死ぬまでの暇つぶしにパリ巡りでも

ほか

文字の大きさ
12 / 194
第1章 シャンゼリゼで旅支度

7

しおりを挟む
 それは、灰色の日常の中にあって久しぶりに心洗われる出来事であった。

 ひどい春の嵐が夜通し吹き荒れた直後の晴れ渡った空が頭上に広がる午前中、あざだらけの身体をドレスに包み、プレヌリュヌは庭に出た。

 パリのホテルで行われる茶会に招待されているのだ。




 夫の取引先の名家からの招待。よって、一足先に家を出た夫と出先でまた顔を合わせなくてはならない。

 吐息を噛み殺して春の花が咲き乱れる庭を歩んでいたあるとき、ひたと、プレヌリュヌの足は止まる。




 門の前に、すりきれた服の老人が倒れている。




 コートも羽織らずむき出しのシャツははだけて髪は乱れ、ズボンからはみでた懐中時計はとうに用をなさなくなっていた。

 悲鳴を上げ息を呑む侍女たちに、プレヌリュヌは伝えた。

「今日のお茶会はお断りすると先方に伝えて」

 倒れている老人を見たとき以上の衝撃を込めた侍女の瞳が見返してくる。




「奥様。本日の予定はただの茶会ではありません。旦那様の事業の取引先との重要な社交の場で」

 最後までとりあうことなく、プレヌリュヌは土で赤くなった老人の腕を握り助け起こしていた。

 倒れている人の前を素通りして行く茶会などない。

 しぶしぶ伝令として単身馬車に乗り込んだ侍女を見送り、老人を部屋のベッドに横たえ、気付け薬に水差しを口に含ませる。

 しばらくすると老人はうっすらと目を開いた。




「……これは神のお恵みか。それとももうわしは天上におるのか」

「ご気分はいかがですか」

「頭の中がぐらぐらと揺さぶられるようで。いやなに、持病のためじゃろう。すぐ落ち着きますて」

 はじめのうちは朦朧としていた老人の意識も次第にはっきりしてくる。

「娘さん、あんたは?」

「この家の者です。門のところで倒れられていたので、お連れしたのですわ」

 しわにまみれたその瞳が見開かれ、かすかに潤む。

「なんと。この孤独で頑固な老人を。これは、長年の無神論を撤回しなくてはなるまいて……」

 大げさな物言いに思わずぷっと噴出す。

「よかったわ。信仰心が戻ったようで」




 ありがとうと、囁くようにそう声を発したあと、老人はプレヌリュヌに様々なことを語った。

 独身主義を貫き仕事に生涯を捧げてきたこと。

 昨今の王政復古に、経済界の様相について。もごもごと口から出る社会への指弾は鋭く、彼が存外教養が深い人物だと示すようだった。

 資本主義についての論議に感心して聞き入っていると、ふと老人が部屋の本棚に目を留めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

妾の子だからといって、公爵家の令嬢を侮辱してただで済むと思っていたんですか?

木山楽斗
恋愛
公爵家の妾の子であるクラリアは、とある舞踏会にて二人の令嬢に詰められていた。 彼女達は、公爵家の汚点ともいえるクラリアのことを蔑み馬鹿にしていたのである。 公爵家の一員を侮辱するなど、本来であれば許されることではない。 しかし彼女達は、妾の子のことでムキになることはないと高を括っていた。 だが公爵家は彼女達に対して厳正なる抗議をしてきた。 二人が公爵家を侮辱したとして、糾弾したのである。 彼女達は何もわかっていなかったのだ。例え妾の子であろうとも、公爵家の一員であるクラリアを侮辱してただで済む訳がないということを。 ※HOTランキング1位、小説、恋愛24hポイントランキング1位(2024/10/04) 皆さまの応援のおかげです。誠にありがとうございます。

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

英雄の番が名乗るまで

長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。 大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。 ※小説家になろうにも投稿

遺産は一円も渡さない 〜強欲な夫と義実家に捨てられた私、真の相続人と手を組み全てを奪い返す~ (全10話)

スカッと文庫
恋愛
「お前の価値なんて、その遺産くらいしかないんだよ」 唯一の肉親だった祖父を亡くした夜、夫の健一と義母から放たれたのは、あまりにも無慈悲な言葉だった。 四十九日も待たず、祖父が遺した1億2000万円の遺産をアテに贅沢三昧を目論む夫。だが、彼には隠し通している「裏切り」があった――。 絶望の淵に立たされた由美の前に現れたのは、亡き祖父が差し向けた若き凄腕弁護士・蓮。 「おじい様は、すべてお見通しでしたよ」 明かされる衝撃の遺言内容。そして、強欲な夫たちを地獄へ叩き落とすための「相続条件」とは? 虐げられてきた妻による、一発逆転の遺産争奪&復讐劇がいま幕を開ける!

処理中です...