なばり屋怪奇譚

柴野日向

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3章 待ちて焦がれる

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「そこであたしを頼るなんて、やっぱり彰はわかってるわね」
 彰が肩にかけるトートバッグから、棗はすました顔を出す。月曜日の午前十時、駅への道を歩く。
「まあ相談相手としてここまでの適材はいないってことよね」
 ふわふわの毛が風に触れられて揺れる。
「棗、あまり喋るな。周りに聞こえるぞ」
「はいはい、わかってるわよ」
 機嫌の良さそうなポメラニアン。それを横目で晴斗が見上げ、「年の功」と一言。
「なんですって!」
「煽るな、ハル」
 バッグから飛び出しかける小型犬の首輪を慌てて掴む。犬が鼻息を荒げる一方で、晴斗はすました顔をしている。
「おまえらなあ」
 彰の呆れ声にも、一人と一匹は互いにそっぽを向いた。
 異界に詳しい身近な怪異――喋るポメラニアンに相談を持ち掛けたところ、彼女の知り合いの元に赴くこととなった。ただそこに行くには電車を乗り継がなければならない。
 動物は専用のキャリーに入れて運ぶ決まりがある。しかしそんな物に入れられるなど、棗のプライドが許さない。だからバッグの中で大人しくしているよう釘を刺した。棗にとっても不満はなく、むしろ楽に移動できると喜んでいる節さえあった。
 改札を抜け、特急電車に乗り、終点で乗り換える。景色は都会から遠ざかり、やがて見慣れない住宅地に二人と一匹は降り立った。
「あー、疲れたあ」
 地面に飛び降り、伸びをする犬は何故かそんなことを言う。
「ここに来るのも久しぶりね」
「場所はわかるのか」
「わかるわよ。ついて来て」
 鈴をちりちり鳴らしながら、棗は田舎道をとことこと先導する。本日もからっとした晴天の下、狭い道の両側には古い家が並ぶ。どの家も敷地が広く、都会では考えられない幅の平屋も目についた。田畑を有している家もある。羽島村ほどではないが、十分田舎と呼べる長閑な風景だ。未だに蝉の抜け殻がしがみつく電柱は木製で、野良猫が堂々と道を横切る。今目の前を通ったその猫は、棗の姿を見ると踵を返して逃げていった。
「なによ、臆病ね」
「不気味なんだよ」
「失礼ね! まるで人を妖怪みたいに」
 しかし、純粋な動物には棗がただの犬ではないことぐらいお見通しなのだろう。警戒し距離を置く猫は、いつでも逃げられるように四肢に力を入れている。そんな猫たちを一瞥し、棗は「ふん」と鼻を鳴らした。
 道の脇に、赤いよだれかけをかけた地蔵が鎮座している。少し行くと、何かを奉った祠がある。いかにも田舎らしい情景だ。
 やがて山道に入った。舗装された道をえっちらおっちらと登る。二十分ほど経過し、彰がまだつかないのかと口にしかけた時、景色が開けた。
「ここよ」
 赤い鳥居が立ちはだかり、その向こうに手水舎や賽銭箱が見える。さらに奥は本殿のようだ。
 しかし彰の目を引いたのは神社の内部よりも、手前にある二つの石像だった。
「稲荷神社か」
 きりりとした目つきの鋭い二匹の狐。台座の上に前足をそろえてきちんとお座りをし、参拝者を見つめ、神使としての役割を立派に果たしている。
「そう。ここの神様と知り合いなの」
 敷地内に他の人の姿はない。赤い鳥居をくぐり、本殿前で足を止めた。棗は二人の前に出ると、きょろきょろと辺りを見渡した。
椿姫つばきー、いるでしょー?」
 大きな声で呼びかける。どうやら神様は椿姫という名前らしい。
 しかし神社のどこからも返事はなく、風さえそよとも吹いてはこない。
「あたしよ、棗! ほらあ、隠れてないで出て来なさい!」
 甲高い女の声が、山の中に消えていく。秋の始まり、晩夏の山は平和に静まり返っている。
「ちょっと、せっかく来たのよ、返事ぐらいしなさいよ!」
「嫌われてるんだ」
 ぼそりと呟く晴斗を、きっと棗は睨みつけた。「ちょっとお!」いっそう声を張り上げる。
「いいわよ、椿姫。せっかくあんたの好きな油揚げがあるのに。あたしが全部食べちゃうから!」
 ぷいと本殿に尻尾を向ける。
 その途端、ざわざわと周囲の木々がざわめき、一陣の風が二人と一匹に吹きつけた。ついさっきまで草一本揺れない天候だったというのに。
「久しぶりだな、棗」
 彰が思わず瞑った目を開けると、賽銭箱の前には一匹の狐がいた。いや、狐にしてはいやに大きい。大人が乗れそうな、ヒグマほどの大きさがある。そして白い。冬のホッキョクギツネのように真っ白な毛皮を纏っている。すっと鼻筋の通った狐の顔は凛としていて、雰囲気は神聖かつ厳か。
