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第12章 主様、執事の世界へ
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「まず、お詫びをさせてください、主様。メイナードをあのような状態にしたのは俺です」
「は……?」
「怖い思いをされたかもしれません。彼が仕事の合間に休んでいる最中、隙を見て、前髪を下ろしました」
「え? いやいや」
ちょっと頭が追いつかない。
「なんでそんなこと?」
「それはもちろん」
ふいに視線が外れて。
その紺の瞳が、思いつめたような色を宿す。
「彼に術を使わせるためです」
「あの……」
やっぱり、意味が呑み込めない。
ゆっくりと上げた彼の瞳の奥には。
「約束通り、お願いをきいていただきます、主様」
黒い薔薇が返り咲いていた。
「もう、あちらの世界には帰らずに……ずっと、こちらで過ごしませんか」
切ないほど張りつめ、散り際も美しい、異色の薔薇が。
このうえない切実な感情の上に、咲いている。
「卑怯な手を使ったことはお詫びします。ですが――」
「事件の後も、ご家族のことに翻弄される主様を見てきて。ずっと考えていたんです。どこか、不安や恐怖から完全にほの様を遠ざけることのできる場所はないかと……」
そこまで語ると、ハーヴェイは、ぎゅっと口を結んだ。
「もう、主様が苦しむのを見るのは、いやなんです……」
「……」
花の蜜のような甘い感情が、胸に押し寄せてくる。
ずっと、あたしのことで、こんなに深刻に悩んでくれていた。
ここにいれば、もう、苦しむことはない。
家族の横暴や、事件からも。
恐怖からも、永久に自由。
「……」
糖分を過剰摂取した後のような、甘い痛みが胸を覆う。
蜂蜜にからめとられたような安心感。
十二時を告げる大時計の鐘が鳴った。
「ありがとう、ハーヴェイ。ほんと、最高の執事だよ」
いつもよりマスカラを多めに塗ったまつ毛をそっと、伏せて。
彼の手をとって、顔を上げるように促し。
わたしはそっと、告げた。
「でもね。ごめん。あたし、帰るね」
「主様……。やはり、別の世界であるここは、不安でしょうか」
「ううん。違うよ」
さっぱりと笑って半回転した。
「ハーヴェイと楽しいときをここで過ごしたおかげで、帰りたくなったの」
「それは……?」
ふうっと薔薇の香りを全身で吸い込んで、伸びをする。
「ハーヴェイが元気と自信をあたしに戻してくれたから。そのおかげで思い出したんだ」
振り返って、ぱっと笑ってみせる。
「やっぱりあたし、あたしが生まれた世界の人たちを元気づけなくちゃ」
「……主様……」
夜空のてっぺんにつきが上ったのか。
ハーヴェイの瞳に神秘的な光の玉が生まれる。
「あたしだからこそわかる傷みを、使って。同じように傷んでいる人に寄り添いたい」
蕾だった薔薇が一斉に花開いて、月の光を浴びて踊るように香った。
ナイフのような棘が徐々に、通常の小さなものに戻っていく。
その光景を見ていた紺色の目が眇められた。
「……やはり、引き留めておくことはできませんでしたか」
囁くように言うと、ハーヴェイは立ち上がる。
「そうおっしゃられると、わかっていました。……本音を言うと少しだけ、期待しましたが」
ハーヴェイはわたしに向けて、手を差し伸べた。
「いつもの主様もとてもお美しいですが、今宵は今までで見た中で一番、お綺麗でした」
敬服を現す礼の姿勢をとって。
執事は主を、帰りの馬車へ誘う――。
「は……?」
「怖い思いをされたかもしれません。彼が仕事の合間に休んでいる最中、隙を見て、前髪を下ろしました」
「え? いやいや」
ちょっと頭が追いつかない。
「なんでそんなこと?」
「それはもちろん」
ふいに視線が外れて。
その紺の瞳が、思いつめたような色を宿す。
「彼に術を使わせるためです」
「あの……」
やっぱり、意味が呑み込めない。
ゆっくりと上げた彼の瞳の奥には。
「約束通り、お願いをきいていただきます、主様」
黒い薔薇が返り咲いていた。
「もう、あちらの世界には帰らずに……ずっと、こちらで過ごしませんか」
切ないほど張りつめ、散り際も美しい、異色の薔薇が。
このうえない切実な感情の上に、咲いている。
「卑怯な手を使ったことはお詫びします。ですが――」
「事件の後も、ご家族のことに翻弄される主様を見てきて。ずっと考えていたんです。どこか、不安や恐怖から完全にほの様を遠ざけることのできる場所はないかと……」
そこまで語ると、ハーヴェイは、ぎゅっと口を結んだ。
「もう、主様が苦しむのを見るのは、いやなんです……」
「……」
花の蜜のような甘い感情が、胸に押し寄せてくる。
ずっと、あたしのことで、こんなに深刻に悩んでくれていた。
ここにいれば、もう、苦しむことはない。
家族の横暴や、事件からも。
恐怖からも、永久に自由。
「……」
糖分を過剰摂取した後のような、甘い痛みが胸を覆う。
蜂蜜にからめとられたような安心感。
十二時を告げる大時計の鐘が鳴った。
「ありがとう、ハーヴェイ。ほんと、最高の執事だよ」
いつもよりマスカラを多めに塗ったまつ毛をそっと、伏せて。
彼の手をとって、顔を上げるように促し。
わたしはそっと、告げた。
「でもね。ごめん。あたし、帰るね」
「主様……。やはり、別の世界であるここは、不安でしょうか」
「ううん。違うよ」
さっぱりと笑って半回転した。
「ハーヴェイと楽しいときをここで過ごしたおかげで、帰りたくなったの」
「それは……?」
ふうっと薔薇の香りを全身で吸い込んで、伸びをする。
「ハーヴェイが元気と自信をあたしに戻してくれたから。そのおかげで思い出したんだ」
振り返って、ぱっと笑ってみせる。
「やっぱりあたし、あたしが生まれた世界の人たちを元気づけなくちゃ」
「……主様……」
夜空のてっぺんにつきが上ったのか。
ハーヴェイの瞳に神秘的な光の玉が生まれる。
「あたしだからこそわかる傷みを、使って。同じように傷んでいる人に寄り添いたい」
蕾だった薔薇が一斉に花開いて、月の光を浴びて踊るように香った。
ナイフのような棘が徐々に、通常の小さなものに戻っていく。
その光景を見ていた紺色の目が眇められた。
「……やはり、引き留めておくことはできませんでしたか」
囁くように言うと、ハーヴェイは立ち上がる。
「そうおっしゃられると、わかっていました。……本音を言うと少しだけ、期待しましたが」
ハーヴェイはわたしに向けて、手を差し伸べた。
「いつもの主様もとてもお美しいですが、今宵は今までで見た中で一番、お綺麗でした」
敬服を現す礼の姿勢をとって。
執事は主を、帰りの馬車へ誘う――。
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