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第5話 宅配司書が死ねない理由
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⑭
「これだけの義務を果たしたのに。血の滲む努力で栄光を勝ち取ったのに」
本で造られた岩石の中。
薄れゆく意識の中、ラヴェンナは声を聴いた。
「すべて徒労に終わった。わたしの人生を返せ!」
憎しみに満ちた、声。
ぼんやりと、認識する。
これは以前の、わたしの世界。
「わたしのすべてをめちゃくちゃにしたお前が。今声を取り戻して、のうのうと生きているなんて、あってはならない」
黒一色の世界。
「許せない――!!」
無数の本たちがカウンターを覆った瞬間。
プルメリアが唇を噛み締め、ワットが思わず駆け出し、スウィーティが両手で顔を覆い。
ダイアンが色を失い、叫んだ。
「ラヴェンナさん――!!」
本の山はしんと静まり返る。
誰もが声を失った。
世界が止まった。
そしてもう、動き出すことはない。
鉛のような沈黙が広大な図書館を覆いつくした時。
がたがたと本の山の頂上が、崩れた。
「ほんとですね、社長」
姿を現したのは、口から一筋の血を流し。
それでもなお。
「遅まきながらわかりました」
品位ある笑みを浮かべた、我がウィスタリア私立図書館の宅配司書。
「災害時は机の下へ。――自衛は、大切です」
白い華奢な手がそっと、身を守ってくれたカウンターを労わるように撫でる。
歓喜するスウィーティの横で倒れそうになるプルメリアを支えるワット。
震える瞳でそっと、ダイアンが微笑んだ。
「ルビー・ティアベル様」
本の瓦礫の中に凛と立ち。
美しき司書は、言葉を紡ぐ。
「申し訳ありません」
まずはぺこりと、頭を下げ。
「わたしは今死ぬわけには、いかないのです」
「グレース。グレース・ティアベル」
とうに古びた名に、女はまだ固執し叫ぶ。
「わたしの娘! 何故だ! お前の命はわたしのものだろう⁉」
そして、過去のならわしも。
「歌姫としてわたしの跡を継ぐために生まれ、それを果たさず消えた。お前の命は!」
身も心も血まみれになって叫び、呪い続ける彼女に。
司書はゆっくと返答する。
「いいえ。――わたしの人生は、あなたのそれとは別物」
胸に手をあて、膝を折り。
彼女はかつての母親に、白ゆりのような清き一礼を贈る。
「今のわたしはラヴェンナ・ヴァラディと申します」
なぜ、死んではならない?
ラヴェンナの胸に砂嵐のように繰り返し起こった問い。
愛する人々を悲しませるから?
辛いことがあっても人は生きるべきだから?
否。そんな理屈は気力のひとかけらさえ、くれなかった。
自分がどのくらい愛されているかなんて、推し量れるものではないし、愛が平等に万人に対して存在す るとも思わない。死ぬ勇気があるなら生きるべきなんて道徳論はもはや自ら命を絶つ人々が溢れる世の中で、陳腐に空々しく響くに過ぎない。
宅配司書はゆっくりと面を上げる。
ラヴェンナ・ヴァラディにとって、生の理由はより生々しいものだった。
「味わってみたいものが、あるのです。――まだまだ、これからも」
文学なんてきれいごとだと言いながらも、その世界に憑かれ、極めることの心地よさを思い出した女流作家。
自分の本当の言葉を長らく話していなかったこと――そして優しくしたい、というシンプルなその言葉を思い出した老劇作家。
家族にすら馴染めず孤独だったのは、精神性の高さゆえかもしれないと気付き、自滅から立ち上がった絵描きの少女。
この手が手渡す本により、何かを掴み取ってくれる人たち。
彼らが活き活きと人生という大舞台に蠢く姿。
「わたしは今、ほんの少しだけ、この世に執着しているのです」
それが今、ラヴェンナ・ヴァラディの死ねない理由だった。
「二度と彼女に近づかないと約束しなさい」
そこにそっと寄り添う、影のような厳しく優しいぬくもりがある。
「もしくは、永遠に動けない身体になるかです。――どうしますか」
彼女のためならば、どんなに冷酷にもなるその声と。
