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2章 妖
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視界を、灯りが煌々と照らしている。
しばらくして、それが吊り下げられた電灯だということに気が付いた。約十日で、ようやく見慣れてきた天井。
「陽向、起きたの? 陽向!」
何度も耳にした声と共に、彼女の顔が視界に入る。泣き出しそうな歪んだ表情の少女は、律だ。「律……」自分でも聞き取れないほど掠れた声だったが、彼女はぎゅっと唇を結んで何度も頷いた。
すぐに凪を含めた何人かが枕元に集まってくる。その光景を目にしつつ、陽向は何が起きたのかぼんやりと思い返していた。
山に小屋の様子を見に行って、地震にあった。低い地鳴りと激しい揺れ。急いで麓に下っていると、何かが襲い掛かってきたのだ。
あれは何だったんだろう。黒い塊。それを白い光が弾き飛ばしたところで、記憶はぷっつりと途切れている。
「陽向がなかなか帰ってこないから、皆で手分けして探してたんだ」
そう言った凪は、陽向の話を聞くと考え込む仕草をした。まるで覚えがないわけではなさそうだ。
陽向はゆっくりと身体を起こす。慌てて律が止めようとするのを、大丈夫と制する。手や足や顔のあちこちに包帯やガーゼが巻かれているが、いずれも痣やすり傷といった程度だ。斜面を転げ落ち、気を失っているところを見つかったが、幸い軽傷で済んだ。手渡されたコップの水を飲んで人心地つく。
「黒い塊が、襲ってきたんだ。それを光が弾き飛ばしたのを覚えてる」
しばらくの間、沈黙が下りる。陽向は待った。彼らに心当たりがあることは一目瞭然だった。
「……それは、ケガレだ」
やがて沈黙を破り、白樫が低い声で呻いた。
「ケガレ……?」初めて聞く名称だ。「なに、それ」
「ケガレっていうのは、つまり……妖怪だな。この島に昔から巣くっている、とんでもなく強いバケモノだ」
「陽向、悪かった。俺が頼みごとなんかしたせいだ」
凪が悔しそうな顔をするのに、慌ててかぶりを振る。
「そんなことないよ、凪は悪くなんかない。……それより、そのケガレってどういうやつ。人を襲うの」
「ああ、たまにな。ケガレは群れることをしない。一体で島の真ん中に息をひそめていて、ときおり外に出てきて人を喰う。だからもう、あの辺りには近づかん方がいい」
「朝の地震とは、関係あったのかな」
凪たちは顔を見合わせる。しばらくして、「いや」と凪が否定した。「偶然じゃないかな……。なにしろ、ケガレには分からないことが多い。俺たちもその姿をきちんと目にしてるわけじゃないんだ。ただ、時たま外に出てきて、人を襲う。先日、島を飛び立った姿を見かけていたから、しばらくは大丈夫だと踏んでいたんだが」
よく助かったな。陽向は我ながらそう思った。人喰いのバケモノと遭遇してかすり傷で済んだなんて。
その思いを察したのか、凪がズボンのポケットから取り出したものを畳に置いた。
それは、小さな鈴だった。
「これ、俺の……」
「光が見えたって言ったよな。倒れてるきみのそばにこれが落ちていた。助けてくれたんだ」
肌身離さず身につけていたお守りだった。昔からの癖で、あの時もズボンに括りつけていた。
ただ、五色の紐は千切れ、鈴は錆びて黒ずんでいる。陽向が手に取ってみると、ぽろぽろと炭のように形が崩れていく。あっという間に、布団の上に黒い粒だけを残して、お守りは消えてしまった。
呆気に取られて陽向はそれを見つめていた。
「お守りだったのか」
「……母さんが、持たせてくれてたお守り。正直、半信半疑だったんだけど」
近頃は母に対する義理立てに近い気持ちで、それを身につけていた。例え母が自分を鬱陶しく思い、そして自分が母に嫌気がさそうと、この繋がりが最後の砦に成り得ると無意識のうちに思っていた。鈴を持っているのは、母は自分を愛してくれているから、自分は母を大事に想っているから。そんな理由付けが出来るというだけだった。お守りとしての力があるだなんて、高校生にもなれば信じられなかった。
「お母さんが、守ってくれたんだ」
律の呟きに、母を疑っていた自分は馬鹿だったと思う。項垂れ、破片と化したかつてのお守りを見つめた。
「……俺は、影なんだ」
ぽつぽつと、陽向は自分のことを口にした。自分が、葛西将吾という男にとっての隠し子であること。それ故に、様々なことを諦めてきたこと。大事な人まで奪われそうになり、人を殺しかけ、自暴自棄になって凪の誘いを承諾したこと。
俺は、影だ。いつしかそう思うようになっていた。ひなたという名はあまりに皮肉だ。学校も部活もバイトも諦め、今後も目立たぬようひっそりと人生を送るしかない自分は、日向を歩くことなど出来ないのに。
