逆転の娼婦姫

ほか

文字の大きさ
17 / 63
第2章 あじさい革命

1

しおりを挟む
 等間隔に開いた、半円の等身大の窓から広大な王都が見渡せる、白亜の回廊。

 アッセンブル城南棟の最上階をリカルドに連れられ、パエリエは歩いていた。

 普段着用だとあてがわれたビスケット色にマーマレード柄のドレスで動く度に花びらのようなフリルがこすれる。

 回廊の奥にはいくつもの堅牢な扉がありリカルドが一番手前を開くと、本の詰め込まれた巨大な空間が姿を現す。





「ここが大閲覧室。社交の諸々や礼儀作法に加え、歴史や地理、言語、幾何に至るまできみには多くのことを学んでもらうことになるけれど、その中でより詳しく知りたいことが出てきたら来るといい」

 見渡す限りの本。

 それも半数以上はこの国以外の言語で書かれたもののようだ。

 レースの手袋に包まれた手で軽くパエリエは額を抑える。





「母国語の読み書きでさえ、やっとマスターしたっていうのに」

「学問は一日にして成らずさ。難しいものは持っておいで。解読を助けよう」

 なんてことないように呟かれた言葉は、眼鏡の奥で微笑むいかにも人のよさそうなこの人物の脳内に、世界中の言語と知識が詰め込まれていることを意味する。

 まじまじとパエリエは彼を見上げた。

 白いシャツに水色のラインの入った燕尾を着こなすすらりとした好青年。

 未だに信じられない。

 まさかあの風変わりな白衣の営業男が皇太子だったとは。

 眇めた瞳の意味を別に取ったらしいリカルドは、首を傾げ、気づかわしげに問うてくる。





「いきなりのプリンセスレッスンに戸惑うのも無理はない。なにもかも初めてなんだからね」

 パエリエは肩をすくめ、この仕草すら民の前では表してはいけないと先日倣ったことを思い出し、密かに舌を出した。

 この身を見下した世界を見下ろしたくはないか。

 その言葉の魔力的な引力に絡めとられるように頷き、皇太子妃を目指すことを承諾したのはいいものの。

 実際、育ちはなかなか隠し切れるものではなく、苦労している。

 褒められる微笑み方も、所作も言葉遣いも、身につけるべき知識の種類も、娼館と王宮ではなにもかも違う。当然のことだが。

 下町で生き残るため、たいていのことはうまくたちまわって切り抜けてきたつもりでも、ここはまるで勝手が違う。

 知らず下唇を噛んでいることに気付き、あわててやめる。これもご法度だ。

 思わず頭を振りたくなる。一秒ごとに失敗だらけ。悔しい。

 目を閉じていると、頭の上から高らかな笑い声が降ってくる。

 不満げに見上げるとリカルドが心からおかしそうに笑っていた。





「なにがおかしいのよ」

「いや、すまない」

 ぴんと伸びた背筋で、口元に長い指の関節をあて控えめに笑うその小さな仕草すら品よく絵になっている。そう思いまたげんなりする。ここまでを目指すということなのか。

 リカルドは身をかがめ、パエリエの頬にかかった一筋の髪を払いのけ、言う。

「負けず嫌いなところもかわいいなと思ってね」

「……ばかにしてるの?」





 数日をともにしてわかってきたことだが、のんびり構えているようで、リカルドはいつでも余裕の態度を崩していない。

 端的に言って腹が立った。

「いや。こう言ったらいいかな」

 にこにことパエリエを楽し気にあらゆる角度から見つめる瞳がふいに、真剣味を帯びる。

 一瞬、見開かれたパエリエの瞳のオレンジペコの色素が薄まる。

 ――そう。腹が立つのだ。

「悔しいと思ってもらえることが喜ばしい。それは伸びしろ以外のなにものでもないから」

 ここぞと言う時の台詞に妙に説得力があり、反論が難しいことも。





「パエリエ、きみの誕生日は?」

 とっさに反応できなかったのは、突然話題が変わったためばかりではなかった。

「……覚えてないわ」

 家族にも、祝ってもらった記憶がない。

 リカルドは一瞬息を呑むが、そうか、と短く答えただけだった。





「では、皇太子の婚約者として王宮に上がった今日が、きみの誕生日だ」

 微笑み、顎に長い指先をあてがうと、リカルドは思考する。

「六月九日だから、毎月九日にしようかな」

 形よく整えられた眉を、パエリエは顰めた。

「なんの話?」

「僕が我が婚約者に、ささやかな贈り物を贈る日さ」

 リカルドはそっとパエリエの手を取ると、レースの手袋を脱がせる。

 胸元から紺に真珠を散らした長手袋を取り出し、被せた。

「毎月新しい手袋を贈ろう。夏のうちは日よけのものを。寒くなったら防寒具に」

 身を寄せ、いいかい、と囁いてくる。





「僕の親愛の証と思って、屋内でも身に着けていてくれ」





「……?」

 発言の意図がわからず首を傾げると、念を押すように彼は続ける。

「夏のうちは慣れるまで少し、暑いかもしれないけれど、必ず。——わかったね」

 有無を言わせぬ口調に、わからないままに頷くと、手袋の縁の真珠がほのかに光った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

英雄の番が名乗るまで

長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。 大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。 ※小説家になろうにも投稿

王宮地味女官、只者じゃねぇ

宵森みなと
恋愛
地味で目立たず、ただ真面目に働く王宮の女官・エミリア。 しかし彼女の正体は――剣術・魔法・語学すべてに長けた首席卒業の才女にして、実はとんでもない美貌と魔性を秘めた、“自覚なしギャップ系”最強女官だった!? 王女付き女官に任命されたその日から、運命が少しずつ動き出す。 訛りだらけのマーレン語で王女に爆笑を起こし、夜会では仮面を外した瞬間、貴族たちを騒然とさせ―― さらには北方マーレン国から訪れた黒髪の第二王子をも、一瞬で虜にしてしまう。 「おら、案内させてもらいますけんの」 その一言が、国を揺らすとは、誰が想像しただろうか。 王女リリアは言う。「エミリアがいなければ、私は生きていけぬ」 副長カイルは焦る。「このまま、他国に連れて行かれてたまるか」 ジークは葛藤する。「自分だけを見てほしいのに、届かない」 そしてレオンハルト王子は心を決める。「妻に望むなら、彼女以外はいない」 けれど――当の本人は今日も地味眼鏡で事務作業中。 王族たちの心を翻弄するのは、無自覚最強の“訛り女官”。 訛って笑いを取り、仮面で魅了し、剣で守る―― これは、彼女の“本当の顔”が王宮を変えていく、壮麗な恋と成長の物語。 ★この物語は、「枯れ専モブ令嬢」の5年前のお話です。クラリスが活躍する前で、少し若いイザークとライナルトがちょっと出ます。

【完結】地味な私と公爵様

ベル
恋愛
ラエル公爵。この学園でこの名を知らない人はいないでしょう。 端正な顔立ちに甘く低い声、時折見せる少年のような笑顔。誰もがその美しさに魅了され、女性なら誰もがラエル様との結婚を夢見てしまう。 そんな方が、平凡...いや、かなり地味で目立たない伯爵令嬢である私の婚約者だなんて一体誰が信じるでしょうか。 ...正直私も信じていません。 ラエル様が、私を溺愛しているなんて。 きっと、きっと、夢に違いありません。 お読みいただきありがとうございます。短編のつもりで書き始めましたが、意外と話が増えて長編に変更し、無事完結しました(*´-`)

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

異世界に落ちて、溺愛されました。

恋愛
満月の月明かりの中、自宅への帰り道に、穴に落ちた私。 落ちた先は異世界。そこで、私を番と話す人に溺愛されました。

助けた騎士団になつかれました。

藤 実花
恋愛
冥府を支配する国、アルハガウンの王女シルベーヌは、地上の大国ラシュカとの約束で王の妃になるためにやって来た。 しかし、シルベーヌを見た王は、彼女を『醜女』と呼び、結婚を保留して古い離宮へ行けと言う。 一方ある事情を抱えたシルベーヌは、鮮やかで美しい地上に残りたいと思う願いのため、異議を唱えず離宮へと旅立つが……。 ☆本編完結しました。ありがとうございました!☆ 番外編①~2020.03.11 終了

【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました

ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。 名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。 ええ。私は今非常に困惑しております。 私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。 ...あの腹黒が現れるまでは。 『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。 個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

処理中です...