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2章 流星の旋律
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布団に座り、夏実は両手でスマートフォンを握り締める。この体勢になってどれほどの時間が経ったろう。三十分か、一時間か。
時刻は午後の十時になった。早くしないと彼も眠ってしまう。
あらゆる言葉を想像した。その度に、滑らせようとする指が止まった。怖い。これがすべての終わりになってしまうかもしれない。
ふうと息を吐き、強く目を閉じ、茜と五樹の優しい言葉たちを思い出す。
やらなきゃ何も変わらない。
そうだ、その通り。頷いて、ようやく指先で画面をなでた。幾度も目にした名前を引き出し、少しの間それを見つめ。息を止めて、電話のアイコンを指で押す。
響きだすコール音が、幾度目かでぷつりと途切れた。
「……はい」
出てくれた。
「あ、麻斗?」
なに、と聞き慣れた声が返事をする。それだけでは不機嫌なのか眠たいのか判別し難い。
「今、時間大丈夫」
「うん……そろそろ寝ようと思ってたけど」
「あのね」
ひりひりと焼け付きそうな浅い胸元で息を吸い、ぎゅっと瞼を閉じた。
「ごめんなさい!」
一息で。
「私、自分勝手だった! 頑張って曲作ってくれたこと知ってたのに、ひどいこと言った! 麻斗、ごめん。本当にごめんなさい!」
声の余韻がしんとした部屋に響いて消える。両手を耳元のスマートフォンに当てたまま目を開ける。
ふふっと笑う声がした。
「声がでかいなあ」
いつも通りの彼の声。夏実は何も言えず、小さく口を開いたまま。
「声が割れてよく聞こえなかった」麻斗はそう続ける。「だからあと、一万回謝ってください」
そんなふざけた台詞に、夏実は思わず呟く。
「……怒ってないの?」
「怒ってたよ。ぼくだって頑張ってるのに、なんであんなこと言われなきゃいけないんだって」
「じゃあ、許してくれない……?」
「許さないなんて一言も言ってない。それに、怒ってたって、過去形使ったじゃないですか。先輩国語苦手でしたっけ」
「にっ、苦手じゃないよ。……というか、そうじゃなくって」
麻斗の真意が知れない。心臓がばくばくと音を立てる。こんな展開はどれほど想像しても想定しきれなかった。だから何と返すのが正解なのか計り知ることができない。
「謝ってくれるなら、もういいですよ。それにぼくも、悪かったです」
「なんで、麻斗が謝るの」
しかも彼はそんな事を言うのだ。どうして想像できただろうか。
「曲のこと。先輩が歌うことを想定して作ってなかった。思い返してやっと気づいたんです。……ぼくの中で、音程の基準が千華になってたんだ。あの頃の感覚で、曲を作ってしまった。先輩にとって歌いやすい曲じゃなかった」
千華の声域は随分と広かった。夏実の苦手な音程も軽々と歌ってみせるのだ。彼の作った曲も、彼女ならば安々と音を当てはめたに違いない。
「そんなの、麻斗は悪くないよ! 出来ないのが悔しくって、私が八つ当たりしたんだもん。悪いのは私なんだから」
勢い込んで夏実は訴える。少し考えて「わかった」と彼は電話の向こうで言う。
「じゃあ、このことは九十九対一で、先輩が悪いってことで」
ふざける彼は笑っている。その声に押され、夏実は勇気を振り絞った。
「だから、あのね。お願いがあるの」
「お願い?」
「もう一度、付き合ってくれないかな。私、麻斗のピアノで練習したいんだ」
夏実の緊張も他所に、彼はあっさり「なんだ」と呟いた。
「いいですよ。もうあんなこと言わないんだったら」
「いっ、言わない! 二度と言わないし思わないから!」
茜の助言に従って謝れば、五樹の言う通りだった。麻斗は素直に許してくれた。
安堵のせいだろうか、胸の奥が熱くなる。よかった。本当によかった。
「麻斗、ありがとう。……ありがとう」
「そんなに言わなくていいって。なんか変な気分」
