喰いの甲羅に手を突き、
「じゃあ契約は成立だね。今日から君はアークラだ。時が来れば召喚するから、暫くは今まで通りにのんびりと過ごしてて」
召喚獣としての契約を結ぶ。
こうしておけば、僕が魔界に戻った際に召喚する事で、船喰い、アークラは魔界へとやって来れるだろう。
問題は此の世界の神性が其れを是とするかどうかだが、まあ其れは後から考えれば良い。
ちょっと嬉し気にグォグォと鳴くアークラの鼻面を撫でてから、僕は海賊船を追い掛ける。
船に戻った僕を出迎えたのは、海賊達の歓声だった。
どうやらよっぽど船喰い、アークラの事が怖かったらしい。
けれども唯一人、
「ただいま、アルフィーダ」
船長のアルフィーダだけは当然って顔をして僕を待っていたけれど。
多分其れは、見た事の無い僕の実力を信じるって言うよりも、自分の勘、或いは豪運を信じているのだろう。
「やるね、レプト。次も頼むわ」
短くそう言い、掲げた彼女の手に、僕は自分の手を打ち合わせる。
何とも心のこもった出迎えだ。
尤も、次からはちゃんと対価を要求するけれど。
さて船喰い騒動で忘れてしまいそうになってたが、懸命に語彙を尽くして褒め称えてくれるサズリの顔を見て大事な用件を思い出したので、僕はアルフィーダの居る船長室の戸を叩く。
褒めてくれたお礼に、サズリの口には皮をむいたみかんを丸ごと一つ詰め込んで来た。
一個じゃとても足りないだろうが、少しは足しになるだろう。
「どうしたの。世話はサズリに任せてある筈だけど、何か不備でも?」
船長室に入れば、不思議そうに訪問理由を訪ねて来るアルフィーダだったが、まあ不備と言えば不備だ。
世話役がサズリである事に不満は無い。
何故海賊をやってるのかは知らないが、サズリは性根が明るいし、悪魔である僕に対しても怯えず気さくである。
だからサズリ自身に不備があるのではなく、今、彼の置かれてる現状、もう少し言えば掛かっている病気に問題があった。
「サズリと、他にも若干名居たけど、未だ症状は軽いけど、壊血病になりかけてると思うよ」
此の船の乗組員は百二十名程いる様だが、数名にサズリと同じ様に不調そうな者がいたのだ。
最初は脱力や鈍痛を感じ、痩せて来る程度だが、そのうちに口内から出血と共に歯が抜けたり、古傷が開いたりと様々な症状が出て、やがて悪臭と共に死ぬ。
精神にも影響を及ぼす其の病の死に様はとても悲惨で、船乗りの最も恐れる死に方とも言われる。
此の世界でも、人の身体の作りは、多分然程変わらない。
僕の言った壊血病って言葉には不思議そうな顔をしたアルフィーダだったが、症状を説明して行くと共に、其の顔も険しくなって行く。
「あぁ、船乗り殺し。……やっぱり」
アルフィーダにも思い当たる節があったのだろう。
僕の言葉は実に素直に信じられた。
因みに此の病は、ビタミンCの不足によって起きるので、其れを知っていれば対策はそんなに難しくはない。
と言うより、僕が収納に入れてる果物類を出せばそれで事は済む。
サズリの口にみかんを押し込んだのもその一環だ。押し込んだのが酸っぱいレモンじゃない辺りは、僕の一応の優しさである。
しかし原因を知らなければ、長距離航海を繰り返して慢性的にビタミンCの不足に陥ってる船員達は、同じ環境にあるので次々に発症して倒れる恐怖の病だった。
つまりサズリと若干名以外にも、此の船の、アルフィーダを含む全員が、何時病が発症してもおかしくない状態にあるのだ。
「なんとかなるの?」
問うて来るアルフィーダに僕は頷く。
安堵の表情を浮かべる彼女が、少しだけ面白い。
船喰い、超巨大亀であるアークラの接近にも怯まなかったアルフィーダが、壊血病は怖れるのだから。
まあでも、遠距離航海が現実化したばかりの時代では、戦争で死んだ数の何倍もが、此の壊血病で死んだと言うのだから、彼女の恐れは正当な物だろう。
僕の言うがままに大きく口を開いたアルフィーダにも、皮を剥いたみかんを押し込む。
目を丸くする彼女の表情がとても愉快だ。
「勿論、無料じゃないけどね。まぁ安くはしておくよ」
何せ僕の収納内には、箱に入った果物類が、其れこそ売る程にあるのだから。
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