8 / 48
2章 小さな友人
3
しおりを挟む
それから二十分、二人は黙々と作業をこなし、長谷川と代わって三階に上がりタイムカードを切った。
更衣室から休憩室に入ると、先に準備を終え、弁当を貰って来たらしい航が帰り支度をしていた。
「店長さんには、言ったんですか」
亜希の問いかけに、彼は「いや」と呟く。彼女は、てっきり航はあの子をさっさと突き出すものだと思っていた。子どもとはいえ、万引きは立派な犯罪だ。小さなうちにそのことをきちんを教えておかなければ、大人になっても繰り返す。
「あいつのこと、店長に言ってもいいよ」
考えていると、航が言った。
「俺が逃がしたって言えばいいから」
犯罪は許すべきではない。だが、そう思っているのに、そうしようという言葉が出ない。
「……来栖くんは、どうしてあの子を逃がしたんですか」
問いかけると、彼は珍しく困った顔を見せる。すると亜希も困ってしまい、たちまち空間には沈黙が満ちる。
「とにかく、好きにしてよ。俺、ちょっと裏に行ってくるから」やっと彼が通学鞄を肩にかけるのに、「私も」と亜希は言った。彼が何を思ってあの子を呼び出したのか、そして本当にあの子は約束を守るのか知りたかったのだ。
万引きをするような子だ。改めて店に突き出される可能性を考えれば、そのまま逃げおおせていても妥当だろう。幼くともそれぐらいは考えられる。
だから亜希は半信半疑だったが、ビル壁に挟まれる細い道に、先ほどの子は所在なげに立ち尽くしていた。建物の窓から差し込む明かりの中に見える顔はすっかり泣き腫らしていたが、涙はもう止まっていた。
二人が近づいても逃げる様子はなく、幼さに見合わず憔悴しきっている。
「おまえ、ここまで一人で来たのか」航が尋ねると、こくんと頷く。「なんで盗んだんだ」
「……おなか、すいてて……」
店内で尋ねたのと同じ質問に、その子はやっと小さな声を出した。
今にも消え入りそうなそれに、「だからって、盗むのは駄目だってわかるよな」と航は厳しく重ねる。
「いいか、おまえがやったのは万引きだ。犯罪なんだぞ。通報されれば、捕まって手錠かけられて、牢屋にぶちこまれるんだ」
項垂れるその子は、俯いたまま何度も頷いている。
「あとで百円返せばいいとか、そういう問題じゃないからな。犯罪犯せば、一生ついて回るんだ。あいつは犯罪者だって、死ぬまで後ろ指さされるんだぞ。店どころか親にも兄弟にも迷惑かけて、見放されたって文句は言えないんだ」
ひくひくと肩を震わせ、ひいひいと細い声を漏らして、せっかく泣き止んだその子は再び泣き始めた。自分のしたことの重大さを思い知ったのか、懸命に腕で目元を拭っている。
航の言うことは真実だ。だが、あまりにその子の姿が哀れで、亜希は隣にしゃがみ込んだ。
「もう、しないよね」鞄から取り出したハンカチで、目元を拭ってやる。「反省してるから、大丈夫だよね」
うん、とやっと声を出して男の子は頷いた。「もう、しない」しゃくり上げる隙間で必死に声を出す。
流れる涙がようやく止まった頃、亜希は一度その頬を拭いてやった。航も大きくため息をつき、鞄をアスファルトに置いて屈む。「二度としないって、約束できるな」念を押すと、「できる」と小さな声が言った。
「そんなら、これ持って帰れ」
彼が鞄から出したのは、一つのビニール袋。店で扱っている弁当が覗けている。彼が先ほど貰って来たに違いない。賞味期限の近い、売れ残りの弁当だ。
「これは俺が、店から正式に貰った弁当だ」片手を鞄に突っ込み、手にしたものを見せる。「これもやるよ。ちゃんと金払ったから問題ない」それは、その子が盗んだ鮭おにぎりだった。彼はあの後、売り物にならなくなったそれを買い取っていた。
弁当の上におにぎりを入れた袋を彼は突き出すが、男の子は濡れた瞳を見開いてきょとんとしている。
「ほら、腹減ってんだろ」袋を軽く振って促す。
「……いいの?」男の子が、細い声で囁いた。
「いいよ。さっさと帰って食べな」
おずおずと伸びる腕が、やっとその袋を受け取って抱いた。大事そうに中身を覗くと、「ありがとう」と礼を言って少しだけ笑った。
その子の後ろ姿を見送りながら、「驚きました」と亜希は素直に口にする。「何が」と航は立ち上がって背を伸ばす。
「てっきり、来栖くんは万引き犯なんて突き出すんじゃないかと思ってたから……」
「あれが大人だったらそうしてたよ。ガキでも許さない」
「なら、どうして許したんですか」
矛盾した台詞へ首を傾げる彼女に、「あいつ、すごく痩せてただろ」と彼は返す。
「そう言われてみれば……」
「触った時に分かったし、服も皺だらけだった。盗んだのもおやつだのジュースだのじゃないし、こんな時間にあんな小さい子が一人で外にいるなんて普通じゃないだろ」
思い返せば彼の言う通りで、亜希は口をつぐむ。
「まあ、あいつの生存戦略だったんだろうな。盗むに至ったのも、本来はあいつのせいじゃないだろうし」
「それなら……それなら、警察とか、どこかに相談した方がいいんじゃ」
「そこまでしてやる義理はないよ」よいしょと鞄を肩にかけ、彼は何でもない風に言う。「面倒なことはごめんだよ。確実にまともな親じゃないし、首突っ込みたくない」
その台詞に、亜希にはいっそう彼が分からなくなる。万引きを許して食べ物を与えるなんて優しい真似をしておいて、のっぴきならない事情を察しながら面倒などと口走る。
「中途半端に手出す方がよっぽど無責任だし。毒を食らわば皿までって、そもそも毒なんか食いたくないし、丸見えの泥船になんて乗りたくない」
「毒かどうかなんて、食べてみないとわからないじゃないですか」
そうは言ったものの、亜希にも分かっていた。あの子は確かに毒の中にいる。そこに入れば確実にこちらも冒されてしまう。
「どう見ても毒だって」彼はうんざりした顔をする。「それに、下手にかき混ぜれば余計にひどいことになるかもしれない」
「……私、余計に来栖くんが分からなくなりました」
「まあ難しいからなー」本気か冗談か分からない台詞を吐く。「じゃ、俺、飯買って帰るから」ひらひらと手を振って、彼はさっさと帰路に着いていった。
更衣室から休憩室に入ると、先に準備を終え、弁当を貰って来たらしい航が帰り支度をしていた。
「店長さんには、言ったんですか」
亜希の問いかけに、彼は「いや」と呟く。彼女は、てっきり航はあの子をさっさと突き出すものだと思っていた。子どもとはいえ、万引きは立派な犯罪だ。小さなうちにそのことをきちんを教えておかなければ、大人になっても繰り返す。
「あいつのこと、店長に言ってもいいよ」
考えていると、航が言った。
「俺が逃がしたって言えばいいから」
犯罪は許すべきではない。だが、そう思っているのに、そうしようという言葉が出ない。
「……来栖くんは、どうしてあの子を逃がしたんですか」
問いかけると、彼は珍しく困った顔を見せる。すると亜希も困ってしまい、たちまち空間には沈黙が満ちる。
「とにかく、好きにしてよ。俺、ちょっと裏に行ってくるから」やっと彼が通学鞄を肩にかけるのに、「私も」と亜希は言った。彼が何を思ってあの子を呼び出したのか、そして本当にあの子は約束を守るのか知りたかったのだ。
万引きをするような子だ。改めて店に突き出される可能性を考えれば、そのまま逃げおおせていても妥当だろう。幼くともそれぐらいは考えられる。
だから亜希は半信半疑だったが、ビル壁に挟まれる細い道に、先ほどの子は所在なげに立ち尽くしていた。建物の窓から差し込む明かりの中に見える顔はすっかり泣き腫らしていたが、涙はもう止まっていた。
二人が近づいても逃げる様子はなく、幼さに見合わず憔悴しきっている。
「おまえ、ここまで一人で来たのか」航が尋ねると、こくんと頷く。「なんで盗んだんだ」
「……おなか、すいてて……」
店内で尋ねたのと同じ質問に、その子はやっと小さな声を出した。
今にも消え入りそうなそれに、「だからって、盗むのは駄目だってわかるよな」と航は厳しく重ねる。
「いいか、おまえがやったのは万引きだ。犯罪なんだぞ。通報されれば、捕まって手錠かけられて、牢屋にぶちこまれるんだ」