かつて虐げられるままだった娘がいつの間にか得ていた堅牢な砦に、かつての母親は頽れ、ついに屈服した。
「これだけの義務を果たしたのに。血の滲む努力で栄光を勝ち取ったのに」
本で造られた岩石の中。
薄れゆく意識の中、ラヴェンナは声を聴いた。
「すべて徒労に終わった。わたしの人生を返せ!」
憎しみに満ちた、声。
ぼんやりと、認識する。
これは以前の、わたしの世界。
「わたしのすべてをめちゃくちゃにしたお前が。今声を取り戻して、のうのうと生きているなんて、あってはならない」
黒一色の世界。
「許せない――!!」
無数の本たちがカウンターを覆った瞬間。
プルメリアが唇を噛み締め、ワットが思わず駆け出し、スウィーティが両手で顔を覆い。
ダイアンが色を失い、叫んだ。
「ラヴェンナさん――!!」
本の山はしんと静まり返る。
誰もが声を失った。
世界が止まった。
そしてもう、動き出すことはない。
鉛のような沈黙が広大な図書館を覆いつくした時。
がたがたと本の山の頂上が、崩れた。
「ほんとですね、社長」
姿を現したのは、口から一筋の血を流し。
それでもなお。
「遅まきながらわかりました」
品位ある笑みを浮かべた、我がウィスタリア私立図書館の宅配司書。
「災害時は机の下へ。――自衛は、大切です」
白い華奢な手がそっと、身を守ってくれたカウンターを労わるように撫でる。
歓喜するスウィーティの横で倒れそうになるプルメリアを支えるワット。
震える瞳でそっと、ダイアンが微笑んだ。
「ルビー・ティアベル様」
本の瓦礫の中に凛と立ち。
美しき司書は、言葉を紡ぐ。
「申し訳ありません」
まずはぺこりと、頭を下げ。
「わたしは今死ぬわけには、いかないのです」
「グレース。グレース・ティアベル」
とうに古びた名に、女はまだ固執し叫ぶ。
「わたしの娘! 何故だ! お前の命はわたしのものだろう⁉」
そして、過去のならわしも。
「歌姫としてわたしの跡を継ぐために生まれ、それを果たさず消えた。お前の命は!」
身も心も血まみれになって叫び、呪い続ける彼女に。
司書はゆっくと返答する。
「いいえ。――わたしの人生は、あなたのそれとは別物」
胸に手をあて、膝を折り。
彼女はかつての母親に、白ゆりのような清き一礼を贈る。
「今のわたしはラヴェンナ・ヴァラディと申します」
なぜ、死んではならない?
ラヴェンナの胸に砂嵐のように繰り返し起こった問い。
愛する人々を悲しませるから?
辛いことがあっても人は生きるべきだから?
否。そんな理屈は気力のひとかけらさえ、くれなかった。
自分がどのくらい愛されているかなんて、推し量れるものではないし、愛が平等に万人に対して存在す るとも思わない。死ぬ勇気があるなら生きるべきなんて道徳論はもはや自ら命を絶つ人々が溢れる世の中で、陳腐に空々しく響くに過ぎない。
宅配司書はゆっくりと面を上げる。
ラヴェンナ・ヴァラディにとって、生の理由はより生々しいものだった。
「味わってみたいものが、あるのです。――まだまだ、これからも」
文学なんてきれいごとだと言いながらも、その世界に憑かれ、極めることの心地よさを思い出した女流作家。
自分の本当の言葉を長らく話していなかったこと――そして優しくしたい、というシンプルなその言葉を思い出した老劇作家。
家族にすら馴染めず孤独だったのは、精神性の高さゆえかもしれないと気付き、自滅から立ち上がった絵描きの少女。
この手が手渡す本により、何かを掴み取ってくれる人たち。
彼らが活き活きと人生という大舞台に蠢く姿。
「わたしは今、ほんの少しだけ、この世に執着しているのです」
それが今、ラヴェンナ・ヴァラディの死ねない理由だった。
「二度と彼女に近づかないと約束しなさい」
そこにそっと寄り添う、影のような厳しく優しいぬくもりがある。
「もしくは、永遠に動けない身体になるかです。――どうしますか」
彼女のためならば、どんなに冷酷にもなるその声と。
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