百万回目の大好き

柴野日向

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2章 流星の旋律

10

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 団地の最寄り駅に赴き、星降川を下る電車に乗ってふた駅。もしくは自転車を三十分程度走らせた場所に、「プラネット」という店がある。スタジオ兼楽器屋の広い店は、平日の夕刻となれば学校帰りの学生や会社帰りの会社員たちで随分と繁盛していた。
「あれ、麻斗くんに夏実ちゃん。いらっしゃい」
「こんにちは」
「鈴木さーん、こんにちは!」
 ギター売り場で商品の整理をしていた女性店員が振り返り、二人に笑いかける。二十代半ばほどの、長い髪をひとつにまとめた彼女は、彼らとは数年来の顔見知りだ。店に寄れば必ず声をかけて話をしてくれる。
「久しぶりね。あっ、麻斗くんは先月も来てくれたよね。確か、五樹くんと」
「えー、いいないいなあ、いっくんとデート!」
「ベースの弦買いに来ただけですよ。ちょっとスタジオは入ったけど」
「私にはピアノ辞めただなんて嘘ついてたくせに。いっくんとはいちゃついてんだあ」
「誤解されることを言うな!」
「相変わらず、仲良しね。みんな」
 言い争いを始めるふたりを見ながら、微笑ましく彼女は笑う。麻斗は千華がいた頃から。夏実は中学で軽音楽部に入ってから、幾度もこの店には世話になっている。
 売り場を通り過ぎ、奥のスタジオルームに向かう。三部屋ある内のひと部屋は、既に前の客が撤退した後だった。マイクスタンドにドラムセット、ベースアンプが一台。ギターアンプが二台にキーボード一台といった最低限の設備が施された、こじんまりとした部屋だ。
「麻斗、ちゃんと練習してきた?」
「してますよ。そういう先輩こそ、通して出来るんですか」
「夏実さんを侮るなよお。歌詞も音も完璧に頭に入ってんだから。なんてったって、可愛い君が作ってきてくれたんだからね。そりゃもう噛んで含めて舐めるようにだね」
「……きもちわる」
 ぼそりと呟いた麻斗は、さっさとキーボードの電源を入れる。鞄から取り出した楽譜を譜面台に立てると、軽く鍵盤を押さえて音量を調節する。
「気持ち悪いとか、心外なんですけど」
 口を尖らせながらも、夏実も背負ってきたギターケースを下ろし、中からギターを取り出す。ストラップを肩にかけ、チューナーをヘッドに挟んでチューニングを始めた。
「うん、キャスたん今日も調子ばっちし!」
「前から思ってたけど、なんですかその、きゃすたんってのは」
「この子の名前だよ名前。テレキャスのキャスたん。名前つけると愛着が湧いていいんだって、先輩が言ってたの。そうだ、麻斗も家のピアノに名前つけたら。なんなら私がつけたげようか!」
「いや、遠慮しとく」
「ええー。折角なのに」
 とんでもない名前をつけられそうだと、自分のギターをぽんぽんと叩く夏実から麻斗は目を逸らした。

