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2章 流星の旋律
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「夏実、お疲れ。もう帰るとこ?」
「あっ、茜」
「今日部室で練習だったんでしょ? いい加減ひとりで寂しいんじゃない」
どういうわけか、寂しいと正直に言えなかった。喉元に言葉が詰まってしまったかのように、うまく返事ができない。
夕暮れの教室、忘れていたノートを取りに戻ると、音楽室での集団練習を終えた茜とはち合わせた。そろそろ他の部活も練習を終える時刻で、吹奏楽部の遠い音も聞こえない。秋の日暮れはつるべ落としとも言う。油断をすれば、放課後の教室はすっかり暗くなってしまう。
「どしたの、夏実。あんたなんか変だよ」
「そう? そっかな。そうだ、鍵かけて帰らないと。もうみんな教室来ないよね」
「そりゃあ、誰もカバン置いてないし、あたしらが最後だろうけど」
誰もいなくなった教室に鍵をかけ、職員室に返しに向かう。静かな廊下では、ふたりの足音がやけに大きく響く。
「ねえ、麻斗となんかあったの」
「へ?」
思わず頓狂な声を出しながら、大袈裟に夏実は跳ねてみせる。笑いを誘おうと思ったのだが、茜はそれで騙せるほどに甘くはなかった。
麻斗と言い争いをしてから、たったの二日。それでも一度も顔を合わせないどころかメッセージすら送らない日は、初めて告白をした三月以来、一度もないことだった。
彼に何と言えばいいのかわからない。確か自分は彼にひどいことを言った。だからあの日の会話を思い出すことが、怖い。
「もしかして、あたしのこと誤魔化せると思った?」
「誤魔化すもなにも、別に何もないよう」
「嘘つけ。あんたが学校で麻斗のこと一言も口にしないなんて、どう考えてもおかしいじゃない。暇さえあれば教室に突撃しようとするくせに、いっつもそれ止めるの大変なんだからね」
「……ぐう」
「ぐうの音も出ないって?」
出てるじゃんと笑う彼女は、ふと前を見て手を振った。丁度同じように鍵を返しに来た五樹も、廊下の向こうの彼女たちに気づいて手を振る。
こうして三人で帰ることになり、夏実は観念して二日前のことを思い返し、二人に説明した。下駄箱で靴を履き替え、やけに重く感じるギターを背負い直し、次第に夜闇の立ち込める通りを歩く。
ふんふんと頷きながら聞いていた茜は、やがて、やれやれと首を振った。
「それ完璧に夏実が悪いじゃん。だって、手伝ってくれてるのに、文句言うなって言ったんでしょ。勝手だよ、それは」
麻斗は、曲を作ったことは恥ずかしいから誰にも言うなと言っていた。誇らしいことだと夏実は思うのだが、彼はちょっとそこの考えが違うらしい。だから彼が曲を準備してくれたことは伏せて話したのだが、茜はずばりとそう言った。
「はあー。なるほど。そうだったんすね」
納得したと頷く五樹は続ける。
「なんか昨日急に、「ぼくって細かいのかな」とか言い出して。まあ、ピアノなんて細かくないとできないんじゃないかって俺は言ったんすけど。そう言われればしょぼくれてた気がするっすね」頭の後ろで腕を組む。「ピアノばかだから、しょうがないっすけど」
「そうそう。ピアノばか」
すっかり黙り込んでしまった夏実の両隣で、五樹と茜は顔を見合わせて苦笑した。
「だからさ、それで出来ることやってくれてるんだよ。感謝しないと」
「うん……わかってる、感謝はしてるんだよ。ただね、悔しくって」
「できない自分がでしょ。それでいらいらして八つ当たりしたんだ」
何故わかったのかと夏実が目を丸くすると、茜はとんとんとその肩を叩いた。
