ラヴェンナ・ヴァラディ ~語れる司書の物語~

ほか

文字の大きさ
25 / 94
第2話 宅配司書と劇作家

3

しおりを挟む
「社長、お客様を、怒らせてしまいました……」







 あてがわれた寝室。妖精の描かれた鏡台に、バラの彫刻のクローゼット。



 グリッサンドーニは一人暮らしと聞いていたが、以前女性が使っていたのだろうか。



 小花を散らしたデザインのシーツの中、スマートフォンを抱えラヴェンナは丸くなった。







『それで、グリッサンドーニ様にはなんと?』



 スマートフォンから聴こえてくる声に、ますます背中のカーブを急にする。



「極めて個人的な事情ゆえ、説明が困難で。ただ音楽鑑賞が不得手な体質とだけ。ですのでご納得いただけたかどうかは……」



 閉じた目から涙をどうにか押し留めているのだけが救いだ。



 劇音楽の原作なんて楽しそうと、必ず成功させてみせると意気込んできたのに、なんとも、情けなかった。







「……震えて、くるのです。音楽を聴いていていると」



『僕も、図書館のみなさんも、今回の依頼へ出向くあなたを止めたのは、この事態を予測してのことだったのです』



「……はい」







『ラヴェンナさん』



 改まった上司の呼び声にラヴェンナは閉じた目をよりいっそう強く瞑る。



 その後数秒の沈黙は身体が凍るような気がした。



『今回は帰っていらっしゃい。代わりの司書を手配します』



 だがその声は、雪解けよりも暖かくて。



「社長……」



 だからなおさら、哀しかった。



 半ば感情を失くした機械のように、ラヴェンナは発する。







「わたしは、ご不要、ですか」







 今度は、沈黙はなかった。



『必要だから言うのです。無理を通してあなたに壊れられたら、ウィスタリア私立図書館は大損害です』



「……」



 説得のために言ってくれているのかもしれない。けれど。



 長いまつ毛から窺えるウィスタリアが激しく、揺れる。



 大切に、抱きしめるように、扱ってくれる。



 それだけで、力が沸いてくる。



 あたたかな湧き水のように。



 しゃんとラヴェンナは顔を上げた。







「いやです」







 電話の向こうの相手が一瞬、逡巡するのがわかった。



「グリッサンドーニ様は、兆しを見せてくださいました。ピアノの前に立ち、演奏を試みることで、わたしに仕事を任せてもいいという心の兆しを。まだ、わたしにできることが、あるはずです」



『ラヴェンナさん……』



「社長はいつもおっしゃいますよね。あなたにしかできない仕事をしなさいと。わたしは社長が思うほどふがいなくは、ないです」







 気付けば寝台の上、立ち上がっていた。



 端から見れば滑稽だが、その心地はもはや、舞台上の活劇で戦地へ赴く兵士だ。



 困ったような呻きを少量、後笑いが一匙。



『わかりました』 



 ラヴェンナをこの世という舞台で光らせる魔手のような。



『ではラヴェンナさん。クルーを一つ、差し上げます。――繰り返しにはなりますが』



 その人の声は、こう続けた。





『お客様が挙げられるタイトルの本を提供することが司書の仕事ではありません。その要望を洞察し時に別のジャンルからも、あらゆる読書体験と知識を駆使し、書物の収集にあたります』





「――はい」



 寝台に直立したままラヴェンナは、目を閉じ拳を右胸にあてる。



『あなたでなければ差し出せない。そんな本をご提供しなさい』



 何度も差し出されたその言葉はその度、新たな鮮度を持ってラヴェンナの視界を潤す。



『その手の震えがあるから、ふいに触れることができた。そんな本があるはずです』



 深く深く頷き、魔術に敬意を示し――ラヴェンナはそっと液晶画面に触れた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~

秦朱音|はたあかね
キャラ文芸
王を中心に五家が支配する、綺羅ノ国。 五家に覡(かんなぎ)として仕える十六夜家の娘、久遠(くおん)は、幼い頃から男として育てられてきた。 都では陽を司る日紫喜家の王が崩御し、素行の悪さで有名な新王・燦(さん)が即位する。燦の后選びに戦々恐々とする五家だったが、燦は十六夜家の才である「夢見」を聞いて后を選ぶと言い始めた。そして、その夢見を行う覡に、燦は男装した久遠を指名する。 見習いの僕がこの国の后を選ぶなんて、荷が重すぎる――! 久遠の苦悩を知ってか知らずか、燦は強引に久遠を寝室に呼んで夢見を命じる。しかし、初めて出会ったはずの久遠と燦の夢には、とある共通点があって――? 謎に包まれた過去を持ち身分を隠す男装姫と、孤独な王の恋と因縁を描く、和風王宮ファンタジー。 ※カクヨムにも先行で投稿しています

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

「『お前に書く手紙などない』と言った婚約者へ、私は7年間手紙を書き続けた——ただし、届け先は別の人でした」

歩人
ファンタジー
辺境伯令嬢リゼットは、婚約者に7年間手紙を書き続けた。返事は一度もなかった。 「お前に書く手紙などない。顔も覚えていない」——婚約破棄。しかしリゼットは 泣かなかった。手紙の本当の届け先は、最初から別にあったから。前世の情報分析 能力で辺境の異変を読み解き、暗号として織り込んだ7年分の手紙。それを受け取り 続けていたのは第一王子。リゼットは誰にも知られず、王国を守っていた。 婚約破棄の翌朝、王子からの手紙が届く。「7年間、ありがとう。迎えに行く」

処理中です...