なばり屋怪奇譚

柴野日向

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2章 モクリコクリの冒険

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 なばり屋の二階の部屋に寝床はあるが、その日、東雲彰はアパートに帰っていた。二年前に店を継ぐ前から住んでいた部屋だ。なばり屋と同じ神野辺(かみのべ)市の市内にあり、店からは電車で五駅。店と部屋を行ったり来たりしているが、近頃は週の半分以上店に泊まっている。頃合いを見て引き払うべきか、最近思案している。
 だが彼の目下の悩みは、原稿の締め切りだった。主に店の客との会話で得た知識をもとに記事を書くことが多い。そしてつい後回しにしていた原稿は、今日が締め切りだった。日曜日で店が定休日なのを幸いに、アパートの部屋で一日原稿に齧りつくことにした。
 一方で、晴斗は店の掃除に励んでいた。
 なばり屋は神野辺市の中でもオフィス街の路地裏にある。わざわざ目指さなければ辿り着く人は少ない。事務所のドアを開けて空気を入れ替えながら、窓を雑巾で拭く。夏の太陽は既に高く昇り、明るい日差しを投げかけている。
「はるー」
「おみずいれてきたよ」
 赤い着物のチヨと青い着物のトワが、水の入ったバケツの持ち手をそれぞれ両側から握り、運んできた。晴斗の足元に置く。
「ほかにおてつだいある?」
 チヨが嬉しそうに尋ねる。
「ありがとう。もうすぐ終わるから、いいよ。遊んでて」
 すると二人はソファーに上り、色とりどりの折り紙を折り始める。
 濡らした雑巾で黙々と窓の桟を磨き、そろそろ終わろうとした晴斗の頭の横を緑がかすめた。
 紙飛行機はふわりふわりと窓の外へ飛んでいく。まるで鳥が飛ぶように高く低く舞いながらくるりと宙返りをした。そして青い空を目指すように、ぐんぐん高く上り、やがて建物の陰を曲がって見えなくなった。
 振り返った晴斗の先で、チヨとトワはくすくすと笑っている。二人にとって、折り紙にちょっとした意思を持たせることは、楽しい遊びの一つなのだ。
 雑巾とバケツを片付け、手を洗った晴斗はドアを閉める。
「ねえねえ、はる」
 先に折り紙に飽きたトワが、晴斗のシャツの裾を引いた。
「これ、おみずいれてもいい?」
 彼は小さな手に、一枚の皿のようなものを乗せていた。裏返した貝にも見えるそれは、先日客からもらった龍のウロコだった。一見すると白一色だが、よく見ると様々な色がゆっくりと渦を巻いている。美しい藍色や桜色が、中央に吸い込まれるように対流している。ウロコは大人が両手を広げたほどの大きさがあるが、その実非常に軽く、叩いても落としても割れるどころかヒビさえ入れられない。
「うん。じゃあ、チヨとちょっと待ってて」
 晴斗の言葉に頷き、トワはウロコを抱えたままチヨのそばに戻っていった。晴斗は隅のシンクでボウルに水を注ぎ、二人の正面に座る。ローテーブルに置かれたウロコの上で、そっとボウルを傾けた。
 ほんのりと虹色に染まる水が、ゆっくりと溜まっていく。
 三分の二ほどの深さまで水を注ぐと、晴斗はボウルを置いた。
 そのまま三人でじっとウロコの中を覗く。
 やがて、隅の方で何かがちらついた。
 あっ、と声をあげかけたチヨが、小さな両手で慌てて自分の口を塞ぐ。きらきらと輝く彼女の瞳は、水の中を見つめている。
 ウロコの隅から、細長い生き物が顔を出した。小指ほどの大きさのトカゲに似たそれは、龍の子どもだ。細長い顔についた一対の瞳は黒々としていて可愛らしい。鼻先からは体長ほどもある細長い髭が伸び、頭にはちょこんと二本の角が生えている。青緑色の身体は透き通るように美しく、かぎ爪のついた四本の足が前後で軽く水をかく。
 すうっと泳ぎ出した龍は中心でくるりと丸くなり、方向転換をして再び泳ぎ出す。端につくとその姿は消え、また別のところから頭を出して泳ぎ始める。
「かわいいね」
 トワが囁いた。
「きれいだね」
 内緒話のようにチヨも囁く。龍の子が宿ったウロコは、水を入れた時だけ、周りにも子どもの姿を見ることができる。水中を自由自在に泳ぐ様は、つい時間を忘れて見惚れてしまう。しばらくすると龍の子は、底で小さく丸まり目を閉じた。
「寝ちゃった」
 晴斗の言葉に、双子も頷いた。そっとウロコを持ち上げ、晴斗は水をボウルに戻す。眠る龍の子の姿は、水がなくなると自然に見えなくなった。
 ボウルの水をシンクに流し、龍のウロコをタオルで拭きながら、今日は何をすべきかを考える。死神の鎌を手に入れる目途は立ったが、そういえば河童の皿も切らしていた。彰は気づいていないだろうし、さっさと在庫を見つけないと。
 そう思った晴斗の鼓膜を、甲高い悲鳴がつんざいた。
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