17 / 35
2章 流星の旋律
11-1
しおりを挟む
やがて月は十月に変わり、空気はたまに冷えを覚えるようになってきた。学祭までの日数も指を折るほどになり、練習は佳境に入る。
「またずれた」
そう言って麻斗はピアノを弾く手を止める。夏実も声を出すのをやめ、ギターのネックを握り締めた。狭いスタジオで響いていた音は、彼の一言でぱたりと途切れる。
今日何度目かのストップだった。いずれも同じ箇所で歌の音程がずれてしまうせいだ。
「なんでだろ。いっつもここで少し音がずれる。先輩、もうちょっと歌に集中することってできないですか」
「私だってそうしたいよ」
こっちを見る麻斗に、夏実はため息をこらえる。彼は彼女の言葉に些か訝しげな顔を見せる。
「だったら……」
「それができたら、ずっと前にやってるし」
「もう少しギターの練習して指慣らしたほうがいいんじゃないですか。勝手に手が動くぐらいにしないと」
「難しいんだよ、ギタボって。麻斗はやったことないからわかんないかもだけど」
投げやりな台詞に、むっと彼が口を閉ざす。じとりと見やる目線に、夏実も負けじと視線を向ける。
「ねえ、ここちょっと変えることってできないの」
「だから、前から言ってるように、半音ずつ上げていく方が綺麗だと思って」
「頑固」
「なんだって」
夏実の不躾な悪口に対し、麻斗も思わず口調が尖る。
「大体、麻斗は細かすぎるんだよ。ちょっとなんなら見逃してよ」
「ちょっとなら、もう少し練習しようってならないのかよ。あと十日しかないのに」
「練習練習って、私部室でも一人で練習してきてるんだよ。帰ったら勉強しないといけないし。頑張ってるんだから、少しぐらい認めてくれたっていいじゃんか」
夏実は多忙な日常に、自分で思っているよりもずっと疲れてしまっていた。いつものやる気で乗り越えることができなかったのだ。
それに何より悔しかった。これほどのちょっとしたことを、努力してもクリアできない自分が。
「認めてないなんて一言も言ってないだろ。ほら、スタジオだってただじゃないんだから、この時間がもったいない」
「だから、これぐらい誰も気にしないって言ってるの。こんな細かいところ直したって大した違いにならないよ」
「ピアノに合わせても間違えるんだから、いま直しとかないと本番はもっとずれるぞ。テンポだって取れないし、誰も手伝ってくれないんだから」
「わかんないよ、私がどんだけ頑張ってるかなんて、麻斗には。今だってピアノしか弾いてないんだもん。そうやっていつも文句言ってるだけじゃない」
バン、と音がした。麻斗が楽譜をはさんでいるファイルを強く閉じた音だった。
「……もういい。それで満足するんなら、これでいい」
再び静まり返った部屋に、麻斗の呟きがぽたりと落ちる。それを踏みつけるようにさっさとキーボードの電源を落とすと、ファイルを足元の鞄に乱暴に突っ込む。夏実に一言も口を出す間を与えず、彼はスタジオの重い扉を開けて外へ出ていってしまう。
彼は一度も振り返らなかった。夏実も黙って、アンプの電源を切った。
「またずれた」
そう言って麻斗はピアノを弾く手を止める。夏実も声を出すのをやめ、ギターのネックを握り締めた。狭いスタジオで響いていた音は、彼の一言でぱたりと途切れる。
今日何度目かのストップだった。いずれも同じ箇所で歌の音程がずれてしまうせいだ。
「なんでだろ。いっつもここで少し音がずれる。先輩、もうちょっと歌に集中することってできないですか」
「私だってそうしたいよ」
こっちを見る麻斗に、夏実はため息をこらえる。彼は彼女の言葉に些か訝しげな顔を見せる。
「だったら……」
「それができたら、ずっと前にやってるし」
「もう少しギターの練習して指慣らしたほうがいいんじゃないですか。勝手に手が動くぐらいにしないと」
「難しいんだよ、ギタボって。麻斗はやったことないからわかんないかもだけど」
投げやりな台詞に、むっと彼が口を閉ざす。じとりと見やる目線に、夏実も負けじと視線を向ける。
「ねえ、ここちょっと変えることってできないの」
「だから、前から言ってるように、半音ずつ上げていく方が綺麗だと思って」
「頑固」
「なんだって」
夏実の不躾な悪口に対し、麻斗も思わず口調が尖る。
「大体、麻斗は細かすぎるんだよ。ちょっとなんなら見逃してよ」
「ちょっとなら、もう少し練習しようってならないのかよ。あと十日しかないのに」
「練習練習って、私部室でも一人で練習してきてるんだよ。帰ったら勉強しないといけないし。頑張ってるんだから、少しぐらい認めてくれたっていいじゃんか」
夏実は多忙な日常に、自分で思っているよりもずっと疲れてしまっていた。いつものやる気で乗り越えることができなかったのだ。
それに何より悔しかった。これほどのちょっとしたことを、努力してもクリアできない自分が。
「認めてないなんて一言も言ってないだろ。ほら、スタジオだってただじゃないんだから、この時間がもったいない」
「だから、これぐらい誰も気にしないって言ってるの。こんな細かいところ直したって大した違いにならないよ」
「ピアノに合わせても間違えるんだから、いま直しとかないと本番はもっとずれるぞ。テンポだって取れないし、誰も手伝ってくれないんだから」
「わかんないよ、私がどんだけ頑張ってるかなんて、麻斗には。今だってピアノしか弾いてないんだもん。そうやっていつも文句言ってるだけじゃない」
バン、と音がした。麻斗が楽譜をはさんでいるファイルを強く閉じた音だった。
「……もういい。それで満足するんなら、これでいい」
再び静まり返った部屋に、麻斗の呟きがぽたりと落ちる。それを踏みつけるようにさっさとキーボードの電源を落とすと、ファイルを足元の鞄に乱暴に突っ込む。夏実に一言も口を出す間を与えず、彼はスタジオの重い扉を開けて外へ出ていってしまう。
彼は一度も振り返らなかった。夏実も黙って、アンプの電源を切った。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる