百万回目の大好き

柴野日向

文字の大きさ
19 / 35
2章 流星の旋律

11-3

しおりを挟む
 布団に座り、夏実は両手でスマートフォンを握り締める。この体勢になってどれほどの時間が経ったろう。三十分か、一時間か。
 時刻は午後の十時になった。早くしないと彼も眠ってしまう。
 あらゆる言葉を想像した。その度に、滑らせようとする指が止まった。怖い。これがすべての終わりになってしまうかもしれない。
 ふうと息を吐き、強く目を閉じ、茜と五樹の優しい言葉たちを思い出す。
 やらなきゃ何も変わらない。
 そうだ、その通り。頷いて、ようやく指先で画面をなでた。幾度も目にした名前を引き出し、少しの間それを見つめ。息を止めて、電話のアイコンを指で押す。
 響きだすコール音が、幾度目かでぷつりと途切れた。
「……はい」
 出てくれた。
「あ、麻斗?」
 なに、と聞き慣れた声が返事をする。それだけでは不機嫌なのか眠たいのか判別し難い。
「今、時間大丈夫」
「うん……そろそろ寝ようと思ってたけど」
「あのね」
 ひりひりと焼け付きそうな浅い胸元で息を吸い、ぎゅっと瞼を閉じた。
「ごめんなさい!」
 一息で。
「私、自分勝手だった! 頑張って曲作ってくれたこと知ってたのに、ひどいこと言った! 麻斗、ごめん。本当にごめんなさい!」
 声の余韻がしんとした部屋に響いて消える。両手を耳元のスマートフォンに当てたまま目を開ける。
 ふふっと笑う声がした。
「声がでかいなあ」
 いつも通りの彼の声。夏実は何も言えず、小さく口を開いたまま。
「声が割れてよく聞こえなかった」麻斗はそう続ける。「だからあと、一万回謝ってください」
 そんなふざけた台詞に、夏実は思わず呟く。
「……怒ってないの?」
「怒ってたよ。ぼくだって頑張ってるのに、なんであんなこと言われなきゃいけないんだって」
「じゃあ、許してくれない……?」
「許さないなんて一言も言ってない。それに、怒ってたって、過去形使ったじゃないですか。先輩国語苦手でしたっけ」
「にっ、苦手じゃないよ。……というか、そうじゃなくって」
 麻斗の真意が知れない。心臓がばくばくと音を立てる。こんな展開はどれほど想像しても想定しきれなかった。だから何と返すのが正解なのか計り知ることができない。
「謝ってくれるなら、もういいですよ。それにぼくも、悪かったです」
「なんで、麻斗が謝るの」
 しかも彼はそんな事を言うのだ。どうして想像できただろうか。
「曲のこと。先輩が歌うことを想定して作ってなかった。思い返してやっと気づいたんです。……ぼくの中で、音程の基準が千華になってたんだ。あの頃の感覚で、曲を作ってしまった。先輩にとって歌いやすい曲じゃなかった」
 千華の声域は随分と広かった。夏実の苦手な音程も軽々と歌ってみせるのだ。彼の作った曲も、彼女ならば安々と音を当てはめたに違いない。
「そんなの、麻斗は悪くないよ! 出来ないのが悔しくって、私が八つ当たりしたんだもん。悪いのは私なんだから」
 勢い込んで夏実は訴える。少し考えて「わかった」と彼は電話の向こうで言う。
「じゃあ、このことは九十九対一で、先輩が悪いってことで」
 ふざける彼は笑っている。その声に押され、夏実は勇気を振り絞った。
「だから、あのね。お願いがあるの」
「お願い?」
「もう一度、付き合ってくれないかな。私、麻斗のピアノで練習したいんだ」
 夏実の緊張も他所に、彼はあっさり「なんだ」と呟いた。
「いいですよ。もうあんなこと言わないんだったら」
「いっ、言わない! 二度と言わないし思わないから!」
 茜の助言に従って謝れば、五樹の言う通りだった。麻斗は素直に許してくれた。
 安堵のせいだろうか、胸の奥が熱くなる。よかった。本当によかった。
「麻斗、ありがとう。……ありがとう」
「そんなに言わなくていいって。なんか変な気分」
 涙が溢れてくる。嗚咽が零れるのに、顔は笑ってしまう。泣き笑いの表情で機器を耳に押し当てて、麻斗の笑う声を聞く。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...