「どこだ……油揚げはどこだ!」
 そして煩悩剥き出しの言葉を発していた。
「残念ね、もう食べちゃった」
 振り向き、ぺろりと赤く小さな舌を出す。「もう少し早く出てきてたらよかったわね」
「くっそお」
 悔しそうな大狐こと椿姫。その声がまるで少女のものであることが、いっそう不思議な感覚を生む。「棗の食いしん坊め」悔し紛れにそんなことを言う。
「……む」
 そこでようやく、椿姫は彰と晴斗に目をやった。誰だ、とその目が語っている。
「紹介するわ。あたしの……」
「連れの東雲彰だ。こっちは晴斗」棗に宣言される前に名前を告げた。棗は少し不満げな顔をしたが、「二人を連れてきたの」と文句は言わなかった。
「わざわざ連れを呼ぶとはな。一体何の用だ」
「椿姫に、協力してほしいことがあって」
 たちまち不審な顔をする大狐。陽光に照らされ、その毛皮はいっそう白く輝いている。美しい狐は少しハスキーな少女の声で呟いた。「協力……?」
「ああ、ちょっと困ったことがあってな」
 彰は掻い摘んで学生たちの話をした。成仏させたい霊がいること、その霊は並ならぬ力を持っていること、そのおかげで自分たちだけではどうしようもないということ。
「そういうわけで、力を借りたいんだ」
「そうなのよ、お願い、椿姫」
 ふん、と椿姫は鼻を鳴らして返事をした。「断る」その返事を聞いて、事前に油揚げを買っておけばよかったと彰は後悔する。
「わらわがおいそれと人間の言うことを聞くと思っておるのか」
「油揚げなら後でいくらでも奢る」
「あぶらあげ……!」きらりと狐の目が光った。しかしぷるぷると首を振ってすぐにそれを消す。「そんなもので首を縦に振るわけがないだろう」
「ねえ、あたしとあなたの仲でしょ。少しぐらい協力してよお」
 棗の言葉にも、ぷいと明後日の方向を向く。やけに仕草が子どもっぽいが、そのプライドはやはり神様級なのだろう。
「棗の悩みならまだしも、人間の肝試しの尻ぬぐいだと。そんなもの、手を貸すわけがなかろう」
「それはそうなんだが……」
 その気持ちは理解できる。かつて彰も同じことを思ったのだから。
「……どうしてもだめですか」
 彰の劣勢を悟り、晴斗も加勢に加わった。
「僕らの力じゃどうしようもなくて。神様ならなんとか出来るんじゃないかと思ったんです」
「その通り。わらわの力を使えば造作もないことじゃ」尖った鼻を気持ちよさげに天に向ける。
「神様の手を借りたいっていうのに、手ぶらでごめんなさい」
「そうじゃな。せめて誠意を見せてくれんことにはの」
「それなら……十枚でどうですか」
 なにがとは言わなかったが、大狐の中にはある食べ物が浮かんだらしい。むむ、と声が漏れる。「足らぬな」そう言った口の端から涎が垂れる。
「じゃあ、十五枚」
「もう一声」
「二十枚」
 狐の大きな尻尾がわさわさと揺れた。最早その頭の中は好物でいっぱいだ。
 頃合いを見計らい、「なら、油揚げ二十枚で……」と晴斗が言いかけた。
 その名詞を耳にし、はっとしたのだろう。狐は激しく頭部を振って脳内の好物を消すと、「ならん!」と大声をあげた。ごくんと唾を飲み込む音が境内に響く。
「もので釣ろうとは、そなた、わらわを愚弄しておるの! 下賤の分際で神を侮ろうなど百年、いや、千年早いわ!」
 もう少しだったのに、と見守っていた彰は悔しく思う。釣られかけているのに気付いちまった。
「帰るがよい、愚か者どもよ。ほら、さっさと帰れ、しっしっ」
「ちょっと椿姫、言い過ぎよ。下賤だとか愚か者だとか。ちびちゃんはいいけど彰には許さないわよ」
 薄情犬、と晴斗が呟いた。
「ええい、知らん知らん! 厄介事を招きおって」ぎろりと大狐は一行を睨めつけた。「わらわは崇高なる神であるぞ。本来なら姿さえ現すはずのない存在。言葉を交わせるだけ有難いと思え、下等なる者どもよ」
 まるで取り付く島もない。これ以上初対面の神様と張り合っていれば、今度はこちらに敵意を持たれかねない。それは更に厄介だ。
 どうする、と彰は晴斗に顔を向けたが、彼も黙って首を振る。ここはいったん引くしかなさそうだ。かといって他に手はないのだが。
 その時、椿姫が境内のある方角に首を向けた。正確には、雑木林の向こう。その視線に気が付き、彰たちも振り返る。
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