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38、5 魔王クレースの弟
しおりを挟む私を魔王として喚んだのは、年老いた一人の老人だった。
名前は知らない。その老人は私を喚んで直ぐに死んだし、周囲の子供達も彼の事を先生とかお義父さんと呼んでいて、本当の名前を知らなかったから。
彼は孤児院を経営していたそうだ。
元は商人をしていて資産家だったらしく、孤児院と聞いて連想する様な貧しい暮らしをしていた訳では無いけれど、其処にはかなりの数の子供が居た。
魔族の子だけじゃなく、魔鬼族や死貴族の子供達まで幅広く。
だからなのだろう。町から少し離れた屋敷に、子供達と暮らしていた彼は、人間に襲われた。
屋敷の資産狙いでもあったし、希少な種族の子供を奴隷とする狙いでもあったようで、子供達は誰も殺されなかったけど、彼だけは腹部を刃で貫かれて死んだ。
でも死に瀕した彼の祈りが、奴隷にされそうになっている子等を案じるその声が、魔界の母上様に届く。
やって来た私に彼は願う。『子供達を助けて欲しい』と。
頷いた私に、彼は安堵した様に息を引き取った。
奴隷を浚いに来る様な程度の低い人間の相手は大した事じゃ無い。
魔界から出て来たばかりの魔王は然程強い力を持たないけれど、それでも私は母上様からも天才と称される位には、魔術の才能があったから。
だけど大変だったのは其れからだ。
私は子供の相手なんてした事が無かったから、泣きじゃくる子等を前に途方にくれた。
最初の三十年位は毎日が彼等に振り回され続ける日々だった様に思う。でも今振り返れば、あの時が一番楽しかったようにも、思う。
百五十年が過ぎる頃、私は魔族領の支配者となる。そして側近はあの孤児院の子供達。
しかし一部の子供達とは、その時袂をわかつ事になった。
彼等彼女等は、人間に対する復讐を望んだ。けれど私には、私を喚んだ老人が其れを望むとは思えなかった。
人間と戦えば、多くの孤児が生まれるだろう。それに何よりも、戦場で戦闘に立つ事になるこの子達が危険に晒される。
首を縦に振らない私に、別れの言葉を残してその子等は去って行く。
とても辛い思い出だ。
その別れから二百年後、子等の一人である死貴族のマーシュリア・ファウマが私の領内に潜り込んで反乱を起こし、其れに同調した者達に依って私の領は二つに割れた。
別れた後に何があったのだろうか、すっかり死貴族らしい思考を身に着けたマーシュリアと私は、それから百年以上に渡ってずっと争い続けている。
そんなある日の事だった。
新たな魔王が、私の領の南にある中立地域に現れたのは。
魔王の出現は最近ではとても珍しい事である。
私が出て来たばかりの頃は、十年に一度位はあったのだけどその頻度はどんどん減って、ここ百年程は新しい魔王出現は無い。
無いと断言出来るのは、魔王は新しい魔王の出現を感知する事が出来るから。
其れは私にとって嬉しい出来事だ。
長く続く不毛で無意味に思える、嘗ての知り合いとの戦いに、私は飽いていたのだろう。
私の領のすぐ近くで起きた変化に、少しばかり期待した。
だけど魔王は、出現してから十年以内に命を落とすケースが最も多い。
出現したばかりの魔王は然程強い力を持っておらず、けれども敵は少なくないから。
弟か妹かはわからないけど、本当ならすぐさま会いに行って保護してしまいたいと思う。
でも未だその子がどんな子なのかもわからず、何より私の動きはマーシュリアも注意を払ってる。
私の下手な動きは、その子に敵を増やし得るのだ。
だから私は南の動きを気にしながらもじっと待つ。
否、正確には待つ心算だった。
ある日聞こえて来た報告に、私は思わず耳を疑った。
南に現れた新たな魔王、南部魔物領の異変を解決し、中立地域北部に勢力を築く。