頭に触れられ、顔を上げる。髪に触れる凪の手が、ゆっくりと頭を撫でている。
「よく頑張ったな」
涙を零さないようにするので、精いっぱいだった。
しばらくして、それが吊り下げられた電灯だということに気が付いた。約十日で、ようやく見慣れてきた天井。
「陽向、起きたの? 陽向!」
何度も耳にした声と共に、彼女の顔が視界に入る。泣き出しそうな歪んだ表情の少女は、律だ。「律……」自分でも聞き取れないほど掠れた声だったが、彼女はぎゅっと唇を結んで何度も頷いた。
すぐに凪を含めた何人かが枕元に集まってくる。その光景を目にしつつ、陽向は何が起きたのかぼんやりと思い返していた。
山に小屋の様子を見に行って、地震にあった。低い地鳴りと激しい揺れ。急いで麓に下っていると、何かが襲い掛かってきたのだ。
あれは何だったんだろう。黒い塊。それを白い光が弾き飛ばしたところで、記憶はぷっつりと途切れている。
「陽向がなかなか帰ってこないから、皆で手分けして探してたんだ」
そう言った凪は、陽向の話を聞くと考え込む仕草をした。まるで覚えがないわけではなさそうだ。
陽向はゆっくりと身体を起こす。慌てて律が止めようとするのを、大丈夫と制する。手や足や顔のあちこちに包帯やガーゼが巻かれているが、いずれも痣やすり傷といった程度だ。斜面を転げ落ち、気を失っているところを見つかったが、幸い軽傷で済んだ。手渡されたコップの水を飲んで人心地つく。
「黒い塊が、襲ってきたんだ。それを光が弾き飛ばしたのを覚えてる」
しばらくの間、沈黙が下りる。陽向は待った。彼らに心当たりがあることは一目瞭然だった。
「……それは、ケガレだ」
やがて沈黙を破り、白樫が低い声で呻いた。
「ケガレ……?」初めて聞く名称だ。「なに、それ」
「ケガレっていうのは、つまり……妖怪だな。この島に昔から巣くっている、とんでもなく強いバケモノだ」
「陽向、悪かった。俺が頼みごとなんかしたせいだ」
凪が悔しそうな顔をするのに、慌ててかぶりを振る。
「そんなことないよ、凪は悪くなんかない。……それより、そのケガレってどういうやつ。人を襲うの」
「ああ、たまにな。ケガレは群れることをしない。一体で島の真ん中に息をひそめていて、ときおり外に出てきて人を喰う。だからもう、あの辺りには近づかん方がいい」
「朝の地震とは、関係あったのかな」
凪たちは顔を見合わせる。しばらくして、「いや」と凪が否定した。「偶然じゃないかな……。なにしろ、ケガレには分からないことが多い。俺たちもその姿をきちんと目にしてるわけじゃないんだ。ただ、時たま外に出てきて、人を襲う。先日、島を飛び立った姿を見かけていたから、しばらくは大丈夫だと踏んでいたんだが」
よく助かったな。陽向は我ながらそう思った。人喰いのバケモノと遭遇してかすり傷で済んだなんて。
その思いを察したのか、凪がズボンのポケットから取り出したものを畳に置いた。
それは、小さな鈴だった。
「これ、俺の……」
「光が見えたって言ったよな。倒れてるきみのそばにこれが落ちていた。助けてくれたんだ」
肌身離さず身につけていたお守りだった。昔からの癖で、あの時もズボンに括りつけていた。
ただ、五色の紐は千切れ、鈴は錆びて黒ずんでいる。陽向が手に取ってみると、ぽろぽろと炭のように形が崩れていく。あっという間に、布団の上に黒い粒だけを残して、お守りは消えてしまった。
呆気に取られて陽向はそれを見つめていた。
「お守りだったのか」
「……母さんが、持たせてくれてたお守り。正直、半信半疑だったんだけど」
近頃は母に対する義理立てに近い気持ちで、それを身につけていた。例え母が自分を鬱陶しく思い、そして自分が母に嫌気がさそうと、この繋がりが最後の砦に成り得ると無意識のうちに思っていた。鈴を持っているのは、母は自分を愛してくれているから、自分は母を大事に想っているから。そんな理由付けが出来るというだけだった。お守りとしての力があるだなんて、高校生にもなれば信じられなかった。
「お母さんが、守ってくれたんだ」
律の呟きに、母を疑っていた自分は馬鹿だったと思う。項垂れ、破片と化したかつてのお守りを見つめた。
「……俺は、影なんだ」
ぽつぽつと、陽向は自分のことを口にした。自分が、葛西将吾という男にとっての隠し子であること。それ故に、様々なことを諦めてきたこと。大事な人まで奪われそうになり、人を殺しかけ、自暴自棄になって凪の誘いを承諾したこと。
俺は、影だ。いつしかそう思うようになっていた。ひなたという名はあまりに皮肉だ。学校も部活もバイトも諦め、今後も目立たぬようひっそりと人生を送るしかない自分は、日向を歩くことなど出来ないのに。
頭に触れられ、顔を上げる。髪に触れる凪の手が、ゆっくりと頭を撫でている。
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