「夏実はいつも顔に出るんだから、三年も見てたら想像できるよ。でも流石に言いすぎたね」
「そう、言いすぎた。私、ほんとにひどいこと言っちゃった。いっつも付き合って来てくれてたのに、ピアノしかしてないとか、わかるわけないとか、そんなこと言っちゃった」
「そこまでわかってるなら謝りな、夏実。それしかないよ」
頷きながらも「どうしよう」と夏実は足を止め、ふたりを見つめる。いつもの分かれ道、街灯が灯る前の夕闇に溶けそうな言葉を振り絞る。
「麻斗が本気で怒ったの、私初めて見たよ。どうしよう。麻斗が許してくれなかったら……。私のこと嫌いになって、もう二度と話してくれなくなったりしたら、どうしよう」
本当に自分はわがままだと噛み締める。それでも、溢れてくる気持ちは止まらない。
麻斗が軽口どころか二度と話をしてくれず、目も合わせてくれない日常。想像するだけで、涙が出てきそうだ。彼を好きであることを後悔してしまうほど。身体が震えてしまいそうなほどに。
「嫌われたくないよ……麻斗に嫌われちゃったら、私どうしたらいいんだろう」
「だから、謝るんだよ。このままじゃ、本当に話すことさえできないよ。やらなきゃ何も変わらないんだから。反省して、それだけ好きなら、ちゃんと伝えたほうがいいよ」
「夏実さん、麻斗は細かいけど、そんなに根に持つやつじゃない。きちんと謝れば許さないなんてことはないっすよ」
そうして五樹は笑い、茜は夏実の額を人差し指で軽く弾いた。
「ほらほら、今日にでも帰ったら連絡しな。それに、夏実だから麻斗は手伝ってくれたんだよ。夏実に学祭で成功して欲しくて、こうして練習付き合ってくれたんだから。麻斗だって、きっと待ってるよ」
「うう」と夏実は呻き、両腕で目元を拭う。悲しみと嬉しさがごちゃまざになり、瞳が勝手に濡れる。
「あかねー、いっくん、ありがとうー」
麻斗だけではない、本当に、二人がいてくれてよかった。
秋の虫が静寂に鳴き出していた。
「あっ、茜」
「今日部室で練習だったんでしょ? いい加減ひとりで寂しいんじゃない」
どういうわけか、寂しいと正直に言えなかった。喉元に言葉が詰まってしまったかのように、うまく返事ができない。
夕暮れの教室、忘れていたノートを取りに戻ると、音楽室での集団練習を終えた茜とはち合わせた。そろそろ他の部活も練習を終える時刻で、吹奏楽部の遠い音も聞こえない。秋の日暮れはつるべ落としとも言う。油断をすれば、放課後の教室はすっかり暗くなってしまう。
「どしたの、夏実。あんたなんか変だよ」
「そう? そっかな。そうだ、鍵かけて帰らないと。もうみんな教室来ないよね」
「そりゃあ、誰もカバン置いてないし、あたしらが最後だろうけど」
誰もいなくなった教室に鍵をかけ、職員室に返しに向かう。静かな廊下では、ふたりの足音がやけに大きく響く。
「ねえ、麻斗となんかあったの」
「へ?」
思わず頓狂な声を出しながら、大袈裟に夏実は跳ねてみせる。笑いを誘おうと思ったのだが、茜はそれで騙せるほどに甘くはなかった。
麻斗と言い争いをしてから、たったの二日。それでも一度も顔を合わせないどころかメッセージすら送らない日は、初めて告白をした三月以来、一度もないことだった。
彼に何と言えばいいのかわからない。確か自分は彼にひどいことを言った。だからあの日の会話を思い出すことが、怖い。
「もしかして、あたしのこと誤魔化せると思った?」
「誤魔化すもなにも、別に何もないよう」
「嘘つけ。あんたが学校で麻斗のこと一言も口にしないなんて、どう考えてもおかしいじゃない。暇さえあれば教室に突撃しようとするくせに、いっつもそれ止めるの大変なんだからね」
「……ぐう」
「ぐうの音も出ないって?」