後半は未だわかる。
魔族にとって魔王は特別だから、その存在を知れば担ぎ上げて傘下に入ろうと思って不思議はない。
だけど出現して半年も経って無い魔王が、魔物領の異変を解決なんて……。
出現したばかりの魔王にとっては、魔物領に侵入するだけで命懸けの筈だ。
異変の原因が浅層に在る訳も無く、最も疑いが濃いのは支配種の居る最深部。
「間違いないの?」
思わず聞き返してしまった私に、情報担当の部下は頷く。
間違いじゃない。
じゃあその子は、この世界にやって来て半年も経たずに、最深部まで行って帰って来るだけの実力を身に着けたって事になる。
以前抱いた、小さな期待が急に大きく膨らんだ。
でも同時に、私ものんびりはしていられなくなった。
この情報はいずれマーシュリアの耳にも入るだろう。そうなれば、彼女は必ず南の魔王にちょっかいを出す。
そのちょっかいが友好的な物である可能性は、残念ながらとても低いだろう。
私は彼女に先んじる必要がある。
「姉よ、確かに汝は我より遥かに強く、本気になれば一瞬でケリは付くだろう。だが殺さぬ様に気を付けながら行う程度の攻撃では我は決して倒れぬ」
そして出会った弟は、私の想像を遥かに超えた魔王だった。
小勢であれど勢力の長として見下されるを良しとせず、実力も驚くほどに高い。
観察力もあったし、魔王の証たるギフトも驚異的な物を持っている。
けれどそんな事よりも、それらをひっくるめて勝ち筋を見抜けば、其処に向かって全く折れずに付き進んで来る姿勢に脅威を感じてしまう。
そう、この弟は、格上の魔王たる私に脅威を感じさせたのだ。
少し制御を失敗すれば自分の肉体が吹き飛ぶ術を行使しながら長時間戦い続けるなんて常軌を逸した行いを、弟は平然とやってみせたのだから。
ちょっとした変化を期待してただけの筈なのに、実際に弟にあってみてその変化は具体性を持ち、殺せぬ死貴族を魔王二人掛かりで封印するプランが私の中に出来上がった。
勿論この世界にやって来て半年も経って無い魔王としては、弟は驚く程に強いけど、それでも一領の支配者と互角に戦うにはまだ遠い。
だから私は弟に力を得る為の場として、ダンジョンを紹介してみた。
普通に考えれば、領土をあけてダンジョンに挑むなんて魔王が取る筈もない行動で、何より今の実力だとダンジョン踏破にはやっぱり大きく足りてない。
それでもこの弟なら、何とかしてしまいそうだと、私はまた期待をしたのだ。
圧倒的な存在感を前に、見間違いかなと思った。
戦地で再会した弟は、二カ月に満たない期間の間に私に近い水準まで力を引き上げていたから。
この弟は、とことん私の期待の遥か上を飛び越えるのが好きみたいだ。
でも何故こんなに成長が早いのか、一つだけ推論がある。
私達魔王は、この世界にやって来るまで、肉体を持たずに魂だけで魔界で過ごす。
前の魔王が喚ばれてから、次に自分が喚ばれるまで、母上様から色々と教わりながら。
肉体を鍛え出すのはこの世界に来てからだけど、魔界で魂の状態で過ごしてる時間も決して無駄では無いのだ。
常に母上様の神気の影響を受ける魂は成長を続ける。
弟は他の魔王達より遥かに長くその状態にあったから、恐らく魂のレベルが非常に高い。
私が魔界で過ごした期間は数年だけど、弟は百年もの間をあそこで過ごしたのだ。
だから肉体が魂に引きずられて、切っ掛けを得る度に急成長するのだろう。
「皆、やめなよ。今の弟に勝つのは私でも少し難しいから。どうやってそんなに鍛えたんだい。君は私の予想を超えるのが好きだね、愛しい弟。ああその通りだよ。この領の窮状は私のせいだ」
弟が領を割った私を暗に非難する発言をし、側近達が其れに反感を覚えたので、慌てて混ぜっ返してフォローする。
間違いなく彼は私の為にその言葉を言ったのだろうけど、側近達が其れを理解するのは難しい。
彼等にそれが理解出来ていたなら、弟が私を避難する様な発言をする事は無かった筈だ。
私は甘く、良く間違う。やって来た時も、百五十年目も、その二百年後も、何度も何度も大きな間違いをした。
けれど其れでも、側近達にとっては私は決して間違わない存在だと思われてる。
そんな筈がある訳無いのに。
弟とマーシュリアが戦い始めた。
勝負は最初から見えている。あれだけの力を付けた弟に、マーシュリアは決して勝てはしない。
私はその戦いを見届けるのが辛くて、封印魔術の完成に注力する。
死貴族であるマーシュリアの姿は私がこの世界にやって来た時から大きく変わって無くて、彼女を見るとどうしても楽しかった最初の三十年を思い出してしまうから。
魔王級の二人が魔力を注ぐ事で強固な封印を発動させる術式は、例え私でも編むのには時間が掛かってしまう。
流れ弾が来る可能性もあるので、魔術の完成だけには没頭出来ないから猶更だ。
でもその時、ふと戦いの場の空気が変わった事に気付く。
先程まではぶつかり合う音や、時にマーシュリアが発する言葉が聞こえていたのだけど、今は途絶える事ない破壊音のみが響いていた。
不審に思い、術式が霧散しない様に鍵をかけてから戦いの場に視線を送り、そして私は絶句する。
弟が床に向かって、正確には床に転がるマーシュリアに向かって、魔力の籠った拳を延々と振り下ろし続けていたから。
その行為が単なる封印魔術完成までの時間稼ぎなんかで無い事は直ぐに察しが付いた。
再生と破壊を繰り返させて、その精神、或いは魂を砕こうとしているのだろう。
確かにその方法ならマーシュリアは無力化され、尚且つ死貴族等の復讐も恐らくは来ない。
死貴族が消滅した同胞の復讐に来るのは別段仲間思いだからでは無く、自分達を消滅させる方法が広がって狩られる側に転落するのを恐れるからだ。
本来ならあれは私の役割だった。
弟の様に延々と拳で破壊し続ける様な真似は出来ないが、魔術を用いれば似た様な事は可能だから。
私はまた間違えていた事に気付く。
通常の方法ではマーシュリアは殺せないし、消滅させれば他の死貴族等との戦いになり、より大きな混乱を招くと言い訳をして、彼女と真剣に向かい合わずにあしらうばかりで逃げていた。
封印だって、向かい合うべき問題に蓋をしたいから選んだ手段だ。
このままじゃダメだと、強く思う。
弟に決着を任せてはいけない。
其れを自覚してしまった以上、向かい合わなきゃ私は永遠に間違えたままだ。
―AaああaぁあAあaAぁぁぁぁぁああAAああぁaaっ―
壊されて行くマーシュリアに哀れみを感じなかったと言えば嘘になる。
私は甘い。そしてよく間違えてしまう。
でも私を喚んだ老人の願いは『子供達を助けて欲しい』だった。
ずっと昔の古い願いだけど、その子供達の中にはマーシュリアも含まれる。
例えもう彼女の魂を壊すしか手が無いとしても、其れはあの願いに頷いた私の成すべき責任だ。
「姉は甘いな。甘いが、まあ汝がそう望むなら好きにすると良い。何かあればまた手は貸そう」
弟は溜息一つ吐いた後にそう言って、マーシュリアを解放した。
弟は魔王だ。
甘さも優しさも持っているが、私とは形が違う。
優先順位を違えない。
強いし、特殊なギフトも持っている。
恐らくは母上様は、彼を最後の魔王の心算で送り出したのだろう。
喚び出された願いとは別の、魔王達の望み。人間との戦いに勝つ最終手段を叶えるとしたら、きっと其れはあの子だ。
何百年後になるかはわからない。
でも出来る事なら、私は其れを見届けたいと願う。
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