涙が溢れてくる。嗚咽が零れるのに、顔は笑ってしまう。泣き笑いの表情で機器を耳に押し当てて、麻斗の笑う声を聞く。
時刻は午後の十時になった。早くしないと彼も眠ってしまう。
あらゆる言葉を想像した。その度に、滑らせようとする指が止まった。怖い。これがすべての終わりになってしまうかもしれない。
ふうと息を吐き、強く目を閉じ、茜と五樹の優しい言葉たちを思い出す。
やらなきゃ何も変わらない。
そうだ、その通り。頷いて、ようやく指先で画面をなでた。幾度も目にした名前を引き出し、少しの間それを見つめ。息を止めて、電話のアイコンを指で押す。
響きだすコール音が、幾度目かでぷつりと途切れた。
「……はい」
出てくれた。
「あ、麻斗?」
なに、と聞き慣れた声が返事をする。それだけでは不機嫌なのか眠たいのか判別し難い。
「今、時間大丈夫」
「うん……そろそろ寝ようと思ってたけど」
「あのね」
ひりひりと焼け付きそうな浅い胸元で息を吸い、ぎゅっと瞼を閉じた。
「ごめんなさい!」
一息で。
「私、自分勝手だった! 頑張って曲作ってくれたこと知ってたのに、ひどいこと言った! 麻斗、ごめん。本当にごめんなさい!」
声の余韻がしんとした部屋に響いて消える。両手を耳元のスマートフォンに当てたまま目を開ける。
ふふっと笑う声がした。
「声がでかいなあ」
いつも通りの彼の声。夏実は何も言えず、小さく口を開いたまま。
「声が割れてよく聞こえなかった」麻斗はそう続ける。「だからあと、一万回謝ってください」
そんなふざけた台詞に、夏実は思わず呟く。
「……怒ってないの?」
「怒ってたよ。ぼくだって頑張ってるのに、なんであんなこと言われなきゃいけないんだって」
「じゃあ、許してくれない……?」
「許さないなんて一言も言ってない。それに、怒ってたって、過去形使ったじゃないですか。先輩国語苦手でしたっけ」
「にっ、苦手じゃないよ。……というか、そうじゃなくって」
麻斗の真意が知れない。心臓がばくばくと音を立てる。こんな展開はどれほど想像しても想定しきれなかった。だから何と返すのが正解なのか計り知ることができない。
「謝ってくれるなら、もういいですよ。それにぼくも、悪かったです」
「なんで、麻斗が謝るの」
しかも彼はそんな事を言うのだ。どうして想像できただろうか。
「曲のこと。先輩が歌うことを想定して作ってなかった。思い返してやっと気づいたんです。……ぼくの中で、音程の基準が千華になってたんだ。あの頃の感覚で、曲を作ってしまった。先輩にとって歌いやすい曲じゃなかった」
千華の声域は随分と広かった。夏実の苦手な音程も軽々と歌ってみせるのだ。彼の作った曲も、彼女ならば安々と音を当てはめたに違いない。
「そんなの、麻斗は悪くないよ! 出来ないのが悔しくって、私が八つ当たりしたんだもん。悪いのは私なんだから」
勢い込んで夏実は訴える。少し考えて「わかった」と彼は電話の向こうで言う。
「じゃあ、このことは九十九対一で、先輩が悪いってことで」
ふざける彼は笑っている。その声に押され、夏実は勇気を振り絞った。
「だから、あのね。お願いがあるの」
「お願い?」
「もう一度、付き合ってくれないかな。私、麻斗のピアノで練習したいんだ」
夏実の緊張も他所に、彼はあっさり「なんだ」と呟いた。
「いいですよ。もうあんなこと言わないんだったら」
「いっ、言わない! 二度と言わないし思わないから!」
茜の助言に従って謝れば、五樹の言う通りだった。麻斗は素直に許してくれた。
安堵のせいだろうか、胸の奥が熱くなる。よかった。本当によかった。
「麻斗、ありがとう。……ありがとう」
「そんなに言わなくていいって。なんか変な気分」
涙が溢れてくる。嗚咽が零れるのに、顔は笑ってしまう。泣き笑いの表情で機器を耳に押し当てて、麻斗の笑う声を聞く。
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