出てるじゃんと笑う彼女は、ふと前を見て手を振った。丁度同じように鍵を返しに来た五樹も、廊下の向こうの彼女たちに気づいて手を振る。
こうして三人で帰ることになり、夏実は観念して二日前のことを思い返し、二人に説明した。下駄箱で靴を履き替え、やけに重く感じるギターを背負い直し、次第に夜闇の立ち込める通りを歩く。
ふんふんと頷きながら聞いていた茜は、やがて、やれやれと首を振った。
「それ完璧に夏実が悪いじゃん。だって、手伝ってくれてるのに、文句言うなって言ったんでしょ。勝手だよ、それは」
麻斗は、曲を作ったことは恥ずかしいから誰にも言うなと言っていた。誇らしいことだと夏実は思うのだが、彼はちょっとそこの考えが違うらしい。だから彼が曲を準備してくれたことは伏せて話したのだが、茜はずばりとそう言った。
「はあー。なるほど。そうだったんすね」
納得したと頷く五樹は続ける。
「なんか昨日急に、「ぼくって細かいのかな」とか言い出して。まあ、ピアノなんて細かくないとできないんじゃないかって俺は言ったんすけど。そう言われればしょぼくれてた気がするっすね」頭の後ろで腕を組む。「ピアノばかだから、しょうがないっすけど」
「そうそう。ピアノばか」
すっかり黙り込んでしまった夏実の両隣で、五樹と茜は顔を見合わせて苦笑した。
「だからさ、それで出来ることやってくれてるんだよ。感謝しないと」
「うん……わかってる、感謝はしてるんだよ。ただね、悔しくって」
「できない自分がでしょ。それでいらいらして八つ当たりしたんだ」
何故わかったのかと夏実が目を丸くすると、茜はとんとんとその肩を叩いた。
「夏実はいつも顔に出るんだから、三年も見てたら想像できるよ。でも流石に言いすぎたね」
「そう、言いすぎた。私、ほんとにひどいこと言っちゃった。いっつも付き合って来てくれてたのに、ピアノしかしてないとか、わかるわけないとか、そんなこと言っちゃった」
「そこまでわかってるなら謝りな、夏実。それしかないよ」
頷きながらも「どうしよう」と夏実は足を止め、ふたりを見つめる。いつもの分かれ道、街灯が灯る前の夕闇に溶けそうな言葉を振り絞る。
「麻斗が本気で怒ったの、私初めて見たよ。どうしよう。麻斗が許してくれなかったら……。私のこと嫌いになって、もう二度と話してくれなくなったりしたら、どうしよう」
本当に自分はわがままだと噛み締める。それでも、溢れてくる気持ちは止まらない。
麻斗が軽口どころか二度と話をしてくれず、目も合わせてくれない日常。想像するだけで、涙が出てきそうだ。彼を好きであることを後悔してしまうほど。身体が震えてしまいそうなほどに。
「嫌われたくないよ……麻斗に嫌われちゃったら、私どうしたらいいんだろう」
「だから、謝るんだよ。このままじゃ、本当に話すことさえできないよ。やらなきゃ何も変わらないんだから。反省して、それだけ好きなら、ちゃんと伝えたほうがいいよ」
「夏実さん、麻斗は細かいけど、そんなに根に持つやつじゃない。きちんと謝れば許さないなんてことはないっすよ」
そうして五樹は笑い、茜は夏実の額を人差し指で軽く弾いた。
「ほらほら、今日にでも帰ったら連絡しな。それに、夏実だから麻斗は手伝ってくれたんだよ。夏実に学祭で成功して欲しくて、こうして練習付き合ってくれたんだから。麻斗だって、きっと待ってるよ」
「うう」と夏実は呻き、両腕で目元を拭う。悲しみと嬉しさがごちゃまざになり、瞳が勝手に濡れる。
「あかねー、いっくん、ありがとうー」
麻斗だけではない、本当に、二人がいてくれてよかった。
秋の虫が静寂に鳴き出していた。
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