 やがてシールドでギターとアンプを繋ぎ、音出しを終える。そうしてふたりは練習を始めた。麻斗のピアノがメロディーを奏でるのに、夏実のギターと歌声が寄り添うように重なる。先程までのふざけはまるで嘘のように、一心に楽器に向かう。
「ここ、チョーキング入れたほうがいいと思うんだけど、どう思う」
「入れたらどうなります?」
「こうなるかな」
 ギターを弾く夏実の左手が、弦をぐいっと上へ持ち上げる。と同時に、音も釣られるように、より高い音をアンプから引き出していく。
「いいですね。それで任せます。……あと、サビ前のトリルなんですけど、これない方がいいかもしれない。ちょっとくどい気がする」
「あー……それね。ううむ、私はあってもいいんだけどな」
「ぼくはなんか鬱陶しい気がして。後でもう一度考えましょうか。……それともう一度サビ歌ってみてください。なんかさっきずれてたんだよなあ」
 彼は耳をかいて首を傾げる。よしよしと頷いて、夏実はマイクに向かい、麻斗は鍵盤に指を置いた。
「……やっぱりずれてた。神様の「み」のところ。半音……まではいかないけど、四分の一ぐらい高い」
「四分の一?」
 細かいなあとは口にせず、夏実は大人しく、麻斗の押さえる黒鍵に声を合わせる。何度か通して演奏するが、一音一音区切ればきちんと音が取れるものの、ギターに手元を取られると彼の言う箇所は僅かに音程がずれてしまう。
「うーん。ここがずれると目立つなあ」
「そんなに目立つかな。元々こういうメロディーだって思われない?」
「半音ずつ上げていってるから、妙に耳につくんですよ。……まあ、作ったのぼくだから、余計にそう思うのかもしれないけど」
「他は。他にずれてるとこあった?」
「ちょこちょこあるけど、最初に比べればだいぶ減った。練習次第ですね。元から直した方がいいところもあるから、それも後で見直します。……それより、先輩少し走ってないですか? ぼくがずれてるのかな。段々早くなってる気がするから……ドラムもないし、次はちゃんとメトロノーム使いましょう」
 右手を口元に当て、至って真面目に麻斗は考察する。いつもの様に軽口を叩く気にもなれず、夏実はテンポを合わせるべく機器をいじくる。
「BPMいくつだっけ?」
「百二十」
 即答する麻斗の言う通りに速度を合わせ、今度こそとマイクに向かって息を吸う。

「そんでね、中々おっけーくれないんですよ」
「ふうん。彼、意外とスパルタなんだ」
 麻斗が曲を作ってきてから十日が経ち、九月も終わりとなる頃、プラネットでのスタジオ練習も三回目に及んでいた。その日の練習と会計を終え、麻斗が楽譜売り場に消えている間、夏実は馴染みの店員にレジでこそこそと耳打ちする。「鈴木」とネームプレートを胸につけた彼女は楽しそうに話を聞いてくれる。
「夏実先輩、何話してるんですか」
「うげ。いやいや、今日もいい秋晴れですねって」
「うげってなんだよ」
「知らなかった? 私の鳴き声」
「嘘をつくな」
 いつの間にか背後にやってきていた麻斗と、慌てて取り繕う夏実を見ながら、店員の彼女は「そうだ」とばかりに手を打った。
「二人とも、学外ではバンド組んだりしないの? ほら、ほかの学校の子とセッションしたりとか」
 ぽかんとして二人は顔を見合わせた。学校を出てバンドを組むなど夏実は考えもしなかったし、部活を辞めた麻斗はそもそもバンドすら組んでいない。あくまでピアノはひとりきりの趣味となっていたからだ。
「今ね、こういうのやってるんだ」
 そう言って彼女は、レジの内側から一枚のチラシを取り出して見せる。
「もっと気軽に色んな子が音楽を楽しめるようにってね。学生さん限定で、学外でバンド組んでる子だけでライブやったり、スタジオ代割引したりってしてるの。それにこうすれば、これから進学先が変わっても、同じ学校だった子と触れ合う機会にもなるじゃない」
 なるほどと夏実と麻斗は頷いた。違う高校大学に入ったとしても、こうして学校の枠を出て音楽を続けていけるのは素敵なことに違いない。
「へえー。面白そう!」
「そうですね。ほかの学校って、考えたこともなかった」
 でしょ、と愛想の良い店員は笑いかける。
「夏実ちゃんと麻斗くんも、将来進学先が違ってきても、会えるきっかけになるでしょう」
「お言葉ですが鈴木さん、麻斗の志望校はね、私と同じなんですよ。ねー」
「だから入ってもないうちからそういうことを……。あーもう、くっつくな。抱きつくな!」
 首に両腕を回してくる夏実を麻斗は引き剥がそうと努力する。その様子は店側の人間にとっても相変わらずで、彼女はそれを微笑ましく見ているだけだ。
「よかったら、考えてみてね」
 そうして手渡されるチラシを、引き離しきれない夏実をぶら下げたまま、麻斗は受け取ったのだった。
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