項垂れるその子は、俯いたまま何度も頷いている。
「あとで百円返せばいいとか、そういう問題じゃないからな。犯罪犯せば、一生ついて回るんだ。あいつは犯罪者だって、死ぬまで後ろ指さされるんだぞ。店どころか親にも兄弟にも迷惑かけて、見放されたって文句は言えないんだ」
ひくひくと肩を震わせ、ひいひいと細い声を漏らして、せっかく泣き止んだその子は再び泣き始めた。自分のしたことの重大さを思い知ったのか、懸命に腕で目元を拭っている。
航の言うことは真実だ。だが、あまりにその子の姿が哀れで、亜希は隣にしゃがみ込んだ。
「もう、しないよね」鞄から取り出したハンカチで、目元を拭ってやる。「反省してるから、大丈夫だよね」
うん、とやっと声を出して男の子は頷いた。「もう、しない」しゃくり上げる隙間で必死に声を出す。
流れる涙がようやく止まった頃、亜希は一度その頬を拭いてやった。航も大きくため息をつき、鞄をアスファルトに置いて屈む。「二度としないって、約束できるな」念を押すと、「できる」と小さな声が言った。
「そんなら、これ持って帰れ」
彼が鞄から出したのは、一つのビニール袋。店で扱っている弁当が覗けている。彼が先ほど貰って来たに違いない。賞味期限の近い、売れ残りの弁当だ。
「これは俺が、店から正式に貰った弁当だ」片手を鞄に突っ込み、手にしたものを見せる。「これもやるよ。ちゃんと金払ったから問題ない」それは、その子が盗んだ鮭おにぎりだった。彼はあの後、売り物にならなくなったそれを買い取っていた。
弁当の上におにぎりを入れた袋を彼は突き出すが、男の子は濡れた瞳を見開いてきょとんとしている。
「ほら、腹減ってんだろ」袋を軽く振って促す。
「……いいの?」男の子が、細い声で囁いた。
「いいよ。さっさと帰って食べな」
おずおずと伸びる腕が、やっとその袋を受け取って抱いた。大事そうに中身を覗くと、「ありがとう」と礼を言って少しだけ笑った。
その子の後ろ姿を見送りながら、「驚きました」と亜希は素直に口にする。「何が」と航は立ち上がって背を伸ばす。
「てっきり、来栖くんは万引き犯なんて突き出すんじゃないかと思ってたから……」
「あれが大人だったらそうしてたよ。ガキでも許さない」
「なら、どうして許したんですか」
矛盾した台詞へ首を傾げる彼女に、「あいつ、すごく痩せてただろ」と彼は返す。
「そう言われてみれば……」
「触った時に分かったし、服も皺だらけだった。盗んだのもおやつだのジュースだのじゃないし、こんな時間にあんな小さい子が一人で外にいるなんて普通じゃないだろ」
思い返せば彼の言う通りで、亜希は口をつぐむ。
「まあ、あいつの生存戦略だったんだろうな。盗むに至ったのも、本来はあいつのせいじゃないだろうし」
「それなら……それなら、警察とか、どこかに相談した方がいいんじゃ」
「そこまでしてやる義理はないよ」よいしょと鞄を肩にかけ、彼は何でもない風に言う。「面倒なことはごめんだよ。確実にまともな親じゃないし、首突っ込みたくない」
その台詞に、亜希にはいっそう彼が分からなくなる。万引きを許して食べ物を与えるなんて優しい真似をしておいて、のっぴきならない事情を察しながら面倒などと口走る。
「中途半端に手出す方がよっぽど無責任だし。毒を食らわば皿までって、そもそも毒なんか食いたくないし、丸見えの泥船になんて乗りたくない」
「毒かどうかなんて、食べてみないとわからないじゃないですか」
そうは言ったものの、亜希にも分かっていた。あの子は確かに毒の中にいる。そこに入れば確実にこちらも冒されてしまう。
「どう見ても毒だって」彼はうんざりした顔をする。「それに、下手にかき混ぜれば余計にひどいことになるかもしれない」
「……私、余計に来栖くんが分からなくなりました」
「まあ難しいからなー」本気か冗談か分からない台詞を吐く。「じゃ、俺、飯買って帰るから」ひらひらと手を振って、彼はさっさと帰路に着いていった。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる